スピカの部室。コントレイルとトレーナーが向かい合って立っている。
コントレイルの表情は、驚き。対するトレーナーは真面目な表情。
震える声でコントレイルは尋ねる。
「い、今……なんて、言ったの?トレーナーさん」
不安そうな表情のコントレイル。そんな彼女にトレーナーである沖野は淡々と告げる。
「聞こえなかったならもう一度言おう」
コントレイルにとって、到底受け入れがたい一言を沖野は言い放つ。
「ヴァーディクトデイに固執するのはもう止めろ」
「無理です」
なお、秒で断るコントレイルだった。
めんどくさそうに頭を掻く沖野。対してコントレイルは頬を膨らませて抗議する態度だ。
「どうしてそんな酷いことを言うんですか!?鬼!悪魔!たづなさん!」
「その2つとたづなさんを同列に扱うのは違うだろ」
ヴァーディクトデイに固執するのを止めろという沖野の言葉。その真意を説明する。
「いくらなんでも、お前はヴァーディクトデイに固執し過ぎだ。いつか痛い目を見るぞ?」
「そんなバカな。ヴァーディ君に固執するのはアレグリアさんも変わりませんし……僕だけっていうのは納得いきません!」
机をバンッ!と叩くコントレイル。壊れるから止めて欲しいと内心思う沖野だったがツッコまないことにした。
コントレイルの不満は収まらない。彼女にとってヴァーディクトデイへの固執を止めるということは、それだけ耐え難いことなのかもしれない。もしくは、本人自身が固執していることに気づいていないかのどちらかだ。おそらく後者だろう。
溜息を吐きながら沖野はコントレイルに指摘する。
「いいか?コントレイル。お前のヴァーディクトデイに対する執着は
「……そんなことないと思います」
「お前の言う通り、確かにグランアレグリアもヴァーディクトデイを意識しているが……お前のそれは他人と比べても度を越している」
思い当たる節があるのか、口ごもるコントレイル。沖野は間髪入れずに指摘する。
「それが悪いとは言わん。だが……今のままじゃあ、ヴァーディクトデイには到底勝てない」
沖野がそういった瞬間、コントレイルは再び驚く。掴みかからんばかりの勢いで沖野を問い詰めた。
「ど、どういうことですかっ!?どうして僕は、ヴァーディ君に勝てないって!」
「意識の向け方だ」
「意識の、向け方……?」
困惑するコントレイルに沖野は説明する。今のコントレイルの状況を。
「お前はどこか、ヴァーディクトデイに羨望の感情を抱いている節がある。大阪杯ではそれが顕著だった」
「……で、でも!僕はヴァーディ君に勝ちたいって!」
「確かにそれは間違いじゃないんだろう。だが……それと同じくらいこう思っていたはずだ。アイツに負けても仕方ないと」
言い淀むコントレイル。こちらにも、思い当たる節があった。
コントレイルは大阪杯に負けた後、確かに悔しい気持ちは抱いていた。だが当の本人が真っ先に思ったことは──ヴァーディクトデイの視線の先である。
それが自分に向けられたものではないと分かっていた。ただその視線を自分だけに向けて欲しいとは思っていたが……それだけだ。負けたことの悔しさよりも、別のことに意識が向いていたのである。
ヴァーディクトデイが凄いと思っていたことを否定できない。何故ならその通りだから。凄いと思うだけで……どうやって自分に視線を向けることができるかだろうか?と。そんなことばかりを考えていた。方法など、単純明快なはずなのに。
必死に言葉を絞り出そうとするコントレイル。苦悶の表情で彼女が絞り出した言葉は。
「そ、そんな……こと……」
否定の言葉。即座に沖野に遮られる。
「ないって言えるか?あの時のヴァーディクトデイには負けても仕方ないって思わなかったと、自信を持って言えるか?」
「うっ……」
言えなかった。その気持ちが少しはあったと、コントレイルは感じているから。否定しきれずに俯くコントレイル。
「大阪杯のヴァーディクトデイは異次元だった。あのレースでアイツはさらに一皮むけたといってもいいだろう」
「……」
「そんなアイツと、お前は戦っていかなきゃならねぇ。だけど今のままじゃあ、ヴァーディクトデイに追いつけないばかりか引き離されるだけだ」
沖野は真っ直ぐにコントレイルを見据える。その瞳は、迷っている担当を導こうとしている指導者の目だった。
「別に、全部が全部悪いってわけじゃない。ライバルを意識するってのは、モチベーションを保つ上で大事なことだからな」
「……はい」
「だから、考え方を変えるんだ。コントレイル……お前はヴァーディクトデイに勝ってどうしたい?」
「ヴァーディ君に勝って、どうしたい……」
頷く沖野。コントレイルは考える……自分は、ヴァーディクトデイというウマ娘に勝ってどうしたいのかを。
考えて、考えて……思い至るのはやはり、
理由なんていらない。自分はヴァーディクトデイというウマ娘に勝ちたいという欲求。認められたいとか、認識されたいとか見て欲しいとか。そんな感情じゃ済まされないようなもの。コントレイルはそう感じていた。
だけどそれと同時に押し寄せるのは、本当にヴァーディクトデイに勝てるのだろうか?という不安だ。
ヴァーディクトデイのスピードは群を抜いている。大阪杯だけではない、秋の天皇賞だって明らかに他よりも突出していた。
全てのレースにおいて上がり最速を叩き出す末脚。それは適性外である有マ記念も例外じゃない。あの圧倒的なスピードを前に、自分は本当に勝てるのかと……思わざるを得なかった。
(こういう、ことか……)
迷いが生まれるコントレイル。ヴァーディクトデイに勝ちたい、だけど今の彼女は自分よりも上だと思っている。そして──そんな彼女にどこか羨望の感情を抱いていたことを否定できない自分がいる。
悩んだ末に、コントレイルが出した結論は。
「ヴァーディ君に勝って……僕を、認めさせたいです」
「認めさせたい……それは、ヴァーディクトデイにか?」
こくりと頷くコントレイル。コントレイルの答えに、沖野は笑みを浮かべて頷いた。
「なら、頑張らねぇとな!」
「……え?」
てっきり、結局ヴァーディクトデイに固執していることを指摘されるのかとコントレイルは思っていた。だが沖野の口から出てきたのは、それを良しとする声。
「さ、さっきトレーナーさんは固執しすぎるなって」
困惑気味のコントレイルに沖野は答える。
「確かに、固執しすぎるなとは言った。だがそれはあくまで意識の向け方がまずかったからだ」
それは先程と同じ、意識の向け方。
「お前は大阪杯のヴァーディクトデイに負けても仕方ないと心のどっかで感じていた。それは良くないことだ」
「は、はい」
「諦めちまったから届くもんも届かなくなる。だから固執しすぎるのを止めろと言ったんだ後いい加減ヴァーディクトデイ側から文句を言われても仕方ないところまできてるからな……」
後半部分をコントレイルは聞き取れなかったが、沖野の言葉を反芻する。諦めたら届くものも届かないという言葉を。
(僕は、ヴァーディ君の視線をどうやって自分に向けさせるかを考えていた。でも、よくよく考えたら単純じゃないか……)
ヴァーディクトデイに勝利して、嫌でも自分に意識を向けさせればいい。そんな単純なことを考えつかなかった。
コントレイルは反省する。自分の意識の向け方が間違っていたことに。
「すいません、トレーナーさん……僕、間違ってたみたいです」
「そうか。分かってくれたようで「だから、原初に戻ってみます」お、おう?」
コントレイルは思い出す。ヴァーディクトデイとの初邂逅の時を。
あの時ヴァーディクトデイの走りを見て、自分は何を感じた?何を思った?そのことを思い出す。
(簡単だ……僕は、あの時のヴァーディ君を)
飛ぶように走る彼女を、軽やかに駆け抜ける彼女を──ぐちゃぐちゃに壊したいと。
(あはぁ……そうだった♥ずぅっと忘れちゃってたよ)
「……なんか雲行きが怪しくなってきたな」
コントレイルの様子がおかしくなったことに気づく沖野。だがコントレイルは止まらない。
(ヴァーディ君に勝ちたいのは、あの走りを僕の走りで追い抜きたいと思ったからだ。僕の走りを……ヴァーディ君に刻みつけたいと思ったからだ)
そして思い出す、最近はめっきり見なくなった夢のこと。
辛い、苦しい、痛い、切ない……悲しみの感情が押し寄せていたあの夢。夢の誰かの正体はヴァーディクトデイ。そう直感した時からずっと抱いていたこと。
彼女、ヴァーディクトデイに──追いつきたい、並びたいという感情。そして、ぐちゃぐちゃにしたいという感情
ヴァーディクトデイこそが自分の運命の相手だと感じたあの日からずっとその気持ちを抱いていた。最近はどうも忘れがちだったが、トレーナーのおかげで思い出すことができた。
「ありがとうございます、トレーナーさん。おかげで思い出すことができましたよ……大切な気持ちを」
「おう、俺はちょっと後悔してるよ」
「?」
呆れている沖野を不思議そうな表情で見るコントレイル。沖野はまたヤバい方向に舵を取ったコントレイルになんとも言えなかった。
話は今後のトレーニングに戻る。幸いにもコントレイルの身体に支障はない。重バ場となった大阪杯で脚のダメージがどうなるかが焦点だったが、後遺症になるものはなさそうだった。
「ひとまずは宝塚記念を目指すことになるが……どうする?」
尋ねる沖野に、コントレイルは頷く。
「そうですね、ひとまずは宝塚記念に。そして今後は……ヴァーディ君に勝つための下積みをしたいです」
「ヴァーディクトデイに勝つための下積み……か」
こくりと頷くコントレイル。真っ直ぐに沖野を見ていた。
「この前小耳に挟んだんです。ヴァーディ君はジャパンカップに執着してるって。だからきっと、ヴァーディ君はジャパンカップに出走してくる」
「ジャパンカップか……だったらお前も」
「はい。今年の僕の目標は──ジャパンカップ。ジャパンカップに、過去最高の仕上げで挑みたいです」
そう宣言するコントレイル。沖野は複雑な感情を抱きつつも、どこか迷いを振り切ったコントレイルの表情を見て、頷いた。
「分かった。ジャパンカップを最大の目標に据えて調整しよう。宝塚記念から秋の天皇賞、そしてジャパンカップのローテで行く」
「はい、お願いします」
コントレイルに対し、沖野は笑顔で告げる。今後の彼女のこと、ヴァーディクトデイに勝つために。
「この夏は忙しくなるぞ、コントレイル!気合入れていけよ!」
「はい……待っててねヴァーディくぅん♥ジャパンカップで、最高の勝負をしようね?」
「……やっぱ固執しすぎるなって念押しすべきだったかぁ?」
ニタリと笑うコントレイルに、やはり後悔する沖野だった。
最近隔日になってて申し訳ない……。