“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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FILM RED出張編③ Starry-eyed idealism
ジョーカーと狼


 

 

 町の外れ、人目の届かぬ荒屋で、2人の子どもが蹲っている。

 

「お兄さま、いたい、いたいよ」

 

 譫言を繰り返し泣き続ける小さな少女と、彼女を抱き寄せて顔を顰める少年。

 二人の身体を包む布切れは擦り切れて薄汚く、病人が被るには適さない。体温を保つことすら危うい襤褸布を、しかし、少年は必死に引き寄せた。

 魘された少女が暴れて、彼女の足が外気に晒される。病的に細い足はまだらに色が抜けて奇妙に白い。

 咄嗟の行動だった。息を飲んだ少年は少女の足を掴み、布切れの奥へと押し込む。

 

「いたい!」

 

 甲高い悲鳴が上がる。

 病変部位を掴まれたのだ。当然の反応だった。そんなことは少年にも分かっている。否、この世で誰よりも深く理解していた。

 だが、この病は誰にも理解されない。世界の誰にも。だから、絶対に隠し通さなければならなかった。誰にも見られてはならない。そんなことは、嫌と言うほど思い知らされていたのだ。

 荒屋付近に人気はない。それでも、少年は警戒を続け、憔悴に落ち窪んだ金の瞳を光らせる。

 

「いたい! いたいって言ってるのに!」

「……静かにしろ」

「やだ! お父さまは? お母さまはどこ?」

「…………」

「お母さまをよんでよ! いたいところ、さすってもらうから!」

 

 熱に浮かされた少女の鋭い糾弾は、ただそれだけで少年の喉を押し潰した。

 

 両親は死んだ。殺された。

 故郷は病と戦火に沈み、虐殺の内に死に絶えた。

 救いの手など、どこにもなかった。

 

 両親の最期の姿、炎に炙られる町、無慈悲に向けられた銃口。僅か数日の内に心を塗り潰した光景が、少年の脳裏を過り視界の全てを奪う。

 苦鳴を押し殺し、凄惨な記憶をやり過ごした少年は、夢幻へ放り出されたような心地のままに手を伸ばした。

 

「黙れ、黙ってくれ……!」

 

 少年の手は暴れる少女の口を塞ぐ。それだけで安心できるわけもなく、少年は無意識に力を込めた。

 少女が抵抗し暴れる。さらに押さえ込む。呼吸音が遠くなり、声が途切れた。

 もう悲鳴は聞こえない。

 良かった。これで妹を守れる。

 ネジの切れたような安堵を覚え、少年は力を弱めようとした。

 少女と同じく、まだらに白く染まった少年の指。力を込めすぎたせいで引き攣ったその指に、少女の涙が伝う。

 そこで初めて、少年は気付いたのだ。

 

 己が、何をしたのかを。

 

「ラミ!」

 

 力なく横たわる妹の身体。窶れて細く、熱に倦んだその身体を無我夢中で抱き寄せ、少年は彼女の名を呼んだ。

 胸に耳を押し当れば、ひどく緩やかで微かな鼓動が聴こえる。今にも途切れそうな命の音。瞬きの間に遠ざかっていく弱々しい音が恐ろしくて、少年の目に涙が滲んだ。

 

「ラミ、ラミ……! だめだ、ラミ!」

 

 少女の頭を抱き寄せ、耳元で何度も名前を呼び続ける。汗と涎、涙。土に泥。血。汚れ切った手で彼女の頬を撫で、身体ごとかき抱いた。

 不衛生だなんだと喚く理性は一瞬で砕け、全てお前のせいだと糾弾する彼自身の声もまた、今は聞こえない。

 少年はただ、妹の身体を抱きしめる。そうせずにはいられなかった。

 何故ならば、少年は理解していたのだ。

 もうじきに、少年自身の心ごと、彼女が去ってしまうことを。

 

「おに、い、さ」

 

 少年の頬を撫でる指があった。皮膚のかさついた、細く頼りない指。

 

「お兄さ、ま、おこってる、の?」

 

 高熱と痛みで意識も朦朧としていた少女には、何が起きたか分からなかったのだろう。ただ、兄の様子がおかしいとだけ、漠然と思ったに違いない。

 少女の震える指が少年の腕を掴む。

 

「どこかいたいの?」

 

 少女はぼんやりと笑い、かさついた唇を開いた。

 

「いたいの、いたいの、とんでけ」

 

 少女は少年の腕を摩る。

 力も入らず、痙攣を繰り返す手。未熟な少年の見立てをしても彼女の病状はひどく重い。高熱はただの発熱ではなく、目とて焦点を結んでいなかった。手足など、しばしば別の生き物のように引き攣ることすらある。おそらくは脳炎に近い状態まで悪化しているのだろう。

 自分の身体が自分のものでなくなっていくような病の感覚。それは幼い少女にとって、きっと恐ろしかっただろう。苦痛と恐怖ばかりが増し続け、それを治し慰めてくれるはずの温かい両親はいない。辛く恐ろしい劣悪な環境で、どれだけ必死に堪えてくれていたのだろう。

 少年自身も同じ病に冒されていた。

 だからこそ、妹の苦しみを誰よりも理解していたはずだった。

 

 妹を守れるのは、自分だけだったのに。

 

 声一つ出せず震える少年の腕に触れ、少女がうわ言をこぼす。

 

「だいじょうぶだよ、おにいさま。お父さまがね、助けて、くれるもの。お母さまもね、お元気だから、ね」

 

 少女の目はもう、少年を見ていなかった。そんなことすら難しいほどに、彼女は苦しんでいたのだ。

 

 腕で涙を拭い、少年は口を開く。

 己が蛮行の謝罪ではなく、ただ、少女に応えるためだけに、彼は震える唇に笑みを浮かべた。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 強く頷いた拍子に、首元でペンダントが揺れる。

 祭りの日、両親に買ってもらったコインと天道虫の御守り。互いの未来と幸せを願い、家族揃いで身につけていたペンダント。

 金の輝きを一度だけ握りしめる。

 強く、強く。

 亡き両親に誓うように。

 

「大丈夫だ、ラミ」

 

 自身のペンダントを少女の首にかけ、少年は囁いた。

 

「兄さまの分もやるから。お前だけは絶対に助けるから、待っててくれ」

 

 気を失ったのか、妹は寝息を立て始める。その小さな身体を毛布で包み直し、少年は立ち上がった。

 爛々と光る金の瞳。

 窶れきった病身に不釣り合いなその目を見開き、少年は歩き出す。

 

 妹を救い、両親や故郷の無念を晴らし、全てを覆すため。

 何より、今はただ生き延びるために。

 少年は小屋の外へと消えていった。

 

 この時の少年はまだ知らない。

 約束は祈りに似て不確かで、守れなければ転じて呪いに落ちる鎖であることを。

 

 

   ◇

 

 

 轟々と音を立てて燃え落ちる古城を背に黒衣が揺れる。空に忽然と現れたその影は地面へ飛び降り、数歩よろめいて膝をついた。

 埃と煙を吸ったのか、重い咳を溢しながらも、黒衣の男は辺りを見回す。

 目の前に広がるのは、相変わらずの曇天と、海沿いの崖へ繋がる丘。遮蔽物はせいぜい木々や森程度と言ったところで、危険がない代わりに利用できる建物等も見当たらない。

 

「まだ駄目か」

 

 黒衣に纏わりつく煤を払い、トラファルガー・ローは眉を顰めた。

 立ち上がり、自身の足下に視線を落とす。

 そこにいたのは眠る老人。そして、お互いを庇い合う二体のオモチャだった。

 

 

 

 少し前のことだ。

 ウタと別れて雇い主の回収に向かったローは、城の地下にある閉架書庫で眉を顰めていた。

 この場にいるはずのオモチャ二名がいないのだ。

 廃墟群広がるエレジアにおいて特に秘匿され人の手が及ばない、つまりは他のどこよりも安全な場所。それがこの書庫である。

 防衛装置は事前に停止済み。本などもあるため暇つぶしができるだろうと判断し、丁寧に隔離したつもりだった。

 シュガーの能力により、雇い主に関する記憶は失われている。だが、記録によれば、彼女らはそこそこ大国の王女とその幼馴染。大人しくしているだろうと思っていた。

 書庫を飛び出し、勝手気儘に城を探索しているとは想定外である。

 見つけることは容易い。既にあたりもつけてはいる。見聞色の覇気で場所を把握する程度、誰でもできることだ。

 数名の海兵が城内をかぎ回っているものの、オモチャ達の居場所からはまだ距離がある。安全を確保するだけならばすぐだろう。

 しかし、問題は他にもあった。

 

 何故、ここに人間がいる?

 

 人が入らないはずの閉架書庫。二階の手摺りに乗り上げ、にやにやと嗤う男が一人。

 ナマズ髭に太く長い三つ編み、さらには立襟の道着に圓口の靴とエキゾチックな出立ちだ。

 左目を大きく渡る裂傷の痕を歪ませ、男が囁いた。

 

「匂うなァ。罪人の匂いだ」

 

 言うやいなや男が宙を蹴って跳躍する。蝋燭の火が揺らめき、その影を大きく映し出した。

 ──否、膨れ上がったのは男の身体そのもの。

 ローは書棚の影へと滑り込む。同時に衝撃。石畳が弾け、砕けた欠片が辺りに散らばり音を奏でた。

 

「避けたか。ま、避けるよな。獣の爪を受け止める馬鹿はいねェ」

 

 地を揺るがせ、男が嗤う。

 大きく膨れ上がった上半身に鋭い牙。燻んだ黒と灰の毛並みが頭から背を覆い、豊かな尾がゆらりと揺れる。

 獲物を嗅ぎ取らんと鼻が蠕き、開いた口からは大きな犬歯がのぞいていた。

 

「かくれんぼに付き合ってやってもいいがそりゃあ負け筋だぜ、宗教屋」

 

 軽く薙ぎ払っただけ。そう見えた腕は書架を紙のように引き裂く。崩れた本が雪崩を起こし、散り散りに弾け飛んだ。

 

「見ての通り、おれァ鼻が利く」

 

 牽制にしては暴力的だ。

 相手は動物(ゾオン)系能力者、しかも交戦的で血の気の多い手合いときている。わざわざ真正面からやり合う必要はない。

 ローは溜め息を吐いて左手をひらめかせた。一気に城の上部にある一室まで飛ぶ。

 ネズキノコの影響もあり、やや座標捕捉が不安定だが問題となる程ではなかった。

 

 人の気配を感じ、視線を向ける。窓辺に凭れ掛かって寝息を立てる老人を見つけた。ウタの言っていた、エレジアの主だろう。

 ついでにと見回せば、老人のそばで二体のオモチャが顔を見合わせていた。手間が省けたと思い腕を伸ばしたその時、ぐらりと地面が揺れる。

 咄嗟に二人の姫を抱き寄せ、老人の襟首を掴んだ。さらなる衝撃が城を貫き、階下で騒ぐ海兵達の声が響く。

 

 震源は地下。先程までローと動物系能力者がいた閉架書庫を含む地下通路一帯だ。

 空気が微かに焦げ臭い。恐らくは爆破攻撃。まさか何の躊躇もなく攻勢に出るとは思わなかった。

 

「あの男、まさか……」

 

 白の道着に、明確な殺意。男の正体に思い当たり、ローは眉を顰めた。

 その間にも破壊は進む。段階的に、しかし確かに大きくなる振動は、壁に亀裂を走らせ、城全体を崩さんと広がり始めた。

 震えながらもヒツジを守るフクロウ、眠る老人をまとめて片手で抱き抱え、ローは再び左手を振るう。

 階下で騒いでいた声がかき消えた。港に飛ばしたので暫くは戻ってこないだろう。

 ローとしては海兵などどうなっても構わないが、なんだかんだと気にする歌姫に説明するのも面倒だった。

 

 そうだ、ウタだ。

 早くあの子どもの下に戻らねば。

 

 エレジア城に何かがあったとなれば、世間知らずの臆病者は気が気でないだろう。勝手に消耗し、病状を悪化させるに違いない。

 ローは表情も変えず脱出を決めた。そして、そのまま窓を蹴り開け、宙空に身を踊らせる。

 

『────⁉︎』

 

 オモチャ達が身を竦めた。

 面倒だ。下手に動かれると落としかねない。

 ゴードンを片手で抱えたまま、もう片方の手でオモチャ達を外套の裏にねじ込む。抵抗されたが無視。医療道具を仕込んでいる場所へ二体を叩き込み、ついでに体勢を整えたその時だった。

 

 黒い影が城の窓辺を過ぎる。

 

 膨れた上体にぎらつく眼。

 にたり、と。狼が嗤った。

 

 直感に従い身体を捻る。直後、衝撃波が駆け抜け、外套の裾を切り裂いた。嵐脚による遠隔斬撃だ。

 息を吐く間もなく追撃が襲う。

 追跡者は宙を蹴り付けて跳躍し、ローの遥か上空で哄笑した。

 

「ぎゃははは! 見ィつけたァ!」

 

 身体の中心で構えた十の指。人の身であっても岩を砕くそれに獣の爪が加わったとなれば絶命も必至。空間ごと抉る殺意の一撃が放たれた。

 

「──“月光十指銃(ゲッコウジュッシガン)”!」

 

 急降下の威力と共に放たれるのは、六式を磨き上げた牙狼の体技。鋭い爪が開き空気を抉り取りながら襲来する。

 落下の速度は変わらない。だが、月歩を用い肉薄する狼には重力も引力も関係ないだろう。

 耳元で風の鳴る音を聞きながら、ローは口の端を歪めた。

 

「よし、“取ってこい”、だ」

 

 地面に向かい袖を振り抜く。隠し針を射出。

 狼の片目が走る銀の光を追って揺れた。

 

「はァ? どこに向かって──」

「“シャンブルズ”」

 

 ローが左手を振るった瞬間、狼の姿が消失。否、座標をすり替えられたのだ。

 

「ぬ、おわああァ!?」

 

 投擲された仕込み針と入れ替わりに、追跡者は落ちていく。自身の攻撃、その勢いを殺す間も無く、猛獣は地面へと激突した。

 

 轟音を立てて沈むその身体を横目に、ローは地に降りる。黒衣の裾がふわりと揺れた。

 外に出ようとするオモチャ達を押し戻し、静かに眠る老人を背後へ庇ってから、ローは前方で土煙を上げる追跡者を見つめる。

 

「これくらいじゃ死なねェよな」

 

 二者が降り立ったのは崩れゆく城の近く。薄暗い森を前にする、開けた丘の袂だ。

 大地を抉る勢いで墜落した追跡者だったが、大した損傷は受けなかったらしい。

 けたけたと笑う声が響く。

 

「やるじゃねェか。殺しても死なねェと聞いちゃいたが、生き汚なさは伊達じゃねェようだ」

 

 楽しげに起き上がった獣に対し、ローは無言で目を細めた。難なく危機を回避したようにみえて、その顔色はどこか優れない。

 

「芸の一つも上手く出来ねェとは、政府の狗は躾がなってねェな」

「とんだ節穴だぜ。犬じゃねェ、おれァ狼だ」

 

 爪で左胸の刺青を示してみせ、男は髭を揺らし口の端を歪める。揶揄ですら効かないらしい。

 溜め息を溢すローに対し、狼は笑う。

 

「悪い悪い。ご名答だ、“宗教屋”。いつ気付いた?」

「容赦も見境もねェんだ。正義ごと悪を切るのはお前らの特権だろうに」

「そうだとも。ただまァ、おれ達に盾突くなんざ、それこそ悪人の証拠だがなァ」

 

 鍛え抜かれた身体に、情報を嗅ぎつける嗅覚。六式を自在に操り、時に殺人も厭わない冷徹さ。

 さらに言うなれば、身に纏う道着の色は純白。その示すところは明白である。

 

 世界政府直属の諜報方、その中で最も薄暗く、最も手強い者達が集う部隊、サイファーポール“イージス”ゼロ。

 世界貴族の狗と称され、蔑視と畏怖を集める白の組織。

 目の前の男は、その部隊員なのだ。

 

 諜報方としては異例の存在で、名も顔も割れている者が多い。中には厄介な手合いも含まれ、過去に幾度もちょっかいを受けていたこともあって、他所事に関心の薄いローですら面子を覚えているほど。

 ナマズ髭に三つ編み、好戦的な動物系能力者。自らを誇るかのごとく左胸に刻まれた“狼”の文字は資料にも記されていた。

 

 追跡者の名はジャブラ。

 見ての通り、狼男である。

 

 生粋の動物ならまだ可愛げがあるものを、芸も仕込まれていない駄犬に興味などない。

 ネズキノコの影響もあり、心底鬱陶しくなってきたローは無表情のまま吐き捨てた。

 

「面倒だ。行っていいか」

「馬鹿を言え。ここからだ“狼牙(ろうが)”!」

 

 犬歯を剥き出しにした狼が吠えた。

 

 目をぎらつかせた獣は、撓んだ足を大地に叩きつけるやいなや、残影さえ霞む程の豪速で疾駆。人の身では到底追いつけない四つ脚の超速度で狩りを開始する。

 

「『鉄塊拳法(テッカイけんぽう)』”狼芭(ろうば)(かま)え”」

 

 犬が草原を駆け回るといえばメルヘンで微笑ましいが、今は全くそんな場合ではない。相手は狩りに生きる肉食獣の化身である。

 目を伏せたローはゴードンの襟首を掴み、軽く大地を蹴った。ジャブラの脚が作り上げる檻を抜けるためだったが、そう簡単に見逃してはもらえず、側面から斬撃が飛んできた。

 爪による牽制。首を傾けて回避すれば、それすらも許されず四方から衝撃波が襲う。

 

「“狼狩(ろうかる)エリア・ネットワーク”!」

 

 高速移動と六式嵐脚を組み合わせた飛ぶ多重斬撃だ。

 ローはゴードンを射線から外へ押しやり、同時に体軸を移動させ地に伏せる。

 頭上を吹き荒れる斬撃の嵐を無視。体勢を低く保ったまま鬼哭を引き抜き薙ぎ払った。

 軽い手応え。せいぜい鼻先を掠めた程度だろう。片足を立てて踏み込みもう一閃。追撃をと迫るジャブラが後方宙返りで回避するのが見えた。

 

「血の匂いがしねェ刀だ! そんな鈍じゃあ狼は狩れねェなァ!」

 

 ジャブラの放つ蹴りが顎先を掠める。重い。身体を逸らし直撃を回避するが、衝撃で撓んだ空気に視界を奪われた。

 

「余所見をするな。すぐ死ぬぞ」

 

 耳元で唸る声。

 咄嗟にゴードンを抱え後方へ飛ぶ。しかし、獣が獲物の逃走を逃すはずもない。

 追い縋るジャブラが鋼鉄の拳を放った。

 

「『鉄塊拳法(テッカイけんぽう)』“重歩狼(ドン・ポー・ロウ)”!」

 

 身体を捻ってゴードンを背面に回す。回避は間に合わない。側面に重打を喰らい、黒衣の身体が吹き飛んだ。

 武装色で固めたものの、ゴードンを庇いながらでは体勢を保てない。木の幹に叩きつけられる直前、能力を行使。

 連続で座標を移動させ追撃から逃れる。

 

「逃げるなよ。おれは何も嗜虐趣味じゃねェ。一思いに殺してやるから出てきてくれや」

 

 森へと足を進めれば、木に駆け上った餓狼の声が降ってきた。

 戦闘による土煙、そして城の燃える黒煙に紛れ、ローは腕を抑える。

 ダメージは殺せている。損傷はない。だが、正直なところ、ゴードンを庇ったままやり合うのは悪手だ。

 

 森の外では狼が眼を光らせている。

 

「足手纏いを捨てるか? それもいいだろうなァ。だがよォ、おれは狼だ。群れで行動することもできる。この意味がわかるな?」

 

 分かっている。

 分かっているから、ゴードンもオモチャ達も傍らに置いているのだ。

 

 ローは木に凭れ掛かり、細く吐息を溢した。

 

 CP-0、彼らの任務は絶対である。主目的がエレジア城とそこに残る記録の破壊なのか、ローの排除なのかは判然としないが、少なくとも城を破壊したのは彼らだ。

 地下から城を揺らがせた爆撃。あれは閉架書庫に残る文書と壁画の破壊が目的だろう。

 CP-0が出没し、本来同系統別種の陣営である海兵をも巻き込む大破壊を実行した。それはつまり、世界政府が直々に抹消するべきと判断したということなのだ。

 ゴードンにせよオモチャ達にせよ、単独でどこかに隔離するわけにはいかない。ジャブラか、あるいは別のCP-0構成員が彼らを害する危険もあり、さらに言えば単に人質として扱われる可能性とて否定できなかった。

 当然ながら、この状態でウタの下へ戻るわけにもいかない。能力を使おうと、ジャブラは追跡してくるだろう。危険人物を引き連れて帰還するなどもってのほかだ。

 

「詰みだな」

 

 らしくもなく忌々しげに吐き捨て、ローは目を閉じた。

 

 ジャブラを殺すこと自体は恐らく可能だろう。

 だが、それでは間に合わない。

 きっとウタは今頃、打ちひしがれている。ネズキノコの影響は止められず、もう間も無く彼女は破滅する。

 

 約束を守れなかった。

 ウタを一人にしてしまった。

 

 ふと、脇腹に妙な感触を感じた。

 見れば、外套の内側から顔を出したフクロウが激しく脇腹を突いている。

 フェルト製の柔らかな嘴では何の攻撃にもなっていないが、それでも彼女は必死になってローの脇腹を突いていた。

 

「どうした」

『────!』

 

 返答はない。

 当然だ。

 彼女らから言葉を奪ったのは、他ならぬロー自身だった。

 

「すまねェな」

 

 頭を小突いてやれば、フクロウは顔を上げてボタン細工の目を光らせる。彼女の横手からこれまた顔を出したヒツジもまた、震えながらローを見ていた。

 おかしなことに、オモチャ達の目はひどく熱い光を灯している。

 そんなことがあるはずもないというのに叱咤されているように思え、ローは首を傾げた。

 

「怒ってるのか?」

 

 フクロウは激しく頷き、ヒツジは激しくかぶりを振る。どっちなんだと訝しみつつ、ローは口の端を歪めた。

 

「何にせよ、許してはもらえねェか」

 

 ローは立ち上がり、黒のヒールで地面を踏み躙る。やや湿り気を帯びており、それでいて熱い。地下での延焼が続いているのだ。

 地下水路と城の配置を考えると、今いる森の真下には閉架書庫に通じる暗渠が広がっているはず。

 

「少し足掻く。付き合えよ」

 

 そういって、ローは足を大地に叩きつけた。一撃で土が捲れ上がり、地下通路が露出する。

 

『…………』

 

 言葉を失った、否、そもそも声を発することはないため、ただただ呆然とした様子のフクロウ。彼女の頭を押して外套の内側に捩じ込みなおし、黒衣の男は事もなげに言い放った。

 

「犬を撒くなら火事場もありだな」

 

 凪いだ声が囁く。暴れるオモチャ達と眠るゴードンを抱え、黒衣の男は地下へと飛び込んだ。

 

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