響き渡る咆哮に、羽ばたき一つで割れる島。
トットムジカの猛威により、現実世界のエレジア近海は大時化となっていた。
海軍の艦隊ですら緊急退避を始める中、トラファルガーファミリーの船は未だエレジア裏に止まっている。
ローは懐の手帳を取り出し、挟み込んでいたメモを確認した。
「まァ、概ね想定内だな」
指でモニターを突く。
そこに映されるのはトットムジカの道化じみた異貌。竜の顎連なる冠を戴く古の魔王だ。
大きく裂けた口からは舌が垂れ下がり、出鱈目な作りの身体からは鍵盤を模した二対の腕と一対の足が歪に伸びる。
過去の資料によれば、この形態が最終段階らしい。つまるところ、現在進行形で世界は危機に瀕しているわけだ。
魔王の腕がしなり、赤髪達の攻撃を悉くいなす。
赤黒い光は覇気だろうか。
トットムジカは人々の負の感情が蓄積した存在だという。
ウタもまた思いを拗らせていたわけで、相応に激しく昂っていることだろう。赤髪海賊団もただ義務で現れたようには思えなかった。
ウタとトットムジカ、そして赤髪海賊団。強い情念のぶつかり合いともなれば、覇気の一つや二つ迸っても不思議はあるまい。
ローはぽつりと呟く。
「親子喧嘩か。羨ましいな」
「呑気なことをいう」
傍らに控える少将が苦言を呈した。同じく待機するピーカの鼻頭にも皺が刻まれている。
ファミリーきっての常識人である二名はローの補佐──ではなく、監視要員だ。小言ついでに対話でローの真意を探るつもりもあるのだろう。
辟易を絵に描いたような面構えでピーカが問うた。
「ロー、何故、あの小娘にナイフを渡した」
「お守りだ。さっき説明しただろ」
「貸し出せるものなど他にいくらでもある。コラソンのナイフでなければならなかった理由を言ってみろ」
「子どもに武器を持たせたら危ねェからな。背伸びしたい年頃だ。オモチャでも渡しておけば安全だろ」
嘘ではない。ローはピーカに嘘を吐かないと決めていた。
ただし、堂々と誤魔化しはする。
まさに、今のように。
「「…………」」
ピーカと少将の無言の圧力に屈し、ローはそっぽを向いた。
妙な沈黙が落ち、少将が軽い咳払いをして一つのモニターを指差す。
「ところで、もう解放してやってもいいのではないか? 今更任務も何もないだろう」
画面に映るのはサイファーポールの狼男。いまだライブ会場に辿り着けず怒り狂っていた。
少将の言う通り、もう妨害する理由はない。ローは素直に左手を振るう。
「どこに移動させたんだ?」
「ライブ会場だ。もう一人、サイファーポールの女がいた。災害時は仲間同士結託すべきだろ」
政府方の工作員がヤワとも思えないが、一人よりは二人の方が生存率も高いはずだ。散々嫌がらせをした分、会場までの移動はサービスしておく。
念のため、ライブ会場の映像を見てみれば、白服の女を守るジャブラの姿が確認できた。
会場は混沌そのものの有様である。
破壊を撒き散らすトットムジカへと総攻撃を仕掛ける赤髪海賊団と海軍大将達。元々任務についていた“藤虎”だけでなく、いつのまにやら“黄猿”まで参加している。
ウタはどうしているだろう。
先程までトットムジカの頭上にいたのだが、今の形態では確認できない。
画面に見入っていると、少将が問うてきた。
「ウタが心配か?」
ローは目を伏せる。
考えるも適切な返答が見つからず、歯切れの悪い言葉が溢れた。
「気にはなる」
「そもそも、何故ちょっかいを出した? ウタとの接触は元々の計画になかったはずだ」
確かに少将の指摘は正しい。
改めて振り返り、理由を考える。
「……あいつ、泣いてたからな」
「ウタが、か」
「そうだ。順調に計画が進んでいるだろうに、辛気臭い面で俯いてやがった」
ローの言葉に少将が苦笑し、ピーカが鼻を鳴らした。
「善意であったわけか」
「まったく、お前は仕様のない」
常識人二名の反応が理解できず、ローは首を傾げる。
「善意? 違うぞ」
「は?」
「どうせ歌姫の計画は成就しない。とりあえず付け入って、後々のために種を蒔いておくが吉だ」
ついでにいえば、某科学者への土産を調達したいという目論見もあった。レアリティの高い能力者の“情報”だ。充分な価値がある。
苦い顔になった少将を眺めながら続ける。
「ところでピーカ、悪党の標的になるのはどんな奴らだと思う?」
「弱者と善人だ。力のない者は抗えず、人の良い人間は騙されやすい」
「それも正解だ。弱者や馬鹿をカモにするのは悪党だけじゃねェけどな」
「お前の意見は別にあるのか?」
ピーカへ頷き返し、ローは答えた。
「孤独な奴だ」
「孤独? 何故だ」
「誰もそいつらを助けない。横槍が入らねェってのは実に楽だ」
一人きりの時に手を差し伸べてくる人間には気をつけた方がいい。十中八九、そいつは悪い人間である。
ローの持論を受け、少将が首を振る。
「酷いことを言う」
真面目な正義漢にしては淡白な感想だ。少将はローへと向き直り目を眇めた。
「それはお前の経験則か」
「その通り。孤立した人間を弄んできたと言ったら、お前、船を降りるか」
「誤魔化すな。私が問うたのは加害経験の有無ではない」
戯れを一蹴されてしまい、ローは薄く笑む。何かを答える前に少将が断言した。
「お前がまだ弱く孤独だった頃、お前を利用した者がいたのだろう。違うか?」
一心に見つめてくる目は誠実で、堕ちた海軍将校の名にあるまじき義に満ちている。ずれた眼鏡を押し上げ、少将が続けた。
「お前の過去、フレバンスのことは何と言っていいのかわからない。恥を忍んでいえばまだ飲み込めないんだ」
ドレスローザを出た直後、ファミリーの幹部達へ過去を開示した。
少将は元海兵だ。世界ぐるみで一つの国を見殺しにしたという事実が殊更重くのしかかったのだろう。拳を握りしめたまま、彼は呟いた。
「お前達を孤独に追い込んだのは無関心な世界だ。百年先の被害を軽視し放置した過去の人々や、自分達だけが助かればいいという者共、我々全ての無関心がお前達を追い込んだ」
真面目がすぎる。思わず同席のピーカを仰ぎ見れば、彼もまた呆れたように首を振り吐き捨てる。
「ありふれた話だろうが」
そうだ。ありふれた過去で、今となってはどうでもいい話。そうであるはずだった。
僅かな苛立ちを胸の内に押し込め、ローは肩を竦めてみせた。
「それで? 今となっては悪党のおれが何故、世界の歌姫に付け入ろうとしているか、少将殿には分かったのか?」
「お前は知りたいのだろう。知識を得た者達がどう生きていくか。人間は未来を知ってなおも他者を見捨てられる生き物であるかを」
断言され、一瞬反応に迷う。
口元を袖口で覆い、ローは囁いた。
「あんたは相変わらずお堅いな。三流悪党がそんな大層な思想を抱いているわけがねェだろ」
それ以上、少将は追求してこなかった。ピーカが溜め息を落とす。
「ちなみに、歌姫を籠絡して何をさせるつもりだ? 数年後に同じ騒動を起こさせるのか?」
「それもいいかもな。だが、あいつらがどう動こうが関係ない。混乱に乗じておれはおれの望みを叶えるだけだ」
本物の嵐、麦わらのルフィ。ドフラミンゴやウタもまた、新たな風といえるだろう。
彼らが暴れれば暴れるだけ、世界は歯車を軋ませて時を早める。
あとはただ、流れをコントロールして最大活用するだけ。場を見て動くのは得意中の得意だ。
計画は順調。いっそ、手が空いてすらいる。
だからこそ、欲が生まれた。
「おれはただ知りたいんだ。咎めるつもりはねェ。たった一度でいいから訊いてみたい」
ローは目を伏せる。
「『知っていたなら、何故止めなかった』」
人はどうせ死ぬ。簡単に殺せる。記憶も消える。命をかけて遺した記録すら、燃やせばそれで終わりだ。
あるいは世界ごと海の底に沈めてしまえば、全てがなかったことになるのだろう。
そんな終わりなど許さない。
全てを知りながら背を向けるのは罪だ。
真実を隠匿する人間がいれば、そいつはとんだ臆病者だ。見下げた卑劣漢で、救いようのない悪だ。
百年の嘘に加担したロー自身も含めて、それは紛れもない事実である。
「世界の答えをおれは知りたい」
ネズキノコの齎した高揚と焦燥が胸の内を掘り返し、必死に埋めたはずの衝動を呼び覚ます。
なぜ。
何故、フレバンスが滅びなければならなかったのか。
「この耳で答えを聞くまで、逃してやるつもりはねェ」
部屋に沈黙が落ちた。
ピーカが鼻を鳴らす。
「結構なことだ。だが、歌姫なんぞに目をかけずともいい。望みがあるならおれ達が叶えてやる」
動揺をみせた少将に対し、ピーカは不動の姿勢をみせている。さすが古幹部といったところだが、彼の場合、過去や未来にさしたる興味がなく、徹底した現在思考なだけなのだ。
甲高い声を張り上げ、彼は問う。
「これからどうするんだ。トットムジカを倒すのか? 方法は?」
「あるが、面倒事は他に任せればいい。大体、親子喧嘩に水を差すのも悪いだろ」
「それで歌姫が死ぬかもしれねェな」
鼻で笑うピーカに対し、ローは真顔で返した。
「バケモノもどきが、一人死んだところで何になる」
ウタがこのまま死んだとて、世界全てが終わるわけではない。いくら影響力が強くとも、孤島でひっそり暮らしていた小娘だ。因果はたかがしれている。
その生死一つに価値はない。
それはローも同じ。
ただ、ローは打開策を知っている。
一人で成せないならば、数で打破すればいい。
力を振るい、歴史に学び、諸人を束ね、些細な変化を重ね続ければ、この身体に集束する変革の重みは増す。
一粒の雨が地に蓄えられて川となり、やがて海をなすように、場末の小悪党とていつしか時代のうねりをも飲み込むバケモノとなるだろう。
ただ、未だこの身は三下悪党であるからして。
「少しくらいは手伝ってやってもいいが──」
できることといえば、そう。
「せいぜい世界を壊す程度だろうな」
黒衣の男は一人笑ってみせた。
◇
混沌のエレジア。現実世界にも侵食が進み、曇天はいまや不可思議なノイズと五線譜に蝕まれ始めていた。
シャンクスは襲い来る鍵盤の腕を掻い潜り、グリフォンの一撃を放つ。斬撃は不可視の膜でもあるように弾かれ、攻撃が通る気配はない。
横殴りの殴打を仕掛けてくる腕を切り払い、シャンクスは地表へと降り立った。夢幻のうちを彷徨う観客を抱え跳躍。追撃の熱線を回避する。
当初は周囲に構わず攻勢に入ろうとしていた海軍も、今は民衆の避難を優先していた。しかし、操られた観客達の身体は抵抗を続け、思うように退避が進まないようだ。
赤髪海賊団の力を以てしても、ウタワールド側との協調がなければトットムジカの打破は不可能。こちらの存在と攻撃をウタワールドに伝えようにも、場が混乱しているのか上手くいっていなかった。
手が足りない。
このままでは、間に合わなくなる。
現実にまで姿を現した音符兵達に取り囲まれ、シャンクスは口を引き結ぶ。
その時だ。
青い被膜が広がる。
鍵盤の腕を蹴り付けて距離をとれば、内臓に触れられるような妙な気配がした。
「邪魔するぞ」
聞こえたのは凪の声。
突如現れた黒衣の男を見つめ、シャンクスは目を眇める。
トラファルガー・ロー。
ウタに接触していた男。
意図を問おうにも今はそんな余裕もない。無表情に見返してくるローから視線を切り、シャンクスは斬撃を放った。切り裂かれた熱線が二手に分かれ、地面を抉る。
火の手の上がる地面を蹴って退避すれば、黒衣の男が左手を振るうのが見えた。
「“シャンブルズ”」
犇めく民衆の一画が忽然と姿を消す。
代わりとばかりに落ちてきたのは武器。形状からいって海軍支給のものだろう。
見聞色の覇気で探れば、人々の気配はエレジア本島や軍艦に移っていた。
ローが立て続けに能力を発動させる。民衆を強制移動させ始めた彼は、空いた右手で大太刀を振るい音符兵を切り裂いた。
「まずは数を打つか。ディアマンテ」
ローの呼びかけに応え、背の高い剣士がぬらりと動いた。その傍らにはいくつもの大筒が置かれ、火花を上げている。
花火のような音を立て、打ち上げられたのは紙吹雪。否、紙のように薄くのされた“何か”。
「“
剣士は大仰に笑い、両腕を広げた。
「ウハハハハ! 見ろ、流星群だ! 願い事でも唱えてみようじゃねェか!」
流れ落ちる星屑はトットムジカを打ち据え、大地をも抉る。それは棘の鉄球。空に打ち上げられた無数の鉄塊が魔王に降り注ぐ。
全てとは言わずとも数割は通ったのだろう。トットムジカが苦鳴を上げた。
「次、面攻撃」
仲間を労うことすらせず、ローが左腕を振るった。先程の剣士、さらには周辺の海兵や民衆までもが姿を消す。
今度は何かと身構えれば、突如として大地が割れ、巨大な石像が現れるではないか。
トットムジカへと拳を叩きつけた巨像は、妙に甲高い声で叫んだ。
『耳を塞げ!』
息を吸い込み、巨像の胸が大きく膨らみ始める。
全身に悪寒が走った。赤髪海賊団の仲間達が耳を塞ぐ姿が見えるも、隻腕のシャンクスはそうもいかない。
距離を取ろうとしたその時、背後に気配を感じた。
凪いだ声が囁く。
「失礼する」
拒む間もなく両耳を塞がれる。
薄いグローブの感触をこめかみに感じた直後、辺り一帯を衝撃波が襲った。
『──────!』
近くの小島が木っ端微塵に砕け散り、海面が波打って瓦礫を飲み込む。
咄嗟にグリフォンで斬り払い衝撃を相殺。それが石像の声だとシャンクスが認識した時には、トットムジカが後方によろけていた。
これまで見えなかったバリアのようなものが可視化される。ウタワールド側でも多段攻撃が行われていたのか、全体に薄いダメージが入っていた。
耳を塞ぐ手が離れ、シャンクスは背後を振り返る。そこにいたのは黒衣の男、トラファルガー・ローだ。
自身の耳当てを外し、ローが言った。
「巻き込んで悪い。お前の覇気が強すぎて移動させられなかったんだ」
「いや、助かった」
短く感謝を伝える。
そうして二人はトットムジカを見上げた。
苦悶を浮かべ暴れる魔王。多少なりともダメージが通っている証拠だろう。
ローが呟く。
「同時攻撃が有効なら概ね伝承通りか」
「調べていたのか?」
「いや、たまたま知っていただけだ。歴史の勉強が趣味でな」
ローはこちらを見ることもなく、白々しい答えを返した。シャンクスが黙り込めば、彼は袖で口元を隠して目を伏せる。
「トットムジカがウタの体力をどの程度奪うかは分からねェ。一応温存はさせたが気休めだ。早く終わらせた方がいい」
シャンクスは眉を顰めた。
事前に接触した仲間二人からも聞いていた通り、意図の読めない男だ。
言葉だけならば、ウタを救おうとしているように聞こえる。だが、理由がない。
逡巡する間もなく、ローが踵を返した。
「おれ達は海軍の補佐に入る。じきにシャーロット家の増援がくるから戦力は充分だろ」
瞬きの間に黒衣の背中が消える。見渡せば、彼の仲間もまた姿を消していた。
海軍に紛れ、半ば強引に民衆を移動させる者達。雪風や粘液といった能力者特有の技から手慣れた避難誘導まで、トラファルガー・ローの仲間は各個で力を発揮している。
避難の流れが明らかに整い始め、シャンクスは吐息を溢した。これでやりやすくなる。ローの真意はどうあれ、ありがたいことだ。
トットムジカの侵食は広がり、いまや大地までもが失われた。
天地すらなく不可思議な空間と化してゆく世界。それぞれが抗う今、必要となるのはウタワールドと現実世界の連携である。
「ヤソップ、どうだ?」
見聞色の覇気が要だ。
ヤソップが音符兵をまとめて撃ち落とし答える。
「まだまだだ。はやく冷静になってくれりゃいんだが」
「そう言ってやるな。離れて暮らす父親の気配なんざ、すぐには分からねェもんだろう」
「そこを突かれると痛いな」
ヤソップが頭をかいてぼやく。彼も倅と離れて長い。それでもどこか繋がりを感じ、ウソップの応答を信じているのだ。
何にせよ、今は祈るしかない。
歯痒さに顔を顰め、シャンクスは刀を振るった。
◇
トットムジカの覚醒によりウタワールドはさらに様相を変えていた。
暗く煌めく空間には天と地の差すらない。五線譜の帯が出鱈目に絡み合い、溢れる花びらが視界を奪う程に舞う。
もはや楽園とは程遠い、虚無と虚構がここにあった。
ニコ・ロビンの解析によれば、ウタワールド脱出の手段は一つきり。現実世界とウタワールド、二つの世界を繋ぐトットムジカを倒すのみとのことだった。
しかし──
平衡感覚を奪われる異常な空間の中、黒翼の魔王が咆哮する。
叫びと共に放たれた熱線が空気を焼き切り、焦げ臭い香りを漂わせた。
「こんなものとどう戦えばいいんだ」
小人サイズのブルーノが呟く。
他の連中も反応は同じく、呆然とトットムジカを見上げるばかりだ。
「ウタ、聞いてくれ! ウタ!」
喉が切れるほど叫び続けるゴードンを背に庇い、ドフラミンゴは眉間に皺を寄せた。
「麦わら、どうするつもりだ」
ウタに伝えるべきことは伝えた。真実も思いも言葉としては伝わっていたように思う。
その上で、ウタは選んだのだ。
自身をも悪とし、悪を排除した新時代の創世を。
ドフラミンゴの問いかけの意味を正面から受け止めた上で、ルフィが答えた。
「あいつを止める」
返答と同時に青年の両足がバネのように撓む。弾丸となって空に射出された彼は、強く腕を引き絞った。
「おおおおお!」
叫びと共に撃ち出されたのはゴムの拳の乱打。トットムジカが鍵盤の両腕を翳し、その全てを防ぐ。しかしルフィの勢いは止まらず、拳の雨が巨体へと降り注いだ。
激しい音を立てているのはシールドだろうか。打撃音が銅鑼のように鳴り重なるも攻撃が通っているようには見えない。
己が船長を邪魔させまいとゾロとサンジが音符兵を蹴散らす。
しかし、無限に湧き出る雑兵を相手取っていてはさすがに旗色が悪い。両翼の包囲網を抜けてルフィの背へ向かう音符兵を火薬玉が撃ち抜いた。
「ルフィの拳が全然通らねェ! どうすりゃいいんだ!?」
ウソップがパチンコを構えて援護を続けながら、焦燥に満ちた声をあげる。
「いえ、少しだけれどダメージが入っている。現実世界と同時に攻撃できたのね」
冷静に呟くロビンの傍でビームを放ちつつ、フランキーが難色を示した。
「だがよ、同時攻撃と言っても、どうやってあっちに合図を送りゃいいんだ?」
「数を打つにも限界がありますね」
ブルックが剣を一閃し周囲の安全を確保する。しかし、その間にも音符兵は生み出され続けていた。
ノイズ広がる上空を見たチョッパーの顔が曇る。
「時間がないぞ。このままじゃ、ウタが……」
濁された言葉の先など誰しもが理解している。チョッパーがゴードンを見つめ、悔しげに呟いた。
「ごめんな」
「謝らないでくれ。全ては私が悪いんだ。ウタを支えられず、トットムジカの楽譜を処分することもできなかった私が」
項垂れたゴードンへと駆け寄り、ウソップが煙幕を張る。音符兵への目眩しだ。周囲を警戒しながらも彼は語った。
「おれのオヤジはいつもおれをほったらかしだった。あんたはプリンセス・ウタのそばにいたんだろ?」
「国を滅ぼされても誓いを守るなんて、そうそうできることじゃねェ」
「今この状況ですら、あんたはあの小娘から逃げてねェんだ」
音符兵を蹴り崩したサンジと笑うドフラミンゴが言葉を継ぐ。やっと顔を上げたゴードンを見つめ、ウソップが賛辞を贈った。
「立派だぜ、あんた!」
膝をついて泣き崩れる老人の背を撫で、ナミが顔を上げる。
「ルフィ……」
いつも状況を打開してきた麦わらのルフィ。年若き船長は苦しげな顔で拳を放ち、叫びを上げている。
しかし、拳どころかその叫びすらもウタには届かず、放たれた熱線がルフィを弾き飛ばした。
「いかん!」
飛び出したジンベエがルフィの身体を受け止めるも勢いは減衰しない。
ドフラミンゴは糸の網を放ち、吹き飛んでいく二人を捉えて引き寄せる。
「すまん。世話をかけた」
「フッフッフ、悪いと思うなら痩せろ」
口の端を上げてみせれば、ジンベエもまた男臭い笑みを浮かべた。膝をつくルフィをチョッパーに預け、彼はのそりと立ち上がる。
「厄介な手合いじゃな。闇雲に攻撃していても埒が明かんわい」
肩を回して戦場に戻る義侠の背中を見送り、ドフラミンゴは溜め息を吐いた。
トットムジカとウタは一心同体。対するこちらは海賊や海兵に賞金稼ぎの寄せ集めで、烏合の衆でしかない。
制限時間付きの攻略、さらには現実世界との連携攻撃が必要となるともうお手上げである。
常ならば胸中で毒づいている頃合いだ。
しかし、今この場所において、ドフラミンゴは平静を保っていた。悔しいながら、現実世界にいるローの存在が大きい。
ここを持ち堪えれば、おそらく現実世界側に動きが生じる。それまでは消耗を避けながら盤面を整える必要があった。
糸を振るってゴードンらを守りつつ、ドフラミンゴは前に出る。
「民衆を避けながら戦ってちゃ手狭になる。まずは退避を優先させろ。統率は──」
「コビー、指揮を執って!」
ドフラミンゴの判断を受け、ナミが叫んだ。
「はい! 観客の保護を最優先します!」
呼びかけに応え、コビー大佐が黒の外套を脱ぎ捨てる。
それはまさに観客を守り、世界を救う意志の表れ。ウタから与えられた悪の徴の拒絶であった。
青年将校は迷いなく指示を重ねる。
側衛にフランキーとジンベエ、そしてヘルメッポ少佐とコビー自身。遠距離攻撃型のウソップは後方担当だ。
前衛陣は防御中心と攻撃中心の二層。前者にサンジとブルック、後者にゾロとシャーロット家のオーブン、そしてヴェルゴが割り当てられた。
「堅実だな」
ヴェルゴが呟き、竹竿を構える。
事実、見事な差配だ。見聞色の覇気に秀でているコビーは、状況や各個能力の把握に向いているらしい。
観客の誘導はナミやロビンが担当し、力を奮っている。雲のドーム、連なる腕のアーチを抜けた先、ビッグマム海賊団のブリュレが鏡を構えた。
「避難する奴はこっちだよ!」
彼女を守るべくブルーノやベポ、さらにはサニー号の化身が並ぶ。十全に力を発揮できない状態のためどうにも不安だ。
ドフラミンゴは立ち上がり、避難経路組へと意識を向けた。その動きを察知し、コビーが声を張り上げる。
「チョッパーさんとバルトロメオさんはゴードンさんを守ってください! ドフラミンゴさんは随時遊撃をお願いします!」
共闘経験があるためか、やや大振りな指示だ。しかし、不足はない。ドフラミンゴは口の端を引き上げ、広範囲へと糸を張り巡らせる。
一気に統率された動きを見せる海賊達の中、息を整えるルフィだけが出遅れていた。
幾度拒まれてもなお、青年の目はウタのいた場所を見つめ続ける。
そんな彼へと縋るように、ゴードンが涙を流した。
「ウタの歌声は世界を変える。こんな方法でなくとも人々を幸せにできる。だが、あの子はあの子自身のために歌えない! 誰もあの子を助けてやれなかったんだ!」
トットムジカが放つ熱線に煽られながら、老人は叫ぶ。
「ルフィ君、お願いだ! あの子を一人にしないでほしい! そして、どうか……どうか、あの子を救ってくれ!」
ルフィが自身の指を咥え、息を吹き込んだ。ゴムの身体はたちまちに膨れ上がり、四肢は武装色の覇気を纏い引き締まって黒く染まる。
逆立った髪を波うたせながら、ルフィが答えた。
「当たり前だろ」
ゴムの弾性を駆使し飛び出したその身体は風を切って空を駆ける。断続的に空気を蹴り付けてさらに加速。彗星のごとく炎を纏い、鍵盤の腕を掻い潜った。
ルフィは瞬く間にトットムジカの鼻先へと肉薄し、限界まで縮み撓んだ両腕の一撃が炸裂する。
ぐらり、とトットムジカが揺らいだ。
攻撃が通った。
現実世界と同時だったのだ。
「シャンクス」
ルフィの呟きから現実世界の動きを察知し、ドフラミンゴは辺りを見回した。
目紛しく動く戦場の中、目的の人物は周囲への援護のために必死に駆け回っている。
あれでは視えるものも視えない。
ドフラミンゴは糸を射出し即席の目隠しを編み上げた。
「ゴッド、悪い」
「え? おわあ!?」
放り投げた目隠しがウソップの目元へ巻きつく。ドフラミンゴは彼の背後へ跳躍し、悲鳴を上げて踠くその身体を押さえ込んだ。
「なになになに、何も見えねェ!」
「落ち着け。目玉で見えるものだけに囚われるんじゃねェ」
「そんなこと言ったって……んん?」
暴れていたウソップの肩から余計な力が抜ける。
集中し始めた彼の代わりに“弾糸”を飛ばしていると、突如、ウソップの口元に笑みが浮かんだ。
「視える! オヤジの見てる景色が!」
「上出来だ」
目隠しを解いてやれば、自信に満ちた目が現れた。ウソップが一つ頷き、声を張り上げる。
「ルフィ!」
ウソップの叫びに応え、ルフィが拳を強く握り締めた。噴き上げる蒸気を羽衣のように纏い、彼は檄を入れる。
「野郎ども! 気合い入れろ!」
各個戦線を維持していた者達が皆、一斉に意識を傾けた。コビーが陣形を組み替えるよう指示を飛ばし、全員が攻勢に出る。
ドフラミンゴもまた前線へと駆け出した。
◇
「野郎ども! 気合い入れろ!」
ウタワールド側との共鳴が始まり、現実世界のシャンクスもまた皆へ発破をかけていた。
攻勢の指揮を担うヤソップが叫ぶ。
「手足を止める! 指示に従って仕掛けてくれ! まず右足から落とす!」
即座に反応したベックマンが必中の一撃を見舞う。射出された弾丸はあらゆる妨害を許さずトットムジカの右足に命中。シールドが割れる甲高い音と共に、鍵盤の足が砕け散った。
「次、左腕!」
ルウが巨体を高速回転。その身体は高く跳ね上がり、追って跳躍したホンゴウの追撃により砲弾と化す。
ルウがトットムジカの左腕に直撃、抉り取るように破砕した。
「次、左足だ!」
「おれが行く!」
呼応したのはカタクリ。シャーロット家の増援だ。餅となった右腕が大きく撓み棘を形成。遥か上空まで伸びた拳が武装色の覇気を纏って硬化する。
「妹を返してもらおう!」
カタクリの腕がトットムジカの左足を打ち据えた。覇王色の覇気が迸る中、ガブの放つ追撃が加わり、鍵盤の足が木っ端微塵に砕け散る。
着実にトットムジカを削る連携攻撃の数々。現実世界だけでなく、ウタワールドで共鳴する者あってこその戦果だ。
指示を飛ばすヤソップの顔ときたら生き生きと輝き、そしてなによりも誇らしげだった。
◇
両足を失い、トットムジカの巨体が揺らぐ。
次々と同時攻撃が決まり、ウタワールドでも怒涛の攻勢が続いていた。
「真ん中、右!」
ウソップの指示に従い、チョッパーが空中へ躍り出た。角ばった“
強力な回転蹴りが鍵盤の腕を抉った。
ロビンの放った両手が追撃となって差し込まれる。指の開く様はまさに花。トットムジカの腕は引き裂かれ、霧散した。
「真ん中、左!」
ナミが
一瞬の硬直を見逃さず、神速の斬撃が鍵盤の腕を斬り落とした。
ブルックが納刀すると同時、トットムジカが怨嗟の声を上げる。
声それ自体が衝撃を放つほどの苦鳴。
感覚を研ぎ澄ませていたためだろう、ウソップが苦痛に顔を歪めた。耳を劈かれ呻く彼を嘲笑うように、トットムジカは飛翔する。
「くそォ……まだ動くのかよ!」
よろけたウソップを支え、ドフラミンゴは顔を上げた。
トットムジカの黒翼。
歌姫が悪を名乗ったその証拠。
性懲りもなく踠いたとして、所詮は悪党もどきの救世主。生粋の悪党として、本物との格の違いを見せてやらねばなるまい。
問題は現実世界との同時攻撃だが、あちらの三下悪党とて同じものを感じているはずだ。
言葉などなくとも、世界を違えても、コラソンの約束が互いを繋いでいるのだから。
ペンダントのコインを握りしめ、ドフラミンゴは口の端を上げる。
「あれを落とせばいいんだな?」
撚り合わせるのは糸の束、風を切る音速の鞭。
ドフラミンゴの意図を察知し、前線で補佐に徹していたヴェルゴが飛び出した。
六式を駆使しトットムジカの右翼へと肉薄。武装色の覇気で黒く染まった身体と竹竿が唸りを上げる。
ヴェルゴに合わせ、ドフラミンゴもまた糸を振るった。
超広範囲の射程と威力を誇る“
その一撃がトットムジカの左翼に炸裂する。
◇
現実世界。
両翼を一刀の下に切り伏せられ、魔王が絶叫した。
突如乱入してきた黒衣の男に驚いた様子ながら、ヤソップが口の端を上げる。
「右腕!」
ヤソップの放った弾丸がトットムジカの右腕に着弾。間髪入れずに飛び出したスネイクが二刀を振るい、螺旋を描いて斬撃を加えた。
最後の腕までもを消し飛ばされ、トットムジカが失墜する。
手足と翼をもがれ、地に落ちた魔王。怒りと憎悪に燃えるその目から、幾重もの熱線が放たれた。
赤黒い光が四方八方を駆け巡る。
常人であれば回避不能な死線の嵐を見つめ、シャンクスはただ静かにグリフォンを掲げた。
身体に纏った覇気が立ち上り、刀身に炎が宿る。
「シャンクス! 今だ!」
ヤソップの合図を耳にしたその瞬間、シャンクスは駆け出した。
飛び交う熱線を掻い潜り、鷲のように飛翔する。
トットムジカの中に沈んでしまったウタ。
彼女の気配を感じ、彼女との記憶を辿るうち、シャンクスの意志は覇気となり、その身体を赤く輝かせた。
飛び出したるは魔王の鼻先。
トットムジカを見つめ、シャンクスは愛刀を振り下ろした。
◇
「ルフィ、今だ!」
ウソップの叫びを聞くやいなや、ルフィの左腕が唸りを上げた。
トットムジカが放ち続ける熱線の包囲網をすり抜け、跳弾のように道を変えながら加速していく。
幾度も、幾度も。
その速度にトットムジカが反応できなくなるまで。
そして、ルフィは猛り、右腕を撓める。
「おおおおお!」
左腕に溜め込んだ反動、右腕の弾性。その全てを身体に押し込め、青年の身体が射ち出された。
蒸気を上げて加速し、ルフィの姿は変化していく。
赤から黒、そして白へ。
ルフィは気付いていた。
ウタの左袖、描かれていたその印。
かつてウタにあげた絵。
シャンクスの帽子を模した、二人の新時代のマーク。
二人で願っていた。
二人の形が違っても目指していたかった。
新時代を。
自由を。
解放のドラムが鳴る。
心臓の音。
白き羽衣を纏い、ルフィは魔王に相対する。
それはウタが自らを閉じ込めた檻。
暗い夜の記憶。
全ての因果を撃ち壊すため、ルフィは拳を叩きつけた。