曇り空のロンシャンレース場。ついにこの日がやってきたか……凱旋門賞。
(っつーか、本当にやべぇなこのバ場。2回目よかマシだけど)
このバ場のせいで俺は余計に体力を消耗したといっても過言ではない。その結果が、ジャパンカップに出走できないほどの疲労。元々疲労がたまりやすいとはいえ、ありゃ本当にヤバかった。
ただ、2回目。完全に覚醒した今ならば問題なくいけるはずだ。
(2回目の凱旋門賞はこの時よりもさらに酷いバ場だったしな……小雨が降ってたし)
曇りな分こっちの方がまだマシ、か。ひとまず身体をほぐしておきますかね。
ウォーミングアップをしつつ、他のウマ娘をチェックする。え~っと、あれがハリケーンレーンに……あ、タルナワさんだ。こっちに気づいて手を振ってら。とりあえず手を振り返しときますかね。
後は前世では俺の2着だったトルカータータッソのヤツ。こっちでは初見だ。にしても、なんて言うんだろうな。
(滅茶苦茶燃えてるわ、今の俺)
なんていうんだろうな、今までずっと闇の中を走っている気分だった。もがいて、足掻いて。ずっと苦しい気持ちのまま走っていた。決して追いつかない幻影を追いかけて、自分を追い詰めて。たくさんの人に迷惑をかけたもんだ。それが正解だと思っていたから、そうすれば救われると感じていたから。だから変えようとも思わなかった。
でも、違った。バカな俺は、間違っていることにずっと気づかなかった。ま、今はそれに気づいている。だから。
(証明してやるさ。この凱旋門賞を勝って……俺の実力を!)
「世界一を証明してやろうじゃねぇか」
ま、前世では世界一の競走馬なんて呼ばれてたしな。それ来年の話だけど。一年先取りするぐらいだ、問題ねぇだろ。
ウォーミングアップを済ませる。出走の時は近い。
◇
ロンシャンレース場はたくさんの人で溢れている。今年もこの時期がやってきたと、誰もが期待に胸を高鳴らせる。
とりわけ注目を集めているのは日本から来たウマ娘ヴァーディクトデイ。BCターフを制した女傑タルナワと期待の新星だったセントマークスバシリカを下して愛チャンピオンステークスを制した超新星。彼女が凱旋門賞の1番人気となっていた。
「ヴァーディクトデイの末脚は注目だな!日本の映像を見たけど、ありゃ別格だ!」
「確か重バ場でも問題なく発揮できるんだろ?もしかして、勇者の再来もあり得るんじゃないか!?」
「いや~、どうだ?ロンシャンの重バ場はやべーぞ?ただでさえ走ったことないんだからキツいと思うぜ俺は」
観客の話題はヴァーディクトデイのことで大半を占めていた。そのことに彼女のトレーナーである海藤は誇らしい気持ちになる。
「ヴァーディ、かなり注目されてるみたいだね」
「本当ですね!ヴァーディは凄いな~」
「後でエフちゃんにも教えてあ~げよっと!」
彼のチームに所属しているエフフォーリアと一部のメンバーは秋天に向けた調整のために日本に残っている。ヴァーディクトデイとクロノジェネシスの凱旋門賞が終われば、今度は秋天の調整だろう。
注目を集めるヴァーディクトデイ。ただ、それはファンだけではない。
「いや~、今年も凄い人だ。やはり、欧州最高峰のレースは伊達じゃないね」
周りを見渡しながら闊歩するウマ娘──フランケル。欧州最強の名をほしいままにしたウマ娘が、ロンシャンレース場を訪れていた。
フランケルの隣には何度目か分からない深いため息をつくウマ娘、ナサニエルもいた。そんなナサニエルを労わるようにエネイブルがついている。バティスタとベルフラムもいた。
「……いい加減思いついたかのようにワタシを連れ回すのはよせフランケル」
「アハハ!でも、毎回毎回律儀に付き合ってくれるね!」
「……」
言い訳もめんどくさくなったのか何も言わないナサニエル。彼女達はターフへと目を向けていた。ナサニエルの隣にいるエネイブルは興奮気味に声援を送っている。
「頑張ってくださ~い!ヴァーディさま~!そして、私とお揃いに~!」
「ふっふ~ん!アイツの実力を測る良い機会ね!」
「……アホ姉はどの立場から物を言ってるの?」
三者三様の反応を見せるエネイブル達。その中でフランケルとナサニエルは冷静に俯瞰していた。
「有力視されているのは……セントレジャーの勝ちウマ娘ハリケーンレーンにBCターフを勝ったタルナワ、そしてヴァーディ。特にヴァーディの注目度は凄いね」
「当然だろう。日本のウマ娘が愛チャンピオンステークスを勝ったのだからな。それから日も経っていないのだから、注目度は段違いだ」
「それはそうだね。後はフォワ賞を勝った同じく日本のディープボンドに……不気味なのはドイツのトルカータータッソ、か」
愉快そうに出走するウマ娘を見るフランケル。そんなフランケルにナサニエルは怪訝な表情を向ける。
「……それで?なんでワタシを引っ張り出してまでここに来た?いつもならば勝手に行く!と言って出ていくのに、今回はワタシを引っ張ってきたわけだが」
「う~ん、それはだねぇ……」
ナサニエルの質問に、フランケルは笑顔で答えた。
「
「……どういう意味だ?」
「最強が生まれようとしている、ってことさ。時代を象徴するような怪物が、ね」
「……それは」
ナサニエルは視線を向ける。その先には──ヴァーディクトデイがいた。
ゲートインの時間がやってくる。出走するウマ娘達が続々とゲートへと入ろうとしていた。中にはゲート入りを渋るウマ娘もいたが、最終的には大人しく入る。
《各ウマ娘がゲートに入ります。ロンシャンレース場、世界最高峰の舞台の1つ凱旋門賞!芝2400m、バ場の状態は重バ場と発表されています!今年も選りすぐりのウマ娘達が出走してきております!英セントレジャーを制したウマ娘、果たしてジンクスを打ち破ることはできるか?ハリケーンレーン!昨年のBCターフを制した女傑タルナワ!その剛脚で愛チャンピオンステークスを制したヴァーディクトデイ!さらにはフォワ賞覇者のディープボンドにアダイヤー、豪華なメンバーが集まっております!1番人気はヴァーディクトデイ、果たしてどのようなレースを見せてくれるのか?》
ゲートに収まったウマ娘達は静かに待つ。息を吞む音が聞こえる観客席、静寂を切り裂くように──ゲートが開く音が響いた。それと同時に、ウマ娘達が一斉に駆け出す。凱旋門賞が始まりを告げた。
《始まりました凱旋門賞!まず飛び出したのはっ、アダイヤーとハリケーンレーン!アダイヤーとハリケーンレーン、この2人が飛び出しました!他も綺麗なスタートを切りましたが……ヴァーディクトデイは僅かに出遅れたか?しかし彼女は後方待機を選ぶ様子!そのまま後ろにつけました!そして日本のグランプリ女王クロノジェネシスは外を走っている!集団から外れて外を走るクロノジェネシス!果たしてこれにはどのような意図があるのか?》
レースはアダイヤーとハリケーンレーンがレースを引っ張る形。この2人がガンガン飛ばして前につけた。それを追走するように真ん中にアレンカーが割って入る。この3人が逃げる形となる。集団はばらけており、先行争いはそこまで激化する様子を見せない。お互い、腹の探り合いをしている状況だった。
そんな中、クロノジェネシスは外へと持ち出している。集団から離れた外にポツンと1人で走っていた。ディープボンドは集団の真ん中、スノーフォールやドイツのトルカータータッソと同じ位置につけていた。ヴァーディクトデイは集団のさらに後ろ、最後方につけるいつもの位置だ。
《スタートしてからしばらくは平坦な道、しかし400mを越えたら今度はロンシャンの坂が待ち構えます!水を吸って重くなったロンシャンのバ場、上り坂はかなりハードになるでしょう!先頭はアダイヤー、ハリケーンレーン、アレンカー!この3人が先頭争い!4番手は……外にクロノジェネシスか?4番手に外クロノジェネシスがつけています!1番人気ヴァーディクトデイはバ群の最後方、集団の1バ身後ろ、外目につけています!前を睨むヴァーディクトデイ、その末脚はロンシャンの重バ場でも発揮できるのか?》
坂を上る各ウマ娘。クロノジェネシスはロンシャンの重バ場に苦戦していた。
(日本の重バ場とは全然違うって聞いてたけど……!本当に別物だよコレ!凄く走り辛い!)
走る度にスタミナをごっそりと持っていかれるような感覚がクロノジェネシスを襲う。重バ場は得意な彼女だが、それでも未知の体験だった。
苦戦しているのはディープボンドも同様である。
(うぅ~、話には聞いてたけど……実際に体験してみると本当に別物だよコレ~!)
フォワ賞で走ったことのある彼女だが、あの時は良バ場だった。それが重バ場に変わるだけでここまでの差になるとは思わなかったようだ。それでも何とか走っている。
最後方に控えるヴァーディクトデイは……ジッと前だけを見つめていた。
「……」
獲物を狙う肉食獣のように、機会を窺っている。ロンシャンの重バ場に堪えている様子は見受けられない。最後方、外につけていた。
レースを見守る海藤達。その目には心配の感情が見てとれた。
「ロンシャンの重バ場……歴代の挑戦者達が苦戦したこのバ場は、やっぱり苦しいものがあるだろうね」
「だ、大丈夫かな?クロノ達」
「応援する他ありません。それに、ボンドさん達なら大丈夫です」
海藤達の言葉にカノープスのイクノディクタスが反応する。カノープスのメンバーはディープボンドへと声援を送っていた。
「……俺達も精一杯応援しよう!やり残しがないように!」
「「「はいっ!」」」
応援に触発されて、海藤達も声援を送った。クロノジェネシスとヴァーディクトデイを応援する。
フランケル達は興味深そうに最後方を走るウマ娘を見る。愉快そうに、笑みを浮かべていた。
「このバ場で、あくまで自分のスタイルを崩さない……か」
「ふっふ~ん!このバ場で、あんな後ろで走るなんてな!
「……バティ?」
大バカ、という言葉に反応してエネイブルが笑顔でバティスタを見る。バティスタは青ざめて震えていた。
そんなバティスタに、ナサニエルが助け舟を出す。
「落ち着きなさいエネイブル。バティは
「……まぁ、そうですが」
「常識で考えれば、ヴァーディの位置はかなり不利だ。ロンシャンで後方待機策など普通は考えない。ましてや重バ場、末脚はいつも以上に発揮しにくい」
だが、と口を挟むフランケル。
「それでも彼女は後方待機を選んだ。つまりは──よっぽど自信があるんだろうね、自分の末脚に」
「だろうな。彼女の末脚は日本でもかなりの脅威として知られている。さて……レースがどう転ぶか」
ナサニエルも興味深そうにレースを見守る。第3コーナーに差し掛かろうとしていた。