“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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迷宮からの逃走

 

 流れる水、煙、湿った土、焦げた紙の匂い。数人の体臭、薬品の香り。

 そして微かに香る血と脂。

 人の血は臭う。嗅ぎ慣れた匂いだ。

 だが、今度の獲物は直に齧っていい臭いをしていない。

 

 鼻をひくつかせ、ジャブラは吐き捨てた。

 

「気狂いが」

 

 獲物の名はトラファルガー・ロー、あるいは“ジョーカー”。

 世界を混沌に導く、意図なき巨悪だ。

 革命軍のように理屈のある集団ならまだ理解できる。だが、あの男は違った。

 ただ世界を崩して回っているだけで、行動原理に一貫性はなく、突如現れては瞬く間に消える。

 予測不能の破壊と慈悲深き救いの手。トラファルガー・ローとは神の気まぐれに酷似した、一種の天災だった。

 

 彼が歌姫への接触を開始したと聞いた時、昔から気に食わない同僚が微かに眉を顰めたのを覚えている。

 組織に忠誠を誓っても忠義があるとは言い切れない、任務と殺し以外には反応すらしないあの男が表情を崩したのだ。たとえ僅かな変化であっても、それは大いに意味がある。

 

 即ち、トラファルガー・ローとはこの世界にとって埒外の存在なのだ。

 

 突如、壁の一部が吹き飛びジャブラに迫る。顔を顰めて一蹴すれば瓦礫は木っ端微塵に砕け、次の瞬間それら全てが燃えさかる古書へと入れ替わった。

 

「小細工を!」

 

 一気に周囲の酸素が奪われる。息を止めて側面の壁を叩き割り、空気の逃げ道を確保。次いで四肢と尾を振るい、炎を叩き落とした。

 焼け焦げた楽譜が宙に残り、灰となって視界を塞ぐ。腕の一振りで煤けた空気を薙ぎ払えば、遠く、聞こえるのは石壁をぶち抜く轟音。

 頭上から粉塵が降り積り、ジャブラの肩を汚した。

 

「気に入らねェ……」

 

 ジャブラは牙をかち鳴らして床を蹴る。そう遠くはない。一走りで追いつく距離だ。

 

 そうだ。サイファーポールとて黙って見過ごしてきたわけではない。

 かつて、トラファルガー・ローには暗殺者が派遣されていた。一度ではない。数えきれないほどの暗殺指令が下り、その全てが失敗に終わっている。

 ここ数年はその暗殺指令すらなくなった。

 四皇らと同じく、世界の均衡を保つ一勢力。容易に触れてはならぬものとして放置され続けているのだ。

 世界の均衡を蹴り崩す災害的存在でありながら、その苛烈さそのものが世界の均衡を保つ抑止力となりうる────埒外の重罪人、それがトラファルガー・ローという男だった。

 

 ロブ・ルッチの渋面を思い出し、ジャブラは苛々と頭を掻きむしる。

 

 何が埒外だ。

 あれがそんな言葉で括れるタマか。

 

 資料で見るトラファルガー・ローはただアンタッチャブルで、もはや意志などなく均衡を破壊するだけの一種漂白された存在と読める。

 しかし、実際、鼻で追ってみればどうだ。

 匂いが濃い。

 およそ凡ゆる物を抱えてぐずぐずに崩れた甘い古酒。あるいは、濁りも澱みもまとめて飲み込み何十年もの思想を煮詰めきった汚泥。

 それが生ける人間の匂いと混じって、説明できない悪臭と芳香を放っていた。

 あれはまさに災害だ。

 理屈で説明できるほど、容易い存在ではない。

 

 ジャブラは苛立ち紛れに低く唸る。

 

 まったく理解できない。

 不可解も不可解。

 歌の影響を封じるために服毒する馬鹿がどこにいるというのだ。

 しかも、本人は医者ときている。

 

 嗅ぎ取った獲物の匂いには、埃臭い毒の臭いが混じっていた。ネズキノコだ。

 先行していたカリファからトラファルガー服毒の報告を聞いた際、耳を疑った。どうせ何かカラクリでもあるのだろうと踏んでいたのだが、まさか全くの無手で毒物を食したとは。馬鹿も大概にしろという話である。

 

 鼻がひくりと反応した。見れば左前方の側壁に千切れた黒の布切れが挟まっている。ブラフとみるか、それとも本命が通った名残か。

 何にせよ、狼を誑かそうなど侮りも甚だしい。布ごと壁を粉砕し、ジャブラは牙を剥いた。

 

「小賢しい真似はやめろと言ってお“狼牙(ろうが)”!」

 

 咆哮が反響。音の響きから位置を割り出し、瓦礫片を投擲する。破砕音がしないことからみて、またぞろ座標移動で回避したのだろう。

 

 地下水路に逃げ込んだトラファルガーは、足手纏いを連れたまま北上している。

 これまで何度か接触し、数度殺されかけながらも手傷を負わせてはいた。しかし、浅い。

 狼の矜持として、軽傷ばかり与えているこの状況は唾棄すべきものだ。

 一思いに噛み殺してやるのが殺しの倫理というものであろう。

 

 足下から吹き荒れる爆炎を蹴りの一つで消し去り、ジャブラは足を止めて髭を撫でる。

 

 

 世界政府からの指令は二つ。

 エレジアに残る“トットムジカ”の痕跡、その徹底破壊。

 そして、紛れ込んだ“ジョーカー”の殺害だ。

 

 元四皇カイドウの亡き今、トラファルガー・ローの抑止力は過剰。歌姫の起こした混乱に乗じ、再び暗殺を試みようということらしい。

 

 

 相も変わらず人使いが荒い。

 前者だけならまだしもだ。後者の任務によりサイファーポールが負った致命的な損害、両手足の指を全て揃えても数えきれない死者の数を、上部は覚えていないのだろうか。

 実際、トラファルガー・ローの逃走技術は大したもので、撹乱と攻撃を巧みに使い分け、徐々に距離を離されていた。

 地下水路の水、火事場の粉塵に紛れて罠を仕掛け、己の血の痕跡をブラフに距離を稼ぐ。逃走一辺倒でもなく攻勢にも傾倒しない、狩りにも狩られることにも慣れた手練の匂いがした。

 

 実に面倒な手合いだ。

 だからこそ、価値もあるのだが。

 

 まずは本体ではなく足手纏いに手を出すのもありだろう。トラファルガー・ローが何を思って某国の王を引き摺り回しているのかは不明だが、少なくとも価値を感じているのは確かだ。

 いずれにせよ、あの老人は“トットムジカ”に関わっている。殺す必要があった。

 さらにいえば、トラファルガーの外套。あそこに収められた二つの気配も悪くはない。

 場違いな綿と布の香り、そして花の芳香。あれはきっと、トラファルガーにとって急所となるものなのだ。

 排除対象の優劣など、現時点では無視して構わない。どれか一つでも噛み砕くことができれば、あの陰気な気狂いとて狼狽の一つも見せるだろう。

 

 ゆるゆると頭を振り、ジャブラは追跡を再開した。

 

 

   ◇

 

 

 追跡を誤魔化しながら一度地上に出たローは、ゴードンを抱え直して歩き出す。

 能力の多用は避けたい。体力の温存はもちろん、今後CP-0と接触する可能性を考え、彼らに与える情報を絞る必要もあった。

 

 しかしながら、丈夫な狼だ。確かに直接的な攻撃は控えていた。だが、地下通路の構造と火災を利用した爆砕を幾度も仕掛けているというのに、未だ追跡の勢いは衰えていない。

 思い当たるのは政府方に伝わる戦闘術“六式”、“鉄塊”という技。肉体の練度を上げ覇気を纏う鉄壁の防御技術だと聞く。

 ジャブラ本人も『鉄塊拳法(テッカイ拳法)』などと宣っており、つまりは肉体の強度を極限まで上げた攻防一体の技なのだろう。

 鉄屑程度、斬って斬れないことはない。しかし、あの素早さと執拗さからいって、斬られた程度で追跡を止めるとは思えなかった。

 

 肺の底に残る粉塵を咳払いで誤魔化し、ローは辺りを確認する。

 前方に進めば海沿いの崖。後方には燃え盛る城と廃墟街が広がる。ライブ会場へと続く後方へ向かうわけにはいかないため、再び森の広がる側方か先のない前方に逃げるしかない。

 

 それなりに時間も消費してしまった。見聞色の覇気で確認したところ、ウタはまだ生きているようだが、ライブ会場から一歩も動かず硬直したままだ。

 

 溜め息を飲み込んだその時、足下の大地が蠢く。迫る獣の気配。ローは即座に駆け出し回避を試みた。

 直後、大地を引き裂き狼が現れる。両の眼を爛々と光らせ、ジャブラが哄笑した。

 

「ぎゃははは! かくれんぼの次は鬼ごっこかァ!?」

 

 両腕を交差させ迫る牙狼。ゴードンを背に庇い後方へ飛ぶも、踏み込みが甘かったのか距離を詰められてしまう。

 回避は不可能。ならばと、踵で地面を抉りながら前進し、鬼哭の柄をジャブラの頬へと叩き込んだ。

 鋼鉄を殴ったかのような衝撃が走る。右手の痺れを無視し、ローは連撃に移行した。

 腕を振り抜く。鈍器を仕込んだ袖が狼の左眼を掠めるも浅い。

 構わず覆い被さろうとする身体の下に滑り込み、体軸を低く保ったまま踏み込む。放つ掌底は正確に獣の顎を捉えて衝撃を与えた。

 人の身ならば脳を揺らされ一撃で沈む蛇の重打。しかし、鉄と化した狼の身体を撃ち抜くには至らない。

 

 片目を血で潰されながらも嗤う牙狼。

 

 十の爪が黒衣の肩を掴み、その身体ごと地へ押し込もうと圧搾をかける。ローを引き摺り倒すだけでは飽き足らず、鋭利な十指が肉を抉り千切ろうとしていた。

 舌舐めずりをして迫る獣面に膝蹴りを叩き込む。仰け反ったジャブラの喉仏。生身の人間らしく盛り上がる軟骨を狙い、肘を捩じ込んだ。

 

「あがっ!?」

 

 呼吸を奪われ呻くジャブラを蹴り飛ばし、ローは後退する。ジャブラもまた後方宙返りで距離を取った。

 嵐脚による追撃はまさに狼の顎。大地を抉り獲物を喰らうその猛追を鬼哭の一振りで打ち消す。

 

 安全な背後へとゴードンを引きずるローを見て、ジャブラが肩を竦めた。

 

「おいおい、乱暴な野郎だなァ。敬老精神ってもんがねェのか?」

「さっきから執拗に狙っておいてよく言う」

 

 そう。逃走劇の中盤から、ジャブラの攻撃はゴードンを狙うものへと変わってきている。

 正確に言えば、ジャブラが狙っているのはゴードンとオモチャ二体。ローを下すのに時間を要すと見て標的を変えたのだろう。

 的確な判断と執念。本当に面倒な手合いだ。

 

「あァ? 勘違いすんな。これは慈悲だ。弱く老いた者を痛ぶるのは好かねェ。一撃で噛み殺してやるから安心しろ」

「つまり、弱者しか狩れねェわけだ」

「馬鹿を言え。逃げ回られたんじゃ憐れみも意味を為さねぇだけのことよ」

 

 左眼を汚す血を拭い去り、ジャブラが首を鳴らす。筋肉が隆起し、溢れる血が腹を伝って血を汚した。

 

「ところでよォ。お前が抱えてるジジイだが、実はおれの妹を殺した仇なんだ」

 

 突然何を言い出すのかと思えば、狼は肩を竦めて、聞いてもいない過去について語り出す。

 

「おれ達兄妹はな、少しばかり珍しい国の、希少な血族の出だった。泣くと左目に妙な印が浮かぶんだ。これが吉兆とかなんとか言って、金持ちの好事家の間で持て囃されていたらしい」

「……それで?」

「おれの故郷は賊に襲われ壊滅した。略奪を受け虐殺されたんだ」

「…………」

「賊を捻って問いただせば、何のことはない。泣いてる最中に首を刈るとな、左目の刻印が浮かんだままになるんだと。笑わせるぜ」

 

 彼は話す内に獣の姿を放棄し人へ戻る。吐き捨てたジャブラは自身の左目を撫で、掠れた声で囁いた。

 

「妹もまた狩りの標的になった。首だけになったあいつの亡骸を見つけた時、おれはてめェの眼を引き裂いた……」

 

 ジャブラは空を仰ぎ、述懐に沈む。

 

「失敗して肝心の目玉は残っちまったがな」

 

 やけに理路整然とした昔語りにどう反応していいのか分からず、ローは一度開きかけた口を結び、目を伏せる。

 そんなローの姿をどう思ったのか、ジャブラは低く唸り、人に戻った指をゴードンへと向けた。

 

「賊を雇った下衆野郎の名を教えてやる。ゴードン、エレジアの元国王。そう、そいつだよ」

「この男が、お前の妹の仇だと?」

「ああ、そうさ。復讐しようと修行している間に、国が滅んで自滅しやがったがな!」

 

 こみ上げる怒りにジャブラの肩が震える。激情により再び獣型を取り戻した男は言葉にならない咆哮を上げ、牙を剥き出しにして怒鳴った。

 

「見ろ、そいつの顔を! どこからどう見ても極悪人の面構えだ“狼牙(ろうが)”!」

 

 口から血を垂れ流し、ジャブラは訴える。

 思わずゴードンの顔を見たローは、微かに眉を顰めた。

 

 

 言われてみれば、確かに。

 元国王にしては人相が悪い気もしてきた。

 

 

 明らかに警戒を緩めたローに安堵したのか、ジャブラが一歩踏み出した。

 それは殺意を伴わない接近であり、伸ばされた腕にも攻撃の意図などない。

 

「わかるよな? あんたが庇うような価値なんざ、そいつにはねェんだ」

 

 囁くジャブラが一歩、また一歩と距離を詰める。困惑するローに向けて催促するように、悲しげな眼をした狼は左腕をずいと伸ばした。

 

「約束する。復讐とは言え、そいつも人だ。必ず苦しませずに殺す。だから……なァ、お願いだ。そいつをおれに渡してくれ」

「……事情はわかった。だが」

 

 言い淀むローを見下ろし、狼はかぶりを振る。

 

 

「────なァんもわかっちゃいねェんだよ!」

 

 

 予備動作一つなく至近距離で放たれた十指銃。黒衣の胴を狙って放たれた必殺の一手は、しかし、かすりもせずに空中を撃ち抜いた。

 

「はァ?」

 

 獲物が目の前から忽然と姿を消した驚愕。そして距離を詰めすぎた失策。気配を追い損ね目をぎょろつかせたジャブラが口を開いて硬直する。

 

「隙あり、だ」

 

 ジャブラの背後に転移したローは、逆さに宙を舞い、狼の背を強か蹴り付けた。

 

「ぐ、ゥ!?」

 

 鉄塊を解いた状態に真面から攻撃を叩き込んだのだ。多少はダメージも入っただろう。

 

「背骨を折るつもりでやったが失敗したな。あまりに哀れなもんで、無意識に手加減しちまったらしい」

 

 肺を押し潰され呻くジャブラが膝をついた。

 

「喜べよ。お前の三文芝居も無駄じゃなかった。これが修行とやらの成果なら、なかなかのもんだったぞ」

「きさまァ……!」

 

 血反吐を溢す獣を覗き込み、ローは微笑んでみせる。

 

「騙し合いはおれの勝ちだな」

 

 ローは口の端を吊り上げ、地を蹴った。

 伸ばされた爪を蹴り飛ばし、一気に加速する。向かう先は崖。激怒し咆哮する狼を振り切り、さらに前へと踏み込んだ。

 

「待て、貴様! 馬鹿にしおって!」

 

 自分から仕掛けておいて酷い言い草である。

 油断するとずり落ちるゴードンを抱え直し、ローは疾走した。

 振り返れば、見えるのは四肢で大地を蹴り付け追い縋る狼の姿。どうやら“鉄塊”をかけたまま駆けずり回れるらしい。

 嘘は下手だが、技は見事なもの。

 直線を避け、数度の座標転移をかませながら疾駆。敵は一人、照準をずらしてしまえば危険度は激減するはずだ。

 

「『嵐脚(ランキャク)』“群狼連星(ルーパスフォール)”!」

 

 そう思いきや、地を這う豪速の斬撃がローを襲った。嵐脚を幾重にも重ねて放射状に放ったらしい。間一髪、跳躍して回避したローの靴底を狼の牙が削り取る。

 

 着地地点を狙い襲撃するジャブラ。しかし、ローは表情すら変えず、必殺の一撃を無手で迎えた。

 

「舐めるなと言って────!」

 

 ジャブラが牙を剥く。

 

 迫撃の瞬間、空が翳った。

 

「なんだァ!?」

 

 プロペラ音と共に風が吹き荒れる。

 上空から飛び降りた人影。それはジャブラとローの間に割り込み、緑広がる大地へと両手を叩きつけた。

 

「────“地雷パンク”!」

 

 瞬く間に膨れ上がった大地が炸裂。ジャブラを弾き飛ばし、そのまま連鎖爆撃を起こす。

 

 背後のローへと衝撃が流れぬように立つシルエット。主と同じく重苦しい黒衣を着込んだ彼は、片手でゴーグルを覆い、低く震える声で呟いた。

 

「貴様、よくも若を汚したな」

 

 憤怒と呼ぶべき激情を顔に浮かべて震えているのはピーカ軍幹部、グラディウスだ。

 誰よりも忠義に篤く主を敬愛してやまない彼は、ローの衣服が煤で汚れているという些細な瑕疵にすら激怒する。

 

「召物を汚すだけでは飽き足らず、よりにもよって下らぬ復讐譚を捏ち上げるとは……! 腹に石を詰め八つ裂きにして毛皮を足蹴にしてやらねば気が済まない!」

「おお怖。何をそんなにいきり立ってやがる」

「穢らわしい犬風情が、貴様如きにこの怒りが理解できるものか! 死を以て償うがいい! “投石(カタパルト)パンク”!!」

 

 地を蹴って後退するジャブラを見て激昂した彼は、腕に装着した小型射出機を掃射した。

 吐き出されたのは能力を仕込んだ礫。面食って構えるジャブラに到達した瞬間、それらは一斉に破裂し、憎き獣へと多段攻撃を叩き込む。

 

「うがァ! 何をしやがる!?」

 

 衝撃に加え鼻先で炸裂した硝煙の匂いにもんどり打って悶絶する狼。

 なおも追撃を加えようとしたグラディウスの傍ら、突如隆起した岩が石像の形をとった。

 

「やめろ、落ち着け。無駄に爆破するとローの身体に障る」

 

 とんでもなく甲高い声が空気を揺らす。

 現れたのはトラファルガーファミリー最高幹部ピーカだ。

 

 痛みやら衝撃やら臭気やらで呆然としていたジャブラの唇がふよりと震える。

 

「────ふ」

 

 次の瞬間、狼は腹を抱えて大地を転がりまわっていた。

 

「ぎゃははは! なんつー声をしてやがる!」

「…………」

「黙れ! ピーカ様を侮辱した挙句、無駄吠えで若を煩わせるなど言語道断! 喰らえ、“パンクヘア”!」

「どああ、毒針? これ、髪!? てめェハゲてんじゃねェか! 決死の一撃すぎるだ“狼牙(ろうが)”!」

 

 頭部を爆発させ髪を射出するグラディウスに対し、ジャブラが悶絶しながら突っ込む。

 

 丘は急に賑やかになり、連鎖爆撃と狼の斬撃が相殺しあい、石像の振るう大剣撃が諸共を薙ぎ倒す苛烈な戦いが繰り広げられはじめた。

 

 その間のローはといえば、大人しく服の煤を払っている。仲間とはいえ、グラディウスの激昂にやや引いてしまっていたのだ。

 外套の裾まで確認し、ローは溜め息を吐いた。

 ピーカ軍の介入で一呼吸できたのも束の間、脳裏にはライブ会場でローを待っているであろうウタが散らつく。

 

 別に、義理などない。

 ただ、問題なのは、赤髪海賊団にまでウタの安全を保障するような言葉を吐いてしまったこと。

 そして、約束したこと。

 ウタの下に戻ると、約束してしまったのだ。

 

 そう。

 そうだ。

 ウタの下にナイフを預けた。

 あれもまた、大切なものだ。だから、早急に取り返しに戻らねばならない。

 帰る理由がある。

 焦るのも仕方ないだろう。

 

 支離滅裂な思考に気付けず、ローは何度も自身の胸中を探った。

 騒ぎには関与せずじりじりと後退するローの足下に波紋が広がる。

 

「若、こっちだ」

 

 地面から上半身を突き出し、伊達男がニヒルに笑った。スイスイの実の能力で地下を泳いできたらしい。

 

「随分と手こずっているようじゃねェか。助けが必要か?」

「見りゃわかるだろ。眠り姫と頑固者共を抱えて手一杯だ」

「そりゃあいい。ところで、どっちがどっちを指してるんだ?」

 

 セニョールの質問の意味が分からず、ローは首を傾げた。

 この場において眠っているのはゴードンだけである。自動的にゴードンが眠り姫で確定するはずなのだが、冗談が通じなかったのだろうか。

 

「……眠り国王と」

「いや、いい。よくわかった」

 

 言葉を遮られた。

 いつもながら、どんなに歳を取っても子ども扱いされる。本当に気に食わない。

 目を細めたローだったが、セニョールもまたやや不機嫌そうであった。

 

「若、冗談はそれくらいにしておけ。とっとと片付けて船に戻るぞ。ピーカが崖の先に──」

 

 説教じみた言い草が癇に障り、内容が頭に入ってこない。

 セニョールを睨みつけ、ローは低く呟く。

 

「偉そうに。おれに命令するな」

「……お前なァ、自分の状態くらい分からねェでもないだろうに」

「ネズキノコの影響だと言いたいんだろ? これはおれの素だ。ちゃんと分かってる。おれは医者だからな」

「そうとも。お前はいつまでもボーヤのクソガキで、お前の言うことは一つも間違っちゃいねェさ。だがな、酔っ払いは皆そう言うんだ」

 

 セニョールが真顔で諭してくる間も激しい戦闘は続いている。

 気を取られてそちらを眺めていると、ファミリー幹部の登場に身も心も追いやられ悪戦苦闘しているジャブラと目があった。

 

「てめェ、トラファルガー! 一息ついてんじゃねェぞ!」

「見つかったぞ、セニョール。どうする?」

「無視するたァ太ェ野郎だ!」

 

 ジャブラの足が撓む。大きく跳躍し一気に距離を詰めてくる狼を見て、セニョールが地面の下へと姿を消した。逃げたわけでもあるまいし、何か作戦があるのだろう。

 

「『嵐脚(ランキャク)』“孤狼(ころう)”!」

 

 斬撃を飛ばしながら本人も猛追してくる狼を眺め、ローは再び走り出した。それに併走するように足元が隆起し、何体もの石像が並び出す。

 

「ロー、問題ないか」

「何がだ?」

「……分からねェならいい。後ろはグラディウスに任せてきた。これからどうすべきかはセニョールから聞いたな?」

 

 ピーカが確認してくるが、何のことやら分からない。無視していると盛大なため息と共に甲高い声が説明を続けた。

 

「エレジア王と依頼主はおれとセニョールが引き受ける。崖下に石の通路を作っておくから迷わず放り込め」

「そうか、なるほど」

「本当に分かっているのか? お前は追撃を躱して、適当に能力で飛んで来るんだ。いいな?」

 

 岩を伝って追いついたピーカが何事か尋ねてくる。結局いつも通り適当にやれということだろうと思い、これまた適当に頷いた。

 しばらくして、呆れたような視線が背中に突き刺さる。

 

「もういい。逃走用に経路を作ってやるからそのまま走れ」

「おれに命令──」

「うるせェ。兄貴分に従え!」

 

 甲高い声で怒鳴りつけられ、ローは身を竦めた。何もそこまで怒らなくてもいいだろうにと、心の中で不平を漏らす。

 それでも逆らう気は失せ、ローは石像の示す道へ向かって大きく踏み込んだ。

 

 行く先々で岩が隆起しトンネル状の道を作る。石造りの道はローが通過した瞬間に鋭利な岩の棘となり、猛追するジャブラへと四方八方から襲い掛かった。

 鉄の爪で薙ぎ払って応戦し咆哮を轟かせた狼がさらなる跳躍をみせる。

 

「逃すか、詐欺野郎!」

「こっちのセリフだ、犬っころ」

 

 側壁から飛び出した石の手が狼の横っ面に激突。石壁に叩きつけられたジャブラが呻き声を上げた。

 ジャブラがよろめく間にも、道は防火隔壁もかくやの速度で遮蔽されていく。

 しかし、相手もCP-0の精鋭だ。満身創痍ながら岩を蹴り割り、狼の身体に剃を使って再び追跡してくる。

 ピーカもまた石の迷路を形成しジャブラの行手を惑わそうとするが、獣の嗅覚の前には撹乱も通用せず苦戦しているようだった。

 

「ぎゃははは! 匂う、臭うぞ! 毒と薬、血の匂い! 逃げても逃げても追い詰める! 狩りじゃあおれに分があるからなァ!」

 

 幾重にも重なる石壁を破砕し、ジャブラが爪を一閃した。

 生き物のように跳ねる斬撃。半身を捻る事で回避すれば、回避した先に蹴りの猛襲が入る。

 足に武装色を纏い迎撃。背にゴードンを庇ったまま一蹴。さらに断続的に短距離の座標移動を繰り返し、飛ぶ斬撃の全てを回避する。

 

「待てと言ってお“狼牙(ろうが)”!」

 

 咆哮するジャブラを振り切り、さらに加速。石のトンネルを駆け抜けた先、急に視界が開けた。

 丘の終点には切り立つ崖が聳える。

 その先に広がるは見渡す限りの空ばかり。

 崖の下は一面の海。

 能力者にとっては逃げ場のない行き止まりだ。

 

「若!」

 

 崖の先端でセニョールが名を叫ぶ。

 ローは大きく腕を広げたセニョールの懐へと飛び込み────

 

「若!?」

 

 そのまま、思い切り突き飛ばした。

 

「馬鹿野郎! 何やってんだ、若!」

 

 焦るセニョールの腕に残されたのは、眠るゴードンとお馴染みの黒衣。中に残されたオモチャ達が踠く様があまりにリアルである。

 

 ローに続いて現れたジャブラが口の端を吊り上げた。崖際で突っ立っている二人を睨み、高らかに宣言する。

 

「まずは一人ィ!」

 

 腕を振り被る狼男。セニョールを見る目ときたら肉食獣そのものだ。

 間髪入れず地中へ潜ったセニョールに舌打ちし、ジャブラが地団駄を踏む。

 

「面倒くせェんだよ!」

 

 自慢だろう毛並みは土と泥に汚れ、全身を覆う裂傷や打撲痕が苦労の程を思わせた。

 それでもなお、獣の眼は死んでいない。

 爛々と光る両眼を見開き、ジャブラが一歩踏み出す。

 

「追い詰めたぞ」

「能力で逃げるとは思わねェのか?」

「逃げりゃあいい。また追うだけだ」

 

 舌舐めずりをして応える様はまさに餓狼。

 血と泥に塗れた道着の上を脱ぎ捨て、ジャブラは嗤った。

 

「跳ねて飛んで、てめェときたらまるで仔兎だ。兎と狼じゃあ格が違う。分かるよなァ?」

「そうだな。甘噛みくらいなら許してやる」

「ほざけ、一噛みで終いよ」

 

 哮り突進してくる狼を見つめ、ローは片手を差し伸べ宣った。

 

「じゃあもう一度。“取ってこい”、だ」

 

 ぐらり、と。

 ローの身体が後ろに傾ぐ。

 

 驚愕に目を見張るジャブラを置き去りに、ローの身体は宙へと投げ出された。

 

 崖の先は一面の海。

 波飛沫砕ける絶望の青。

 

「はァ!?」

 

 自由落下に従い身を任せる。能力を使って逃げることを危惧したのか、崖際からジャブラが身を乗り出して覗き込んでいた。

 

「“取ってこい”もできねェようじゃ、主人の質が知れるな」

 

 ローは小さく笑う。

 狼の大きく裂けた口がさらに開き、何かを叫んでいた。唇の動きを読み取れば、何とも侮蔑的ながら的確な言葉で笑えてくる。

 

「この、気狂いが────!」

 

 狼の遠吠えが届いた時、ローの全身に衝撃が走った。

 

 海面に叩きつけられ、そのまま青に飲み込まれる。当然ながら呼吸はできない。

 海に拒絶された魂と身体はコントロールを失い、ただ弛緩したまま沈んでいく。

 潮に流され、どこに向かうとも分からない身体。能力者になってからというもの、一度も感じたことのない澄んだ青の、そのまた奥底。

 立ち上る泡をただ見上げながら、ローはゆっくりと数を数えた。

 

 一、二、三。

 十、百。

 三百、四百。

 

 そろそろ息も苦しくなってくる。

 抵抗せず目を閉じた瞬間、腕を掴まれた。ひどく強引に抱き寄せられ、痛みを感じるほどの速度で海面へ引きずり上げられる。

 

 激しい水音に目を開ければ、視界には曇天が広がっていた。

 ローを背中から抱き上げる腕は少年のもので、引き締まってはいるもののまだ成長途中の柔さも感じる。

 咳き込んで海水を吐き出し、救助者の腕に身を委ねた。能力者である以上、海の上では流れる海藻よりもなお無力なのである。

 

「よくやった、デリンジャー」

 

 無言で泳き続ける少年に声をかければ、胸の前に回された腕に力がこもった。何やら憤りの気配を感じる。

 急な仕事だったとはいえ、遠い昔に有事の際は頼むと伝えていたのだから怒らないでほしい。

 そんな気持ちを込め、ローは小さく呟いた。

 

「約束、守ってくれてありがとうな」

 

 さらに強まった少年の腕の力はもはや拘束級だ。正直、少し苦しい。

 ファミリーの殆どが能力者であることも手伝い、デリンジャーに海難救助の知識を伝えられる者はこれまでいなかった。

 ミンク族であり、水難事故現場でも活躍していたという“少将”がファミリー入りした今、訓練の場を設けてもいいかもしれない。

 

 そんな的外れなことを思案しつつ、ローはため息を吐いた。

 

 早く、歌姫の下に戻ってやらねば。

 どうせ、あの娘も溺れているのだから。

 





 アニメ版のジャブラ劇場、盛られてて好きでした。
 何が言いたいかといいますですね。
 ……ゴードンさん、本当にごめんなさいでした。
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