ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 避けられないなら、戦うまで。

 
 さあ、鬨の声をあげろ
 進む先に何がなくとも



The time has come.

 

 

 実際、その男に会ったのはただの一度きりだった。

 

 恩人との旅路、その途中。街と街の境、雪降り積もる人気のない林の中で男は立っていた。

 待ち構えていたのだろう。その肩は薄く雪を纏い、冷たい白に染まっている。

 銃を構え距離をとる恩人に対し、男は後ろ手に腕を組んでこう言った。

 

「一度だけ言う。二度と彼の前に顔を出すな」

 

 ひどく冷淡で、そのくせどろりとした熱を孕む異質な声。

 思わず恩人の服を掴んだその時、彼女の身体が震えていることを知る。思わず手の力を強め、立ち塞がる男を睨みつけた。しかし、当の男は力無き少年の視線など気にも止めた様子もなく、恩人を見つめている。

 一歩下がりかけた恩人は、そこで服を掴む小さな手に気付いたのか無理矢理に微笑んでみせた。

 口の端が上がりきっていない、苦しげな笑み。

 彼女は表情を消し、目の前の敵へと向き直る。

 

「どういう意味?」

「そのままの意味だ。裏切り者のお前を彼は許しておけない。だから、二度と彼の前に顔を出すな」

「あなたにそんなことを言われる筋合いはない」

「そうだな、お前の言う通りだ。だが、頼む。彼にお前を殺させないでくれ」

 

 彼はそう言って頭を下げた。

 恩人は絶句し、乾いた声でようやく呟く。

 

「……なぜ、そんな」

「彼が傷付く」

 

 頭を下げたまま、無防備に。誠意すら感じさせるほどの声音が告げた。短い言葉はそれだけに重く、誰にも受け止められずに地に落ちる。

 

「お兄様が……?」

 

 呆然と呟く恩人の震えはひどくなり、見上げればその瞳には涙が浮いていた。

 

「バケモノが、家族殺しくらいで今更傷付くわけがないでしょう!」

 

 叫びが木々にこだまする。その拍子にこぼれ落ちた涙が一粒、雪原へと落ちた。

 熱は雪を溶かすこともできずにただ消える。

 

「私を殺して傷付くわけがない……お兄様はもう、人間じゃないんだから」

 

 銃を下ろし、恩人が涙を拭った。

 男は未だ頭を下げたまま。しかし、激情のあまりか、その拳はギリギリと音を立てている。

 

「行け。追うなと、彼に言われている」

 

 歯を食い縛っているのだろう。くぐもり濁る声で男は告げた。

 

「早く、行ってくれ。頼む」

 

 恩人に手を引かれ、走り出す。

 雪に滑る足を必死に動かし、息を切らせて、二人は走り続ける。

 

 

 遠く、木の倒れる音がした。

 

 

 

 

 檻の中で何やら言い合っている麦わら一味と海兵。それを見上げて騒ぐG-5。遠く煙る紫のガス。

 禁足地パンクハザードで巻き起こる騒ぎ。

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは苦虫を噛み潰したような顔でこめかみを揉み、眼下を見下ろしていた。

 

 見捨てることは出来る。出来るが。

 ただ、そうなると二年前の件は大損だ。

 あの時は苦労した。地獄の戦場を潜り抜けた先に更なる苦行が待ち構えていたのだから。

 

 当時の苦労を思い返し、呻きを上げて歯噛みする。

 何としても元は取らねばなるまい。少なくとも、消費した胃薬一瓶分の元は。

 眉間に浮かぶシワを親指で伸ばし、ドフラミンゴは行動を開始した。

 

 映像電伝虫の補足範囲からして檻は観測下。まず、これを誤魔化すべきだ。破壊するより撹乱する方が時間を稼げると判断し、檻に糸を繋ぐ。

 

「おい、麦わら」

「んん、誰だ? どこから声が……」

「いいから黙って従え。おい、お前ら、誰でもいいからその辺の軍艦燃やせるか?」

「燃やすんなら、フランキー、頼んだ!」

「お安いご用だ」

 

 眼下、軍艦に火の手が上がる。想定より火力が高い。しかし、その分地上の海兵共も煙幕に入って動きやすくなった。

 

 立ち上る黒煙を的に跳躍。檻の上部に着地し、内部を覗き込む。

 

「げっほ、なんだミンゴか! 久しぶりだなァ!」

 

 黒煙の中、ルフィが威勢よく挨拶をしているが、海楼石と思しき鎖に縛られ動けない様子だ。他の面子も似た有様である。さらに煙のために咽せて、真面に目も開けられないようだった。

 

 檻に糸をかけ切断。中に侵入したドフラミンゴはナイフを取り出した。

 まずたしぎ、続けてフランキーの鎖を破壊。たしぎにナイフを預け、辺りを確認する。

 海楼石の影響を受けない二人を解放してしまえば、あとはどうにでもなるだろう。

 

「麦わら。脱出ルートだが……麦わら?」

「ルフィならもう出たぞ、兄ちゃん。ほらよ、これで外れた。動けるか、ロビン」

「ありがとう。そちらもね、“怪盗”さん」

 

 微笑んだニコ・ロビンに肩を竦めて応える。

 ルフィはと言えば既に研究所外壁に辿り着いており、ぶんぶんと手を振っていた。さらに続いてニコ・ロビンがルフィの元に向かい、フランキーは自船へ向かって飛んでいく。

 残るスモーカーとたしぎは、ドフラミンゴの背後で何やら言い合っていた。

 

 頭が痛い。

 

 放置したいところだが、彼らの生存はヴェルゴを潰すカードになり得る。ドフラミンゴは未だ言い合う海兵二人へ問いかけた。

 

「檻の中でお利口に過ごしていた海兵(イヌ)共にご褒美だ。良い散歩コースがある。一緒に来るか?」

「────いきましょう。私達がここで死んだら、部下も全員見殺しにしてしまう」

「たしぎ! 海賊共と馴れ合う気か!」

「今は脱出を優先すべきです! このままでは軍に悪をのさばらせるばかりか、子ども達だって!」

 

 叱責にもめげず上官に反論する女海兵を見つめ、ドフラミンゴは口の端を上げる。

 

「フッフッフ、野犬の部下のわりには賢明じゃねェか。その様子じゃヴェルゴに会ったな」

 

 内心、既にヴェルゴが到着していることを知っての焦りはあった。

 しかし、まだ巻き返しは効く。G-5が脱出に成功し、ヴェルゴの潜入を告発すれば、盤面は大きく揺らぐだろう。

 ここがカードの切り時だ。

 ドフラミンゴは口の端を引き上げた。

 

「ヴェルゴ基地長だったか? 教えてやるが、奴は海賊だ。上の指示で海軍に潜り、長い年月をかけて今の地位まで昇り詰めた、忠義心の篤い本物の狗だな」

「どうして、海賊の貴方がそんなことを知っているんですか」

「何、“怪盗”の狙いは何もお宝だけじゃねェ。それだけさ」

 

 パフォーマンスとして勿体ぶってはみせるが、本音を言えば時間がない。トラファルガー・ローがこの島に到着すれば詰みだ。何としてでも海兵共を動かさねばならない。

 真正面から狂犬じみた目で睨みつけてくるスモーカーを見下ろし、ドフラミンゴは嗤う。

 

「さて、スモーカー中将殿。生きて帰れりゃヴェルゴは失脚、運が良けりゃあんたが基地長だ。悪い相談じゃねェだろう」

「基地長なんざに興味はねェし、ガキの安い挑発にのるつもりもねェが……まァいいだろう、策には乗ってやる」

 

 変化は突然だった。

 スモーカーが言葉の途中で態度を変え、それまで見せていた剥き出しの戦意を突然消失させたのだ。

 代わりに窺えるのは確かな知性。

 態度の分かりやすいたしぎに話をさせ、こちらの真意を探っていたらしい。焦りを気取られた。危険をおしてまでG-5を逃そうとする理由には思い至らずとも、少なくとも敵対はしないと読まれたのだろう。

 野犬と呼ばれるわりに知恵の回る男だ。

 

 思わず苛立ちに口の端を引き攣らせたドフラミンゴだったが、すんでのところで怒りを抑え、サングラスの位置を正して表情を隠す。

 

 まあ、いい。

 ただでさえ、嵐のような麦わらとその一味がいるのだ。手綱を引き千切る狂犬に尻を追われるよりは、お利口な野犬を連れ歩く方がいくらかましだろう。

 

 そう己に言い聞かせ、ドフラミンゴは檻から飛び出した。

 

 

 

 

 檻から脱出した者、外から侵入した者、内部で逃走を続けていた者。

 闖入者は研究所の館内で集結し、それぞれに行動を開始する。

 どの道脱出ルートは一つだ。

 脱出の制限時間を全員の前で告げた後、ドフラミンゴもまた走り出した。

 

 先行するのはルフィとスモーカー、そしてドフラミンゴ。鳴り響く警告音に追われながら三人は進む。

 

「主だった敵戦力はMとその秘書モネ、さらにヴェルゴだ」

「えむ? ああ、シーザーか!」

「そうだ。だが、裏にはもっと大物がいる。シーザーを押さえて奴の鼻をあかしてやれば、海の勢力図は瞬く間にひっくり返るだろうよ」

「へー、そりゃすげェなー」

 

 ルフィの口から飛び出したのは気のない返事。至る所で『海賊王になる』などと豪語している男が勢力争いに関心を示さないなど意味がわからない。

 ドフラミンゴが困惑する間にも、ルフィは前方の敵を殴り飛ばし、地を蹴って勢いよく突進していく。

 

「よし、シーザーはおれがやる!」

「待て! 殺すんじゃねェ、捕まえろ!」

「こえー言い方するなあ、お前。だけどよ、捕まえるのは面倒くさくねェか?」

「策もねェのに口答えするんじゃねェ」

「うーん。そういやミンゴ、お前、何しにここまで来たんだ?」

「……お前にゃ関係ねェだろう」

「そっか。じゃあ、おれがシーザーをぶっ飛ばしても関係ねェだろ?」

「ないわけあるか!」

「勝手にやってろ、海賊共。ヴェルゴはおれがやる」

 

 ルフィもスモーカーも話を聞かない。しかも直進しかしないため、後方および側方の敵は全て己が処理していた。理不尽だ。三人に向けて放たれる銃弾を糸で払い退け、時に敵を拘束して進む。

 

「止まれ! 一旦止まれ!」

 

 叫ぶドフラミンゴを睨み、スモーカーが煙状態のまま滞空。ルフィはというと急には止まれないようで、随分先の道から腕を伸ばしゴムの力で戻ってきた。

 ばちん、と音が鳴る。

 

「どうした、ミンゴ。急ぐんじゃねェのか?」

「走りながらでいい、一旦状況の整理をさせろ。シーザーは麦わら、ヴェルゴは中将殿。それは構わねェ。だが、おれにも目的があるんだ。シーザーは捕まえる。これは譲れねェ」

「勿体ぶらずに目的を話せ。何、協力はしねェがここを出るまでは邪魔もしねェよ」

「そうだ、ケムリンの言う通りだぞ!」

 

 面倒くさい。

 正直、シーザーはともかくヴェルゴは直接叩かずともスモーカーが生還できればいずれ失脚する。それを落とし前だなんだのと言うのに付き合ってやっているのはこちらなのだ。

 

 どいつもこいつも、勝手ばかり。

 

 ドフラミンゴは地団駄を踏みたくなる気持ちを必死に抑え、努めて冷静に問う。

 

「これを聞いたらお前らも戻れねェ。いいんだな?」

 

 即決で頷く二人に嘆息し、ドフラミンゴは己が調べたこの研究所の秘密について話し始めた。

 

 ここで作られる『SAD』が四皇カイドウの勢力強化に必須であり、その製造工程にはシーザーが関わっていること。

 シーザーは子ども達に薬物を投与し非人道的実験を繰り返していること。

 そして、この研究所の元締がトラファルガー・ローであり、ヴェルゴは彼の部下であること。

 彼らはパンクハザードや別所で得た資金を用いて各地で戦乱を起こし、その一方で人道支援を行って世界に混乱を呼び込んでいること。

 

 かいつまんで話すうち、ルフィが声を上げる。

 

「トラ男? トラ男って、二年前おれを助けてくれたあのトラ男か?」

「そうだが変な呼び方するんじゃねェよ!」

「えぇ、なんでミンゴが怒るんだ」

「怒ってねェ!」

「怖い顔すんなって。大体、トラ男はトラ男だろ。一応覚えてるぞ。とら、とらふぁ、とらふぉ……?」

「トラファルガー・ローだ! 馬鹿にしてんのか⁉︎」

「────待て。二年前、トラファルガーが麦わらを助けた? まさか頂上戦争……あの宗教野郎、海軍を虚仮にしやがったな!」

「ほら、いらんことに気付く! 麦わら、お前はもう喋るな!」

 

 叫びすぎて息が切れてきた。

 肩で息を吐き、ついでに追手を糸で雁字搦めにしながら、ドフラミンゴは続ける。

 

「おれの目的は、トラファルガー・ローを潰すこと。ここは奴の重要拠点で、シーザーはその要だ。上手く使えば、あの野郎と四皇カイドウをまとめて潰せるとびきり上等な切符なんだよ」

 

 言ってしまった。

 後々協力を仰ごうとしていたというのに、何の準備もメリットも提示できないまま己の目的を晒しただけの為体。

 スモーカーは何とか口止めするとして、麦わらはどう思うか。ちらりと見下ろすと、ルフィは腕を組んで悩んでいた。

 

「トラ男、すげー悪いことしてんだな。何がしたくて戦争なんか広めてるんだ。メシも配るんなら悪ィ奴でもねェだろうに、変な奴!」

「そう単純な話でもねェが、悪党なのは間違いない」

「うーん、そうだな。ミンゴ、お前があいつをぶっ飛ばすのは構わねェ」

「なら────」

「だけどよ、おれもトラ男に礼を言わなきゃなんねェんだよな……あ」

 

 ぽん、と柏手を打つルフィに嫌な予感が過ぎる。その能天気そうな顔から出てきた答えが己にとって良いはずがない。

 

「おれが先にあいつのところに行っていいか? ついでにシーザーのこと文句言っといてやるからよ」

「いいわけあるか!」

「えぇ? じゃあ一緒に行くか?」

 

 案の定、ルフィは道理も何もない提案をしてきた。拒否すると、何故かこちらが聞き分けがないとでもいうような態度で代案を出してくる始末だ。

 成り行きを見守っていたスモーカーが渋面で呟く。

 

「ふざけやがって。海兵の前で海賊同盟の相談か?」

「海賊同盟? なんだそれ」

「そりゃそのままの意味だ。海賊同士が協力関係を組むことに決まってる」

 

 まずい。この流れは良くない。

 

 こんな時ばかり素直に説明を始めるスモーカーを睨みつけるが、そもそも説明などすぐ終わる。同盟の概念を理解したらしいルフィが大口を開けて笑った。

 

「おもしれーな、それ。やろう!」

「何でそうなる……!」

「お前はトラ男を殴る、おれはトラ男に礼を言う。どうせ会いに行くなら一緒に行っちまえばいいんだ。それに、海賊同盟なんて面白そうだろ!」

「……同盟の話はここを出てからだ。まずはシーザー、あいつだ。いいな?」

「まかせろ! おれがシーザーをぶっ飛ばす、その後捕まえればいいよな?」

「何でもいい。捕まえさえすれば何でも」

 

 脱力感に見舞われながら、ドフラミンゴは頷く。元々、二年前の件を盾に協力を仰ごうとは思っていたが、同盟など考えてもいなかった。

 トラファルガー・ローは強大な敵だ。あの男を潰すには多くの物が必要だった。日々研鑽し力を蓄え、怪盗業の傍らコネも資金も中々の物を築けた。それなのに、ヴェルゴの件が成功したとしても、また麦わらの協力を得ても届かない気すらする。

 だが、これ以上は引き伸ばせないことも、理解できているのだ。

 走り続けるのには慣れていた。だが、己が走る間もあの男は先を行く。差は縮まらない。

 

 ちょっとくらい堕落しろ。

 

 心中で密かに悪態を吐くドフラミンゴの前方、ドアが見えてきた。

 

「いいか、ヴェルゴはおれの敵だ」

「おれはシーザーをやる。手ェ出すなよ!」

 

 確認し合う二人を置いて、ドフラミンゴはSAD製造室へと走る。

 背中に届くルフィの怒号から察するにシーザーと接敵したのだろう。

 

 ヴェルゴがどこにいるかはわからない。

 運良くどこか違う場所を当たってくれていればいいのだが。そう願いつつ、半ば確信のように思う。

 

 この先待ち受けているのは、鬼だ。

 

『──こちらD棟より緊急連絡! 只今、ドンキホーテ・ドフラミンゴがSAD製造室へ侵入しました!』

 

 館内全体に響き渡る警告に、ドフラミンゴは口の端を引き上げた。

 巨大なタンクを見上げる彼の耳に靴音が届く。急ぐでもないその響きは、されど圧倒的な威圧感を伴っていた。

 

 鬼が来る。

 

 そう。己の運が良かったためしなどないのだから。

 

 

 

 

 足音が止まった。

 

 振り返った先、佇むは一人の男。

 鍛え上げられた肢体に白の防寒着。サングラスで目元を隠し表情すら窺えない、いかにも軍人らしい出で立ち。手には何の変哲もない竹竿が携えられている。

 

 GL第五支部基地長。

 あるいは、トラファルガー・ローの右腕。

 

 ヴェルゴは後ろ手に腕を組み、まるで世間話をするかのように口火を切った。

 

「何年ぶりだろうな。大きくなった」

 

 応えないドフラミンゴを見つめ、男は続ける。

 

「今じゃ彼と同じ『王下七武海』か。いつのまにか偉くなったもんだ」

「お前もな。ヴェルゴ基地長殿」

 

 SAD製造室、そのメインシステムであろう巨大なタンクを背にして、ドフラミンゴは笑った。

 ヴェルゴはにこりともせず、拳を握る。

 

 来る。

 

 背筋に走る悪寒。本能の警告に従い顔を横に振る。地を蹴り付け眼前に肉薄したヴェルゴが拳を振り抜いた。拳圧で頬が切れ、血の珠が舞う。

 回避は予想していたのだろう。ヴェルゴは空中で身体を回転させた。続いて鋼鉄の蹴りがドフラミンゴの胴体を襲う。

 咄嗟に腕を出してガードを試みるが踏み止まれない。肩から安全柵に激突したドフラミンゴは身体をくの字に折って咳き込む。

 少量の血。内臓にダメージ。

 追撃はない。

 

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ。これまでお前は見逃されてきた。分かっているだろう?」

 

 静かな声でヴェルゴが告げる。

 

「彼にとってお前はどうでもいい羽虫だ。それに、SADなど失ったところで彼には何のダメージもない。お前は何がしたいんだ?」

「フッフッフ、そう強がるな……カイドウと繋がってんだろ? ここを失って何も起きないはずがねェ。焦ってんのか?」

 

 よろけながらも立ち上がるドフラミンゴに対し、ヴェルゴは再度拳を振るう。

 避けることが出来ず顔面に喰らった。視界が明滅するほどの衝撃。柵に寄りかかり苦し紛れに糸束を放つが、極小の動きで回避されてしまう。

 

「年長者の質問には素直に答えるものだ。もう一度聞いてやる。お前は何がしたい?」

 

 言葉と共に襟首を掴まれ、床に叩きつけられた。覇気で補強しているはずだというのに骨が軋む。

 ほぼ追撃を入れず、いちいちインターバルを空けて攻撃を繰り返すその様はまさに鬼畜。痛ぶるためでなくただ精神を折りにきているのだと理解し、ドフラミンゴは顔を上げた。

 歪んだサングラスを正し、口角を上げて言い放つ。

 

「てめェの大事な飼い主様を椅子から引き摺り落とす。それだけだ!」

 

 ヴェルゴが片足を上げる。

 身体が浮くほどの衝撃。

 続いて左手に灼熱感。踏み抜かれた左手は一撃で骨が砕けていた。その激しさは床をも凹ませる程で、手を縫い止められたドフラミンゴは歯を食いしばって苦鳴を堪える。

 

「間もなくここは処刑場に変わる。彼が来る前に掃除を片付けたい」

 

 相変わらず平坦な声。

 だがそこには隠しきれない怒りが滲む。

 ヴェルゴは愛用の竹竿を振り上げ、しかし、途中で動きを止めた。

 

 靴音。

 

 ヴェルゴは振り返り、訥々と問う。

 

「相談事か? 見ての通り、取り込み中だ。今じゃなきゃいかんかね」

「視界に入るゴミクズを長々眺めてんのもやなもんだ。お互い、掃除は早い方がいい。そうだろう、海賊ヴェルゴ」

 

 煙を纏い現れたのはスモーカー。

 ヴェルゴはドフラミンゴを放置し、彼へと歩を進めた。

 

「道理だな。どの道、キミの口封じも必要だった」

 

 睨み合う二人を視界の端に止め、ドフラミンゴは身体を起こした。骨が砕け使い物にならない左手に糸を巻きつけ補強。さらに自身の神経に糸を巡らせ無理矢理に動かせる状態へと整える。

 

 痛みは続いている。

 だが、ここからが本番だ。

 

 戦闘が始まった。

 

 武装色の覇気で強化された竹竿と十手がぶつかり合う。時に銃弾のような拳の雨が互いを穿ち、仰け反りながらもさらに撃ち合う。

 ドフラミンゴは二人に背に向けて疾走。タンクを蹴り付け上空へと身を躍らせた。手から放たれた糸の波濤が地上を襲い、煙となったスモーカーを突き抜けヴェルゴに殺到。

 しかし、ヴェルゴの振り抜いた竹竿がスモーカーごと糸の波を薙ぎ払う。

 弾き飛ばされたスモーカーを蜘蛛の巣状の網で受け止め地上に投げ下ろし、己は飛ばした糸で転回して着地。遅れて天井付近で爆発音。吹き矢による攻撃だろう。ヴェルゴが口元から竹竿を外すのが見える。

 

「羽虫と煙は相性が悪いと思うのだがね。なかなかどうして上手くやる」

 

 息を荒げ膝をつくスモーカーとドフラミンゴを見つめ、ヴェルゴは再び竹竿を構えた。裂帛の突きが二人を襲い、衝撃が鉄製の床を削って火花を上げる。

 左右に転がり退避した二人を追い、ヴェルゴが地を蹴った。ドフラミンゴに迫る蹴りをスモーカーが阻止。しかし伸ばした十手は大きく弾かれた。

 体勢を崩すスモーカーの頭部を狙い振るわれる竹竿を、ドフラミンゴが鞭となった糸で弾いて矛先を変える。そのまま切断を狙うが、糸の強度がヴェルゴの覇気に劣っているのか、糸が先に引きちぎれた。その隙にスモーカーが身体を反転、攻撃を回避してヴェルゴに足払いをかける。

 

 とん、と。

 

 軽い音を立て後方へと下がったヴェルゴが己の手首を見つめた。視線の先には腕時計。時間を気にする余裕に苛立つ。

 

 切断は困難。ならば、動きを鈍らせる。

 

 そう判断したドフラミンゴは再びタンクを蹴って飛翔、メインタンクの上に駆け上がった。

 

 思い出すのは二年前、トラファルガー・ローが宣った言葉。滑車や支柱がないなら作れば良いというアドバイス。

 示されたのは、己の力が足りないなら知識と環境を用いて事を成せという、至極当然ながら困難な道筋。

 

 だが、二年もあれば、出来ることは大いに増える。

 

 激しく撃ち合うスモーカーとヴェルゴを見下ろし、ドフラミンゴは肩で息を吐いた。計算には多少集中が必要だ。

 糸で作った大小の滑車。それらを宙に放り投げ、タンクや鉄柵を支柱にして固定する。角度は完璧。同時に室内全域へ糸を張り巡らせ、さらに粘度の高い糸を組み合わせてヴェルゴに投擲した。

 当然避けられるが、察したスモーカーが十手の柄でヴェルゴの足を掬い、その身体に糸が絡みつく。さらにスモーカーの追撃が竹竿を撃ち払い遠くへ弾き飛ばした。

 

 ヴェルゴに繋がる糸。

 その全てを巻きつけたドフラミンゴの右拳は武装色の覇気によって黒く染まっている。

 

 不自然に宙吊りとなったヴェルゴを見下ろし、ドフラミンゴは自身の足元へと視線を落とした。

 SADメインタンク、トラファルガー・ローの大事な商品がそこにある。

 

 これを崩せば、本物の戦いが始まるだろう。感じるのは一抹の不安と妙な高揚。胸元を握りしめ、強く目を閉じる。

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは己を鼓舞するように笑みを浮かべた。

 

 そうと決めたらやり通す。

 それだけだ。

 

 刹那、振りかぶった拳を全霊の力でメインタンクへと撃ち下ろす。

 

 轟音。

 

 地階まで突き抜ける強打により、メインタンクが縦に割け火花を上げた。

 さらに、宙吊りになっていたヴェルゴが糸に引かれて吹き飛び、天井に激突。滑車によって何倍にも引き上げられた衝撃が鬼を襲う。

 鈍い苦鳴を上げたヴェルゴが地に落ちる寸前、さらに地上で待ち構えていたスモーカーが拳を振り抜いた。

 武装色の鎧を貫き内臓に響くインパクトがヴェルゴを突き抜け、吐き出された血が宙を舞う。

 

 動かなくなったヴェルゴ。彼を拘束する糸をメインタンクの残骸に括り付け、ドフラミンゴは地上へと飛び降りた。

 

 油断なく構えるスモーカーの傍らを通り過ぎ、ドフラミンゴは宙吊りとなったヴェルゴを見上げる。

 

「ヴェルゴ。悪ィが、おれはあいつに会いに行く。何か伝えたいことがあれば聞いてやる」

 

 内臓にダメージが届いたのか、口を開いたヴェルゴの唇からは声でなく血が溢れた。

 ヴェルゴが身じろぎした際、懐から何かが落ちる。

 それは小さな電伝虫。

 

『────その必要はない』

 

 響く声は、変わらず凪いでいた。

 意外だった。あの男はこちらの様子を窺うような男ではないのだから。

 

「趣味が悪ィな。高みの見物か?」

『お前らが何をしたいのかわからねェからな。いや、今もわからねェが』

「とぼけんじゃねェ。SADもヴェルゴも、これで終わりだ。お前にとっちゃ最悪な絵図だろう?」

『何の話だ』

「惚けてねェで精々次の策でも練って待っててくれよ。直に会いに行ってやる!」

 

 答えを聞かず、踵を返す。

 制限時間が近い。

 

 煙となって空を滑るスモーカーと共に走った。

 

 出口はすぐそこだ。

 

 

 

 

 その後、ルフィが一時シーザーを取り逃したり、外でフランキーが接敵していたり、侍親子が増えていたりとイレギュラーもあった。それでも何とか脱出、シーザーも拘束し、ドフラミンゴはやっと息を吐くことが出来た。

 とはいえ、トラファルガー・ローがこちらに向かっていると知っていながら長居はできない。

 そう伝えたのだが、麦わら一向も海軍も騒いで聞いてはいなかった。

 

「ぎゃー! 人殺しー! くろい、くろいやつが子ども達を……あれ、い、いない……?」

 

 遠くで叫ぶトナカイは麦わらの一味の船医らしい。物騒な叫びに思わず腰を上げたドフラミンゴだったが、それ以上は何も起きず再び箱の上に腰を下ろす。

 辺りには、姦しく騒ぐG-5と麦わらの一味、そして子ども達。子ども達は薬の影響のため療養していたはずなのだが、既に元気に走り回っている。あのトナカイは見かけによらず凄腕ということか。

 さらに遠くを見れば、宴だなんだと叫ぶルフィの姿が目に入った。

 あまりの呑気さに脱力し、頭を抱える。

 

 ヴェルゴ撃破後、合流したルフィに改めて己から同盟を申し出た。快諾され、これからというところなのだが、すでに後悔し始めている己に気付く。

 

 SAD製造場は破壊し、シーザーも確保した。麦わらの協力も得た。ヴェルゴも撃破し、スモーカーが告発する手筈を整えている。未だトラファルガー・ローは到着せず、無事脱出も叶いそうだ。

 それなのに、この胸騒ぎは何なのか。

 何か大きな勘違いをしているような、そんな焦燥感。スモーカーにわざと目的地を伝えるという小手先の目眩しを行ってなお、胸騒ぎは消えない。

 

 ただ、自ら切って落とした火蓋。今更足掻くよりは前進のためにできることをする方がいくらか堅実というものである。

 ドフラミンゴはそう結論付け、子ども達からスープを受け取り、口をつける。

 

 やたらと旨い。

 

「うめェだろ?」

 

 いつのまにかそばに来て自慢げに笑うルフィを見返し、ドフラミンゴは口許を緩めた。

 

「まあまあだ」

 

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