実力至上主義の教室は智を呼ぶ   作:よう実の女装潜入モノが読みたかった人

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どうしてこうなった……。


メリーさんたちとツッコミに定評がある人

 

 学校から支給されたスマートフォンからの音で目が覚めた。

 仕掛けていたアラームよりもほんの少し早い時間から都市伝説のひとつであるメリーさんから、ポルターガイストに襲われるなんてとことん運に見放されているとは思うけれど、高度な情報社会を生きる現代のメリーさんはメッセージアプリで、おはようと挨拶してくれるくらいには優しく接してくれるみたいだ。

 でも確か、返事をすると段々こちらへと近寄ってくるんだっけ? なら、そっとしておこう。

 

 慣れない部屋の天井と、吊り下げている高校の制服を見て本格的に新生活が始まった事で頭がじんわりと覚醒してゆく感覚もあるけど、やっぱり少々寝不足気味。

 お風呂から出てご飯を食べた後、結局ダンボールの封を開けてしまい内装をそこそこに整えていたら時間が天辺を過ぎていた。

 テスト前に部屋の片付けをしたくなるというのは、『セルフ・ハンディキャッピング現象』という名前であるのは有栖から聞いた豆知識だけど、その現象の甲斐もあって今は一人暮らしをしていたアパートの様相に似ていて、少々の安心を感じている。

 

 欠伸をしていると再びスマートフォンが鳴った。

 二人目のメリーさんからもポルターガイストに襲われるなんてやっぱり運に見放されている気がするけど、こちらのメリーさんも同様のメッセージアプリを使って、ごきげんようと挨拶した後も逐一動向を教えてくれるらしいからこっちもそっとしておこう。

 ……触らぬ神に祟り無しとも言うからね。

 

 眠気が残る頭を覚醒させるのとメイクを行う為に洗顔を済ませつつ、寝汗の確認。

 うん、シャワーは別に浴びなくても大丈夫かな。

 

「お着替えっと……」

 

 手早くオンナノコへと変身していく。自衛のためとはいえ、とっくの大昔に絶滅したブルマーを愛用しているのは間違いなく僕だけだと思う。

 何せ、ブルマーという存在を知らない子の方が圧倒的に多いらしい。何も知らなければ厚手のショーツと言い切れるだろう。

 まあ僕も小さい頃、母から指示された物だったので誰でもショーツの上に穿くモノだと勘違いしていたクチではある。

 しかし、着替えをしている子たちを見ると誰もそんなものは穿いていない。「むしろそれは何?」と聞かれたぐらいだ。

 

 母からの言いつけであると雑に言い逃れ、疑問を疑問にしたまま年月を重ねてインターネットに触れてから昔の女の子が体操服にブルマーを穿いて運動していた時代があった事を知り、今の時代でも一部の愛好家がブルマーを性的嗜好のひとつとして有り難がっているという事実で、僕はまたひとつ涙を流しながら大人になった。

 しかもこれは最後の防衛網でもあるから嫌でも穿かなくてはならない、手放すことも出来ない、この世の中は僕にちっとも優しくない。

 何も知らずに生きていたあの日へ帰りたいとすら思う。

 

 これだけでただの変態さんなのに、追加でキャミソールをはじめに左前のえんじのブレザーと白のブラウス、プリーツスカート、制服のリボンタイ……なんとも業が深い。

 生憎と生前のことは何ひとつ覚えちゃいないが僕は一体どんな悪行をしてこうなっているのだろうか。

 

 ピコンピコンとリズムよくポルターガイストが原因でスマートフォンが鳴っているのを尻目に、スキンケアからベースメイクまでを本当に軽く施す。

 僕は別にすっぴんでも構わないんだけど、女の子の身だしなみとしてのメイクだ。一応、お上品で通ってるからね。

 

 櫛で髪の毛を梳かし、その後にミドルノートには梔子の香りが程よく漂うオードパルファム(香水)をほんの少しだけ垂らして線を描くよう薄く首筋に伸ばし、男の子の匂いも消しておく。

 もしかすると、そこまでしなくても良いかもしれないけれどもこれは母との思い出の品というやつだ。雲の上で喜んでくれているだろうか、それともただ僕がマザコンの気質があるだけ? 

 ちなみに梔子の花言葉は『とても幸せです』『喜びを運ぶ』らしい。生きているだけで幸せという意味で受け取れば、まあ幸せなのかもしれないけれど、『とても』と『喜びを』の部分は一体どちらへ運ばれてしまわれたのでしょうか? 

 

 その後は朝食の準備に取り掛かる。

 本当は香水を付けるのはその後にした方が良いというのは十分に理解しているけれど、トップノートにはシトラス系の匂いが非常に強いのでいつもこうやって時間を置いてミドルノートの香りを引き出すというスタイルを確立していた。

 

「ふん、ふん、ふふーん……」

 

 台所で鼻歌を鳴らしながら手早く朝食を作っていくとあっという間に、味噌汁とシャケの塩焼きと卵焼きに白いお米のご飯で一汁二菜定食の完成。

 何故か台所の下の戸棚の中に隠してあった電子レンジと炊飯器を発掘し、それを使ってタイマーを仕掛けるまでは良かったんだけど、いつもの感覚で漬物があると思いこんでしまったせいで一品減ってしまった。ないものはもう仕方がない。

 あとは電子レンジを活用しながら冷凍食品をぱぱっと解凍してお弁当箱に詰め込めば昼食も簡単お手軽に出来上がる。今日以降は晩御飯の残りでも突っ込んでおけば問題ないだろう。

 

 慣れてしまえば15分程度で出来上がるこれも小さい頃はもっと長い時間を掛けて作っていたっけ。

 でもこうしていると如何にも家庭的な女の子って感じがする。

 まあ、僕は男で同性から言い寄られるとこちらも反応には困ってしまうんだけどさ……。

 

 知らないうちに、ふたりのメリーさんが軽快に鳴らしていたポルターガイストもとい、スマートフォンの通知音が途切れていた。

 

 ──このグループチャット、この短時間で未読件数がいくらぐらいあるのだろうか……? 

 

 ホーム画面にはいつの間にか僕に対する内容が飛び交っていて、1人目のメリーさんは僕が起きているかどうかを心配をするような文面に対して、2人目のメリーさんは僕の動向を決めつけて罵倒するような内容で締めくくられていた。

 昨日の帰り道では僕の嘘でもある『一人に慣れている』の発言を受けて、妙に変な方向へやる気を出したふたりのメリーさんが作ったグループチャットに半ば無理矢理加入させられたが為に、僕は朝からポルターガイストに悩まされる事となったワケだ。

 

 メリーさん(女の子って)、怖いよね。

 

 それにしても君たち本当に器用だよね……どう頑張っても僕には真似出来ないや。

 メッセージアプリで会話しながら、朝の支度が出来るってどういう頭の構造をしているの? 

 

 来客を知らせるチャイムが鳴った。

 メリーさんには一切の返事をしていないはずなのにどうして……なんて軽く考えつつも来客の対応をする為に部屋の扉を開ければ、すでに制服を着用した上でもうこちらまで来てしまったメリーさんたちの姿を視認する。

 

 私、メリーさん。今、あなたの目の前に居るの。

 ってな感じで。

 

「あ……、おはよー、和久津さん。起きてたんだ」

「ごきげんよう、智さん。今日もまた一段と清々しい朝ですね」

 

 ポルターガイストを引き起こしていたメリーさんたちの正体は無論ながら寮の部屋のお隣さんである有栖と、そのまた隣に住み始めた一之瀬さんだ。

 部屋のカードキーを受け取ったタイミングでなんとなく察していたんだけど、一之瀬さんは偶然としても有栖の部屋割りについて、理事長との癒着が急浮上している。

 いや、理事長とは僕も面識があるから知らない仲じゃないとはいえど、本当にそういった便宜を図るのは大丈夫なのかなって思ってしまう。

 

「ええ、ごきげんよう。ふたりとも。いったいこんな朝からどうしたの?」

 

 ふたりがこちらに来た理由もすでに目を通したから知っているけど、僕は当然何事もなかったかのようにすっとぼけた。

 

「えっと……返事が無かったから、坂柳さんが押しかけようって話になったんだけど……」

「一之瀬さん、智さんは確実に私達のやりとりを把握していますよ」

「なんのこと? 僕にはさっぱりなんだけど?」

「なら、背中に隠してあるもう片方の手を出して下さいませんか?」

 

 背中に隠した手を出した僕は本当になにも持っていない。

 

「別になにも持って無いけど……」

「坂柳さん、絶対に和久津さんのこと疑いすぎだよ。本当に気が付かなかっただけなん──」

 

 一之瀬さんからの擁護を受けている最中に僕のスカートのポケットからピコンと音が鳴った。

 どうやら間抜けが見つかってしまったようだ。

 

「ほら……私の言った通りでしょう? 本当は見ているのに未読で放置しているなんてざらですから」

 

 いつもの澄まし顔で得意げに慎ましやかな胸を張っているのを見て、僕はふいにお子様ランチを提供したいなと感じた。

 

「いやぁ、恥ずかしながらどうもこういうのを扱うのは苦手でね……」

「へえ〜、そうなんだ。なんか意外だなあ……」

 

 メッセージアプリでのやり取りを追っていたら、いつの間にか僕の部屋へ上がって朝食を一緒するという話題に変わっていたので、僕は仕方なく降参したように「少し上がっていく?」と声を掛けるとふたりは了承の返事をする。

 一之瀬さんは少し遠慮がちな反応だったけど、胸は薄く面の厚い有栖は全く気にしていない。この違いは一体何故なのか。

 これって、トリビアの種にはなりませんかね? 

 

「なんか部屋からいい匂いがするなぁって思ってたけど、今日からもう朝ごはん作ってるんだ……」

 

 一之瀬さんが手狭な玄関スペースで靴を脱いで僕の部屋へ上がると、興味深そうに内装を眺めてまだ台所においてある一汁二菜定食を視界に入れたのか、そのような感想を口にしていた。

 

「まあね。こういうのは慣れだから……」

「未読だったのも?」

「流石に料理しながらスマホを弄るのはちょっと」

「それもそっかって……あっ! ごめんね〜。靴、邪魔だったよね?」

 

 僕の言い訳が通ったらしい一之瀬さんの目線が向かう先を見てみると、有栖は杖を立てかけ地面に腰を下ろして自分の靴を脱いでいるけれどふたり分のローファーが並び、段差もなく狭い玄関なので地味に悪戦苦闘している姿に、こういった細かいところで彼女もそれなりに厄介なハンデを背負わされているなと実感する。

 

「いいえ、大丈夫ですよ。どうぞお気になさらず」

「邪魔だったらどけといてもいいよ」

 

 僕がそう言うも、なんとか靴を脱ぐ事が出来た有栖は乱れた靴を並べ直して自らの足でよろけながらも立ち上がろうとしていたので慌てて手を貸すと、いつものように彼女からミュゲとフリージアの香りを嗅ぎ取れた。

 熱々のお味噌汁をぶち撒いてしまうという大惨事が起きてしまうのはちょっと……いやかなりまずい。

 

「ありがとうございます、智さん」

「いえいえ、どういたしまして」

「それにしても、この部屋には間仕切りの扉が存在しているのですね」

「うん。それ、私も気になった。なんであるの?」

「え? そっちにはないの?」

「ありませんよ。ワンルームです」

「うん。私の部屋もそうだね〜」

「うーん……考えられるとすれば、卒業していった人が工事を依頼してそのまま……とかじゃない?」

「そうでしょうか? 真新しい様にも思えますけど……」

 

 そんな新しい事実を知りながら僕は部屋の扉を開けてふたりを案内する。

 

「思ってたより……シックな感じ。もっと可愛い感じかなって思ってたけど、こっちもこっちであり……かな」

「アパートの時と似た配置ですね」

「そりゃ同じのを使ってるからね。まあ、適当に座っててよ。とは言っても出せるものは味噌汁くらいしか出せないけど……そっちは朝食、買ってきたんだっけ?」

「ええ。一之瀬さんにお願いしました」

「朝だからやっぱり混んでてね。もう本当に大変だったんだから」

「自炊している身分としては遠い世界の話だなあ……」

 

 どうせ余るくらいなら味噌汁を出そうかと思ったけれど台所でお椀がない事に気づく。そういえば食器類も一人分しか用意されていなかった。

 有り余るほどにあった食器や家具などはほとんど持ち込めないから捨てて、お気に入りのやつと苦い思い出の品は全てあしながおじさんの家に預けてあるけれど、今そんな話はどうでもいい事だ。

 

「一之瀬さん、部屋に食器あるよね? 良かったらお箸とお椀をふたつ持ってきてくれない?」

 

 僕がドア越しに声を掛けると部屋の奥からパタパタと出てきた一之瀬さんが現れ、口をもぐもぐさせながら疑問の表情を浮かべていた。

 あれ? なんかもう先に食べ始めてるんだけど……? 僕を待っていてくれてるわけじゃなかったんだ。

 

「和久津さん、なんか言った?」

 

 口の中身を飲み込んでから僕にそう問いかけた一之瀬さんは、どうやら聞き取れて無かったらしい。

 

「うん。部屋にある食器を借りようかなって思って」

「え? なんでまた?」

「味噌汁くらいなら出そうかなって思ったんだけど……」

「良いの!? 私、てっきり冗談なのかと……」

「ひとりで処理しようにも絶対余っちゃうし……いらないなら捨てちゃうけど」

「すぐに持ってくるねっ!」

 

 僕の話を聞いた一之瀬さんは部屋をすぐに飛び出して行き、僕が卵焼きとシャケの塩焼きを乗せたお皿を部屋へ運んでいたら扉の開く音がしたので戻ってきた事が分かる。

 おおっと、一之瀬選手、めちゃくちゃ早い! これは世界記録を叩き出せたんじゃないか!? 結果は……大まかにだけど24.99秒ぐらいで世界新記録です! 

 

 といった具合に競技人口もおそらく世界で一人しかいない競技に参加した一之瀬さんから食器を借り、手早く洗ってから味噌汁を二人分入れて渡すけれど一之瀬さんは何故か動かない。

 

「なんか……いいねっ、こういうの」

「ん? 何か言った?」

 

 答えが帰ってこなかったから、まあ良いかと気にせず一之瀬さんを背にしてお椀には味噌汁を注ぎ、しゃがみ込む姿勢で炊飯器からお茶碗へとごはんを()()()

 

「和久津さんは……エプロンとかは付けないの?」

「あー……有ったほうが汚れは防げるよね」

 

 揚げ物作る時は欲しいかも。

 

「だよね、だよね!? エプロン、絶対に有った方が良いと思うんだけどっ!」

 

 段々と強まる気配を感じて後ろを振り向くと、天色の瞳をキラキラと輝かせながら迫りくる一之瀬さんがそこに居た。

 

「ちょちょちょーっ! なんか圧がっ!? 圧が強いんだけど!」

 

 それとなんか少々鼻息が荒くありません? 距離感もバグってません? なんか一瞬、僕は男の子なのに貞操の危機を感じたんだけど気の所為? 

 

「和久津さんの……エプロン姿…………っ」

 

 味噌汁を入れたお椀を持ったまま、ただの日常風景に対して妙に色っぽい吐息をつきながらうっとりしている一之瀬さんを奥の自室へと追いやる。うっとりしている理由を気にしたら負けだ。

 机らしい机が部屋に備え付けられている勉強机しかないので僕はそこに自分の分の朝食を並べて、ふたりは床に座ってコンビニで買ってきたらしいおにぎりと味噌汁で朝食にするそうな。

 まあ、そっちはすでに食べ始めちゃってるけど。

 

「いただきます」

 

 僕がいつものようにそう言うと、背後から声が上がった。

 

「ん! おいしい。けっこう家の味噌汁と近い味な気がする」

「智さんが作ったものを口にするのは初めてですが、一之瀬さんの言う通りです。なんなら私の家に住み込みで働くのはいかかでしょう?」

「いや、それだとこの学校へ来た意味がないよね?」

「……なら、私の家はどうかなっ!?」

「天丼!」

 

 そもそも一之瀬さんの家ってお手伝いさんを雇う余裕ないでしょ? 

 

「ごちそうさまでした」

 

 僕がそう言った頃にはふたりはすでに食べ終えていて、ぺたんと座る所謂、女の子座りでスマホを操作していた。

 骨盤や脚にも影響があるらしいからあまりやらない方が良い座り方ではあるけれど、まあどうせ短時間だから口出しはしなくても大丈夫だろう。

 

「なにか面白いモノでもあった?」

「面白いものというよりかは、学生証カードとモバイル決済の紐付けを行う手続きをしていましたね」

「あーなるほどね。確かにそっちの方が便利そうだよね」

「和久津さんはそっちに変えないの?」

「僕は別にカードで良いかなって……そこまで大差があるわけでもないし……」

 

 実を言うとクレジットカードというモノに憧れていたというだけの話で所謂、趣味というやつ。

 子供の頃にハードボイルドな俳優が演じていたクレジットカードのテレビCMで「支払いは?」って聞かれた時に指で挟みながら「カードで」と答えるワンシーンがたまらなく好きで、僕の中にある男の子な感情がカードを使えと騒いでしまうのだ。

 

「そうかな……? 携帯の方が絶対に便利だと思うけどなあ……」

 

 そんな理解を得られるわけでもないから僕は嫌がらせに走るしか無い。

 

「突然のフリーズでスマホが動かなくなるかもしれないよ? 混雑するコンビニのレジ前で止まっちゃうなんてことも……」

「ちょっと! 和久津さん、そういう事言うのはやめよ? 本当にそうなるかもしれないって思えてくるんだけど?」

「紐づけしているので、その時はカードを使えばいいだけではありませんか」

「そういう時に限って部屋に忘れちゃうというのも、ひとつのあるあるだよねー」

「そうでしょうか? 手段をひとつに絞るよりもふたつにした方がリスクの分散に繋がると思いますけどね」

 

 む。そう言われると、ちょっと主張が弱いかもしれない。

 

「まあ僕も紐づけだけはしておこうかな?」

 

 まあ嘘だけど。多分やらない。間違いなくやらない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 本日の天気は快晴で、天気が崩れることはないでしょう。

 入学2日目の天気をスマートフォンで確認してから部屋の外へ出た。部屋から足を踏み出せば、さっきまで靴を履くのにも悪戦苦闘していた姿はどこへ行ったのやら有栖の雰囲気が一変している。

 なんてことはない中学で培養されたお嬢様という名の着ぐるみの皮を被っただけではあるけれども、それの中身が元アパート住まいの一般市民である僕も多分、その着ぐるみを上手く纏えているだろう。

 

 急な変わり様についていけてない一之瀬さんは僕らの反応に戸惑うばかりだったから、脇腹を突っつくとぷにっとした女の子特有の心地良い感触が返って来たのと「ひゃん!」という可愛いらしい声が飛び出した。

 

「もうっ! 和久津さん、いきなりでびっくりしたんだけどっ!」

「はい、ここで背筋を伸ばしまーす。はいっ! ピシッ……! 顎を引いて目線は前へ! 少し胸を張ってもらえる?」

 

 ボディタッチで驚いて抗議しているところへすかさず背筋を伸ばすように僕が指示すると、一之瀬さんの立ち姿が非常に美しい芍薬の様な姿へと変貌する。

 ……なんだかんだでやってくれるんだ。一之瀬さんってけっこうノリが良いよなあ。

 

「かなり良い感じになったんじゃない?」

「そうかなぁ……?」

「そのままこういう感じで歩いて貰える?」

 

 僕は背筋を伸ばしたままで足裏を軽く意識しながらも淑女っぽい歩き方で歩き、背後から一之瀬さんもそれに倣って歩いて来ている気配を感じる。

 ある程度歩いてからその場で回れ右して振り返ると、非常に上品で百合の花の様な歩き方をする一之瀬さんがそこに居た。お湯も要らない、3分も……は言い過ぎだけど、それでも至宝の簡単お手軽インスタント超絶美少女な淑女の完成だ。

 

 この一之瀬さんがどれくらい優れているのかを述べると、スーパーやコンビニで並んでいた回数制限のある無料商品よりもはるかにお得。

 こちらはなんと回数の制限なんて一切なく、もちろん無料で出来上がり品質は常に最高が保証されているから誰でもご納得した上で安心してお求めになれるってくらいには。

 ただ一点だけ残念なのは、人の心はお金(ポイント)では買えないという点だけかな〜。

 

「和久津さんの歩き方、綺麗だなって思ったけどこれ、すっごく難しいんだね」

「そう? 慣れちゃえばそうでもないし、身体にも負担が掛からないらしいよ?」

「らしいって……」

 

 そういうお作法の先生が言っていた内容をそのまま伝えただけだからね……僕にも原理はわからない。もしくは興味がないとも言う。

 

「まあ細かい所は気にせず今日だけも良いからそれで歩いて貰っても良い?」

「えーっ? でもずっとは難しいよ? 多分、すぐにいつもの歩き方になっちゃいそうなんだけど……」

「通学路だけでも良いから騙されたと思って歩いてみてよ」

「和久津さんの頼みだから良いけど……本当に通学路だけだよ?」

 

 彼女はそう言いながらもどこかやる気に満ちているように見えるのは気のせいだろうか。

 ちなみに細かいところを加えれば足の裏を意識して歩いてもらうような感じにはなるのだけど、そういうところは反復練習しか無い事と……普通にそこまで教え込む時間がない。

 まあそもそもの話、一之瀬さんを淑女ごっこに巻き込む必要は全くないけどね。

 

 とはいえ、でもどうせなら彼女をもっと良く魅せたいよね? 

 そんな僕の浅知恵のもとで行われた淑女ごっこのおかげか、エレベーターの中でも通学路でも視線を沢山頂戴することになるわけだ……今日は主に一之瀬さんがだけど。

 美容院で整えたホワイトが強めなストロベリーブロンドの長い髪の毛と毛先の緩いウェーブを靡かせている一之瀬さんに、百合の花のような歩き方をさせると胸が強調されてるからか一段と妖しげな色香を漂わせるほどに……これは危険(エロ)だ。

 

 いやしかし、これで男子からのラブレターが一之瀬さんの方へ流れるだろう。その美貌でどうかラブレター(テロ)から僕の身を守ってください。

 僕だとどうしても不純同性交遊(おえ)ってなっちゃうので、全体の半分くらいでも良いからお願いしますね? 残り半分は有栖に擦り付けますから。

 

「あ、おはよーっ!」

 

 僕がそんな下衆のような事を考えていると、妙に耳を溶かしそうな印象のあるドロドロで甘ったるい声が届く。

 

 その声の正体は昨日、香水のブランドショップ店内で他人との連絡先のコレクションをしたがる奇特な趣味が高じて僕らにナンパをしてきた猛者仕様のマイクロミニスカートを自ら穿いてしまうくらいに貞操観念を投げ捨てていて、茶髪のショートヘアには可愛らしい顔立ちと一之瀬さんほどではないにせよそれなりのお餅をお持ちになっている。

 おそらく僕と同業者(秘密)の匂いを漂わせた女の子……まあ、スカートを穿いてる時点で99.99%の確率で女子ではあるんだけど、例外がここに居ると思うと少し複雑な気分を感じながらも彼女はあざとく手を振りながらこちらへと駆けて来ていた。

 

 それで確か名前は…… 櫛田(くしだ)桔梗(ききょう)だったか。

 

「えっと確か…… 七瀬(ななせ)(つばさ)さんと冬篠(とうしの)宮和(みやわ)さん……だったよね?」

 

 あー……そういえば、なんとなく咄嗟に思い浮かんだ偽名を名乗っていた気がする。

 

 ──見ず知らずの人に対して無闇に自分の名前や住所などを教えてはいけないよ。もし、しつこいようであれば偽名を名乗るといい。まあこれは僕の娘にも同じことを言ってあるけど、君は男の子でありながら女の子にならないといけないからね。

 

 といった具合で少々腑に落ちない点があるにせよ、小学生の頃に教わったあしながおじさんの教えを忠実に行っただけで僕は何も悪くない。たとえそれが詭弁であろうともだ。

 ついでに言えば僕が偽名を名乗った事で有栖もそれを真似て後輩()──七瀬翼の名を借りていたけど、目の前に居る櫛田さんが名前を書いたら死ぬノートを所持していて、もしも彼女がその名を書いたら死んでしまうのは有栖ではなく翼だった。

 かなり僕らを慕ってくれていて、有栖はめちゃくちゃなくらい使役していたのに成長期を迎えて色々と大きくなった途端、ボロ雑巾のように切り捨ててしまえるほど彼女を憎んでいるのか。

 くわばらくわばらっと。

 

「ん……?」

 

 一之瀬さんは当然のように疑問符を浮かべていた。全く擦りもしていない名前に対して、誰? どういう事? といった具合に。

 

「あれ……? 私、間違ってないよね? 七瀬さんと──」

 

 僕らの目の前に居る櫛田さんが笑顔からは少しだけ焦りを滲ませた表情へ変わりつつも手のひらを使って有栖を指し示し、流れるように。

 

「冬篠さんだよね?」

 

 と、僕を指し示した。

 うん。まあ、それが偽名で無ければ合ってるけどね。

 

「あの、全くの人違いだと思いますけど……」

 

 昨日の事情は何も知らない、ある意味第三者的立場である一之瀬さんが少し警戒しながらも代表してそう答えた。

 目の前に居る櫛田さんを不審者として認識したのかもしれない。

 まあ、彼女の目線から見れば、向こうから明るく近寄って来た上で呼んだ名前は完全に外しているという正体不明で意味不明な(痛い)女子でしかないと思うからね。

 

「ええ、この方の勘違いではありませんか?」

「うん。僕も全く知らない人だなあ」

 

 完璧な程に知らないフリをした表情を作り上げている僕と有栖は一之瀬さんの言葉に全力で乗っかった事で、櫛田さんの焦りが大きくなる。

 

「ええぇーっ!? いやいや絶対に昨日、香水のブランドショップで会ったよぉ!? それにふたりとも凄く特徴的過ぎるもん、絶対に間違えてないって。私、昨日挨拶したよね?」

「しかしながら実際、私たちはそのような名前ではございませんからね……」

「それに世界では似た人が自分を含めて3人居るとも言いますし、何処か別の場所でその人と勘違いしたんじゃ……?」

「昨日初めて、この学校の中で見たのっ! そこまで都合よく似た人が居るわけないと思うよぉ!?」

「この人、見かけた記憶ある?」

「いいえ、私も最近は妙に物覚えがあまりよろしくありませんので……」

「だよねー。実は僕もそうなんだ」

「私達、昨日から高校生! ふたりとも老化が早すぎるよ!? そんな記憶力でどうやって授業を乗り切るの?」

「……あの、私は事態があまり飲み込めてないんだけど……本当に会ってるのかな?」

 

 櫛田さんへ怪訝な表情を浮かべながらも質問をしている一之瀬さんは、どちらかと言えば面識のある僕と有栖の方に立場が寄っていると思う。なので僕は彼女に向けてすかさず意見を主張した。

 

「僕が嘘を言うとでも? もし本当に彼女が僕と会ってるなら、僕の名前が言えるのは当然だと思うけど……?」

 

 僕は昨日の保健室で行ったように一之瀬さんの右耳へ嘘を囁くと、彼女は「にゃっ、耳が……」という言葉を残しながらも僕の事を信用してくれそうな気がする。

 

「あら、もしかして新手のナンパではございませんか? 若しくは知人を装って私たちに何か如何わしい事をするつもりかもしれませんよ?」

 

 有栖は悪意ここに極まれりといった内容で少し屈んだ一之瀬さんの左耳へ嘘をささめいているけれど、一之瀬さんは「はぁー……朝から両耳が幸せ……」と感想をこぼしつつもこの世界で一番信用してはいけない有栖のことを何故か信用してしまうだろう。

 あとちなみに、一之瀬さんの弱点は耳元で囁かれることらしい。無論、ただの豆知識で深い意味は全くないよ? 

 

「ふたりとも酷いよぉ……昨日はあんなに楽しくお喋りしたのにどうしてそんな嘘を吐くの……?」

 

 少しだけ涙目になっている櫛田さんが事実を述べているように見えて、案外そうでもない。どちらかと言えば誇張表現が多いと思う。

 何故なら昨日は初っ端からコールドリーディングじみたものを仕掛けてくるやつなんて基本的には宗教や謎のセミナーの勧誘(坂柳さんと呼んでいた頃の有栖)ぐらいには胡散臭いと思ったからだ。

 

「あっ……もしかして、ふたりとも偽名を名乗った……とか?」

 

 少しだけぽわぽわしている一之瀬さんが、意外と鋭い頭脳を発揮して事の真相に辿り着いた。

 

「でも僕、知らない人相手にはそうしろと教えられましたので」

「そうですね。私も父の教えを守っただけですから」

 

 有栖が僕の言葉を真似て、即座に保身へと走る姿は筆舌に尽くし難いものがある。

 一体、誰に似てしまったのやら。

 

「あー……なるほど。たしかに一理ある……かにゃっ……? うん、あるねっ!」

 

 顔や耳を赤くしていて優秀な頭脳を持つ一之瀬さんは完全に僕たちの味方をしてくれるそうだ。ただ、もしかすると目が回っているかもしれないけれど、それは非常に些細な事だろう。

 

「ちょっと待って!? 今、絶対に不正が起こった決定的瞬間だったよねっ!? 普通に納得しないで欲しいかなーって私は思うけど! それに同じ女の子同士でしかも同級生相手に偽名を使うなんて、最初から不審者扱いだったの!? 本当に心臓が止まるかと思うくらいにびっくりしたし、本気で焦ったし、私けっこうショックなんだけどっ!?」

 

 いいえ、僕は女の子ではありませんよ。

 この言葉が言えたらみんな死ぬほど驚くだろうなぁとは思いつつも、僕も死んじゃうから絶対にやらない。本当にただの自爆技だし、宴会芸にもならない。

 

「えー……でもでも、ふたりがそこまで警戒したということは……うーん。結局この子には……気が引けるけど私も偽名を名乗った方が良いのかなあ?」

「待って待って! お願いだから私の話を聞いて? 私、不審者じゃなくて、みんなとお友達になりたかっただけだよぉ!? そこは本当に信じて欲しいなーって」

「いやいや、全世界で大ベストセラーでもある聖書っていう本があるんだけどさ、それを僕の中でひとつ噛み砕いた言葉があるんだ……信じる者は騙されるってね」

「救われるだよっ!? 一体どういう風に読み込んで騙されるに変わったのっ!? それに人を騙すのは絶対に良くないと私は思うけどなぁ〜」

「ですがこの世界には、適度な嘘は社会の潤滑油だと言い張る方も実在していましてね……」

「嘘しかなかったよ!? もう嘘という油を差し過ぎてギットギトだと思うけど!?」

「油で思い出したけど、水と油、どっち派?」

「唐突過ぎてもう質問の意味がわかんないよーっ!?」

「私は水かなぁ……?」

「このタイミングで天然ボケもしてくるの!? もう、こんなのひとりじゃ無理だよぉ……誰か助けてーっ!」

 

 悲痛な叫びを聞いてどうしてかは分からないけど、僕の脳裏に櫛田さんとお米が紐づいた。それはまるでクレジットカードとスマートフォン決済の紐付けのように。

 

「お、その叫びは君にすごく似合ってる気がするから、これは是非ともDクラスには、おこめ券を進呈する必要があるかもしれないね」

「そもそもおこめ券ってこの学校で使えるの?」

「さてどうでしょうね? そもそもおこめ券の入手が出来ない可能性の方が高い気もしますけれど……」

「あの、露骨に置いてけぼりな会話は結構傷つくかなって。それと一瞬聞き逃しそうになったけど、やっぱり私の事ちゃんと覚えてくれてたよね! さっきDクラスって聞こえたよぉ!?」

「ううん。Dカップって言ったけど?」

「うん、それもうただのセクハラだねっ!? それにDカップの胸へおこめ券ってどう考えても内容がおかしいよね!?」

「持たざる者である僕たちには全く遠い世界の話ですね……有栖()

「ええ、私たちが理解へ及ぶには少々難しい話かもしれませんね(宮和)さん」

「どうして突然ハシゴを外したのっ!? 私、結構身を張って頑張ったのにその反応は酷いと思うなぁ!?」

 

 昨日、咄嗟に七瀬翼の名を出したのはもしかすると、あれぐらい大きくなりたいという隠れた欲求があるのかもしれない。

 あとちなみに有栖は僕より胸がある事でそこそこ安堵している節がある。まあ、その大きさで対抗している相手は男なんだけど。

 

「……あと、ふたりのそれがもう偽名なのは知ってるよぉ? もうそろそろちゃんとしたお名前を教えて欲しいかなあって思うんだけど」

「あ、私1-Bの茶柱佐枝です」

「それ、私のクラス担任の名前ーっ!? 私、Dクラスだからっ!? 先生の名前だって知ってるから、バレッバレな嘘だっていうのはすぐ分かっちゃうよぉ!? もしかして今までずっと偽名を考えてたの?」

「ふふっ……しかしながら同姓同名の可能性は捨て切れませんよ?」

「あんな奇抜な苗字はなかなか見かけないと思うんだけどなぁー!?」

 

 ゼーハーと息を荒くする櫛田さんがそこに居た。

 

「櫛田さん? 如何されました? ツッコミの道はまだまだ険しくて、ノリツッコミがまだ出来ていませんよ?」

「うんうん、そうだねぇーっ。まだちょ〜っとボケの練習をしないとノリツッコミをするのは難しいかなぁーって私は思うんだけど、って違うよっ!? あと私は別にツッコミを目指しているワケじゃなくて、友達を作りに来たのっ! それに私の苗字を呼んだって事は私の事をちゃんと覚えてくれてたって事だよね?」

「うん。まあ僕は櫛田さんの名前はちゃんと覚えているけど、残念ながらもうお時間が来てしまいまして……」

 

 通学路ではボケに回った僕たち……いや一之瀬さんは天然ボケだったけどそれでも軽快なツッコミを入れ続けてくれた櫛田さんに対して、僕は校舎を指し示す。

 

「……次は絶対に本名を聞き出してみせるから!」

「じゃあまた別の偽名を用意しないといけないね」

「ねえ……どうして素直に教えてくれないの?」

「いや、ほら。可愛い子には意地悪をしたくなる気持ちってあるじゃない?」

「か、可愛いなんて……そんなことはないよぉ?」

「じゃあ、そんなことはないんだろうね」

「っ! ……本当に意地悪な人だなぁ、もう……」

 

 一瞬だけ表情が崩れて声もワントーン下がった。なるほど、この辺に触れて欲しくない何かがあるというワケですか。

 でも、そんなに剥がれやすい化けの皮で大丈夫……? そういう皮を剥がしたくなる人、僕は非常に心当たりがあるんだよねぇ……。

 そしてその心当たりと目が合った。どうやら自分より大きなお胸を持つ女性は平等に死すべしと考えていそうだけど、彼女よりも小さいお胸の女性は世界でも数えるくらいしか居ないだろう。

 人類滅亡の日はそう遠くないかもしれない。

 

「ちなみに僕は櫛田さんの事をツッコミの人だと思ってるけど……違うの?」

「違うよぉ!? 絶対に違うから!?」

 

 櫛田さんはそう言い残しながら、ツッコミ過ぎて疲れたのか足早に去っていった。応援するからボケの相方を見つけて漫才の道へと進んでくれないだろうか。

 

 ちなみに有栖は一之瀬さんが雑過ぎるぐらいに放ったサエちゃんのネタが結構ツボに入っていた。

 

 お笑いって難しいよね。

 





ストーリーがほとんど進んで行かないのは何故なのでしょうか?
その謎を探るべく、作者はAmazonと楽天で買い物(何も買ってない)を楽しんだ。


結論として、るい智の呪いであることに気がついた。
早く5月に入りたい……(願望)。
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