“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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A Long Time Ago

 

 びくりと肩を揺らす歌姫を見上げ、“衛星糸(サテライト)”は口の端を吊り上げた。

 

 ウタと対話する目的は二つある。

 時間稼ぎと、ウタが壊れ切らない程度に彼女の精神を揺さぶること。

 奇しくも、ワノ国の牢中にてローが施した地獄の強制講座(はい、チクっとしますよ)が役に立ってしまった。

 

 “衛星糸(サテライト)”はドフラミンゴの分身体の、さらに分体だが、独立思考が可能だ。

 彼らは本体からコピーした記憶を元に思考と行動をシミュレートしている。本人の成分を抽出して編み込んだ、限りなく本人に近い贋作といえよう。

 

 ただし、問題が一つ。

 

 分体は、数が増えるごとに小さくなっていく。そして、小さくなるほど身体が幼くなり、思考も身体に引っ張られてしまうのである。

 

 現在、ウタと対峙している分体、その歳の頃はおよそ十三。コラソンを失った直後の身体であった。

 

 元になったドフラミンゴ本人がやっとのことで消化した思いや整理した記憶。それは“衛星糸(サテライト)”にとっても消化済かつ整理済のものではあるが、時に思いや記憶はぶり返すもの。

 外的刺激によって甦ったそれらを受け止める器が、幼い頃を模した贋作であればどんな問題が生じるか。

 

『許せねェんだろう? あいつらはすぐ、“お前のためだ”とかぬかしやがる。誰が頼んだってんだ、なァ?』

 

 本体ならば飲み下せる澱みでも、青い子どもの身体にはひどく熱い。

 だからだろう。受け止めきれない感情を言葉に乗せ、辺り構わず投げつけ出すのだ。

 まさに堪忍袋の糸がなんとやら。

 “衛星糸(サテライト)”は怒涛の文句を繰り出し始めた。

 

『身勝手過ぎると思わねェか? 約束だなんて甘い言葉をかけて、期待させるだけ期待させて、なんなら笑顔で去ろうとする! これが無責任でなくて何だってんだ!』

「……無責任とかでは、ないと思うけど……」

『そうか。じゃあ、何があったっていうんだ。答えてみろよ』

「それは、やむを得ない理由とかさ」

『あァ? さてはお前、自分に問題があったとか思い込んでるクチか。いや、違うな。はっきりと自覚があるんだな』

 

 少年ドフラミンゴの顔に浮かんだのは加虐心の滲み出る笑顔。

 シャチやペンギンがこの場にいたら即教育的指導を喰らっていただろう。しかし、ブレーキ役を伴わない“衛星糸(サテライト)”は止まらない。

 持ち前の観察眼でウタの急所を見抜き、何の躊躇もなく言葉を捩じ込んだ。

 

『だとしたら、お前は置いていかれたんじゃねェ。捨てられたんだ!』

 

 目を見開いたウタへ底意地の悪い笑みを向け、“衛星糸(サテライト)”は続ける。

 

『てめェが何をしたかは知らねェがな。要は愛想を尽かされたんだよ。期待に添えねェ出来損ないだったんだ。そりゃ捨てられるよなァ?』

 

 俯いて震え出したウタ。その顔をわざわざ覗きこみ、“衛星糸(サテライト)”は囁いた。

 

『迷子みてェなツラで待ってても誰も来やしねェよ』

 

 三日月のように裂けた口から赤い舌が覗く。嗜虐に歪んだ顔はもはや子どものそれには見えない。“衛星糸(サテライト)”はドフラミンゴ本人がひた隠しにする悪魔じみた本性を現していた。

 

『出来損ないが、少し歌ができるくらいで持て囃されて天狗になったか? 突かれりゃすぐ崩れる弱者の分際で救世主気取りとは笑わせる! 何も知らねェ世間知らずが騙されて見限られて、まったく哀れなもんだ!』

 

 鼻で笑い肩を竦め、最低最悪を煮詰めた態度で“衛星糸(サテライト)”が畳み掛ける。吐く言葉全てが酷い罵倒でありながら、また真実でもあった。

 ウタは反論してこない。俯いたまま、ナイフを握りしめている。その手が小さく震えているのを見つめ、“衛星糸(サテライト)”は眉を顰めた。

 

『そのナイフはローのモノだろうが。適当に扱ってんじゃねェよ。てめェみたいな間抜けが持ってたんじゃ危ねェし、おれが預かっといてやる』

 

 最初にこの場所に来た時と同じく、“衛星糸(サテライト)”は左手を突き出す。

 

『ほら、渡せ』

 

 反応はなかった。

 ただ、ぎりりと音がした。ナイフの柄を握る力が一段と強くなっているのだ。

 “衛星糸(サテライト)”は首を傾げる。

 

 ────もうひと押しか?

 

 “衛星糸(サテライト)”がそう考えた時だった。

 

「……渡さない」

 

 低く淀んだ声でウタが呟く。

 前髪の隙間から覗く紫の瞳は涙で滲み、その輪郭を揺らしていた。

 

「渡さない。これは私がローさんから預かったものなの」

『何のために? その細い腕で海兵共と戦うのか?』

「違う! これはお守り! 約束したの、帰ってきてくれるって!」

 

 勢いよく立ち上がったウタが金切り声を上げる。それでも気持ちがおさまらない様子で片足を海面に叩きつけ、彼女は叫び出した。

 

「私は捨てられてなんてない! そんなこと絶対にない! あんたなんかに何が分かるの!?」

 

 

   ◇

 

 

「ふざけないで! 勝手なことばかり並べ立ててるのはあんたでしょ? 人の気持ちを踏み躙って、何が楽しいのよ!?」

 

 相手が子どもだということも忘れて、ウタは大声で怒鳴りつけた。一度頭に上った血はなかなか下がらず、自身の叫ぶ声にすら腹が立つ。

 そうだ。

 ひどく腹立たしくて、何より悲しかった。

 

 愛想を尽かされた。

 期待に添えなかった。

 弄ばれて、騙されて、見限られた。

 捨てられた。

 

 少年の放った言葉は全て、ウタが過去に悩み尽くし否定したはずのもの。未だ、心のどこかで疑い続けていた言葉だったのだから。

 

 自身の中で巡り続けていた不安。それを赤の他人に真正面から言葉にされ、罵倒として叩きつけられた。

 それだけで、ウタはもう耐えられなくなってしまった。

 

 急激に視界が滲み、喉がひりついて胸の奥から熱い塊が迫り上がってくる。

 もはや言葉は形にならず、涙を堪えるので精一杯だった。

 

「違う、違うもの……私、捨てられてなんか……!」

『まァ、そう思いたいよな。おれもそうだった』

「────は?」

 

 先程まで悪鬼そのものであったはずの少年が静かに呟く。

 呆気に取られたウタを無視し、彼は淡白な声で続けた。

 

『おれの恩人は殺された』

 

 息を呑んだウタを見上げ、少年は海面を叩く。どうやらまた横に座れと言っているようだ。困惑して従わずにいると、彼は顔を背けて話し出した。

 

『最後に会った時、あの人は危険も悟っていたようでな。おれを安全な場所に押し込めて、ペンダントを預けて去っていった。それで、死んだ』

 

 小さな背中を丸め、少年が呟く。

 

『その時思ったよ。何で逃げねェんだって。だってそうだろうが。わざわざ危険に突っ込むことなんてねェ。おれと二人で逃げてくれりゃいいじゃねェか』

「それは、でも、きっとどうしようもない事情があったんじゃないの」

『だろうな。それでも結局、あの人はおれといる未来より別の道を選んだ。捨てられたわけじゃねェことくらいわかる。それでも、おれは……』

 

 口籠る少年を見下ろし、ウタは唇を噛んだ。

 何故ならば、ウタも似たようなことを思ったことがあったからだ。

 エレジアの真実を知った後、毎日みる悪夢から目覚めるたびに、いつも考えていた。

 

 優しい嘘の上に置いていくくらいなら、全て打ち明けて罰してくれたら良かったのに、と。

 

 それができなかった理由は分かっている。その選択を愛と呼ぶのであろうことも、頭のどこかでは理解し始めていた。

 それでも、なのだ。

 

「ちょっと、分かるかも」

『だろ?』

 

 小さく笑った少年はもう一度、自身の傍の海面を叩いた。そして、またもや顔を背け、聞き取りにくいほどの小声で言う。

 

『座れ。言いたかねェが、見えてる』

「何がよ」

『何がって。ほら、アレだ。せめて足を閉じろ。みっともない真似をするな』

 

 言われて初めてウタは自身の足を見下ろした。

 

 怒りに任せて開いた足。

 短いスカート。

 少年は幼く背も低い。

 座っているならば尚更その視界は低いわけで。

 

 つまりは、丸見えなのであった。

 

 違う意味で顔に血が昇る。ウタは慌ててしゃがみ込み、膝を閉じてスカートの裾を整えた。

 

「気を使わせちゃったね、ごめん」

『他人の服装にとやかく言うのもなんだが、少しばかりガキ臭くねェか? 丈も足りてねェし』

 

 少年が一見遠慮がちな態度を取りつつもズケズケと指摘する。

 ライブ衣装はウタの一張羅。言われようは心外ながら正直理解もできた。

 パーカーの下に着込んだワンピースはフリルやリボンをあしらったシンプルなもの。何故、これを選んだかといえば、赤髪海賊団時代に着ていた服に似ていたからだ。

 

 今更恥ずかしくなってきて、ウタは抱え込んだ膝に顔を埋める。

 緩い沈黙が生まれ、少年が咳払いをした。

 

『ともかく、おれが言いたいのはだな』

 

 ウタが顔を上げると、彼は口をへの字に曲げて吐き捨てる。

 

『置いていく側の理屈なんてのは、おれ達には分からねェってことだ』

「おれ達って、私も? 私の事情なんて知らないくせに、どうしてそんなことが分かったのよ」

『置き去りにされた迷子そのものの顔をしてやがったからな』

 

 鼻で笑われ、ウタは視線を落とした。

 そういえば、この少年は最初から言い続けていた。ウタを指して、迷子のような顔だと。

 

 それはつまり、少年自身にも覚えのある表情をしていたということなのだろう。

 恐らくは、投げつけられた悪態の数々も、他でもない彼が自身に向けたことのある罵倒なのだ。

 

 矛を収めたウタを見上げ、少年が問う。

 

『それで? お前にそんな顔をさせた奴は誰なんだ』

 

 躊躇いながらも経緯を伝えた。少年にとっても近しい存在であろうローと、エレジアに残っていたゴードンの話も。

 話す内に胸が苦しくなり、ウタは歯を食いしばる。

 

「本当はね、最後は一人だって覚悟も決めてた。だけど、ローさんが来てくれて、色々教えてくれるうちに、なんだか……」

 

 ローは考えをまとめる機会をくれた。ウタは間違っていて、だからといって全てが間違いでもないのだと教えてくれた。

 彼のおかげで穏やかな気持ちで新時代を迎えられると思っていたのに、当のローは帰ってこない。彼が無事でないとすれば、ただ眠っていたゴードンが無傷であるわけがないのだ。

 

 ウタは両手を組み、額に押し当てる。そうでもしないと身体中の震えが止まらないのだ。

 

「約束しても皆どこかへ行っちゃうの。奪ったり奪われたりしてばかりで、みんなで過ごせない世界が悪いんだと思った。だから私、誰も置いていかれない、寂しくない新時代を作ろうとしたんだ」

 

 喉が震えてまともに声が出ない。やっと絞り出した言葉は何の意味もない後悔だった。

 

「それなのに、どうしてゴードンまでいなくなっちゃうの? 新時代まであともう少しだったんだよ」

 

 ウタの激白に、少年は首を傾げる。

 眉間には皺。唇は何かいいたげに僅かに開いていた。

 

『あー……まさかとは思うが、お前、ローが死んだと思ってんのか?』

 

 遠慮がちだが直接的な言葉だ。

 『死』という音を聞いた瞬間、恐ろしいほどの寒気を感じ、ウタは反射的に目を閉じてしまった。

 それでもなんとか頷いてみせれば、深い溜め息が返ってくる。

 

『馬鹿馬鹿しい』

 

 少年が吐いた罵詈雑言の中で一番シンプルな悪口だった。しかも、その声音には一切の悪意が感じられず、ただただ呆れている雰囲気が伝わってくる。

 

 恐る恐る目を開けて少年の様子を覗き見る。ローと繋がりのあるらしい彼は、不本意そうに口を尖らせて続けた。

 

『間違いなく、あの男は生きている。ゴードンとやらもな。ロー、あの野郎には人間を拾う癖があるんだ』

 

 ひどい言い草だ。しかし事実、今のウタも一時的にローに拾われて無理矢理生徒にされているようなものなので、妙に説得力がある。

 ウタが何も言えないでいると、少年は面倒くさそうに繰り返した。

 

『あの男は死なねェ。少なくとも、一度殺されたぐらいで死ぬタマじゃねェ。余裕だ。ついでに老人一人攫うくらいならわけねェよ』

「……でも、帰ってこないよ?」

『それこそ何か事情があるんだろうが』

 

 少年は鼻頭に皺を寄せて言い切る。さらにウタが握り締めていたナイフを指差し、苛立ちも隠さずにぎりりと歯を鳴らした。

 

『そのナイフはあいつにとっても大事なものだ。わざわざてめェにそれを預けたなら、あいつは必ず帰ってくる。約束したってんなら、絶対にだ』

 

 少年は海面を叩き、全身で訴えかけてくる。

 その様子が必死すぎるものだから逆に不安が高まってしまった。

 ウタはナイフを見下ろし、かぶりを振る。

 

「ローさんは、いざとなったら使えって言ってた。戻れない場合を考えてこれを貸してくれたんだと思う」

『はァ? 何に使うんだよ』

「何にって……ナイフだし、切ったり刺したりするんじゃないかな」

 

 相手は年端もいかない少年だ。さすがに自害の話は刺激的すぎるだろうと、ウタは言葉を濁した。

 

『切ったり刺したり? お前が? そのナイフで?』

 

 ウタの指先に、眠るルフィの体温が蘇った。胸の上で止まった刃、振り下ろせなかった腕。思い出しただけで胃の奥が冷たく縮む。

 

「そうだよ。ナイフって本来、そういう時のためにあるものでしょ」

 

 ウタは何とか言葉を搾り出した。

 

『お前、それは』

 

 再び何か言いたげに口を開いた少年が顔を顰める。うっかり苦いものを噛み締めたような渋面だ。

 少年はズレたサングラスを元に戻し、忌々しそうに吐き捨てた。

 

『ローが何を考えてるのかは正直分からねェ。だが、お前の考えが的外れだってことは確かだな』

「どうしてそう思うの?」

『それがコラさんのナイフだからに決まってる』

「コラさんって、ローさんの妹さんのこと?」

『そう、おれの恩人だ』

 

 少年は深く頷き、ペンダントを握りしめて呟く。

 

『あいつがコラさんを裏切るわけがねェ』

 

 少年の言葉を聞いた瞬間、ウタは静かに息を呑んだ。

 

 そこには深い信頼があった。

 だが、それ以上に祈りがあったのだ。

 

『ボスは死なねェし、お前のことも死なせねェ。ローはそういう男なんだ』

 

 願いをこめるように静かに囁いてから、少年は顔を顰める。

 

『今の呼び名は忘れろ。まったく、この身体はこれだから……!』

 

 少年がぐしゃぐしゃに頭を掻きむしって悶える。そっぽを向いてはいるが、耳まで真っ赤になっているためあまり意味がなかった。

 どうやら、ローを“ボス”と呼んだことを激しく後悔しているらしい。なんとも微笑ましい悶絶だった。

 

 ローと、ローの妹。そして、ローの妹を恩人と呼ぶ幼い少年。彼らの関係がどう成り立っていたのかは分からない。

 ただ羨ましかった。

 一人を喪い、葛藤を経ても、なお続く繋がりが。

 

 ウタは目を伏せて自嘲する。

 シャンクスも赤髪海賊団の皆も生きている。少年の話を鵜呑みにするのならば、ローとゴードンも生きているのだろう。

 だが、彼らとの繋がりは薄弱で、今のウタには感じられないのだ。

 奪ったり預かったまま返せないものばかりがこの手に残っている気すらする。

 帽子も、歌も、嘘も、約束も。

 

「キミはすごいね」

『どこがだよ。おれの話を聞いてたか?』

「聞いてたよ。ローさんと恩人さんのこと、心の底から信じてるでしょ。キミだって置いていかれた側なのに……どうしたらそんなに強くなれるの?」

 

 ウタの問いかけに、少年は眉を顰めて首を傾げる。

 

『どうもこうもあるか。お前、まさか無自覚なんじゃねェだろうな』

「え?」

『おれはな、お前の新時代なんか求めてねェ。それでも、お前の音楽が強いことくらいわかる』

「強いって、なんだか変な言い方だね」

『実際強固なんだよ。なにせ、世界を塗り替えるくらいだからな』

 

 少年の言いようは皮肉まじりで、褒めているのか貶しているのか微妙なところだ。しかし、少なくとも認められていることだけはウタにも理解できた。

 自負はある。当然だ。世界中を虜にする自信がなければ、ウタの新時代は成り立たない。

 それでも改めて言われれば、背筋が伸びてしまうのは当然で。

 ウタは無意識に姿勢をただしてしまう。

 

『お前の歌が世界中に届くほど強くなった理由を考えてみろ』

 

 少年の指がすいと持ち上げられ、ウタ自身を指し示した。

 

『言っておくが、民衆側の理由じゃねェぞ。()()、お前自身のことを考えるんだ』

 

 初めて名前を呼ばれたような気がする。

 どこかこそばゆいような心地の中、自身の胸に手を当て、ウタは目を閉じた。

 

 誰かに求められたからではなく、自分の中にあるもの。救いを願われるより前の記憶。

 心の深いところまで沈み、ふと気付く。

 

 始まりはきっと、喜びだった。

 ただ歌って、シャンクスやみんな、ゴードンの嬉しそうな顔を見るだけで、ウタは幸せだった。

 

 ただ、みんなを幸せにしたかった。

 自分の歌で、世界中を幸せにしたいと思ったのだ。

 

『何度も言うが、おれはお前の新時代なんざ潰れちまえばいいと思ってる』

 

 ウタが瞼を開けると、少年が呆れ顔でこちらを見ていた。

 

『だが、歌だけは本物だ。それは認めてやる。お前の歌の根っこは独りよがりじゃねェからな』

 

 本当にそうだろうか。

 結局、ウタは皆に喜んでもらえるのが嬉しかっただけ。皆のためを思っていたとは言えない気もする。

 

 苦笑してかぶりを振れば、少年は憤慨したように海面を叩いた。

 

『勘違いするなよ! お前の才能を褒めてやってるわけじゃねェ。ただ、歌の真ん中に気配がある。大切な誰かと過ごした記憶を感じるんだ』

「記憶……?」

 

 少年は渋面で頷き、自身のペンダントを持ち上げる。ところどころ歪んだチェーンをなぞり、彼は静かに囁いた。

 

『お前の歌はおれのこれと同じだろうが』

 

 その瞬間、息が詰まった。

 

 大切な誰かが残してくれたもの。

 去っていった人達の名残。

 それらがウタの中で根差し、音楽になる。

 

 ならば、それはきっと。

 

 ウタが顔を上げると、少年が立ち上がって待っていた。

 

『おれにも約束がある。恩人が残してくれた課題みたいなもので、正直、人生丸ごとかけても達成できるかどうか分からねェ無理難題だ』

「そっか、それは大変だね。頑張らなきゃだ」

『本当にな。しかも、コラさんときたらずっと見守るとか言いやがるから、気が抜けねェで困る』

 

 少年は口の端を歪め、にやりと笑う。

 

『というわけで、おれはここを出る』

「どうやって? まさか、今のお説教で私が心変わりするとか思ってないよね。私、新時代を諦めたりしないよ」

 

 眦に滲んだ涙を拭い、ウタも笑ってみせた。

 

「信じてもらえないだろうけど、私、本当にみんなを幸せにしたいんだ。だから、諦めない」

『だろうな。そこは疑っちゃいねェよ』

「意外だな。キミは私の気持ちごと全部否定すると思ってた」

『世界中を幸せにとは大言壮語だが、お前が新時代にかける熱意は本物だ。そこは何を言われても折れねェだろうが』

 

 小さな足で歩み出し、少年は嘯く。

 

『だから、狙い目は別。何故新時代を目指すかではなく、何故“この形の新時代”じゃねェと駄目なのか、だ。揺らぎの根は新時代にあるんじゃねェ。お前自身だ』

 

 少年が歩くたびに海面が揺れる。

 ウタの新時代と少年の約束。二つはどうやら相容れないらしい。

 少年は諦めないし、ウタもまた折れてやるわけにはいかない。それもまた仕方がないことだ。

 

 ウタは一つ微笑む。

 

 ある意味、少年は敵だった。悪様に罵ってくる上に対立し、ウタの新時代を拒絶して破壊しようとしている。

 それでも、同じ置いていかれた者同士、見送るくらいはしたいと思った。

 

 立ち上がったウタと、歩き出した少年。異なる二人のリズムが波紋となって広がり、ウタの世界に変化をもたらす。

 

 少し離れた場所まで歩み、少年が振り返った。

 

『ところで、()()()()。今回はお前が置いていく側だな』

 

 少年の身体が細い糸となり、幻のように解けていく。

 その顔に浮かぶのは意地の悪い笑み。

 

『けじめだ。お前が置いていく男の面ぐらい拝んでいけ』

 

 何のことだろう。

 ウタは首を傾げる。

 

 しかし、すぐに分かった。

 

 遠く、少年の立つ場所とは真逆。

 ウタが背を向けた、エレジア本島があった方角から、海面を揺らし誰かが歩いてくる。

 波紋がウタに触れて崩れ、柔らかな細波となって世界を揺らしていた。

 

 数歩離れたところで立ち止まり、ウタを待っている“誰か”。その気配は昔と全く変わらず、そのくせ随分と大人びていた。

 

 

「ルフィ」

 

 

 確信と共に名を呼び、ウタは振り返る。

 

 懐かしい青年が、見たことのない表情を浮かべて立っていた。

 





 前話と同じくシーシャンティからタイトルをお借りしました。
 労働歌らしく地域やら船やらで歌詞のバージョンが沢山あります。「あの小舟ってノアの方舟なんだぜウケる』みたいなやつとか『壊血病予防のライムジュースまで飲み干しちゃってつらいよー』みたいなやつとか。
 そういえば、赤髪海賊団のライムジュースさんは壊血病予防関連から連想されたお名前だったりするのでしょうか。全然関係ないかも?
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