実力至上主義の教室は智を呼ぶ   作:よう実の女装潜入モノが読みたかった人

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梔子の香りと智に

 

 3月半ばには桜が満開だった地元の中学校を卒業し、今はもうすでに散りきってしまった4月初頭の入学式の日。

 私はスクールバッグを左肩に下げながらも東京都高度育成高等学校の校門の前で立ち止まっていた……。

 

 入学することに対して感慨深い……というわけではないの。

 天然石が連結加工されているっぽい校門の前で実際に立ってみると、そこはまるで現世と異界を隔てる境界にも感じてしまって足が竦んだが正解……かな。

 

 何故ならこの学校は全生徒が寮に入ることを義務付けられていて、長期休暇中でさえも学校の敷地内から出る事は叶わず、かなり特例でもない限り外部との面会はおろか連絡すらも禁じられているから。

 

 学校へ受験する時も合格通知が届いた後も正直、嬉しさよりも私が家族から離れることに対する悩みに苦しんだ面の方が大きかった。

 

 自ら犯した罪から逃避した結果として、去年は半年も引きこもり生活をしていた意気地なしな私は本当にやっていけるのかな。

 

 加えて在学中にお母さんがまた倒れてしまったり事故や事件に巻き込まれて死んじゃったりした時はどうしようとか、手の掛かる妹の事、3年も家族と会えない寂しさを含めて考えれば考えるほど思考が弱気な方へ流れていて、最後までこの学校へ進学するかどうかも悩みに悩んで家族へ相談してみればお母さんからはあっさりと──。

 

「帆波の言う通り寂しいのはみんな一緒よ。それにせっかくの進学、就職率100%なんだから、帆波の将来を考えたら絶対に進学するべき」

 

 と言われ、妹からは──。

 

「お姉ちゃんすごーい。周りにも自慢出来るにゃっー」

 

 といった具合に私の悩みはいったいなんだったんだろうと思いつつも賛成2票で議会は成立。そこまで背中を押してもらえるならという事で入学を決断出来たんだけどね。

 

「さすがに、ここまで来ちゃったら今更もう引き返せない……かぁ〜」

 

 自宅へ回れ右をしようとしてもつい最近まで中学生だった私の財布の中には千円ちょっとの現金しかない。

 徒歩で帰れば別だけど、遠すぎてそれはほぼ無理。

 学校で支給されるスマートフォンがあるから、持っていた携帯も家で引きこもりをはじめたタイミングで解約しちゃったし、公衆電話ぐらいしか連絡手段が無いんだよね。

 だからといって電話して迎えに来てもらう? それはさすがに恥ずかし過ぎるし、妹からの尊敬とかも地の底まで落っこちて一生ネタにされるよ〜。

 

 ……それはさすがに嫌だなあ。

 

 そこまで考えちゃえばあっさりと覚悟が決まって、さっきまで重かった足が途端に軽くなり、すんなりと校門をくぐり抜けることが出来た。

 ずっと後ろ向きなイメージが湧いていたけど、いざその境界を越えてみると不思議なことに気持ちがすっごく軽くなって高校生活が楽しみになっている自分へと変わってきた事を自覚してくる。

 

 こんなにも弱気になってたのはやっぱり半年くらい引きこもってしまったのが原因かもしれない。

 

 私にとって学校に通う事は……楽しいことだったもんねっ! 

 

 そうやって気持ちが前向きになると次第に頭の中でアイディアが次々と芽生え始める。

 教室には早めに入っておいてからクラスメイトと積極的に交流を図ろうとか、自由時間になったら自ら率先して自己紹介の場を設けようとか、自己紹介ではどういう風に話そうかなっ。なんて。

 みんなで一緒に勉強やらスポーツを頑張って、将来的には好きな人ができちゃったりして……? 

 きゃーーー!? さすがにそれはまだ恥ずかしいかにゃっ! 

 

 なーんて私がアイディアを纏めていると。

 

「ごきげんよう」

 

 愛嬌があり淀みなく聞き取り易い声とあまり耳馴染みのない言葉に反応した私は声がした方へ振り向く。

 

 そこには、指先は長くしなやかで爪先も美しく整えてあり、えんじ色のブレザーの慎ましやかな胸元には紺色のリボンタイが結ばれ、私を含めた周囲の女の子に比べると珍しくひざの丈まである長めの白い制服のプリーツスカートを優雅に穿いていて……。

 腰の辺りまで伸びた艶のあるブラウンの髪の毛一本一本が春の優しい風にまかせて靡かせている姿はまるでどこかのお城から飛び出してきたのか、儚げなお姫様のような柔らかい微笑みを浮かべる口角。

 その唇はちょっとした妖艶さもあり、ブラウンダイヤモンドの輝きを放つふたつの大きな瞳と、きめ細やかな肌は美の結晶ともいえるような女の子に何かを。

 

 たぶん何かをされたんだと思う。うん、きっとそう。だって──。

 

 日本を代表するラヴソングの有名なサビのフレーズが再生されると同時にたった一瞬で、私の心臓の鼓動は破裂しそうな一拍を奏でたのだから。

 

 心を鷲掴みにされる感覚ってこういうことなんだ〜。

 と、心臓は緊急事態を訴えているにも関わらず何処か充足する気持ちが湧いて、さっきまで考えてた事や決意は全部どこかへ吹っ飛んで頭の中は真っ白になっちゃって。

 

 その真っ白くされたキャンバスには彼女をモチーフとした絵画が頭に深く強く刻まれ、たとえ瞼を閉じても消えない。

 

 むしろどんどん頭の中の彼女が勝手に美化されていってる気さえする。

 

 だって想像の中ではもうすでに、彼女を中心に桜が咲き誇って花びらも舞い上がっているんだよ!?

 いつの間にか風景も青空の下で場所もお花畑の真ん中に変わってるんだけど!?

 現実はどこにもそんな光景なんて存在しないのに……! 

 

 咄嗟の事だったから彼女の言葉に併せて「ごきげんよう」と返したのか「おはよう」と返せたのかもわからないしあんまり覚えてないけど、顔や耳や首周りを手で触るとすっごく熱くなっている事は分かる。

 ただの挨拶でそんな心臓が飛び跳ねる事なんて今までの人生で一度も無かったから思考や感情が追いつかないし、ついさっきの事を思い出すと表情筋が緩んでいるような気さえする。

 あの子が幻想的に美しくて可憐ってのもそう。

 

 女の子を相手にそんな気持ちを持つなんておかしいと冷静に囁いている私。

 小説や漫画のように運命的な出会いをしてしまうなんてっ! と乙女回路全開でラッパを吹いている私。

 さっきの子と同じクラスになれるといいなぁと至って普通の感性で考えている私が居て頭の中はしっちゃかめっちゃかで、はちゃめちゃが押し寄せていて思考は纏まらず混乱していて、胸を押さえると未だドキドキが止まらない。

 そんなことありえないと否定したい気持ちもある。

 

 だって、だって、相手は女の子で! それもひと目見ただけなんだよっ!? 

 

 女の子相手にこんなにも強く焦がれる程の感情は初めてで戸惑いが隠せない。いや、男の子相手でも感じたことがないこの感情。

 ちょっと切ないような感覚があるけど、今までの人生で感じたことのない暖かさにじんわりと満たされている気分もあって、家族にも持ったことのない感情で。

 この恥ずかしくてむず痒くてぽかぽかするこの気持ちは……まさか本当に……? でもそんな事って。

 

 

 ──あの女の子に私の心は……奪われちゃったの……? 

 

 

 心臓が一拍、大きく跳ねた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 あれからずーっと頭の中は彼女の事しか考えられなくなっていて、ふわふわ〜っとしたまま人の流れに沿って校舎に入り、それぞれの教室へ別れていく人を見たタイミングで自身に割り当てられたクラスが分からないことに初めて気がついた。

 

 そこで初めて時間を確認すると洒落にならないほど不味い時間になっていて、ふわふわした感覚も一気に吹き飛んだ。

 その後に慌てて張り出されている掲示板まで走って自分の名前を確認し、Bクラスの教室の後ろ扉から教室内へ入る頃には遅刻ギリギリになっていた……というほど。

 

 ゼーゼーと荒く息を吐き、本気で遅刻するところだったと思いながら周囲を見渡すと廊下に最も近い列で前から2番目しか空席が残っていない。たぶんそれが私の席だろうと判断して向かう。

 多分最後に勢い付けて教室に入ったからか注目を浴びている気もするけど、それは仕方ないことだと切り替える。

 

「あそこの顔面偏差値エグくね?」

 

 微かな男子の声を耳で拾ったけど、どういう事? 

 そう思いながら空席の方。具体的にはそのひとつ後ろへ目をやると──。

 

「……っ!?」

 

 私の心を奪ったあの女の子と目が合った。

 

 あるはずがないと分かりきっているのに視界の端っこから大小様々でいろんな花がいっぱい咲き誇り始めている。

 こちらへ見返る姿も絵画のようで、美の結晶のようなあの子のブラウンダイヤモンドの瞳に吸い込まれそう。

 そんな極限状態へいきなり追い詰められて心臓が飛び出そうになりながらも声を抑えることが出来た自分を褒めたい。

 でもひとつだけ良い? 

 

 同じクラスなだけでも幸運なのに、席がっ!? 真後ろ!?!? 

 すっっっごく嬉しすぎて、うわー! わー! わぁー!!? 

 

 喜びからぴょんぴょんと飛び跳ねたい衝動を必死で抑えた。

 そのあまりの嬉しさで……なんというか、美味しくて甘い物を食べた時の感覚を強烈に感じて頭が蕩けそう(幸せいっぱい)になる。

 

 多大な精神力を使って無理矢理、彼女の瞳から目を逸らすと自分の席と思わしき場所にはネームプレートが置いてあって『一之瀬(いちのせ)帆波(ほなみ)と書かれていたから、そこが自分の席である事は間違いないし男子の列と女子の列で分けられていることから出席番号順で並べられた席ではないことにも今更気がついた。

 

 さっきと違って、なんとかギリギリで思考を回せている。

 理性を振り絞ってでも入学式を乗り切らなきゃと思い、落ち着きを取り戻す為にも深呼吸をひとつ行う。

 

 ねえ、ちょっと! すっごく良い匂いがしちゃってるんだけどっ! こんなの私、すぐダメになっちゃうよ〜……っ!

 

 息を吸い込むと爽やかなのに上品で甘くて優しい──梔子(くちなし)のような香りが私の鼻腔を急襲すると同時に頭がくらくらして、気分の更なる高揚感と身体の火照りを感じた。

 本来なら気分が落ち着くような香りなんだけど、彼女のイメージとピッタリあった匂いで思わず胸がきゅんきゅんする。

 でもなんとかスクールバッグは机の横にぶら下げることが出来た。でもそれが至って自然な動作だったのかは全く自信がない。

 

 頑張って彼女から意識から外そうとしても梔子の残り香に囚われてしまった私はすぐ後ろの存在から逃れられなくて、心臓が破裂しちゃいそうなくらい鼓動が大きくなっているのが分かるし、足腰がふにゃふにゃになってしまいそうだなんて、本当にそういう事なのかもしれないと思う。

 

 あんまり足腰に力が入らないまま着席して、顔を隠すようにして手を当てるとやっぱり熱くなっていた。でもそれは走ってきたからという言い訳が立つからたぶん大丈夫だと思うけれど、もう思考のほとんどが彼女のことしか考えられなくなっちゃってる。

 

 うん……やっぱり、間違いない……かな。

 私、どこかおかしくなっちゃったけど本当にこの女の子の事が……。

 

 チャイムが鳴ったことで周囲からも少し緊張感が漂ってきた。

 そんな緊張感とは裏腹に入室した女性の教師からは当たり前だけど、視界に花は咲いておらず私の心臓にも優しく、如何にもゆるふわ〜な感じの人で助かったと思う。

 

「新入生のみなさん、入学おめでとうございま〜す。私はこのBクラスを担当することになりました星之宮(ほしのみや) 知恵(ちえ)です! これからよろしくね〜」

 

 軽快に先生の名前がチョークで板書されているのを眺めつつも、机に肘を預けて熱くなってる顔を手で覆い隠しながら密かに深呼吸を繰り返すけれど、全く落ち着かない。

 先生が何か喋っているのは分かる。でもやっぱり背後の存在が気になりすぎて内容が全然頭に入ってこないよ〜っ!? 

 

「──この学校のルールについて説明するね。合格発表の時に送った内容と一緒の資料だけどねぇ〜」

 

 星之宮先生が束のプリントをペラペラと数枚ずつ仕分けている姿が目に入った。

 ものすっごく嫌な予感がひしひしと伝わる。

 

「資料を前から配っていくから、後ろの席の子に回して上げてね〜」

 

 待って! まだダメだって! 心の準備が出来てないからっ! 

 

 そんな私の心の叫びは虚しくプリントが配られ、すぐに前の席の子からプリントが渡される。習慣とも言える動きでそれを受け取って一枚自分の手元に残す。

 そう、あとは残りのプリントを回すだけ。

 なるべく背後を見ないようにそっと後ろに回すとプリントが指から離れていった。プリントを後ろに回すだけなのに一仕事終えたような疲労感が身体に伝わりつつもホッと一息ついた──。

 

 ──へくちゅ! 

 

 にゃっ!? もう何もかも、ずるいくらいに可愛い過ぎるんだけどーっ! こんなの不意打ち過ぎて無理無理無理っ……! このままじゃ私……っ!? 

 

 鋭敏になった聴覚で背後からの音を捉えてしまった瞬間、私の身体に電流が走った。その原因はただのくしゃみ。

 でもそれがモデルをすれば名画に仕上がってしまう容姿の女の子が、愛嬌のある声も合わさって一瞬でいろんな想像が駆け巡り、余計にギャップで可愛らしく感じてしまう自分の感性に問題があって……もうなにかと振り回されすぎて限界だった。

 

 つい半年前までは引きこもり生活をしていて、今日の朝は家族としばらくのお別れに寂しさを感じながら校門を抜けた先では新生活の期待と不安もあって、その直後には感情を大きく揺さぶるほどに気になる女の子との出会いと梔子の香りを添えた早すぎる再会、トドメを刺すのは可愛いくしゃみ。

 今日から高校生になったばかりの私には感情の揺れ幅が大きすぎて受け止めきれなかった。だからそれが起こるのも必然だったわけで。

 

 机に広げてあったプリントがポタポタと赤く染まってゆく。鼻腔を指で軽く触ると血がついていたけど、そんなことすら気にならないくらいにはどこか頭がふわふわして、視界は白く耳もどこか変な感じ。

 少し顔を上げると、資料を配り終えたであろう星之宮先生とつい目が合ってしまう。さっきまで楽しそうにしていた先生は一瞬で表情を強張らせていたかもしれない。

 先生の声がどこか遠くに聞こえた。先生が心配して駆け寄ってくれているのは分かるけれど、なんか現実じゃないような気もする……。

 

 足腰の感覚はやっぱり蕩けちゃってたけど、いよいよ上半身もダメみたいでどこにも力が入らない。

 ああ、やっぱりムリかぁ……入学初日の大事な日なのに、大失敗してるなぁ……。

 こんな恥ずかしくて情けない姿は後ろの席に座る彼女にも見せたくなかったんだけどね……。

 

 梔子の優しさが私の身体を力強く包み込んでいた。

 お姫様みたいな女の子のハズなのにまるで白馬に乗った王子様のような力強さと私の全てを委ねてしまえそうな安心感があって、美しく整った顔立ちとふたつのブラウンダイヤモンドの瞳で私を心配そうに覗いている。

 やっぱり、この女の子は私の全て塗り替えてしまうくらい魅力的だなあ。

 私がこんな目にあっているのは全部あなたのせいなのに。

 でも、知れば知るほど深みに嵌って、もっともっと好きになってしまうのかな? 多分それは幸せで良い事だよね? 

 

 ──僕らは呪われている。みんな僕らに呪われている。

 

 何故かそんなフレーズがよぎった。でも、こんなに可愛いらしい呪いなら喜んで受け入れるよ。

 相手が女の子でも構わない。だって、だって──。

 

 ──呪われちゃったみたい(恋しちゃったんだもん)! 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 目を開けるとそこは知らない天井。私はベッドで横になっていて身体には布団がかけられていて、消毒液や薬品の匂いが染み込んだような匂いがする。

 たしか、先生が入学に関する資料を配っていて……途中でふわふわしてから……。

 

「気がついた?」

「ひゃいっ!」

 

 愛嬌のあるあの声が耳に届く。

 ギギギっと目線を横へずらすと朝からずっとドキドキするくらい、私がす……好きになっちゃった女の子がそこにいて、息を吸うと仄かに梔子の優しい香りを嗅ぎ取った。

 

「なんだか、朝から体調悪そうだったし、緊張もあったもんね。一之瀬さんが教室に入ってきたときからずっとヒヤヒヤしていたよ」

 

 ちょっとだけ心配そうな顔をしてくれているけれど、やっぱりこの子の声と暴力的な可愛さは心臓に悪すぎるよ〜っ! 

 

「にゃはは……そ、そんなことは……ないと思うけど……にゃっ」

「手と足が一緒に出てたけど、気づいてなかったんだ……」

 

 ウソでしょ……。やけに注目を浴びていたと思ったらそういうこと? 

 他の人から見たら完全にポンコツ晒しすぎて、残念な人になってるんじゃ……? 

 

「それにしても、”にゃっ”って……かわいっ」

 

 あばばばばばばばばっ……! 好きな人に可愛いって言われた! 可愛いって言われちゃったっ! 

 ものすっっっごく嬉しいんだけどっ! わーっ! もう、このままだとまた気が飛んでっちゃうからっ! 

 だめだめだめ。早く話題を……なんでもいいから話題を捻り出さないと! 

 

「えっと、その、ありがとう。倒れる前に私を支えてくれたんだよね? それはなんとなく覚えてるんだ〜」

「そうだったんだ。ちょっと嫌な予感もしていたし、もしかしたらと思って注意はしてたよ……」

「あはは……それは心配をかけちゃってたみたいでごめんね〜」

「本当に無事で済んで良かったよ。それに星乃宮先生の話では、どうやら僕たちは3年間同じクラスらしいからね。ここはひとつお互い様ということで」 

 

 フェミニンな印象のある彼女からさらっと自然に出てきた「僕」という男の子な要素に、ふと身体を抱きしめられた力強さを思い出す。

 それだけで胸がきゅんきゅんして本当に私、恋してるんだ〜って思うと気恥ずかしさで同時に頭も沸騰しちゃいそう。

 

「ああ、それと入学式はもう終わっちゃって、今日のところはみんな解散したよ」

「そっか……仕方ないとはいえ、参加してみたかったんだけどなぁ〜」

「そう? べつに大したことなかったよ? 日本政府が力を入れてる学校だからちょっと期待を上げ過ぎていた面はあるけど、特筆すべき点はなかったかな。僕は保健室で休んでた方が正解だと思ったけど」

「えぇー? でもなぁ……」

「まあまあ。過ぎたことはもうどうしようもないから……。そんなことより、僕はコレを渡そうと思って待ってたんだ」

 

 彼女の制服のポケットから出てきたのは1台のスマートフォンと充電器、前髪が若干目に掛かっている私の顔写真つきの学生証。

 

 それを見た私は布団から身体を上半身だけ起こしたけど、妙に収まりが悪かったので転がっていた枕をぎゅっと抱きしめる。

 ただ単に中学の保健室の枕が固かったからかもしれないけど、保健室にある枕としてはやけに柔らかい気がした。

 

 身体を起こしている時も彼女から心配の声を掛けられて、特に今は異常が無さそうなので大丈夫と制する。そのちょっとした気遣いもきめ細やかで、同じ女の子としての差を見せつけられてしまって少し見習わなくてはと思ったほど。

 

「本当は、星乃宮先生から一之瀬さんに直接手渡しをしないと駄目なやつなんだけど、先生も多忙らしくてね。本来なら入学式前に渡されるはずだったものだし、ハプニングもあったから今回は特例で預からせてもらってたんだよ。一応先生も20分くらい前まではここに居たんだけど、どうしても都合が合わなくてね」

「そうだったんだ〜。ごめんね、わざわざ」

「いいよ別に。それに僕も先生に対して改めて質問をする口実も作れたからね」

 

 受け取ったスマートフォンの電源を入れてから近くに放置して、ポリ塩化ビニル製で作られたカード型の学生証を確認する。

 顔写真の横には上から順に、私の学籍番号、氏名、生年月日、高度育成高等学校の文字列が並んでいる。裏面には黒い線とICチップが埋め込まれて、再発行ができないこととか、譲渡することが出来ないとか、卒業等で在籍資格を失った場合は速やかに返却することなどが記載されていた。

 

「その学生証、クレジットカードの代わりなんだって」

「へえ〜……じゃあこの黒い線は磁気なんだね〜」

「ちなみに中身は10万円分のポイントが入ってるよ。1ポイント1円だって」

「え? じゅ……じゅう、まん……えん?」

 

 一瞬、学生証を落としそうになった。

 お年玉で換算するといったい何年分……? 

 

「まあ、ポンと渡されたら驚くよね……」

「いや、いやいや……だって10万だよっ? それに私の家ってあまり裕福じゃなかったから、余計に格差を感じるというか……その〜……」

 

 10万円にあまり驚いていない彼女に対して、キミって呼ぶのかあなたと呼ぶのか一瞬だけ悩んだけど、どちらもしっくりこない。

 にゃっ! そういえば名前をまだ聞いてないや!? 恩人でもあるのにっ! 

 

「あれれ……っ? そういえば、名前をまだ聞いてなかったような……?」

 

 さりげない感じを出せたかな? いざ名前を聞こうとすると緊張で少しだけ声が震えたかもしれない。

 でも私の名前だけ知られているのは不公平だし、その、ね? す、すっ……好きにゃ人の名前はやっぱり知りたいし……。

 

 何故か少しだけ何かを考えているような表情だけど彼女は私の気持ちには多分、気づいてない……よね? 

 まあ、向こうからすればまさかという思いもあるだろうし、普通は気付かない方が正しいよね? お、女の子同士ってのもあるし。

 相手は男の子の方が好きってことも……というか、そっちの方が普通か。実際に昨日までは私もそっちだと思ってたんだもん。

 

 ということは……。あっ、ダメダメダメっ!

 私の好意に気付かれてしまったら絶対に気まずいし、普通に男の子の方が好きって知っちゃうのも辛い。

 わー、どうしようどうしよう。めっちゃ大変だっ!

 それとなく好意を伝えて、恋愛的な意味で好きになってもらうって絶対に難しいでしょっ!? 

 

 それにしても本当に彼女は何を考えてるんだろう……?

 名前を聞いただけだよね?

 別に変なことは口走ってないと思うけど不安になって枕を強く抱いてしまう。

 

「…………ああ、そういえば僕の方はハプニングもあったから知ってたけど、そっか。確かに一之瀬さんはまだ知らないよね」

 

 あ〜良かった〜どうやら記憶を探ってただけだったみたい。

 それにしても好きな人の前で相手をするってこんなに大変なんだ……。私、友達から恋愛相談をされたけど今振り返れば見当違いな意見を喋っていたかもしれない。

 

 そして美しくて可憐な彼女が私だけを見てくれていると考えると胸の奥から熱いものが湧き上がる。

 それに名前をつけるとすれば多分、好き……という感情かも。

 

 彼女は少し姿勢を正して、制服の胸ポケットからはスッと綺麗な人差し指と中指で挟んで自らの学生証を取り出すスマートな仕草を魅せた。

 

 ボーイッシュさも持ち合わせているなんて私は聞いてない。

 もう何をしていてもずるいよ〜。あと何度私をときめかせれば気が済むの? 好きっていう気持ちが止め処なく溢れて来て止まらないよ〜っ……!

 

「では改めまして、僕の名前は和久津智。一之瀬さんとは席の前後という関係だけど、これどういう順番で席が決まったんだろうね? ”い”と”わ”じゃかなり違うと思うんだけど……まあこの話はどうでもいっか。とりあえず、よろしくお願いしますね」

「私は、一之瀬帆波です。もうすでによろしくされてますけど、されてますけど! こちらこそ改めてよろしくお願いしますっ!」

 

 私は思いっきり何度も頭を上下させて挨拶を交わした。

 私のその姿に苦笑している彼女を見て、更に恥ずかしさの感情が襲ってくるけど、もうなんかそれくらいやらないと私の気が済まないんだって! 

 

 そんなわけで彼女の名前は──和久津(わくつ)(とも)さん。

 私が好きになってしまった女の子の名前で、学生証の記載によると誕生日は2月23日。

 にゃっ、心のスケジュール帳にはハートマークをたくさんつけちゃおっと。

 

 でも、名前で呼ぶのはさすがにまだ恥ずかしいかにゃっ! だって私がその名前で呼んだら、あっちも帆波って呼ぶわけでしょ? 無理無理っ! そんな事になったらまた鼻血出しちゃうよ!? 

 だからしばらくは和久津さんと呼ぶことにするね。

 

「そういえば、和久津さんは10万ポイントを渡されても驚いてないんだ〜」

「僕はどちらかというと困惑のほうが強かったかな。一応、先生はこの学校に入学できただけでそれだけの価値があるって言ってたんだけど──」

 

 その後に和久津さんの口から語られたのは、実力で生徒を測る学校である事、ポイントで敷地内にあるすべての施設の利用が可能で毎月1日にポイントが振り込まれる事。

 すべての新入生に10万ポイントずつ平等に支給されていて、それは現金化が出来ず、卒業時にポイントは全て回収されるから貯め込んでも無駄であるとのことだった。

 

「で、一応、ここまでは先生の話を要約した話だけど……これは表向きの話」

「うにゃ? 表向き?」

「敷地内にあるものならなんでも買える。買えないものはないって聞くと、一之瀬さんは何を思い浮かべる?」

「んー……そうだなぁ〜……スーパーやコンビニでの買い物や敷地内には映画館とかもあるんだよねぇ、確か。そういうサービスにも使えるって事だよねぇ〜?」

「うん。他には何か思いつく?」

 

 なんだか、なぞなぞを問われている気分。

 長くなった前髪を指で払いながら、ぽわぽわしてすでに半分くらいは蕩けちゃってる頭で考えてみたけれど答えは出なかった。

 

「うーん……今すぐには思い当たらない、かなぁ〜?」

「まあ、思いつかなくても仕方ないと思うけど、僕は冗談半分で先生に風邪を引いて授業を欠席した時は幾らで出席に出来るのか聞いてみたんだ」

「なんか、買収してるみたいな感じだね……」

「買えないものはないという触れ込みだったからさ。僕も本当に興味本位で聞いただけだよ? それでも1回の授業につき1500ポイントだってすぐに答えが帰ってきたから過去にも同じ事をした人がいるという証明にもなる。まあ、あくまで手段のひとつとして使えるって感じなんだけどね」

 

 言われてみれば言葉の通り、確かに敷地内にあるものだね〜。

 ポイントを用意出来さえすれば……あとは幾らでも応用が効く手段でもあるね、確かに。

 

「その話って、クラスの人も知ってるのかな?」

「どうだろう。そこまで考えが回ったとしてもさすがに確証を持てるほどではないと思うけど。僕はたまたま先生と話す機会があったから聞いただけだしね」

「他の人には教えてあげないの?」

「聞かれたら僕も答えるけど……大っぴらに教師を買収することが出来ますよって言える?」

「うーん……言えないかな〜。あくまで困ってたらそういう手もあるよって伝えるだけだねえ〜」

 

 あれ? じゃあなんで私にはそれを教えてくれたんだろう? 

 ふと疑問に思い、それをそのままぶつけた。

 

「同じクラスで席の前後の関係だからってのもあるけど……」

 

 和久津さんは少しだけ考える素振りを見せ、誰かと小声でナイショ話をするように私の耳元へ顔を近づけた。

 

「一之瀬さんは可愛いからね。ちょっとだけサービスしちゃったんだ」

 

 んにゃぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁっっ!?!?!?!?!? 

 唐突にっ! そういうことをするのは反則だってっ! 絶対に私の反応を見て遊んでるでしょ!? 

 もうっ、もうっ、もうっ! ほんとにずるいんだからっ! 

 でもでもぉ〜。和久津さんに可愛いって言われちゃった! また可愛いって言ってもらっちゃったっ! 

 

 和久津さんの甘く蕩けるような囁き声がリピートされるたびに頭の中に広がって耳と心の中は幸福感で満たされていた。

 すでに視界は枕の中に沈んでいて、想像の中の妹に「今日のお姉ちゃんチョロすぎない?」と呆れられている姿が何故か思い浮かんだ。

 

 ち、違うよ……? 今までこういった経験が無かったから戸惑ってるだけだよ? 

 

「ごめんごめん。僕もからかいが過ぎたよ。まさかそこまで反応するとは僕も思わなかったんだ」

「もーっ! 心臓に悪すぎるよ〜っ!」

「そう? 一之瀬さんって普通に顔もそうだし、スタイルも良いのにそういう事言われた事ないの?」

「うーん……あまり気にした事なかったかも……?」

「えーっ……? そんなことある?」

「あるよっ!」

 

 そんなやり取りをした後、和久津さんは「少しお花を摘みに行ってきます」と言い残して彼女の気配が去った事を確認した私は自分の感情を吐き出すように本能の赴くまま保健室のベッドの上で左右に転げ回り、足もバタバタさせる。

 緊張と恥ずかしさ、嬉しさと幸福感で全身が既に蕩けていた。私のほうが一方的に好きになっていて、今なら和久津さんになんでもあげてしまいそうなほど。「ポイント全部頂戴」って耳元で甘く囁かれたら多分、全部喜んで渡してしまうかもしれない。

 

 想像の中のお母さんから「この子、チョロ過ぎて将来が心配になるわ……」とため息混じりに呆れられている姿が思い浮かんだ。

 

 ち、違うよ……? べ、別にチョロくないよ……? 入学初日でちょっとはしゃいじゃっただけだよ? 

 

 ベッドの上でゴロゴロして身体を動かしたからか、上気していた頭が冷めてくると視野がだんだんと広がって現状が把握できるようになってきて、保険医の先生が使っている机の上には私のスクールバッグが目についた。

 

 そうだよっ! 和久津さんが私のことを好きになってもらって振り向いてもらえるようにならないと駄目なんだって! 

 しかも、私と女の子同士での恋愛に抵抗が無くなるくらいにまで! 

 

 もう、こんな考えが普通に思い浮かんでいる時点で家族に顔向け出来ない気もするけど、それだけ私にとっては運命的な出会い方だったし、もう何も考えられないくらい好きになっちゃったんだもん! 恋する気持ちが全く抑えきれないんだって!

 それに声と容姿や仕草がタイプで出会い方もそうだし、同じクラスで席が前後の関係だよ? これは絶対に運命の人だって言い切れるね〜っ。

 にゃはっ……もう好きすぎて色んな妄想が勝手に広がっちゃう。あーんなことやこんなこと一緒に出来たら楽しいだろうな〜……とは思うんだけど。

 

 でも、まだ知り合って半日ぐらいで分かったことはあまりに少ない。

 幸い、私のことを可愛いって思ってくれているのは確かだから悪い印象は持たれていない……よね?

 

 言い回し方も時々育ちに違いを感じる。

 ごく自然に「お花を摘みに行ってきます」なんて言葉が出てくる相手だよ? 私なら普通に「お手洗いに行ってきます」で済ませる場面なのに。

 ……ん? 朝の挨拶はごきげんようで、所作は丁寧。そしてお手洗いには、お花を摘みに行ってきます──? 

 

 もしかして和久津さんが通っていたのは私立の『お嬢様学校』のような場所じゃないかにゃ〜っ? 

 エスカレーター式の学校だったけど、外部進学で高度育成高等学校を選んだとか? 

 偏見だけど、女の子同士の恋愛に抵抗が無さそうな気はするかな。

 言動を思い出せばむしろ手慣れているかもしれないけれど、共学になったことで男の子に興味を抱く可能性は十分に考え得る……。

 

 いや、一般的にはそっちが正解なんだけど、私がそういった(女の子同士の)恋愛をする覚悟を決めたのにも関わらず男の子に興味を持っちゃうなんて許されないよね?

 もちろん他の女の子も警戒対象ではあるけれど、女の子相手だったらまだ納得でき……ないです。やっぱやだ。絶対、誰にも渡したくない。

 

 でも束縛して嫌われて距離を離されるという結果が一番……怖い。それは本気で頭が真っ白になって胸が張り裂けそう。

 中学の頃の友達も言ってたけど、好きになった方が負けというのは本当だなあ〜。

 とはいえど、情報を集めないと何も出来ない。まずはそこからにはなるけれども、まずはお友達からという言葉もある通り連絡先の交換は必須だよね。

 例えば、クラスでリーダーシップを発揮して私の有用性をアピールするとか? もう既にポンコツ晒してるけど、本来コレは最初からそうしようと思っていたことだから一石二鳥にもなるけれど……なによりも。

 

「和久津さんには絶対に私のことを好きになってもらうんだからっ!」

 

 決意を新たにするため敢えて声を出した。

 罪悪感を振り払う為にクラスを主導しようとした時よりもモチベーションが全く違うことに気がつく。

 好きな人に振り向いてもらう為というかなり不純な気持ちもあるけれど、もし和久津さんがクラスを主導する立場に収まるのであれば私はそれを補佐する立場でも良いとは思ってる……けど。

 

 やっぱり、和久津さんの事を知らないとどういった感じで行動を起こせば良いのか難しいところだなぁ……。

 

 そこまで思考を回すと保健室の扉を3回ノックする音が聞こえた。私は身体を起こしてベッドの上で腰掛けるようにして入室を促す。

 

 すると和久津さんの隣には、シルバーのミディアム・ロングヘアでその頭の上にはリボンが付いた黒のベレー帽を被り、つり目の瞳からはどこか自信を伺わせる表情と美白な肌。

 脚にはガーターベルトがついた白のストッキングを穿いていて、なによりも特徴的なのは片手に杖を持っている小柄で可愛らしい女の子が立っていた。

 

 んにゃぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁっっ!?!?!?!?!? 

 思ってたそばから、もうすでに別の女の子連れて来てるっ!?

 





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