人は大人になるにつれて本気の出し方を忘れてしまう。
子供の頃は、明日のことなんて考えずにはしゃぎ倒す。どんな時でもどんなことでも全力で本気を出す。その方が楽しいから、明日のことなんて考えないで今を楽しむ。それが許されるし、それができるのが子供の特権みたいなものだ。
だけど歳を取るにつれてそうもいかなくなってくる。明日のことを考えて、余力を残して今を生きるようになる。いわゆる、手の抜き方を覚えるってとこだろうか?毎日を全力で生きていたら疲れるし、歳を重ねるにつれて色々なしがらみも増えてくる。学生だったら進路のこともそうだし、人付き合いだってそうだ。これが社会人になると、明日を生きるための仕事や体力の衰えも出てくるから余計に全力を出さずに生きるようになる。自分の限界を設定して、そこが自分の限界だと決めつける。本当は、もっと力を出せるはずなのに。
いつまでも子供気分でいられない。大人になるにつれて、人は手の抜き方というものを覚える。明日のことを、未来のことを考えて。今に全力を注ぐことを忘れてしまう。
そうして忘れてしまうのだ──本気の出し方というものを。
「──私がNHKマイルカップの前に言っていたこと、覚えているね?海藤君」
ヴァーディの馬主、クラブの代表を前に。俺は項垂れるしかなかった。
「……はい、覚えています」
「ヴァーディクトデイの容態は?特に問題はないかね?」
「はい。怪我や病気はありません」
「なら、ヴァーディクトデイは予定通り宝塚記念に向かわせる。異論は?」
本当なら、異論はあると言いたい。ヴァーディをダービーに出させてください。今度こそコントレイルに勝つから、ヴァーディクトデイをダービーに出させてください。だけど、NHKマイルに勝てなかった以上。
「ありません……」
そういうしか、なかった。
「そして、今回の騎乗をもって滝村騎手をヴァーディクトデイの主戦騎手から外す。一度別の騎手に乗り換えて様子を見よう。宝塚記念、彼はクロノジェネシスを選ぶと言っていたのだろう?」
「はい。それも、承知済みです。滝村さん本人から聞きました」
「なら、ヴァーディクトデイの屋根の乗り替わりも決定だ。あてはあるかね?」
ヴァーディの騎手のあてか。今から誰に声をかけるかと考えるが。つい最近、ヴァーディに興味を持ってくれている騎手がいたことを思い出す。
「あてはあります。つい先日、ヴァーディクトデイに興味を持ってくれた騎手の方がいましたので」
「それは重畳。騎手の名前は?」
「金添騎手です」
「……随分と大物が興味を持ったものだな」
代表もビックリしている。俺も金添さんが厩舎を訪ねてもよいか?と電話をかけてきた時にはビックリした。連絡を受け取って、許可を出した後彼は厩舎にやってきた。そして、ヴァーディに興味を持っている素振りを見せたのだ。あの時は滝村さんという主戦騎手がいる都合上金添さんも何も言わなかったと思うのだが、多分ヴァーディに乗せてくれないか?と考えていたのだろう。そう推察する。
金添さんと言えば、やはりオルフェーヴルだろう。印象に残っている。
「では、金添騎手を調教でヴァーディクトデイに乗せてみて問題なしと判断したなら。宝塚記念は金添騎手とのコンビで行こう」
「分かりました」
「それと最後に1つ」
「なんでしょうか?」
代表は、申し訳なさそうな表情をしていた。
「私としては、君も滝村騎手も責めるつもりは毛頭ない。滝村騎手も立派にヴァーディクトデイに騎乗していたし、スプリングステークスまでは結果を出してくれていた。だからこのような判断をさせてしまい、本当に申し訳ない」
「だ、代表が謝ることじゃないですよ!?私も、もっと頑張っていれば……」
「……なんにせよ、金添騎手とのコンビ。期待しているよ」
「はい。今度こそ必ず、G1を獲らせてみせます!」
そう答えて、俺は代表の部屋を出た。
NHKマイルが終わってしばらく。俺の疲労も抜けたと判断し調教再開となったのだが。
「ヴァーディ、この人は君の新しい騎手になる金添さんだよ」
「よろしくね、ヴァーディクトデイ」
知らん人がいた。正確には厩舎でたまに、本当にたま~に見かけてた人。いやいやいや、滝村さんどこよ?てか、新しい騎手?俺乗り替わりってヤツになるの?
「ちょっと警戒されてます?僕」
「どちらかというと、ヴァーディも戸惑ってるのかなって」
「あ~、そういう」
とりあえず顔近づけとこ。
「わっ、とと。人懐っこいですね」
「そうですね。ヴァーディはかなり人懐っこいんですよ」
「よしよ~し、これからは僕が君に乗るからね」
あ、やっぱりそうなんだ。滝村さんが俺に乗ることはあるのかな?その辺の事情はよう分からん。とりま、今日はこの金添って人が俺に乗るらしい。でも海藤さんの言う通りならこれから先もか?じゃあ滝村さんが俺に乗ることはもうないのだろうか?
ひとまず今日は金添さんとの初コンビということで調教が始まった。試しに乗ってみて、しばらくしてから併走で実際の騎乗を確かめることになった。
「あ、そうだ海藤さん。1つお願いがあるんですけど」
「どうしました?金添さん」
おん?どうやら金添さんは何かあるみたいだ。どうしたんだろ?
「今回ヴァーディを外側で走らせてみてもいいですか?」
「え?併走相手はクロノジェネシスですけど……ヴァーディが外ですか?」
「はい。ちょっと試してみたいことがあって」
俺を外側に?クロノジェネシス先輩と走る時って基本的に内を走ってたからそういうもんだと思ってたけど、そうでもないのか?海藤さんは難色を示しているけど。後クロノジェネシス先輩、さっきから顔近いです。
『ヴァーディ君!一緒に頑張ろうね!』
『は、はい。分かったのでもうちょっと顔を離してもらっていいですか?』
『……はーい』
そんな渋々引き下がらないでください。罪悪感感じるので。
「う~ん……分かりました。じゃあ今回はヴァーディが外で」
「ありがとうございます!すいません、ワガママ言っちゃって」
申し訳なさそうな金添さんの声。滝村さんは柔和な笑みで対応していた。
「金添さんにも、考えがあるんですよね?だから大丈夫ですよ」
「よしっ。じゃあ期待に応えられるように頑張りますかね!」
俺も頑張るか!今日はクロノジェネシス先輩に勝てるといいなぁ。
そうして始まる併走……なのだが。内を走るクロノジェネシス先輩の方が速い。当たり前だけど。
「まだだ、まだだよヴァーディクトデイ」
何故なら、金添さんは俺をあまり行かせないように騎乗しているのだ。窮屈なことこの上ない。騎乗のスキル?みたいなものに関しては金添さんの方が凄いんじゃないか?とは感じてるけど、何故こんなにも窮屈に走らせるのか?フラストレーションは溜まるばかりだし、クロノジェネシス先輩もずっと先を行っている。
(あ゛~、早く行きたいな)
じれったい。気持ちばかり焦っていく。そんな時だった。
「ッ!よし、今だヴァーディ!」
金添さんの手綱が一気に緩んだ!その気を逃さずに、俺は全速力で駆けだす!
(行くぜ行くぜー!)
前を走るクロノジェネシス先輩めがけて全力疾走する!フラストレーション溜まりっぱなしだったからな、全力で行かせてもらうぜー!
……まぁ、クロノジェネシス先輩も速いので最終的には負けたのだが。クビ差まで追い詰めたけどそこで終わり。後またゴール板過ぎても追いかけていたらしい。クロノジェネシス先輩に全力で謝り倒していたものの。
『でもヴァーディ君に追いかけられるのなら悪くないかも……』
なんて言っていた。とりあえず、大丈夫なのか?
その後の併走は普通の騎乗になった。うん、滝村さんよりも良いなこの人。騎乗が上手いんだなってのが良く分かる。俺みたいなヤツが判断できることじゃないと思うけど。
金添さんがヴァーディに初騎乗した日。実際に金添さんの意見を聞いてみることにした。
「それで……実際にヴァーディに乗ってみてどうでした?」
金添さんは、凄く興奮した様子で答えてくれた。ちょっとこっちが引きそうなぐらい。
「いやぁ!やっぱり凄いねあの子!瞬発力も凄いし、3歳馬ってことを考えるとあの加速も中々のものだよ!それに凄く利口だし、こっちの騎乗に素直に従ってくれるし!後々スタミナとかも!」
「そ、そうですか。気に入ってもらえたようで何よりです」
「ただ、だからこそ残念かな?」
どういうことだ?金添さんは、納得のいってないような、不思議がっているような表情をしている。
「あの子、
「それは……滝村さんも同じことを言ってましたね」
ヴァーディの弱点でもある利口過ぎるという点。その点を金添さんは指摘した。やっぱり、金添さんもそう思うのか「後は」まだ何かあるのだろうか?
「これは多分だけど……あの子、
「限界を、決めつける?」
「うん。いくらなんでも賢すぎるからそうじゃないかな~ってぐらいの憶測だけど」
金添さんは自分が感じたままのことを俺に教えてくれた。
「あの子のポテンシャルは相当なものだ。だけど、あの子はまだ
「どういうことですか?」
「本当なら、あの子の実力はもっとあるように感じたんだ。だけどあの子は、その実力を引き出せていない。いや、引き出そうとしない……っていうのかな?とにかく、力を持て余しているように思えたんだ」
「力を、持て余す……」
「多分、滝村騎手も同じことを感じていたんじゃないかな?でも、その引き出し方が分からなかった」
ヴァーディの力の引き出し方が分からなかった、か。もしかして、それで責任を感じて滝村さんは……。
「金添さんは、力の引き出し方は分かりますか?ヴァーディが本来の実力を発揮するための、騎乗が」
なんて言われるかは分からない。もし、これで力の引き出し方が分からないと言われたら絶望するしかない。それでも、覚悟を決めて聞いてみることにした。
「……一応、ないことはないです。そのために、併走であのお願いをしたので」
「あぁ、クロノジェネシスと併走する時外で走らせてくれっていうお願いですか?」
「そうそう。ちょっと確認したいことがあったから」
「確認したいことって?」
金添さんは顎に手をやっている。
「あの子、闘争心が薄いんじゃないか?って話があったでしょ?だからそれの確認も込めてだったんだけど……実際にはそんなことはなかった。むしろあの子は、
「え!?」
「だけど、賢いからその闘争心を抑えつけている。本能的なものを抑えつけているんじゃないかって」
「ど、どうしてですか?」
その理由が分かればヴァーディは!そう思ったけど、金添さんはお手上げのポーズを取った。つまりは。
「さすがにそこまでは分からない。どうしてヴァーディクトデイが本能を抑えつけているのか、その理由まではさすがに分からないさ」
金添さんも分からないということ。でも、冷静に考えたらそりゃそうだ。なんで本能を抑えつけるのかなんて、ヴァーディにしか分からないことなんだから。
「だけど、もし、ヴァーディが本能を抑えつけなくなったら……」
呟いたその言葉に、金添さんは確信を持った表情をする。
「ヴァーディクトデイは強くなる。コントレイルにだって負けはしないでしょう」
確固たる自信をもっているような面持ちで、金添さんはそう答えた。あの金添さんでさえ認めるヴァーディの資質。思わず口角が上がりそうになるけど。
(けど、どうやってヴァーディを本気にさせるかだ。それが分からない限りは……)
「だからこそ、今度の宝塚記念で試してみます」
「え?」
「
「そ、そこまでですか!?」
「えぇ。そこまでの素質がありますヴァーディクトデイには。だから宝塚記念……僕に任せてもらっていいですか?」
俺の答えは決まってる。
「お願いします、金添さん。ヴァーディを、本気にさせてください」
「任されました!よ、良かった~。これでヴァーディに騎乗ができるぞぉ!」
小さく何か言ったけど良く聞こえなかったな。なんて言ったんだろうか?
これで、ヴァーディの宝塚記念の鞍上は決まった。後は宝塚記念に出走できるかどうかである。さすがに大丈夫だとは思うけど……。
新コンビで宝塚記念に挑戦だーい!