“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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裏切り者なる愛よ

 

 罵声に悲鳴、説教と言い訳、号泣に怒号。

 ディアマンテは目の前で繰り広げられる騒動をただ眺めていた。

 否、正確にはワイングラス片手に半笑いで観覧している。

 

 騒動の中心は例の如く、トラファルガー・ロー。迷惑千万の主君である。

 

 当初の行動計画を放り出して毒キノコを摂取し、歌姫と茶を嗜みつつ偏向講義を開催。サイファーポールと戯れた挙句に海へ身を投げるという奇行を繰り広げたロー。

 彼は現在、ファミリーから全力の説教と制止を受けていた。

 

 デリンジャーによって水揚げされた馬鹿は、まず錫杖による痛打を喰らった。

 殴ったのは当然トレーボル。常は怠惰なわりに初速の速い、全く躊躇のない一撃だった。

 あわよくば昏倒させるつもりだったのだろう。しかし、相手は四皇カイドウの攻撃にも耐えうる頑健な男である。蚊に刺されたほどにも効いていない。

 

 現在のローはというと、正座のままで髪などを乾かされながら説教を喰らう面白オブジェと成り果てている。

 延々続く甲高いピーカの説教。そこへセニョールの渋い説得とトレーボルの癇癪が入り混じり、さらにはバッファローの爆風が重なるものだから、傍で聞いていても何一つ頭に入ってこない。

 明らかに上の空で頷いている薄情な主を眺めつつ、ディアマンテは首を傾げた。

 

 なんだろうか。

 どことなく見覚えのある光景だ。

 

 喧騒の中で目を閉じて記憶を探る。

 グラスを回すうちに勢い余ってワインを溢し、膝が濡れる感触でやっと思い出した。

 

 

 ワノ国だ。

 つい最近、あの閉鎖国家でも、ローはしこたま怒られていたのである。

 

 

 ドフラミンゴが捕らえられたと知り、やにわに救出へと乗り出したロー。ファミリーは生温い目で彼の動向を見逃してやっていた。

 

 事件が起きたのは事態収束後。

 バジル・ホーキンスがファミリーの逗留先に顔を出した時のことだ。

 

 たまたま門前にいて対応したディアマンテは、ホーキンスからの返却物を手に悩んでいた。

 ブツの持ち主はロー。そして、ローの居住区は離れの2階である。

 せっかく庭まで出たというのにまた引き返すのは面倒だったのだ。

 

「おーい、ロー! 窓を開けてくれ!」

 

 一声叫べば、離れの窓が開く。

 中で茶会でも開いているのか、にぎやかな話し声が漏れ聞こえてきた。

 

「若はおやつタイムじゃ。わしGA聞こう、の『G』!」

 

 顔を出したのはローではなくラオGだった。

 

 ローが中にいるのは確か。最終的に本人に渡れば問題ないと判断し、ディアマンテは返却物をラオGへと投げ渡す。

 放物線を描いてその手に収まった立方体を見つめ、翁が眉を顰めた。

 

「……心臓? 若への捧GE物じゃろか、の『G』?」

 

 ラオGは御年七十。さすがに耄碌してきたかと失礼なことを考えつつ、ディアマンテは突っ込む。

 

「何言ってんだ。ローがやったんだよ。あいつ自身がぶち抜かなきゃそうはならねェ」

「それもそうじゃな。して、これは?」

「ローのだ。カイドウのとこの若手に預けてたんだと」

 

 だから本人に返してくれ。

 そう伝えたつもりだというのに、翁は朗らかな笑顔で頷くばかりだった。

 

「ファファファ、もちろんこの世は遍く若のものじゃて。そうではなく、心臓の持ち主は誰のものかと訊いておる」

「ローのだ」

「……はて?」

「だから、ローの心臓だと何度も言ってるだろうに」

 

 不自然に静まり返る別邸。

 硬直したラオGが突如泡を噴き、白目を剥いて後方に倒れる。響き渡るデリンジャーの悲鳴。そして、それを打ち消すほどのトレーボルの怒声と激しい殴打の音。

 

「ロー! おっ、お前! お前ェ〜!!」

「本当だ、心臓がない! 何でこんなことするの!? 若様の馬鹿!」

 

 どうやら、ローはファミリーに無断で自身の心臓を他所へ預けていたらしい。

 俄かに騒がしくなる別邸を見上げ、ディアマンテは頭を掻いた。

 

 本人の内臓なのだから自由にすればいいのでは。ディアマンテ個人としてはそう思うのだが、組織の長が自由すぎるのも問題なのだろう。

 

 ディアマンテは勝手に納得し、事態を放置して別邸を出た。そうして二時間ほど外で時間を潰して戻ったところ、ローはまだ説教を受けていたのである。

 

 トレーボルにピーカ、そしてセニョールによる説教を浴びて正座する黒衣の男。その膝にすがりついて号泣するベビー5とデリンジャーだけでも地獄絵図だ。

 その他も大概で、爆発寸前まで膨れ上がりどこぞへ特攻をかけようとするグラディウスを、バッファローとマッハバイスが二人がかりで止めている。

 奥では半泣きのモネが倒れたラオGとシュガーを介抱し、その陰で逃げ損ねたジョーラが硬直。部屋の隅で無言の圧を発するヴェルゴのせいだろう。

 沈痛な面持ちで頭を抱える少将の傍ら、床に転がる心臓がシュールに脈打っていた。

 

 輪の中央で頭に見事なたんこぶをこさえ虚無顔を晒すローといったら、もう例えようもない。最高に無様すぎて、ディアマンテは大爆笑した。

 後日、逆恨みしたローからワインを酢にすり替えるという報復を受けたりもしたが、その被害を差し引いても愉快な思い出である。

 

 

 そして、今。

 エレジアでも同じような光景が繰り広げられていた。

 

 

「待て。今、何をした? 能力を使ったな?」

 

 ピーカに咎められたローが平然と答える。

 

「何もしてない」

「嘘を吐くな。ROOMも維持している上に、手を動かしただろうが」

「今じゃねェ。ずっとだ。今に限ったことじゃねェから嘘じゃねェぞ」

「屁理屈を言うな!」

 

 一際高い声で怒鳴るピーカだが、当のローはと言えばどこ吹く風。ここではないどこかを見るような目付きで、あからさまかつ熱心に左手を動かしていた。

 

「若、本当に何をしてるんだ?」

「犬の散歩」

「はあ〜? クソガキが、なぞなぞ遊びかァ?」

 

 セニョールとトレーボルの師匠二人に詰め寄られ、ローが顔を顰める。

 

「本当のこと言ってるのに……何なんだよお前ら。おれは頭領だぞ? 信じてくれてもいいだろ」

 

 言動にせよ表情にせよ、いつもより感情の揺れ幅がわかりやすい。なんとも大人気のない拗ね方だ。

 ローが目を伏せたまま呟く。

 

「おれはあいつのところに戻らなきゃならねェんだ」

「あいつ〜? ウタか? なんでお前が?」

「約束したからな。最後まで付き合う」

「そうだな、男の約束は絶対だ。ところで若、約束ならファミリーともしただろう。おれ達ァ無茶をするなと散々言ったはずだ」

「無茶はしてねェ。ガキじゃあるまいし、この程度で疲れたりしねェよ」

「ボウヤは皆そういうんだ。遊び足りねェのは分かるが聞き分けてくれ」

 

 四十路の強者を捕まえて何を言っているのかという話である。しかし、今のローを見ているとあながち間違った対応でもないような気がしてきた。

 

 ローは元より子どもじみたところのある男だ。ネズキノコの影響で色々滲み出ているのかもしれない。

 聞くところによれば、ネズキノコは人から理性を奪い乱暴にさせるらしい。ローの様子を見る限り、乱暴というより面倒といった風情であり、効きが良いやら悪いやらである。

 

 煙草も咥えず、真剣な顔でセニョールが言う。

 

「あのな、若。よく聞くんだ。赤髪海賊団の牽制で海軍は動いてねェ。歌姫は安全、わかるか?」

「それにィ〜? ウタは赤髪とオハナシ中だ。誰も四皇にゃ手を出せねェ。そうだよなァ〜?」

「エレジア城方面もグラディウスが監視してる。若、お前が心配するようなことは何もない」

「イヤホンで聞いてたぞ。ウタと赤髪は親子なんだろォ〜? 感動の再会に水を差すもんじゃねェよなァ〜、セニョール?」

「そうだとも。別れて暮らす親子に話す時間くらい与えてやれ。できるよな、若?」

「お前は薬飲んでさっさと寝るんねー!」

 

 セニョールとトレーボルが口々に説いているものの、説得の方向性からしてもはや迷子である。ただでさえ上の空のローに届くわけがなかった。

 

「犬、犬ねェ」

 

 ディアマンテは溢れたワインを拭いつつ、モニターを覗き込んだ。

 

 エレジア全域に散らせた電伝虫からの情報を映し出している複数の画面。

 トレーボルらの言う通り、ライブ会場を映した画面ではナイフを握りしめたウタと赤髪海賊団が対峙している。ウタもまだ正気が残っているようで、何を話しているのかは分からないまでも緊急性は感じられなかった。

 

 別の画面の中では船上で話す海軍将校らの姿が窺える。彼らを乗せた軍艦や周囲の海兵達には僅かな摩耗が見受けられた。少し前に赤髪海賊団と出会して牽制し合ったのだ。疲弊は当然のことだろう。

 

 気になるのはグラディウスが監視するエレジア城跡──ではなく付近の森。

 鬱蒼とした木々を映す画面の一つには、天を仰いで怒り狂う狼男が映し出されていた。

 エレジアに派遣された破壊工作員、サイファーポールのジャブラだ。

 

 恐るべきスピードで走る狼は、しかし、ローが指を振るうたびに違う画面へ映る場所を変える。ローの能力により座標移動を喰らい、移動してはまた振り出しに戻されを繰り返しているらしい。

 

 ローは見聞色の覇気でROOM内の位置情報を把握し、ジャブラの行く手を遠隔で阻み続けているわけだ。

 

「ピーカ、見てみろ。犬の散歩ってのはこれじゃねェのか?」

 

 ディアマンテの指摘に振り返ったピーカが、鬼の形相となってローの頭を鷲掴む。

 

「いつからだ? いつからこの馬鹿げた輸送をしている?」

「……ずっとだ」

「なんだと?」

「ここに戻ってきてからずっと。お前らが話し始めるより前から続けてる」

「──お前という奴は、本当に仕様のねェ!」

 

 ピーカの怒声にローが身を竦めた。

 

 ローはこう見えてフィジカルが化け物級である。能力者ではあるが、能力の使用には体力を消費するため、常日頃から鍛えているのだ。

 本人曰く、直接的に殴り合う方が身体も楽らしい。

 

 そう、能力は体力を使う。

 能力場であるROOMの維持はもちろん、座標移動や内部観察に切断による阻害、その全てがローの体力を代償に行使され続けているわけで。

 

 怒りのあまり言葉を失ったらしいトレーボルが錫杖を振るう。

 ふてぶてしくもその軌道から逃れ、ローが宣った。

 

「面倒だから進みながら話さねェか? 早く片付けて帰る方がお前らも安心なんだろ?」

 

 その顔に浮かぶのは悪魔の微笑。

 古幹部の前だけで見せる子ども時代の笑みだった。

 

 ローが世界の歌姫にちょっかいをかけ始めて、はや数時間。本来であればそろそろ衰弱死しているはずのウタは、未だに生きながらえている。

 人体の保全を得意とする医者(スペシャリスト)であり、他者の心身を弄ぶ宗教屋(エキスパート)である革命家が、非人道的な横槍を入れたせいだ。

 

 ナイフを抱え、父と対峙する若い娘。

 苦しげに歪むウタの顔をモニター越しに眺め、ディアマンテは口の端を上げた。

 

 死に急ぐ人間を無理矢理生かし、自身の目的に活かす。まったくもって、トラファルガー・ローはタチの悪い悪党なのだった。

 

 

   ◇

 

 

 ウタの姿を目に映した時。

 シャンクスは我知らずのうちに、右手をきつく握りしめてしまっていた。

 

 待っていた、と。

 そう返したウタの目はどこか虚ろで、暗く澱んでいる。

 

 十二年。

 十二年、ずっと想っていた。

 

 姿を見ることも叶わなかった十年は、彼女の成長する様を信じ、どんな大人になるだろうかと好き勝手に思い描いていた。

 そして、ウタが配信を始めてからの二年は、画面の向こうで自由に飛び跳ねる彼女を見ることができた。

 

 ますます磨きのかかった歌声と、昔と変わらない髪型。感情が動いた時に足でリズムを取る癖。強く輝く紫の瞳。

 他者を思う優しい心。

 才と師に恵まれたウタは瞬く間に名声を得て、世界一の歌い手として羽ばたいていく。

 歌手として愛される彼女の姿は、本当に誇らしいものだった。

 

 

 違う。

 

 本当はただ。

 ただ、姿を見ることができた。

 声を聞けた。

 それだけでよかった。

 

 大きくなった。

 立派に成長してくれた。

 

 それだけで、心底嬉しかったのだ。

 

 

 遠い過去、ウタを手放す“練習”をしたことがある。

 エレジアに寄るより前、フーシャ村に寄港するよりもずっと前のことだ。

 

 海賊という立場、男ばかりの船、シャンクスの出自。ウタを取り巻く環境は決して正しいものではなかった。

 シャンクスもまた、海賊王のクルーとして船上で幼少期を過ごした人間だ。海の上、海賊団の中、そこ以外に居場所などなかった。

 

 しかし、ウタは違う。

 

 彼女には才能があった。

 大海賊時代の中で無為に奮われ摩耗する武力の才ではなく、その後の時代でこそ輝ける歌の才能が。

 海上に、それも一つの海賊船に閉じ込めていい才ではない。

 なにより、彼女には未来がある。

 歩む道を自由に選んでいける、未来。

 

 海賊になりたいならそれでもいい。だが、決めるのは今でなくていい。世界を、そして自身を知ってから、ウタが自らの願いで未来を選べばいい。

 

 そう考えたシャンクスは、ウタを手放そうとした。

 正確には、陸へ預けることを試したのだ。

 

 海賊以外の知り合いや、比較的平和な国の港。赤髪海賊団傘下が取りまとめる国の安全なカフェ。そして、同じ年頃の少年がいるのどかな村の酒場。

 最初はただの船番から始め、徐々にウタと離れる時間を延ばす。そうして、いつかウタがシャンクス達と離れても過ごせるよう、気の長い訓練をしていた。

 

 ウタを外の環境に慣らすための訓練は、やがてウタではなく、シャンクスにとっての練習になっていく。

 

 気付いていた。

 ウタの成長を願う反面、彼女を手放すことを恐れている自分に。

 

 大海賊時代とは誰にも制御できない嵐。

 少し目を離した隙に、ウタがその荒波に飲まれてしまったら。手を離したばかりに、彼女が遠くへ行ってしまったら。

 誰かに害され、傷付くかもしれない。

 あるいは、その命さえも。

 

 ウタに傷付いてほしくなかった。

 ずっと笑って、好きなように歌っていてほしかった。

 

 そして、何よりシャンクス自身が嫌だった。

 

 

 ウタを、奪われたくない。

 そう思ってしまったのだ。

 

 

 分かっている。

 これはエゴだ。

 愛と呼べば聞こえはいいものの、その実、呆れ果てるほど醜い感情だった。

 

 当時は痛感したものだ。

 己が身の内に流れる天竜人の血。身内に甘く、我欲に溺れ、手にしたものに執着する、唾棄すべき浅ましさを。

 

 だからこそ、シャンクスは躍起になってウタの預け先を探した。彼女には幸せになる資格があるのだと、何度も己に言い聞かせて。

 

 丁度いいとマリージョアに入り込み、ウタを仲間に預けて船を空けたり、遠方に出掛けたりした。

 離れている間中気掛かりで、船に戻れば、隣で笑うウタの姿に安堵する。そんな自分がひどく情けなかった。

 

 ロジャー海賊団時代のことを振り返り、自身を育ててくれた船長らの振る舞いを真似たこともあった。

 しかし、ロジャーとシャンクスの関係は親子というよりも船長と見習い。何より海賊としての生き様と、世間一般的な家族の生活は大きく違う。

 普通の父親のことなど、シャンクスには分からない。

 

 ウタを手放そうと決めては後ろ髪を引かれ、他者に預ける試みすらままならず、様子を見に戻ってしまう。

 船長であるシャンクスが優柔不断なものだから、赤髪海賊団の仲間達も決めあぐねているようで、誰もが中途半端な態度を取ってしまっていた。

 これではいけないと、全員で頭を捻り、探し出した預け先候補。

 

 それがこのエレジアだったのだ。

 

 

 ふらりと立ち上がったウタは、何も言わずにシャンクスを見つめていた。

 手には無骨なナイフが握りしめられ、剥き出しになった肩は霧雨に濡れている。

 

 寒くないだろうか。

 風邪を引いてしまう。

 

 そう思い、シャンクスは目を伏せた。

 

 ────何を、今更。

 

 無意識にウタへ伸ばしかけた手を握りしめる。

 ぎりりと鈍く音が鳴った。

 

 剣を振り回して分厚くなった掌は痛みを鈍らせるだけ。しかし、こうでもしなければ、この手はウタを捕え、閉じ込めようとしてしまう。

 

 なおも抑えきれない逡巡が身体を動かした。

 シャンクスが一歩踏み出した瞬間、ウタの身体が強張ったのが分かる。ナイフを握るウタの手は細かく震え出していた。

 

「来ないで」

 

 ウタが冷えた声で告げる。

 彼女から溢れる負の感情に呼応するように、眠れる観客達が身を起こし始めた。

 

 操り人形のように動き出した民衆が赤髪海賊団を取り囲む。腕や胴、果ては足まで。人々は無力なはずの腕で四皇の一味へと絡みつき、拘束し始めた。

 シャンクスもまた、見知らぬ若者二人に右腕を掴まれる。眠ったままの彼らからは意志が感じられない。

 

「間に合ってくれてありがとう。私、あんた達を待ってたんだ」

 

 ウタの顔は青褪めており、蠢く群衆を背に立つ姿は幽鬼達の女王のようだった。

 

 震える手でナイフを構え、ウタが距離を取る。

 

「このエレジアのケリをつけるためにね! 嘘を吐いてばかりの、悪い海賊!」

 

 悲鳴じみた叫びがこだまする。歯を剥き出しにして嗤うウタが、勢いよく腕を振り下ろした。それが合図のように民衆が拳を振るい始める。

 

 一つ一つはか弱い力。しかし数が集まり重なればアザを創る程度には重い打撃となるものだ。

 拘束を振り払おうとするガブをベックマンが視線で制した。

 下手に武装色など纏おうものなら民衆側の手足が折れる。シャンクス達は群衆から与えられる暴力をただ受け止める他なかった。

 

 抵抗しない赤髪海賊団に何を思ったのか、ウタが痛みを堪えるように顔を歪ませる。

 ほんの一瞬の変化だ。しかし、娘にそんな表情をさせてしまった後悔がシャンクスの口を重くさせた。

 

「ウタ、そのナイフは……」

 

 謝罪でもなければ叱責でもない。転び出たのは意味のない問いかけだ。

 目を見開いたウタが、シャンクスへと刃先を向ける。

 

「止まって。それ以上近付いたら、ただじゃおかないから」

 

 思わず足下を見下ろした。

 指摘されて初めて気付く。腕や胴に張り付いた民衆を引き摺り、シャンクスは進んでしまっていたのだ。

 

 荒い息を繰り返し、シャンクスを睨むウタ。彼女は怒り、ひどく怯えている。大人になったはずだというのに、子どもの頃以上に不安定で幼く見えた。

 

「一歩でも動いてみなさい。刺し違えてでも、あんたを!」

 

 ナイフを無茶苦茶に振り回していたウタが突然動きを止める。ナイフを警戒することすらない、不自然なシャンクス達の様子から何かを悟ったように、彼女はぼそりと呟いた。

 

「────見てたの?」

 

 誰かが息を呑む音が聞こえる。

 シャンクスは答えられない。

 それが、答えだった。

 

 ウタの唇が戦慄く。

 

「そう。見てたんだ。見てて、何も言わないんだね」

 

 糾弾は静かに響き、赤髪海賊団の心臓を撃ち抜いた。

 

 シャンクス達は皆、見ていたのだ。

 ウタがルフィを傷付けようとしていた時も。

 彼女自身を消し去ろうとしたその瞬間も、全てを見ていた。

 

 “ジョーカー”がウタに接触している間、ヤソップとスネイクが遠方から監視し、ナイフが本物ではないことを把握していた。

 シャンクスとて同じだ。少し離れた場所で海軍を押し戻しながら、見聞色の覇気でウタの異変を察していた。

 急ごうにも相手は大将格。放置すれば、海軍は民間人を犠牲にしてでも武力行使に出ようとする。この場においてそれを止められるのは、赤髪海賊団しかいない。

 

 しかし、全ては言い訳だ。

 間に合わなかった。

 何もかもが手遅れなのだろう。

 

 結果、民衆の拳よりもなお非力なはずのオモチャのナイフは、見事、ウタの心を壊してしまったのだから。

 

 雨に濡れた肩を震わせ、ウタが笑った。

 

「残念だったね。あんた達も私と同じ。十二年前の不始末をつけようとここに来て、盛大に失敗した。こんなところだけ似るだなんて笑えるよね!」

 

 半狂乱で叫ぶウタを見ていられなくなったのか、ロックスターが一歩前に進み出た。

 

「お嬢、違──」

 

 違うと言いかけたロックスターをホンゴウが止める。眉間に皺を寄せて口を噤む二人を見つめ、ウタがぎりりと歯を鳴らした。

 

「何。何が違うの。ああ、赤毛のあなたははじめましてか。私がいた頃なんか知らないもんね? シャンクス達の代わりに、私が説明してあげる」

 

 ウタは突如微笑み、その場でくるりと舞い踊る。ナイフを持ったまま腕を振り回し、エレジア全土を抱きしめるようにして、彼女は告げた。

 

「十二年前、赤髪海賊団はエレジアを襲ったの。私の力を利用して、この国を滅ぼした。そうだよね、シャンクス?」

 

 睨みつけるウタを見返し、しかし、シャンクスは唇を引き結ぶ。反応が返ってこないことに焦れたのか、ウタは足を地面へと叩きつけた。

 

「どうしたの? 返事しなよ。今更何をしに来たの? 今度は何を奪うの? お宝? それとも、私を殺して、世界中のみんなから新時代を奪うつもりかな?」

「…………」

「────何か言いなさいよ!」

 

 言えるわけがない。

 何も、言えるはずがなかった。

 

 とめどなく言葉を撒き散らし続けるウタ。その目には薄く涙の膜が張っている。

 娘が泣いているのに、父親達は彼女にかける言葉一つ持っていないのだ。

 

「そっか、分かったよ。私なんかとは話したくもないってことだよね。それなのに……約束は守りにきてくれたんだ」

 

 アームカバーで強引に涙を拭ったウタが口の端を引き上げた。無理矢理に作った笑みはあまりに痛々しい。

 視界の端でロックスターが顔を背ける。

 

 言葉もなく拘束され続ける父親達を前に、ウタは何を思うのだろうか。

 彼女はナイフを取り落とし、自身の両頬に手をやった。そして、まるで見えない仮面を引き剥がすかのように頬へと爪を立て、金切り声を上げ始める。

 

「どうして? なんで今更私の前に現れるの? もうすぐ新時代がくる! もう全部終わりなのに惑わせないで! 嘘ばかり吐いて私を騙してたくせに、どうしてそんなちっぽけな約束を果たそうとするのよ!」

 

 何度も地面を踏み躙り、踵を叩きつけながら、ウタが絶叫した。

 しかし、鍛え上げられた喉ですら悲鳴の全てを音に変えることはできない。彼女の中で潰えた思いを示すように、紫の瞳が怪しく輝く。

 

「みんな、大嘘吐きがきたよ! 悪い海賊をやっつけて、私達の新時代を守ろう!」

 

 震える声が民衆を煽動する。のろのろと動き出し飛びかかってくる民衆の拳に嬲られ、シャンクス達は動けずにいた。

 

 その時だ。

 

 

 銃声が響く。

 海軍だ。

 世界政府が、ついに動き出したのだ。

 

 

 一発ではない。

 ステージの裾、大屋根の上、民衆の陰。あらゆる場所から次々と撃ち込まれる銃弾の雨がウタとシャンクス達を襲った。

 

 もちろん、周囲には民衆達もいる。

 意識を奪われて無防備に身体を晒し、身を守ることすら許されない民衆達が。

 

「やめて!」

 

 ウタが叫び、シャンクスが動き出す寸前。

 銃撃が止まった。

 

 否、正確には、()()()()()()()()()のだ。

 

 銃声は未だ鳴り止まない。

 しかし、()()()()()()()()()()()()

 

 地面を抉る寸前、民衆の胸の前、ウタの鼻先。

 ライブ会場を破壊し、命を奪うはずだった無数の銃弾は、見えない壁に阻まれるようにして、完全に時を止めていた。

 

 やがて集中砲火が止む。

 意味がないと中止したのだろう。

 賢明な判断だ。

 

 銃を構えた海兵達ですら、目の前に広がる光景を受け止められず、呆然としていた。

 無理もない。

 完璧な静寂の中、無数の銃弾が宙空で静止しているのだから。

 

 僅かに遅れ、一つの銃弾が制御を失い、地面へと転がる。それを呼び水にして、全ての銃弾が落ち始めた。

 

 飴玉が掌から零れるように優しい音を立て、ライブ会場に雨が降る。誰も傷付けることなく無効化された、銃弾の雨が。

 

 声もなくへたり込んだウタが空を振り仰ぐ。

 つられ、シャンクスも上空を見た。

 

 相変わらずの曇天。

 灰色の空に薄く広がる青い被膜。

 

 

 ライブ会場を覆う海王類の骨、覗くのは子どものように揺れる足と黒い靴。

 

 

「ローさん?」

 

 呟いたウタへ応えるように、海兵達の持つ武器が宙へと浮かび上がった。間髪入れず一斉に空へと吸い込まれていく銃や刀。動揺する海兵達の頭上に色とりどりの花びらが降り注ぐ。

 

 

 トラファルガー・ロー。

 ウタに接触した、元海賊の革命家。

 

 

 何が目的で介入してきたのか、未だにわからない人物だ。しかし、ウタを守ろうとしているのは間違いない。

 シャンクスが眉を顰める中、花吹雪が空へと舞い上がる。その一瞬の間に、大屋根の上の黒い影は消えていた。

 

「そうだ。そうだよね、ローさん」

 

 よろけながら立ち上がったウタが視線を彷徨わせる。投げ出されたまま放置されていたナイフを拾い上げ、彼女は細く息を吐いた。

 そして、まるで自身を調律するように、ナイフを握った手を胸へと押し当て背筋を伸ばす。

 

「知ってるくせに、なかったことにしちゃダメだ。それが誰かを守るためだとしても、向き合うべきだよね」

 

 ウタが呟き、顔を上げた。

 

 

「これが、最後なんだから」

 

 

 シャンクスは息を呑む。

 

 こんなウタは知らない。

 少しだけ大人びていて、底すら見えないほど深く暗いアメジストの瞳。

 どこまでも危うく、そのくせ何もかもを見通して澄み渡る意志の光。

 

 それはまるで夜半に綻ぶ花のように、歌姫が冷たく微笑んだ。

 

「ねえ、シャンクス。私の話を聞いてくれる?」

 





 タイトルはバッハのカンタータからお借りしました。
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