“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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夢のあとに

 

 あれは確か、ウタが五つか六つの頃。

 東の海(イーストブルー)のどこかの島に降りた日のことだった。

 

「じゃあな、ウタ。いい子で待ってるんだぞ」

 

 シャンクスの大きな手が髪を撫でる。

 いつもなら心地よく感じていたはずの温もりはウタの心を逆撫でするばかりだった。

 

 赤髪海賊団の皆がカフェを出て行く。全員が全員、頭をかいたり眉を八の字にして、なんとなく寂しげだ。

 ウタの様子を気にしているのか、何度も振り返る彼らを、しかし、ウタは完全に無視していた。

 しばらくしてドアベルが鳴り止む。赤髪海賊団の皆が出て行ってしまったのだ。

 

 本当に置いていくだなんて。

 ウタはそっぽを向いて唇を尖らせる。

 

 気に入らない。まったくもって納得いかない。

 カフェのカウンター席に腰掛け、まったく床につかない足をぶらつかせながら、ウタは頬を膨らませた。

 

「なんでウタだけお留守番なの」

「お頭さんにも色々あるのよ、きっと」

「イロイロって何」

「うーん、お買い物とか?」

 

 女店主の返事を聞き、ウタは全力で顔を顰めた。

 赤髪海賊団総出で買い物にいくなら、ウタも連れて行ってくれたっていいではないか。

 何が悲しくて、見知らぬ土地の、これまた知らない店に預けられてひとりぼっちで待たなければならないのだ。

 

「ウタだって買い物くらいできるよ。シャンクスと違って無駄遣いもしないし、値切りコーショーもする! 悪いショーニンならやっつけちゃうし!」

 

 シャドーボクシングで仮想の敵をこてんぱんにしていると、カフェの女店主が笑った。

 落ち着いた雰囲気で少し丸い身体つきの、優しそうな女性である。背負った赤ん坊をあやしつつ、彼女はウタの愚痴にも付き合ってくれていた。

 

「お留守番なんて退屈だもの。いやになっちゃうわよね」

 

 店主がゆっくりと鍋を傾け、ウタの前にカップを置く。ココアだ。

 ウタは上目遣いで店主の様子を窺った。そっと手を伸ばせば、店主が微笑み頷く。

 

「どうぞ。お代はお頭さんから貰っているから遠慮しなくてもいいわよ」

「……ありがと」

 

 ウタは小さく礼を言い、カップを掴んだ。甘い香りと温かさに思わず頬が緩んでしまい、慌てて唇を引き結ぶ。

 

 大人達は皆、ウタを子ども扱いする。

 ウタとて赤髪海賊団の音楽家、つまりは海賊だというのに。

 

 そう、ウタは怒っているのだ。

 ココアくらいで騙されてはやらない。

 店主はまったく悪くないが、置いていったシャンクス達が悪いのである。

 

 ウタがぶすくれてココアを舐めていると、店主に背負われていた赤ん坊がぐずり始める。

 店主はフロアのテーブル席に移動した。そして、赤ん坊を下ろして腕に抱き、落ち着いた様子で身体を揺する。しかし、赤ん坊は機嫌を損ねてしまったのか、泣き出してしまった。

 

 ウタは首を傾げる。

 

「おなかが減ってるの? それともおしめ?」

「うーん、これは違うかな。眠いみたい」

「赤ちゃんって眠くても泣いちゃうんだね」

「そうねえ……生まれたばかりだから、寝ること一つとっても大仕事なのかもね」

 

 不思議だ。

 カウンター席から飛び降りて赤ん坊を覗き込み、ウタは目をぱちくりさせる。

 そっと手を伸ばし、途中で許可をとっていないことに気付いて店主に目配せした。

 

「撫でてみてもいい?」

「いいわよ。優しくね」

 

 柔く背中を撫で赤ん坊をあやしていた店主が小声で応える。ウタは言われた通り優しく、恐る恐る赤ん坊の手に触れた。

 すると、赤ん坊がウタの指を握りしめるではないか。思いの外力強いその感触にウタは息を呑む。

 

「すごいね……」

 

 何がすごいのかも分からないままにウタは呟いた。

 女店主は吐息だけで笑い、目を伏せる。

 

 レースのカーテン越しに午後の日差しが差し込み、親子を柔らかく包んでいた。

 

「おやすみ赤ちゃん しずかにね」

 

 店主が口遊み始めたのは子守唄。ウタも知っている、とても簡単でやさしい歌だ。

 隣の椅子の上で膝をついて二人を見ていたウタは、店主につられて歌い出す。

 

「ねんねこ ねんねこ いい子にね」

 

 どうか楽しい夢をと願いながら、赤ん坊を驚かせてしまわないよう、小さな声で。

 ウタは自然と微笑みながら歌っていた。

 

 歌い終わる頃には歌声が一つになり、代わりに安らかな寝息が二つ。

 ウタははたと我に返り、椅子から降りる。

 そっと親子の様子を覗き込んでみれば、赤ん坊だけでなく店主も眠ってしまっていた。

 

 やってしまった。

 無意識にウタウタの実の能力を使ってしまったらしい。

 

 幸い店主も赤ん坊も危険のない位置で眠っている。どこもおかしい様子はないし、大丈夫だろう。ウタは胸を撫で下ろし、辺りを見回した。

 

 他に客はいない。今日は赤髪海賊団の貸切にすると言っていたから、誰かが来ることもないはず。

 

 ウタはカウンターに置かれたココアを見る。

 甘くて美味しい、店主の気遣い。シャンクス達には腹が立ったが、それはともかくとして店主はとても優しかった。

 

 何かお礼をしたい。

 そう思って、ウタは考え込んだ。何せ、歌以外はまだまだ修行中の身だからして差し出せるものは多くない。お小遣いから何か買おうにも、今日初めて会った人間を喜ばせるものをとなるとなかなか難しいものだ。

 ウタはしばらく頭を悩ませていたが、眠る赤ん坊を見つめているうちに一つ思いついた。

 

 そうだ。

 あれがあった。

 

 ブランケットを店主にかけてやる。『すこしでかけます』とメモを一つ残し、静かに店を出た。

 扉にクローズの札が掛かっていることを確認し、ウタは一人頷く。

 

 シャンクス達は陽が落ちたら迎えにくると言っていたはず。それまでに戻れば問題ないだろう。

 

 ウタは一目散に走り出し、船着場へと向かった。

 迷うことなくレッド・フォース号へと辿り着く。タラップは格納されているため、船を留める縄をよじ登って船内へ入った。

 船番のモンスターが見張り台から手を振っている。彼は何やら慌てており、林檎を背中に隠そうとしていた。誰もいないのをいいことに盗み食いをしていたらしい。

 

 ウタは笑って手を振り返し、早々に自室へと駆け戻った。ベッドの下に押し込んでいた箱を取り出して埃を払う。

 箱を開ければ、オモチャや古いリボンの切れ端など懐かしい宝物達が顔を出した。

 

「よかった。まだあった」

 

 一人呟き、ウタは目的のものを取り出す。

 小さな頃、ずっと一緒に眠っていた鳥のぬいぐるみだ。

 ウタはもう一人で寝られる。だから、赤ん坊にあげてもかまわないだろう。

 

 我ながらいい考えだ。

 ウタは満面の笑みを浮かべ、ぬいぐるみを抱きしめた。

 

 服の裾でぬいぐるみの汚れを拭いているうちに、自然と瞼が落ちてくる。

 身体が重い。能力を使った上、一生懸命走ったからだろう。いつもなら皆と昼寝をしている時間だから、どうしたって眠たくなってしまう。

 

 ウタはベッドに寄りかかり、瞼を閉じる。

 そうして、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。

 

 

 

「────ウタ! どこだ!?」

 

 大音声が響き、ウタは目を覚ます。

 眠い目を擦り辺りを見回せば、オレンジ色の光が窓から降り注いでいた。知らぬ間に寝てしまっていたもののさほど時間は経っておらず、どうやらもうすぐ陽が暮れる頃合いらしい。

 

 ウタはぬいぐるみを抱いたままベッドから窓枠へとよじ登り、港を見渡した。

 

 夕暮れ時の港に響くのは何人もの人が走る足音。港中に轟くほどの声で叫ばれているのは他ならぬウタの名である。

 遠くて顔までは見えないが、何度もウタの名を呼ぶ海賊団の皆の声はいつになく逼迫していた。

 

 なんだか大事になっている気がする。

 

 ウタはこっそりと部屋を出て甲板に向かった。頭上の見張り台を見上げるが、モンスターの姿はない。また、海賊団の皆も船に戻っていないようだった。

 

 そろりと縄伝いに港へ降りる。

 

 港の奥にある倉庫前をスネイクが走っているのが見えた。明らかに険しい顔付きで辺りを見回している。

 ウタの気配を察したのか、スネイクが振り向いた。咄嗟に物陰へ隠れてしまい、ウタは小さく呟く。

 

「……どうしよう」

 

 大丈夫なはずだ。

 確かに店からは出た。けれど、待てと言われただけで、外出するなとは言われていない。メモだって置いてきたし、迎えに来る時間もまだ先のはずだ。

 そもそも、ウタを置いていったのはシャンクス達の方ではないか。

 

 心の中で言い訳を繰り返しているうちに視界が滲み出す。なぜだか恐ろしくなってしまい、ウタは泣きそうになっていた。

 しかし、ウタは唇を引き結んで涙を飲み込む。

 ただ、泣きたくなかったのだ。

 一人で泣いてしまえばもっと怖くなる。戦闘時、船番として籠ることの多かったウタは、その寂しさと恐怖をよく知っていた。

 

 涙を拭い、ウタは立ち上がる。知らずのうちに抱きしめていたぬいぐるみを見下ろし、ウタは一人で頷いた。

 

 まずはカフェに戻ろう。

 途中でシャンクス達に会ったら、ぬいぐるみを取りに戻っただけだと素直に言えばいいのだ。

 そう自身を納得させ、ウタは来た道を小走りで戻り始めた。

 

 途中で何度も赤髪海賊団の皆を見かけた。

 ルウが八百屋の店先で聞き込みをしている。路地を覗き込むヤソップの背中に、かわいい靴屋へと入っていくベックマンの姿。皆で手分けしてウタを探しているようだ。

 

 何も悪いことはしていない。それなのに皆の姿を見る度に隠れてしまい、どんどん不安になる。ウタは足をもつれさせながらカフェへと走った。

 

 あかあかと照らす残り陽を背負い、ウタは進む。カフェの近くまで戻って息を切らせていると、店から見慣れた人影が出てくるのが見えた。

 

 麦わら帽子に、よれよれのシャツとくたびれたマント。

 肩を落とし、暗い目をしたその人は、一足先に夜にのまれてしまったような顔で、ぼんやりと佇んでいる。

 

 いつもは呑んだくれて騒ぎたい放題、子どもみたいにはしゃいでいるくせに、本当は強くて格好良い船長。

 彼が所在無さげに視線を落としているところなど見たことがなかったのに。

 

 まるで、彼の方が迷い子になってしまったかのようで。

 

 知らず、ウタは走り出していた。

 

「シャンクス!」

 

 ウタの声に顔を上げたシャンクスが目を見開く。

 

 立ち尽くしていたシャンクスの足に飛びつき、ウタはそろりと顔を上げた。

 怒られるかと思ったのだ。

 

「……ウタ?」

 

 掠れた声がウタの名を呼ぶ。

 ウタが返事をするより早く、力強い両腕がウタの身体を抱きしめていた。

 

 汗と潮の匂い。しゃがみ込んでウタをかき抱くシャンクスからはいつもの香りがする。

 安心できていいのだが、それはともかく、いつも以上に力が強い。せっかく持ってきたぬいぐるみもウタ自身もぺしゃんこになってしまいそうだ。

 その剛力ときたらもはや息もしづらいほどで、ウタは思わず呻いてしまった。

 

「痛いよ、シャンクス」

 

 慌てたようにシャンクスが力を緩める。

 助かった。やっと息ができる。ウタはその腕に顎を乗せ、ほうとため息を溢した。

 

「どこ行ってたんだ」

 

 抱きしめられている分、シャンクスの顔は見えない。だが、声が微かに震えている。まるで寒い夜に一人で見張りをしている時のような、寂しげで悲しい声だった。

 すごく悪いことをしたように思えて、ウタはおずおずと答える。

 

「船だよ。ぬいぐるみを取りに戻ったの。赤ちゃんにあげようと思って」

「ぬいぐるみ?」

「そうだよ。ほら、これ」

 

 身体を離してぬいぐるみを掲げてみせれば、シャンクスは唖然としたように口を薄く開いて固まってしまった。

 

「ぬいぐるみって、お前なァ……」

 

 がくりと肩を落とし、シャンクスが呻く。麦わら帽子に手をやって顔を隠したまま、シャンクスは俯いてしまった。

 

「心配したんだぞ」

「ウタもびっくりした。みんな、ウタを探してるんだもん。戻ってくるの、早かったんだね」

「何が早かったんだね、だ。びっくりしたのもこっちだぞ。急にいなくなりやがって」

 

 ウタは頬を膨らませる。濡れ衣だ。ウタはちゃんとメモも残して出たし、すぐ戻るつもりだった。

 確かに少し寝てしまったが、ちゃんと日暮れ前には戻ってきている。勝手に置いていって勝手に探し回る方が悪い。

 

 そう思ってシャンクスを見上げれば、彼は途切れてしまいそうなほど細い声で呟いた。

 

「どこか遠くへ行っちまったのかと思った」

「私が? そんなわけないじゃない」

 

 船もないのにどこへ行けというのだ。

 それに、仲間を置いて遠くへ行くはずなんてないだろう。

 

「私は待ってたし。いなくなったのも置いてったのもシャンクス達だもん」

 

 確かに心配はかけたらしく、ウタにも悪いところはあったと思う。

 しかし、そもそも大人の都合とやらで振り回す方が悪い。そうに決まっている。

 あり得ないことを心配するシャンクス達に問題があるのだ。

 ウタは腰に手を当ててむくれた。

 

「遠くへ行くって何? ウタは赤髪海賊団の音楽家だよ。みんなとずっと一緒なんだから!」

 

 ウタが宣言してみせれば、シャンクスは眩しいものでも見たように目を細める。

 

「そう、だよな。おれ達はずっと」

 

 シャンクスはそう言って、眉間に皺を寄せ笑いかけたかと思えば、急に息を詰まらせた。

 

 何事だろうか。

 ウタが首を傾げると、シャンクスは笑うのに失敗した変な顔のまま、慌てたように顔を伏せてしまった。

 

「シャンクス?」

 

 返事はない。

 しばらくすると、鼻を啜る音が聞こえた。

 

「シャンクス、どうしたの?」

 

 麦わら帽子に隠されたシャンクスの顔を覗き込み、ウタは驚いてしまう。

 

「うそ、シャンクス泣いてる」

「……泣いてねェ」

 

 嘘だ。絶対泣いている。

 ウタはおろおろと辺りを見回した。

 

 大人が、しかもシャンクスが泣くだなんて。

 賭けに負けて素寒貧にされ悔し泣きしている姿は見たことがある。

 釣り勝負で魚に怖がられ、一人だけボウズになって半泣きになっていたこともあった。

 元々格好良いが情けないところもある、子どもっぽい人なのだ。

 

 だが、それでも。

 こんな風に、静かに泣き出すところを見たのははじめてだった。

 

「どうしよう……ベック呼んでくる? ヤソップか、ルウの方がいい?」

「いい。大丈夫だ」

「大丈夫じゃないよ。どこか痛い? そうだ、ホンゴウさんを呼んでくるね」

 

 もしかすると、ウタを探している間にお腹でも痛めたのかもしれない。そう思い、ウタは踵を返して走り出そうとする。

 

 しかし、できなかった。

 シャンクスがウタの腕を掴み、呼び止めたからだ。

 

「いいんだ、ウタ」

「よくないよ! 痛いのも苦しいのも我慢しちゃダメなんだから!」

 

 痛みや辛さを隠さないこと。怪我も病気もはじめが肝心だ。ウタは船医であるホンゴウから口酸っぱく言い含められている。

 シャンクスは大人だが、妙なところで子どもだから、もしかすると薬や注射が怖いのかもしれない。しかし、そうやってホンゴウを避けていると後々ろくなことにならないことをウタは知っていた。

 

 最悪の場合、シャンクスを引っ張ってでもホンゴウを探そう。ウタがそう覚悟を決めた時、シャンクスが鼻声で笑った。

 

「気にするな。おれは泣いてねェ」

 

 嘘だ。

 ウタの腕を掴む手は飛んでいく風船を掴むように頼りなく、声だって完全に涙声。麦わら帽子で隠したまま、顔すら見せてくれない。

 

「うそつき」

「嘘なんか吐いてねェ。ほら、戻ってきてくれ」

 

 シャンクスはそう言って、両腕を広げる。そうして肩口で顔を器用に隠したまま、涙声で呼ぶのだ。

 

「ウタ」

 

 なんだか胸が苦しい。

 喉が熱くなって、息ができない。

 ウタは細い息をこぼし、その場に立ち尽くした。

 

 どうして良いか分からない。

 何も分からないが、きっと、シャンクスを泣かせたのはウタなのだ。

 ウタがシャンクスを傷付けてしまったに違いない。

 

「シャンクスのうそつき。泣かないでよ、じゃないとわたしまで……」

 

 シャンクスのくぐもった声を聞いているうちにウタまで悲しい気持ちになってきてしまった。

 ウタは顔に皺を寄せてしゃくりあげる。

 

「ウタまで……!」

 

 泣きたいわけではないはずなのに、ぽろぽろと涙が溢れてくる。

 何が何だかわからないまま、ウタは声を上げて泣き出した。

 

 シャンクスの大きな手がウタを引き寄せる。抱きしめて背を撫でる力は柔く、囁く声はまだ涙に濡れていた。

 

「すまねェ、さみしかったな」

 

 さみしくなんてない。

 確かにシャンクス達はウタを置いていった。けれど、必ず迎えにきてくれるとウタは知っていたのだ。

 だから、ウタは待たされても平気だったのに。

 

 むしろ、シャンクスの方こそさみしそうなのは何故なのだろう。置いていったのはシャンクス達の方なのに、どうして自分が置いていかれたみたいな悲しそうな声で話すのだろう。

 

 わからない。

 わからないからこそ余計に悲しくなり、ウタはわんわんと泣き続けていた。

 

 

   ◇

 

 

 冷たい雨が降っている。

 エレジア城から流れてきた煤を含んだ重い雨粒は、いくら空を眺めても止む気配はなかった。

 

 ウタは座り込んだまま、のろのろと視線を巡らせる。

 

 眠るルフィ達と、そばに落ちたオモチャのナイフ。

 遠くで誰かが争っているような音が聞こえた。砲弾に剣撃、銃声。きっと海軍だろう。

 誰と対峙しているのかは分からない。

 今更、そんなことはどうでもよかった。

 

 袖口で頬を拭く。涙か雨か分からない雫がアームカバーに吸い込まれ、新時代のマークを汚した。

 

 ルフィには拒まれ、ローもゴードンも帰ってこない。

 預かったナイフは、ウタを終わらせてくれなかった。

 

 ウタは口の端を歪め、自身を抱きしめるように背中を丸める。

 

「なんで思い出しちゃうんだろ」

 

 今更。

 本当に今更だ。

 

 ウタワールドでルフィと話したからだろうか。それとも、ルフィの前に現れた少年にあげたオモチャが、幼い頃のぬいぐるみに似ていたからだろうか。

 ウタはシャンクス達との日々をまた思い出してしまっていた。

 

 

 赤ん坊に鳥のぬいぐるみをあげたあの日。

 

 心配をかけたことを赤髪海賊団の皆とカフェの女主人に謝った後、ウタはシャンクスに背負われて船への帰路を辿っていた。

 

「なァ、ウタ」

「なに?」

「今日はお前がおれ達を見つけてくれたよな」

「うん」

「だけどな、ウタ。もし、おれ達がお前のそばを離れても、一人で無闇に探し回るんじゃねェぞ」

 

 シャンクスの囁きが理解できず、ウタは身を乗り出して彼の顔を覗き込んだ。

 

「どうして? ウタ、シャンクス達のことならすぐ見つけられるよ」

「それはほら、ええと、なんだ。ベック!」

 

 うまく説明できないのか、シャンクスが情けない声でベックマンを呼ぶ。後ろを歩いていたベックマンがため息混じりに続けた。

 

「……外は危ねェからだ」

「そう、危ねェんだ! ウタ、お前みたいなチビが歩き回ってちゃ踏み潰されちまうかもしれねェだろ?」

「ウタ、チビじゃないもん」

 

 レディに向かってあまりな言い草である。ヘソを曲げかけたウタにへらりと笑いかけ、シャンクスが続けた。

 

「ともかく、だ。お前は待ってるだけでいい」

「待つの?」

「そうだぞ。いい子で待っててくれりゃ絶対に迎えに行ってやる。もし、迷い子になっても、おれ達が必ず見つけてやるから、な?」

「なにそれ。ウタ、迷い子になんてならないし」

 

 ウタは唇を尖らせる。

 大体、赤髪海賊団の男達ときたら、かくれんぼでウタを見つけられたことすらないのだ。実際、ウタは彼らの目を盗んでカフェまで戻れたわけで、疑わしいにも程があった。

 

 小さな眉間に皺を寄せて考え込んだウタは、ふと妙案を思いつき声を上げた。

 

「じゃあね、ウタ、みんなに見つけてもらえるように歌っててあげる」

「へ?」

「だから、歌うの! ()()()()()()()迷い子になっても、歌が聞こえれば私を見つけられるでしょ?」

 

 得意げに告げるウタをよそに、シャンクスが笑った。

 

「駄目だ」

「なんで? カクジツだよ?」

「なーにが確実だ。ウタ、お前、歌ったら寝ちまうだろうが」

「ちょっとくらいなら大丈夫だし! すぐに見つけてくれればいいだけだもん!」

 

 朗らかに否定されてしまい気分を害したウタは、思い切りシャンクスの脇腹を蹴る。痛みに悶絶しながらもウタを離さないシャンクスの手が温かくて、ウタはなんとも言えない気分になった。

 

「ごめん、痛かった?」

「うん? これくらい屁でもねェさ」

「負け惜しみ……」

 

 ウタが呟けば、後続のヤソップが笑う。

 

「難しい言葉使ってんなァ」

「当然でしょ。ウタ、もうお姉さんだし」

「確かにな。ぬいぐるみも赤ん坊にやっちまったが、本当に良かったのか?」

 

 顔を覗き込んでくるヤソップを見返し、ウタは胸を反らして宣った。

 

「いいの。そのつもりで取りに戻ったんだから」

「だが、なんだってあの鳥なんだ? ぬいぐるみなら他にも色々あっただろうに」

 

 ウタを背負い直し問うシャンクスは少し不思議そうだ。

 まさか覚えていないのだろうかと、ウタは顔を顰める。

 

「シャンクスが言ったんじゃない。あの子は魔法の鳥だって」

 

 曰く、かつて寝ぐずりの激しかったウタに与えたところ、魔法のように寝付いたため大変重宝したとかなんとか。

 育児ノイローゼとやらに悩まされた赤髪海賊団の救世主だったと聞いていたのに、薄情なものである。

 

 また機嫌を損ねたウタは唇を尖らせてぼやいた。

 

「別に覚えてなくたっていいけどね。もうウタにはいらないし」

「拗ねるな拗ねるな。ちゃんと覚えてるぞ。あれを買ったのは何を隠そう、他でもねェおれだ」

 

 シャンクスが笑う。

 

 なるほど、だからちょっとダサいのか。

 身も蓋もない所感は心に秘め、ウタも笑った。

 

「まあいいや。私は待ってればいいんだよね?」

「おう、それでいい。待ってりゃ迎えにいってやる!」

「本当かな。シャンクス、お酒飲んで忘れたりしない?」

「忘れねェよ。約束だ」

「約束? 絶対?」

「そう、絶対の絶対。約束だからな」

 

 歌って走って、泣いて笑って。

 一日の終わり、シャンクスの背に負われながら、ウタはうつらうつらと舟をこぐ。

 

「眠たくなってきちゃった……」

「いいぞ、寝ちまえ。寝て起きたらいつも通りの朝だ」

 

 お風呂やごはんもまだだというのに、シャンクスは無責任なことを言う。

 そのくせ声が柔らかいものだから、ウタも安心してしまって、どんどんと瞼が重くなるのだ。

 

 

 微睡の中、大きな背中に身を預け、あの日のウタは微笑んでいた。

 

 

 そうだ。

 

 

 歌って。

 歌って待っていれば、シャンクス達が来てくれる。

 眠りのうちに、見つけてくれる。

 いつも通りの朝が来る。

 

 ────ずっと、信じていた。

 

 

「……うそつき」

 

 二度と訪れない眠り。決してこない朝。届かない歌声。もう会えない人達。

 思い出がウタの中で巡るほど、現実は冷たさを増していく。

 

 ウタは唇を噛み締め、嗚咽を堪えた。

 

 シャンクス達も、ゴードンも悪くない。

 彼らに嘘を吐かせたのは他でもないウタなのだ。

 

 それでも。

 

「ずっと待ってたのにな」

 

 呟いたウタは、覚束ない指を口元へ当てがい、そっと息を吹く。

 

 微かに鳴る指笛の音は遠い日の面影。

 ルフィへ贈った秘密の合図。

 震える息で伝える、ただいまの()()

 

 この音をずっと待っていたのに。

 己の未練がましさに苦笑したウタが、唇から指を離そうとしたその時だった。

 

 

 高く、指笛が唄う。

 

 

「え……?」

 

 一音だけウタの指笛と重なったその音は、力強く、場違いなほど朗らかなメロディを奏で続ける。

 

 

 ウタが息を呑み、顔を上げた時。

 雨煙の向こうに、懐かしい皆が立っていた。

 

 

「夢?」

 

 呟いて目を擦る。

 そんなわけはないと分かっていた。

 ウタはもう夢をみない。そして、ウタワールドに赤髪海賊団が来るはずもないのだから。

 

 指笛を鳴らしていたパンチがゆっくりと手を下す。肩に乗ったモンスターがどこか悲しげに鳴き声を上げた。

 

 ウタは座り込んだまま後退る。

 指先に当たる冷たい感触。それがローのナイフだと気付いて無意識に拾い上げた。

 お守りのナイフを胸に抱き、ウタは顔を歪ませる。

 

 歳を重ね、皺や傷を増やした皆の姿。見慣れないはずなのにどうしようもなく懐かしい顔触れ。

 込み上げる思いが胸を押し潰し、ウタから声と言葉を奪っていく。

 

 何も言えず見上げるばかりのウタの前で、赤い影が揺らいだ。

 

 いつの日かウタを抱きしめてくれた両腕は思い出の彼方。しかし、隻腕となった今もまだ、彼はその手を差し伸べてくれている。

 

 

「ウタ」

 

 

 静かな声だった。

 思い出の中のように弾んでおらず、あの時のように掠れてもおらず、ただ静かな声だ。

 

「約束を、覚えているか」

 

 待ち望んだ言葉。

 その声を聞くだけで、記憶と痛みが身体中を駆け巡る。

 

 ナイフを握りしめ、呼吸を整えた。そうでもしなければ、飛び出していってしまいそうな自分を抑えられない気がしたのだ。

 

 

 ────十二年。

 十二年、ずっと待っていた。

 歌って。

 歌い続け、待っていたのだから。

 

 

 震える唇を歪め、ウタは頷く。

 

「待ってたよ、シャンクス」

 





 タイトルはフォーレの歌曲からお借りしました。
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