実力至上主義の教室は智を呼ぶ 作:よう実の女装潜入モノが読みたかった人
この学校は一度入学を果たしてしまえば、卒業まで一切出ることが出来ない決まりになっている。
では、学校を離れた生徒たちは日常生活をどう過ごすのか。
この学校を作った誰かというのは覚える気もないが、そのあまりある税金を惜しげもなく投入して学校を中心とした小さなひとつの街を形成してしまったのだ!
──ケヤキモール。
そう呼称されているショッピングモールあるいはその付近では、生徒たちが苦労しないように数多くの商業施設が充実していて、スーパーやコンビニ、ドラッグストアのような生活必需品を売っている店は当然のようにあるし、私服を販売するブティックやアパレルショップ、セレクトショップはもちろん遊戯施設としてカラオケや映画館、カフェ、ゲームセンターなどが出店しているらしい。
如何に全ての生徒に対してポイントを支給しているとはいえ、教職員を含めてもお店は間違いなく赤字だろう。何故なら人件費やら維持費やらに対して、業種によっては開店休業状態も考えられるから補助金は出ていると思う。
誘致に関して言えば白とは言い難い何かがあるはずだ。
またひとつ日本社会の闇を見つけ出した気になっている僕は現在、制服も一緒に取り扱うブティックのひとつへ向かっていて……。
「やっぱり無理してたんだ……」
有栖と一之瀬さんは今、穿いているスカートの丈が気になっていたっ!
「この制服に初めて袖を通した時、特にスカートが気に入っていましたが……」
「うんうん、だよねだよね! 私も可愛いなぁー、って思ってたんだけど……」
「でも、いくら可愛いからって限度があると思うよ!?」
少し風が吹けばスカートの裾からショーツが見えてしまうほどの短さである。
まあ、一之瀬さんは百歩譲って両手が使えるからまだ良いと思う。最悪、手で隠せるし。
「お父様に褒められて、そのまま……」
「にゃはは……可愛いものは、うん。仕方ないもんね〜」
一之瀬さんが今日出会ったばかりの有栖に対して距離感を掴みながらフォローを入れていた。まあ、それを言うなら僕もその最中ではあるけど、彼女も割と謎が多い。
入学式前には緊張してのぼせるほど体調を崩してぶっ倒れてたにも関わらず、道中では
コミュニケーション能力に関しては問題ないと思うのになんでぶっ倒れたのか僕は少々不思議に感じているが、今その話は置いておこう。
「いえ、ですが計算上は問題ありませんよ……?」
「その言い訳は非常に苦しくないかい? なんかまだ動揺してる気もするけど」
「言い訳ではありません。良いですか? 今回は少々、気象条件がですね──」
それにしてもこの人、本当に天才なんだろうか。頭が回り過ぎているせいか知らないけど、常識で考えればすぐ解ることに対してけっこう疎かになるんだよなぁ。そこが絶妙な魅力と言えば魅力なんだと思うけどさ。
入学式直前にもスカートの長さ論争をしてたけれど、どっちも折れることはなかった。入学式では確かに周りはみんなマイクロミニスカートを穿く流行の最先端を走っていて、僕だけ裾がひざ丈まである野暮ったいスカートだったよ、気にはしなかったけど。
でもね、前の学校はスカート丈が長かったからすっぽり抜けていたのかも知れないけれど貴女に関しては、片手は常に杖を突かないと歩けないんですよ? 分かります?
「智さん、ちゃんと私の話を聞いていますか?」
「ガーターベルトでなんとなく察していたけど、やっぱり白だったね」
「どうしてそれを言っちゃうの!?」
有栖がおかしな主張を繰り返しているのはおそらく動揺しているからだろう。一之瀬さんの気遣いを無駄にするのは承知の上で僕はトドメを刺すことにした。
ちなみに、一陣の風が吹いて無防備に晒されてしまった有栖の白色な景色を見てしまった一之瀬さんも自分のスカートの不具合は理解したらしいけど、その一方で無防備になった有栖は……うん、ドンマイとしか。それに見られたのも多分数人くらいだけだよ。
「まあ、自身の置かれた状況を正しく理解してくれただけでも良かったよ」
この学校の女子はみんな貞淑という概念が壊れたか無くなったのかと思っていたけど、さすがに思い出してもらえたようだ。
そして、この学校でスカートの丈が短くなっていったのはもしかすると理事長の影響が強いのかもしれないけれど、自分の性的嗜好のせいで娘の
お店に入って事情を話すと、マイクロミニ丈に近かったスカートから裾を長くしたスカートを5000ポイント支払って交換……という形ではあるものの、すぐに用意出来ることの方が驚きだ。お店の奥の方から出てきた移動式のハンガーラックには制服の白いスカートが詰めて吊られており、文字通りの意味で『買えないものはない』がそこにあった。
てっきり買い直しになるかと思っていたし、制服のスカートって布の材質が良いから結構高いんだよね。
交換が可能である事を知った二人はそこから何点かスカートを手に取り、試着室の中へ消えてからは待ちぼうけを食らっている僕がここにいる。
「どう、かな〜っ!?」
試着室から出てきた一之瀬さんを見た。僕と同じスカート丈を穿いていたけれど、似合うかどうかで言われたらかなり違う気がした。
姿勢の問題もあると思うけれど立ち姿が、前方に
「それくらいがちょうど良いんじゃない?」
よって、遠回しな感想を述べた。
「えっと、そうじゃなくって、その〜……」
「……生活する上で困ってるならそっちのほうが良いと思うけど」
「うーん……ダメかぁー」
落胆した一之瀬さんは試着室のカーテンを閉じてしまう。もう一セット制服があるはずだから、ミニスカートの気分な時はそっちを穿けば良いのではないだろうか?
「一之瀬さんはまだ悩んでいますか」
「そうだね」
一之瀬さんは迷走気味だけど、有栖は歩けばたまにガーターベルトがチラチラと見えるか見えないくらいの長さにまで裾を伸ばしたスカートに決めていた。
最初に穿いていたスカートは、裏地から裾の先端に至るまで黒のフリルがあしらわれているお洒落さんなスカートだったけど、今は交換した直後なのでそれが無くなっている。
「それにもフリルをつけるの?」
「……パニエを穿こうかと」
「やたらとこだわるよね……でもパニエだと座る時、面倒だし邪魔にならない?」
「私から言わせて頂くと、ファッションに対してあまり関心のない智さんの方が不思議に見えますけどね」
そこは……根本的な感性の違いかもしれないね。口には出さないが。
「それに、フリルをつけて頂くと特注品になってしまいますから」
「自分では付けないの?」
「私でも出来ることと出来ないことの分別を付けているつもりですよ。智さんから見て、私は裁縫が得意に見えますか?」
「あまりそのイメージは無いかな」
「智さんは得意ですよね?」
「そりゃねえ……」
だって、縫ってあげたの僕だし。
「宜しければポイントはお支払いしますので、もう一度付けては頂けませんか?」
「ポイントが貰えるなら別に良いけど、ミシンは持ち込まなかったから手縫いにする関係で時間はそれなりに掛かるし、スカートも預かることになるよ?」
「明日はこちらに予備のスカートを持ち込む予定なので、その後でしたら別に構いませんよ?」
「そう? なら次は布からこだわってチュールスカートみたいな二重構造にしてみようかな。いい感じの布が売ってればの話だけど」
「それは確かに良い考えですね。捲れてしまう心配も減りますし」
「前のはちょっと、やっつけ仕事だったのは否めなかったから。時間と予算的にも──」
「これはどうかなっ!?」
有栖と打ち合わせを行なっていると、目の前にあった試着室のカーテンが再び勢いよく開いた。
膝上10センチくらいのミニスカートだ。最初のマイクロミニよりは貞操観念な意味ではよっぽどマシだけれども一之瀬さんに関しては短いスカートの方が似合ってるとは思う。
「……うん、良いと思うよ」
「ねえ? これなら可愛く見える〜っ?」
「さっきのよりはよっぽど良いと思うけど、一之瀬さんは短めの方が似合っているよね」
「それに関しては私も同意ですね。少々羨ましい気もしますが」
「なるほどー? じゃあ、あともう2、3センチくらい短いのにしちゃおうかなっ?」
「そこは任せるけど」
どうして買い物がこうも長くなってしまうのか。ここが僕には未だいまいち理解できない領分である。
結局、一之瀬さんは猛者仕様のマイクロミニスカートから7センチほど裾を伸ばしたスカートに変えていたけど、ホントに多少伸びた程度にしか見えなかった。
一応、ミニスカートの分類だろうけど最初のスカートだとちょっとした事ですぐにショーツが見えちゃいそうだったから、多少はマシになったかもしれない。
そんな想定外の寄り道をしてから僕たちはやっとドラッグストアへ辿り着いたものの目的の物が見当たらず、ケヤキモール内の裏手に位置する美容院へと足を運んでいた。
突然、バッサリ髪を切りたくなったという理由ではなく、ただ単に僕が欲しかったものを買う為である。
「え゛っ!? これ、ひとつ4800ポイント!? シャンプーなのにっ!? ただのシャンプーだよ?」
開店休業状態で暇を持て余していた女性の美容師さんから、僕がサロンシャンプーを買い求めたのを目撃した一之瀬さんは、意味が分からないような目をしながら喚いていた。
「……大袈裟過ぎじゃない?」
「いや、だってシャンプーって私、市販のしか使った事ないもん! 値段の差があり過ぎてよく分かんないよ。しかも市販の10倍くらいはするんだよ!? 実際に何がどう違うの!?」
「でもこれすっごく良いんだよね〜。使い始めてからは
「ふふふっ……そうですね。智さんに伺ってからは私もヘアサロン専売のシャンプーやトリートメントへ乗り換えましたからね」
「う゛ー……想像はしてたけど……ふたりともやっぱり、お金持ちだよね……?」
美容に関しては非常にお金が掛かる。
限られた資本で何処を重視し、何処を妥協するかは人それぞれだと思うけど僕は髪の毛のケアに対してお金を掛けていた。
……というのは建前で、一昨年の体育祭の時に何故か臨時収入を得たのでそのお金を握りしめて美容院へ行き、縮毛矯正を受けつつ美容師からおすすめされて購入したサロンシャンプーをそのまま気に入ってズルズルと使い続けているというのが本当の話だ。
「あのっ! その〜……参考程度にすこ〜しだけ、触らせて貰っても……?」
「別に良いけど……」
一之瀬さんが恐る恐る僕の後ろ髪に触れ、撫でる。髪の毛から彼女の指の感触が伝わって……。
「ん……っ」
「ほわぁ……指が幸せ〜……」
思わず息が漏れた。
次第に手櫛で上から下へ何度も確認するかのように夢中になっている様な気がするけれど、他人に手櫛をされる感触が意外と気持ち良くって僕もされるがままに任せていられるのは、彼女の力加減がちょうど良いからだろうか。まさしくこれが夢心地というものかもしれない。
「コホン……」
「にゃっ!?」
有栖のわざとらしい咳払いで現実に戻った。名残惜しそうに一之瀬さんの指が離れていくのを感じる。
「それで……どう、だった?」
「うん。すっ〜〜ごくサラッサラで……手触りがすごい!」
コメントが! 小学生並の感想!
思わず反射的にツッコミが飛び出そうになったけれどもなんとか飲み込んだ。
「うんまあ……最近はこればっかり使ってるから他のは知らないんだよねって……有栖……?」
どうして貴女も僕の髪の毛を触っているのでしょうか?
「同じのを使ってるから仕上がりはほとんど一緒でしょ?」
「そうでしょうか? 髪質は私よりも少しだけ硬いようにも感じますが」
「そこはほら、生まれ持ったものもあるから……」
あとはケアの頻度が違うとかじゃない? おサボりさんな僕と違って。
そんな感じで有栖とじゃれ合う横で、一之瀬さんは影を落とした表情で自分のストロベリーブロンドの長い髪の毛を手櫛で梳いていた。どうやら自分の髪の毛の状況をお気に召していない様子だ。
「こうやって触っちゃうと髪のパサつき感と、癖毛とか色々気になるかなぁ〜……」
「……なるほど。ウチでならそのお悩みを解決出来ますよ? ここは美容院ですから」
一之瀬さんの悩みを聞き届けた美容師さんが、彼女の髪の現状を診て今までの話を聞いてからは段々と表情が曇り、真剣に魔改造レベルの施術内容を提案していた。
髪の状態はかなり深刻だけど可能性の塊らしい。その可愛さを引き出したいのでぜひやりましょうと猛プッシュしているほどだ。
今は前髪で目が半分ほど隠れてしまっているのも自分で切っていたそうだし、美容師さんが語っているように毛先などに注目すると枝毛も多くかなり傷んでいた。
保健室でも軽く触れていたように経済的な余裕が無かったそうだけど、まさか美容院へ行く事も躊躇われる程だったとは僕も想像していなかった。
それ故にあまり自分の容姿に頓着していなかった……いや、気を回したくても経済的な理由でそれを我慢せざるを得ないが正解かな?
ただ、提案の中身を聞いただけでも間違いなく数万ポイントは吹っ飛び施術も長時間掛かる内容だ。今から行えば営業時間終了から少し足が出る程度で仕上がってしまうのもなかなか絶妙なタイミングで来てしまったなとは思う。
「あとそうですね。予約をとって頂く形ですと、多分1ヶ月か……内容が内容なので2ヶ月先もあり得るかなと……」
「その内容で今すぐお願いしますっ!」
「えっ……? 本当に今日やっちゃうの? 元々そんなつもりは無かったんだよね?」
「だってふたりの髪が羨ましいんだもん。本当はずっと気にしてたんだよ? それに街を歩けばみんなこっちを見てきたのに私だけボッサボサなのは気になるし、それに今日を逃したら次は1ヶ月後か2ヶ月後って言われちゃうと……ね?」
僕と有栖がふらりと校舎を歩いているだけでも人目を惹いていた存在だったのはもちろん自覚している。
そこに一之瀬さんが加われば……言わずもがなと言った感じで彼女の潜在的なコンプレックスを刺激してしまったのかもしれない。
「気持ちは嫌と言うほどに理解出来ますが、ただ……」
せっかく10万ポイントを貰ったのだからそのポイントを使って美容という手段で自己投資をする判断へと至ったんだろうと思うけど、さすがに数時間は待てない。
「本当に突然でごめんね。さすがに終わるまで待っててなんて言わないよ? 私もかなり無茶を言ってる自覚はあるし、なんだったら先に寮へ帰ってもらってもいいくらいなんだけど……」
「いえ、もし宜しければ終わった後の姿を拝見したいので、その時間になれば再びこちらへお迎えにあがりましょうか?」
「いいの?」
「私は構いませんよ。智さんはどのようにお考えでしょうか?」
早く帰りたい気持ちが4割、一之瀬さんの姿が気になる気持ちが6割といったところではあるけれども、期待に満ち溢れる視線をふたりから送られていれば僕はこう答えるしかない。
「有栖の言う通り、僕もどうなるのか気になるかな……?」
視線の圧に屈した僕はそう答えていた。
◆ ◆ ◆
春の陽気な昼下りの中、一之瀬さんと連絡先の交換をしてから美容院を後にした街での買い物……というよりも散策を再開する。僕の隣で杖を突きつつゆっくりとした足取りでもひらひらと揺れている彼女の白いスカートが目に映った。
「それにしても智さんとこうして出掛けていることが出来ていると思うと感慨深いですね。ちょっとした私の目標でもありましたので……」
どこか機嫌が良さそうな有栖は少し僕を見上げるようにしながら率直な感想を語った。
「またまた……そんな大袈裟な」
「実際にこの3年間、362回もお茶会やお泊まり会、お出掛けといった様々なお誘いを袖にされている身としては感慨深くもなりますよ」
「……多くない? そこまで誘いを断ったような覚えはないけど」
「お誘いしようとしたタイミングで智さんのお姿が見えなかったのと連絡が取れなかった事と、ふと考えが思いついただけなのも全てカウントしていますから」
「ただの水増し請求だーっ」
実を言うと中学の時、有栖もそうだし、クラスメイトからはよく遊びやら何やらに誘われた事もあったけれど、僕は全てやんわりと断っていたんだよね。
何せそういった付き合いを一度でも許容してしまえば「あの子は良いのに私はどうしてダメなの?」となるのは今までの経験則で分かっていたからだ。それならば最初から全て平等に断ってしまえば良いと僕は考えた。
『
という僕の人付き合い……いや、生き方は生存そのものに直結するからだ。
その生存戦略を成し遂げる方法として思い浮かんだのは、植物のように生きるか、突き抜けて高嶺の花のような存在へと昇華するか。
僕の容姿がごく平凡な姿であれば誰からもやっかみを受けず、敵を作ることもなく自然と人の輪の中に溶け込めただろう。あとは謙虚な態度で居ればただの
しかしながら幸か不幸か僕の容姿は自慢じゃないけれども整っていると自覚していた。
人よりも容姿が優れている。それはまるで集団の中に一羽だけ白い鴉が紛れていれば嫌でも目を惹いてしまうかのように。
人から嫉まれ、恨まれ……
だから僕は「誰にも触れさせない」という目的の為──あの人は特別だから仕方ない。明らかに人と線を引いている。踏み込ませないし、踏み込んでこない人。敵でもなく、味方でもない八方美人な存在。
誰とも深く関わらない
そんな事情を話せる訳もなく、その中でも一番熱烈に誘いを受けていたのは今も隣でいつものようにジト目で僕を見つめる有栖だ。あまり有象無象な他人に対して興味を持たない雲の上の存在だという噂も聞いていたので何処かで飽きて諦めるだろうと高を括っていたんだけど……。
凡人である僕の予想に反して誘いを蹴り続けた結果、プライドを傷付けられ人を屈服させたいという欲求を刺激してしまった。
今なら彼女の行動理由が分かるけれども当時はそんな事を知る由もなく、だんだんムキになった彼女は目的と手段が逆転し、
そんな感じで、彼女と敵対するきっかけを作ったのは全てひとつの戦略に固執し続けた僕の失策……も含まれるかもしれないけれど、絶対に知られてはならない秘密を守る為だけに様々な虚偽をたくさん働いていたし、初対面の時から斬新でエスプリが効いた挨拶を行って来たほどだ。彼女の興味から逃れることはどちらにせよ出来なかっただろう。
そう考えれば
「でも実際その2割くらい、雑な理由で断られているのは事実です」
「雑ではなく、前にも説明したけど放課後や休日は少々忙しい身の上でして……お稽古事と習い事がそれはもう毎日のように入ってましたから」
「では、その内容が人によって食い違っているのは何故でしょうか? ピアノと茶道と書道に加えてその他3点が被るのは少々スケジュールに無理があるとは思いませんか?」
「そこはまあ、通信講座という世の中には便利なものもありますので……」
普通の人なら2回か3回ほど断り文句を入れれば、大体はそういった付き合いすらも断っている
おかげで僕が習い事をしているというのは全て出任せだったということは今から1年半くらい前にすべて白日の元に晒されてしまった。
だからこの会話もただの蒸し返しで、ぶっちゃけると中身の無い話ではあるけど有栖はそれに付き合ってくれるらしい。
「なるほど。また新しい言い訳を捻り出して来ましたね。それでしたらピアノと茶道は? 通信教育で受講するのは難しいかと存じますが?」
「そちらの方は師事していた先生が、秋の空のように移ろいゆく気分の持ち主でしたので、
僕の話を聞いた途端に有栖の顔と耳までもが一瞬で赤く染まった。元々から白いお肌だから恥ずかしがっている事が一目で良く分かる。
「…………そういえば、私に対してそんな嘘っぱちを平然とした顔でペラペラと述べていましたよね?」
「適度な嘘は社会の潤滑油ですから」
「よくもぬけぬけと……どうせいつもの嘘だろうと思って質問を繰り広げてもボロが出ないから信じていましたのに……。智さんに騙されたせいで大恥をかきました」
「まあ、話の途中からこれはもしかしたら
それでも界隈では有名な
「答えがまさか、えっ……いえ、卑猥な本の中にあったなんて。探していた人物がそういった低俗な本の中の登場人物だったと知った私の気持ちを返して頂けませんかね?」
「僕は新しい性的嗜好にでも目覚めたのかな……って思ったけど、多分みんな同じように思ってたんじゃない?」
色々な人にその人物の事を聞いて回っていた有栖の姿は何処か生暖かい目で見守られていたけれど、僕の名前を出して聞き回っていたものだから、こっちもこっちで食らったダメージは非常に大きかった。
いや、毎日机の上におねショタの本やイラスト、原稿が置かれてるってどんな学校だよ!? 別にそこまで好物じゃないから! あと百合の布教活動もしていないから! 特に
「ふふふっ……私をここまで虚仮にした存在は智さんが初めてですよ。ええ、品行方正で文武両道な? 人間として通っていた人の実態が、住まいはただのアパートで、この現代社会において一人暮らしな孤児。ふふっ……初めてそれを知った時はよくもまあここまで周囲を騙しきっているなと思わず関心しましたよ。ふふっ……貴女の適職はきっと詐欺師でしょうね。それに──」
こっちはこっちで
矢継ぎ早にぶつぶつと言葉を吐き続けることで気持ちを整理しているのだと思うが、虚な目がちょっと……いやかなり怖い。
気持ちが収まれば勝手に治るからいいけれども、たまに「ぶっ殺してやる」とか「どうせならライヘンバッハの滝へ落としたいですね」とか「勘が厄介。やはり寝ている所を狙うべきでしょうか」といった不穏なワードが聞こえるのは頂けない。
あと、どちらかと言えばモリアーティ教授の役割はそっちだと思うよ?
まあ、それにしても有栖に殺意を向けられる僕の人生って本当に呪いあり、
今もなお、呟き続ける有栖もなだらかな……いや、流し見たけどほとんど平地か。
といった感じで山には恵まれていない……なんて思ったけど一之瀬さんは大きかったな……じゃなくて、あれほどの山は望まないから、せめて谷のない歩きやすい平地な人生を送らせて欲しいという話だ。
「まあほら、お詫びの印に何度かそっちの家にも行ったし、学校の中では割と有栖に付き添っていたから僕の中ではかなり頑張っている方かなと」
2、3分くらい突っ立ったまま呟いて、途端に黙り込んだのを見て僕は話し掛けた。
ただこの時に関連性が見つからない話題を振ってはいけない。どういう頭の構造をしているのか僕は分からないけれど、有栖の主観では突然話題がぶっ飛んだように聞こえるらしい。
この辺は凡人にとって到底理解の及ばない不思議生物であると認識しておく事が一番合理的な判断であると僕は思う。
「いいえ。智さんは根本的に人との交流が全く足りていませんよ。それにこちらの家へ訪れていた理由は私ではなく、父の方に用事があったからでしょう?」
「別にそんなことはないよ?」
「智さんと──」
どこか倦厭で厭世的でもあり神秘的な存在だった有栖は僕と知り合ったことでかなり俗っぽくなったと思う。
スカートもフリルに拘ったり、読書も新書を読む事が多い印象だったけど最近は文庫本を良く嗜むようになったり、髪も出会った頃よりも気を使うようになった。
僕と同様に思春期だからだろうか。それとも……いや、考えても無駄か。
「聞いていますか? 智さん」
「聞いてる聞いてる。なんというか僕からしてみれば、どうしてここまで僕に拘るのか不思議なんだけどなあって思って」
「智さんに染められてしまいましたので」
「言い方」
「こんなに面白いおも……いえ、智さんのような友人を得たのは私にとって幸運な事なのではないかと」
「……最初、おもちゃって言おうとしなかった?」
「いいえ。思い出と言うつもりでしたよ」
「それ、言い淀む必要ある?」
僕は有栖を見極めるように観察したが、アルカイックスマイルで
「私がそのように感じてしまう全ての原因は智さんが私の誘いに全く乗って頂けなかったからだと思いますよ?」
「生憎と無理矢理、乙女の秘密を暴こうとする方とのお付き合いは遠慮させて頂いてまして……」
「無理矢理だなんてとんでもありません。私の要求をなかなか受け入れては貰えませんでしたので、色々と趣向を変えさせて頂いただけです」
「僕はどちらかというとそういった強引な誘われ方よりも、直接的に誘われる方が好みなんだよね」
「おや? 最初のそれを無下に断り続けていたのはどこのどなたでしたっけ?」
嘘と皮肉と揶揄の応酬は日常的に交わされる。
「鈴蘭の姫君に於かれましては僕はそこら辺の雑草と同様でしたので、そのお誘いがとても恐れ多いと感じましてね。遠慮させて頂いてたんですよ」
「いえいえ。決してそんなことはありませんよ。むしろ、その雑草から無碍に扱われた私の悲しさと異名の名、ふたつの意味で泣いてしまいますからね。どうしてもお誘いには乗って頂きたかったのですよ。その辺の事情はご理解くださいますか、
僕に
100%の悪意を持って、純粋な心を持つ
「左様でございましたか。それは大変失礼致しました。では僕がその涙を拭いて差し上げようかと存じましたが、今は生憎と両手が塞がっておりまして……」
「……? 今は手ぶらとお見受けしますが?」
「僕の心の中では常に坂柳有栖という名の姫君を大事に抱えさせて頂いてますよ」
頬が再び紅に染まり、こちらを直視出来ないほどには効いたみたいだ。
「…………嘘つき」
中学の時に初めて出来た僕の友人は、好戦的で裏では策略を練っていて人を屈服させたがるような困った性癖の持ち主だけど、実は面倒見が良い性格をしている。
「いえいえ。嘘ではありませんよ」
ミュゲとフリージアの香りがそっと僕の鼻をかすめた。
しばらく無言の時間が流れたのでゆったりと歩きながら周囲を観察する。
校舎の中と同様、街頭にも一定間隔で設置されたカメラによる監視社会を実現しており、道端にはチリひとつさえも落ちていないほど美しい景観が存在していた。安全の為とはいえ度合いが過ぎているようにも思える数だ。
やっぱりそういう所も評価対象であると見るべき……?
「学校だけでなく、私生活も覗き見られているのは少々はしたないとは思いませんか?」
「おや、智さんはどこか疚しいことがおありで?」
「いいえ。少々行儀よく過ごさなければならない時間が増えそうだなと」
「でも、一部はカメラが存在しない場所もあるみたいですよ? ほら、あそことか」
彼女が指で指し示した場所は建物と建物の間にある細くて薄暗い路地裏。あからさまに怪しい雰囲気が立ち上っていて、なにか悪さをする人の事を考えれば監視カメラが必要そうな場所だと思えるけれども、見た限りではそれが存在していない。
「ほんとだ……。あれは予算の都合なのか、それとも敢えて設置していないのか……死角が全くないってわけじゃなさそうだね」
「ふふっ如何にも智さんが好みそうな場所ですよね?」
「それは暗に僕が路地裏に住まうドブネズミのようだとでも?」
「さあて、どちらでしょうかね」
適当な会話を交わしつつ時間つぶしも兼ねておもちゃ屋さんに立ち寄って欲しいと有栖がリクエストした。彼女の趣味であるチェスを行う為の駒とボードが欲しいとのことで。
でも言い方がちょっと微笑ましい。おもちゃ屋さんって、言い方が特に。
まあ、「おもちゃ屋さん」発言はもちろん嘘なんだけれど、僕の妄想ではそう言っているテンションだったのは間違いない。何故なら……。
「うふふふ……」
久しぶりに彼女がうっとりとするほどの上機嫌な顔を見たけれど、その心境はいまいち理解が出来ない。何せ違いが全くわからないから。
「材質が違うだけだよね?」
そう突っ込んだのに全く気にもしないし、あまりにも機嫌が良さそうだったのでついつい調子に乗って、子供用の駒に動かし方が載っている物を勧めたんだけど、流石に冗談が過ぎたようで杖で叩かれた。
絶妙に似合っていたんだけどなぁ……。
「むしろそれは、智さんが使うべきではありませんか?」
「使おうにも埃が被ってしまうほどに都合がなかなか合わなくて……」
「僭越ながらご教授は致しますよ?」
「機会があれば……ね」
多分、彼女からチェスを教えてもらう日は来ないだろう。
これまで通りの距離感で、触れさせない──。
そんな僕の考えを読み取ったのか少しだけ寂しそうな
◆ ◆ ◆
昼間は生徒で賑わっていた街並みも今はすっかり居なくなってしまった宵のうち。
「今しばらくだけなら我慢するけど、これが卒業まで毎日ずっと続くとなったらさすがに入学した事を後悔するかも」
「中学時代の人間は良く躾られていた……と図らずも証明されてしまいましたね」
「躾けていた人間がよく言うよ……」
「その言葉、そのままお返しします」
「それは風評被害も良いところだよ。僕はほんのちょっぴり唆した事があるだけで」
「そっちの方がより悪辣なのでは?」
あの後、カフェで時間を潰していたらナンパ。有栖を公園のベンチで足を休ませていたら心配を装うようにナンパ。ブランドショップで香水を試していたら同年代っぽい茶髪の女の子からもナンパされ……と気分が沈みそうな時間を過ごしていた。
監視カメラのおかげか追い払おうとしても引き下がらずにナンパを続ける人は居なかったけど、面倒な事には変わりない。
一之瀬さんと一緒に居た時はそうでも無かったから、彼女がそれとなく追い払ってくれていたのだろうか。それともただの偶然?
「しかし、智さんが頑なに私とのデートを嫌がっていた理由のひとつがよく分かりました。頭の中でシュミレーションを行ってもあまり影響はないと思っていましたが、まさかこれほどとは……」
普段はその持病もあって学校へは車での送迎が行われるほどな有栖の事だ。
百聞は一見にしかずという言葉もある通り、実際に体験しないと分からない事なんていくらでも思い浮かぶ。頭で想像している世界と現実の世界とではかなり差が開いているのではないかと僕の直感は告げていた。
現実の社会は驚くほどに千差万別で、彼女が
「有栖が前、僕に語ってみせた街へ買い物にひとりで出掛けたという話の中身の真相は、店の前まで車で乗り付けて付き添いを連れていた……だよね?」
「おや、そこまで読まれていましたか」
「いや、話の信憑性は高かったよ。本当の話をしているなと思ってたけど、自分の容姿と身体的ハンデの話を考慮に入れなかった点が勘に引っ掛かってね」
という本音も少し盛り込んだ嘘。本当は勘が働いたわけじゃなく、彼女が杖を握る手を観察して嘘を交えているなと思ってたけど、僕は善人じゃないからそれは教えない。
「智さんの勘を対策しないと欺くことは難しいですか……」
まあ僕を完全に欺いたとしてもデートを行うにあたって、付き添いも連れずに駅前で待ち合わせなんてしてたら、機動力の無い有栖なんて一瞬で囲まれますから。というかそもそも待ち合わせ場所に辿り着けないんじゃないかなぁと思うわけですよ。
仮に僕がそれを助けたとしよう。多分、火に油を注ぎ込むことになるだけで付き添いを側に置かれていると今度は僕が落ち着かないし、楽しめない。
では逆パターンで僕が待つことは……確実にないかな。約束の30分前から待っているなんて殊勝な心掛けは持ってない。ギリギリまで家で寝ていたい……というよりもむしろ遅刻して適当な言い訳を並べていそうな未来が見えた。
百歩譲って上手く合流出来たとしても、今日の惨状を見れば明らかだ。
「今日は学校の敷地内だからまだマシだけど、外だともっとしつこいし、終いには無遠慮に腕を掴もうとする人だって居るんだから」
「それは少々……いえ、かなり背筋が凍ってしまうかもしれませんね」
僕の言葉を聞いて眉間にしわが寄っている有栖と今日の感想を語り合っていると、既に外の電飾は消えている美容院に到着する。
入り口のガラス扉には『CLOSE』の札が掲げられていて、中が見えないようにカーテンで隠されている美容院のドアをノックしてから開けると、暗闇に慣れた目には少々辛いほどに眩しい照明が僕たちを歓迎した。
「っ!?」
僕が眩しいと感じたのは照明ではなく、人だった。
腰まで伸び、もっさりとしたストロベリーブロンドの髪は枝毛や切れ毛にまみれていた毛は、今ではすっかり光が反射するほどのホワイトな瑞々しい光沢感を宿している。
目を半分覆い隠していた前髪はバッサリ切ったおかげか、目尻が下がった優しげな印象を受ける眼差しは宝石のような
まるで魔法のように可能性を引き出してしまった美容師さんを魔法使いとするなら、その魔法を掛けられた彼女のことを表すとこの名だろう。
灰かぶり、もしくは。
そんな髪の毛を手に入れて自信がついたのか、今は背筋を伸ばしたおかげで彼女の豊満なバストがこれでもかと主張しており、僕の隣から小さく
有栖が僕の脇腹を抓ったことには全く気付いていないシンデレラ姫は、満面の笑顔とリップクリームを塗ったのか魅力的でぷるぷるした艶めく唇から本当に心の底から嬉しそうな声を響かせる。
「にゃっはっはっ! ねえねえ、どうかなどうかな〜! 私、本当に生まれ変わったみたいな気分なんだけどっ!」
そのシンデレラの本名は当然のように知っていたけど一之瀬帆波さんだ。
そんな天真爛漫で可愛らしい姿へと驚くような変身を遂げた彼女に対して僕は動揺を隠すかのように軽口を叩いた。
「……姫、ガラスの靴を履いてどちらの舞踏会へ行かれるのですか?」
「にゃっ!? それって、シンデレラみたいってこと!? それはさすがに言い過ぎじゃ……!」
口ではそう言いつつも彼女は赤くなった両頬に手を当てて、顔を左右に振ってどこか恥ずかしがるような仕草を魅せる。ミルク色が強めなストロベリーブロンドの長い髪を振るたび、毛先はしなやかに舞い踊っていて、その舞に併せてローズ調の香りが微かに漂っている。
もし、この仕草を有栖がやれば僕は頭を疑うと思うけれど、一之瀬さんがやる分にはとても自然で魅力的だと感じた。
「そんなことないよ。僕が想像した以上に可愛くなっていたから本当に驚いたよ」
「本当に? それなら私もすっごく嬉しいなーっ! 思い切った甲斐があったなって!」
ちなみに有栖はというと、僕と一之瀬さんに対して白けたような目線を送ってきているが、いやはやこれはなんと言いますか彼女が中学の
「明日、クラスの人も気付くと思うかなっ!?」
「そりゃ気付くでしょ。気付かなかったら相当節穴だと思うけど……うーん……」
そういや一之瀬さんがあの教室に居た時間ってそう長くはなかったな。入ってきた時も結構ギリギリだったし。
「一之瀬さんが倒れた姿を遠巻きにでしか見てない人も居るからなあ……。それでも女子は気付くんじゃない? 基本的にそういうの目敏いし」
「確かにそれもそっか……」
なんか軽く落ち込んだように見えるから、ちょっとだけ茶化してみようかな。
「……おや? 一之瀬さんはもしかして気になる意中の男の子でも見つけちゃった感じ?」
「ううん!? それは絶っ対ないよ!? それに私、クラスの人はまだ和久津さんしか知らないもん!」
「まあ……一之瀬さんからするとそうだよね」
なーんだ。純粋にクラスのみんなに驚く反応を期待してただけか……じゃなくって!
絶対にないと断言する程って、一之瀬さんってもしかして
「…………ちなみに〜……和久津さんは誰か、そういう人が居たりとかって……?」
一之瀬さんはどうして少し屈んでまで僕に上目遣いを送るの……? まあ僕も天地がひっくり返ってもそれはあり得ない話だけどね。
「……僕? 僕もそういう相手を作ったことは無いかな。中学の時に一番交流があった相手は有栖くらいだよ?」
「なるほど……っ!」
鈴蘭の姫君とシンデレラ姫の目線が交差して一瞬だけ火花が散ったのを僕は幻視した。
少し思い返せば僕が一之瀬さんへやっちゃった内容、かなり不味いかもしれない。
いやー、身体は清いままで居たいんですよねぇ……。
ちなみに魔法の料金はしれっとサロンシャンプーやコンディショナーなどを含めて6万ポイント以上掛かったらしい。
お金で魔法が買えてしまうとは。なんとも夢の無い世の中だ。
◆ ◆ ◆
寮の自室へ初めて足を踏み入れ、自室の部屋の扉を閉めて施錠までを行う。
「はあー……」
今日一番のため息を吐いた。ため息を吐くほど幸せが逃げるという迷信があるけど、もともとそれには程遠い生活をしているから気にせず吐き出す。
入学初日だというのにかなり気を張っていたのを感じる。加えて寮までの帰り道のやり取りはあまり思い出したくない。
「ひとりに慣れないで……」
「環境が変わっても、貴女は孤高を気取るつもりですか……?」
哀しげな一之瀬さんと語気に怒りの感情を乗せた有栖の言葉が呪いのように突き刺さっていて「僕も好きでこんな生活をしているわけじゃない」と言い返したかったけどそれは叶わない
僕は呪われている。ふたりには絶対明かせない秘密が僕にはある。
逃れるように
「間仕切りのドアがあるならワンルームじゃなくない……?」
入学案内の資料ではワンルームと書かれてあったが、どう見てもこれは1Kの部屋だ。
「無いよりはある方が個人的には嬉しいけどね」
玄関の左手側の真横にはキッチンがあって、その奥側に洗濯機と中型の冷蔵庫が設置されており、玄関から右手側すぐにある扉を開けるとお風呂。トイレはその隣のようだ。
ユニットバスじゃないというのは案内で知っていたけれど、学生寮としてはかなり恵まれた環境だ。アパートで一人暮らしをしていた時もトイレとお風呂は別だったからそこはちょっとうれしい。
帰りにスーパーでサクッと買ってきた食料品類を冷蔵庫の中へと仕舞い、お風呂のスイッチを入れてお湯を貯めていく。お風呂とトイレは施錠が可能みたいだ。
間仕切りのドアを開けると六畳半ほどの大きさの部屋が広がっていて、一人暮らしをしていた時に詰めて送った衣服や小物のダンボールが部屋の奥に重なっていた。
お風呂とトイレ、キッチンは居住スペースとして数えないとすれば意外に広いけど、物を置いていく事を考えるとやや手狭といった感じか。そして右手の奥側には勉強机と本棚があり、左手の奥側にはベッドが見える。箪笥は無かった。
学校から支給されたスマートフォンで時間を確認すると21時に迫ろうとしており、寮の規則によればすでに男子禁制の時間だ。
底知れぬ背徳感に下腹部がきゅっとする。
「開梱するのは明日かなぁ……」
本当は今日中に行いたかったけれども予定が思いっきり狂ってしまった。あと、普通に疲れたのもそうだけど。
プリーツに沿って手をお尻から太ももまで流してプリーツの形が崩れないようにベッドに腰掛ける。昔はなぜこのような動作をするのかと疑問に感じていたが、実際に穿いてみればよく分かる動作でもあり今では無意識に出来るようになった。
しばらくそのまま何もせずにボケっとしているとお風呂のお湯が溜まった事を知らせる音声が流れた。
いつもであればご飯を作ってそれを食べてからお風呂に入っていたが、今日はスーパーで購入したお弁当をそのまま食べるつもりだ。
その音を聞き、脱衣場が無かったので服を脱ぐ。
ブレザー、リボン、ブラウス、キャミソール。その下はなにもない。強いて言うなら右腕の後ろ辺りに変な痣があるくらい。
靴下、スカート、ブルマー……でギリギリ。ショーツ一枚の時点で言い逃れが効かない何かがある。
もちろん、それが突然生えてきたという訳でもなく、最初からありました。
そうなのです。僕は女の子ではありません。
──実は僕、生まれた時から男なのです。
僕は呪われている。これは比喩でもなく正真正銘、この世で産声を上げた時から呪われている。
『本来の性別を知られてはいけない』という呪いを持っていて、その禁忌に触れた時、死の制裁が僕の身に訪れる呪いだ。
母の家系では時にそういった者が生まれてくるらしい。僕が幼い頃に死んだ母から聞かされた。
本当の姿を見られてもいけないのは当然で、正体に気づかれても伝聞で知られてもいけない。
その秘密を誰かに暴かれた時、僕は死ぬ。
それは社会的とか精神的とかではなく、呪いによる制裁によって生命的な意味で終わりを迎えるだろう。
その為、戸籍謄本も各種公共機関のような情報でさえも僕が生まれた時から全て女性として社会的には保証されている。だからどの書類を漁ろうともボロが出ることはない。
幸いな事にひげや喉仏などは出ていない。不本意ながら肉体面もかなり女の子のような姿に仕上がっているのは、中学の頃からウエストに矯正用のコルセットを巻いてスカートを穿いていたせいか、女性らしいくびれが出来上がっているほどだ。
しかしながら身体を晒してしまえば何も誤魔化せない。
胸部はAAカップやAAAカップの乳房も存在しない。あるのは一切の膨らみもない男性としての胸板だ。
そしてなによりも下半身の方は更に誤魔化しが効かない。女性には決してあってはならないものが秘部に備わっているからだ。
本当の性別を知られない為、僕は呪いに怯えながら女装を強制されている毎日を送っている。
そんな呪いに怯えて女装する生活を送るくらいなら、いちかばちかでいっその事このまま誰かに秘密を打ち明けるのはどうだろうか。
実を言うと、僕はそれを試したことがある。
小学生の低学年だった頃、公園で遊んでいて仲良くなった子に対して自分の性別を明かした事があった。本能で
高層ビルの屋上から紐なしバンジーで飛び降りるとどういった末路を迎えるかは誰でも理解出来るだろう。自ら正体を明かすというのはそれに等しい。
その結果として非常に高い代償を支払う羽目となった。
──あいつが、あの怖いのが来てる!
禁忌を犯した者に対して行われた制裁は執拗に僕を殺そうとしていた。愚かだった僕を庇ったばっかりに──家族は呪いで身代わりのように死んだ。ほとんど僕が殺してしまったようなものだ。
対外的には自動車事故が原因で死んだ事になっているけれど、本当は僕が呪いに触れたせいでそうなった。
僕の話を聞いただけだと、ただ単に事故を起こしただけなのではと思われるかもしれない。でも──。
突然ブレーキが効かなくなった。そこに偶然、対向車が出てきた。そこでは何故か、局所的な大雨が降っていた。
突然ハンドルが効かなくなった。そこに偶然、トラックの荷台が崩れてきた。そこでは何故か、アスファルトに穴が空いていた。
そんな偶然、あるハズがない。
偶然を装った必然として禁忌を犯した人間に死という名の罰を与える為、様々な手法で呪いは平等に、いっそ偏執的なまでに訪れる。僕が生き残ったのも本当に奇跡的な確率で助かっただけだ。
それ以降の人生では呪いに触れないよう必死で女の子へとなりすまし、
何せ、僕が生まれた時から秘密を知った上で堅く口を閉ざし、遺産や保険金に加えて事故の賠償金といった形でまとまったお金があるにも関わらず、追加の援助を行ってくれているほどだ。
ただ児童文学にある主人公とは違ってあしながおじさんの正体も知っているし僕は間違っても少女じゃないけど、少女を演じているというのはいささかウィットが効き過ぎているのではないだろうか……。
閑話休題。
あしながおじさんも自分の家庭を築いていて、呪いの話もその人しか知らない話だ。故に僕を引き取れなかったという理由もあって、アパートで小学生の頃からずっとひとり暮らしをしていた。
一応、あしながおじさんの尽力でお金や住環境は整ってはいたけれど、完全に安心安全とはならない。
医者に掛かることも出来ないし、たとえ痴漢や不審者であっても……いや、子供一人しか居ないアパートともなれば、呪い云々の前に他の危険もいっぱいだったから護身術も軽く習ったし、いざという時に泳ぎの練習も夜の学校に忍び込んで隠れて行った。
ある意味で常在戦場の心持ちじゃないと、僕は簡単お手軽に死んでいただろう。
無論、誰とも関わる事なく山奥でひとり、ひっそりと生活すれば呪いで死ぬ事はないと思う。
だからここで再び問いを出そう。今度こそ真剣に考えてみて欲しい。
問い:人はひとりで生きていけるのか。
この学校に住む人間はみんなひとり暮らしを今日から行なっていると思うけれども、それはあくまで個人で過ごすだけの時間だ。
朝になれば登校し、個人は集団へと変わる。
そういった集団から離れ、誰とも繋がりを持たず、ただ本当に孤独な毎日を過ごした結末には何が訪れるのか。
無論、僕のように人付き合いを避けている人間がいるのもまた事実だ。しかし僕が言いたいのはそういうレベルの話ではない。
社会的なシステムが確立されて久しい。明日の食料に悩むこともなく、人間として当たり前のように生きていく事に不自由しない快適な毎日があるのは見知らぬ誰かの献身と支えがあるからそれを享受し、逆にそれを分け与えることも可能だ。
それさえも放棄し、集団から外れてしまった
人として生きていると言えるのだろうか?
結論ありきな問いかけになってしまったが、僕は言えないと思う。
色々と小難しい話を並べたが、僕はひとりでいる事には慣れた。でもひとりぼっちは寂しくて堪らない、人恋しいという話だ。
秘密を明かせられるのであれば明かしたいくらいだけど、呪いがそれを許してはくれないだけで。
特に僕の友人である有栖は掛け値なしの
今は本人の中で何かしらの結論を付けた様にも思える。でもそうじゃないかもしれない。何かヒントを与えると真相へ至ってしまう可能性だってある。
無論、そう易々とこちらの尻尾を掴ませる気は毛頭ないけれど……危ない場面はいくらでもあった。
もしも、有栖が真相へ辿り着いた時、僕は呪いで死ぬだろう。
喜んでくれるのか。悲しんでくれるのか。
その時、彼女はどういった反応をするのか……僕がそれを知ることは出来ないけれど怖いという気持ちがある。
──明日の事なんて何もわからない。今日を生きるだけでも精一杯。生きるって呪いみたいなものだよね。
僕は呪われている。
不平等だから呪われている。平等だから呪われている。
だからこれは呪いの話だ────。
ここまで書き溜めたものを放出してみました。
4万文字並べてまだ初日。
まあ設定的な内容がほとんどなので、ここからはそこそこ早い流れで行けるかなと思います。
いかんせん亀進行な速度なので、思い出した時に更新掛かってる感じかもしれませんが。