飛行機雲に焦がれて   作:カニ漁船

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ヴァーディの今後のこと。そして、ヴァーディの気持ちの整理は?


宝塚記念後・次走について

 

 

「それで、ヴァーディクトデイの容態は?」

 

 

 ヴァーディの馬主、クラブの代表は神妙な顔つきだ。だが、その目と表情には心配しているのが見てとれる。そりゃ、宝塚記念後のヴァーディを思えば無理もない話だ。

 ヴァーディの今後の為、また勝てると踏んで挑んだ宝塚記念。結果は──2着だった。だが、クロノジェネシスのクビ差の2着。3歳馬ということを考えれば、かなりやった方と言えるだろう。地味に同厩舎で1,2フィニッシュを決めたのだがそれは割愛しておく。

 けど、問題となったのはその後。宝塚記念が終わった後、ヴァーディはぴたりと動きを止めてしまったのだ。しかも、しばらくの間その場から動かなかった。

 俺も最初は焦っていた。

 

 

「もしかして、怪我をしたのか!?」

 

 

 とか。

 

 

「ヴァーディに何かあったんじゃ……!」

 

 

 と、気が気でなかった。ただ、騎手である金添さんがすぐさま馬から降りて容態を確認し、問題はないということを確認していた。それでも万が一ということがあるので検査をしていたのだが。

 

 

「エコー検査等では何の異常も見られませんでした。ヴァーディクトデイは健康そのものです」

 

 

「そうか……そうかっ」

 

 

 ヴァーディが無事だということを聞くと、代表は張りつめていた糸が切れたかのように顔を綻ばせた。

 

 

(そりゃ心配だったよな。もしも、を考えたら)

 

 

 俺も同じような反応だったから分かる。検査でなんの異常もなかったと分かった時、どれだけ安堵したかっ。

 代表は俺の視線に気づいてか、気恥ずかしそうにしていた。

 

 

「ん、ンン!ひとまずは、ヴァーディクトデイが無事なようで安心した。それにしても……最後の直線、あれがヴァーディクトデイの()()()()()()

 

 

「はい。金添騎手はそうだと仰っていました」

 

 

 だが、真面目な雰囲気に代わる。話題は、ヴァーディの最後の直線での話になった。

 率直な感想としては、凄まじいの一言に尽きる。あの日、阪神競馬場の馬場は稍重、上がり3ハロン2位はクロノジェネシスの36.3。では、上がり最速を記録したヴァーディはというと。

 

 

「34.8。3ハロンに限れば、ヴァーディクトデイは本レーストップを記録しています」

 

 

「凄まじい上がりだったね。思わず勝った!と叫んでしまったよ」

 

 

 確かにそれぐらいの勢いがあった。それは、金添さんも同様のことを感じていたらしい。

 

 

「それに、金添騎手曰く。本気になって走った時とんでもない衝撃が走ったと。今までとは段違いのスピードに最初は驚いたようです」

 

 

「普段の調教でも、あれほどのスピードは発揮していなかったと?」

 

 

「元々瞬発力自体はある馬だったんですけど、その中でも今回は一番と言っても過言ではありません」

 

 

 それに、ヴァーディにはまだまだ伸びしろがある。もしこのまま成長し続ければ、世界にだって手が届くかもしれない!

 

 

「ひとまず今後のヴァーディクトデイについてだが……。鞍上に関しては金添騎手で継続だ。ヴァーディクトデイの本気を引き出した彼ならば、任せることができる」

 

 

「分かりました。金添騎手にもそう伝えておきます」

 

 

 ……速めに伝えておこう。あの人、この宝塚記念に勝てる!と宣言して負けたことを気に病んでか、レース後に。

 

 

「あ、あの~?僕ってもしかして、ヴァーディの騎手降ろされたりします?」

 

 

 なんてことを凄く不安そうな表情で言ってたし。それを決めるのは代表なのでなんとも、と言葉を濁しておいたが。ひとまず俺の方では金添さんにお願いしようと思っていると伝えたら心底安堵していた。変なところで小心者だなあの人……。

 

 

「それと次走についてだが、何も問題がなければ毎日王冠に向かう」

 

 

「毎日王冠に……ですか?」

 

 

 毎日王冠に出走するということは。

 

 

「そうだ。ヴァーディクトデイは……秋の天皇賞に照準を向ける」

 

 

「秋の、天皇賞にっ」

 

 

 クラシック戦線を離脱することから、菊花賞に出走しないことは分かっていた。にしても、秋の天皇賞か……おそらく、菊花賞以上に厳しい勝負を強いられるぞ。

 宝塚記念や毎日王冠と同じ古馬混合戦。それに加えて。

 

 

「天皇賞秋。ここにはあのアーモンドアイも出走してくる」

 

 

 そう。秋天には現役最強牝馬と名高いアーモンドアイが出走してくるのだ。G1を7勝、8勝目をかけた安田記念ではグランアレグリアを捉えることができずに敗戦。シンボリルドルフ越えはできなかった。だが、もし超えるとしたらこのアーモンドアイしかいないだろう。そういわれるぐらいには強い。

 けど、勝算がないわけじゃない。

 

 

「相手にとって不足はない。頼んだよ、海藤君」

 

 

「はい。任せてください。今度こそ、ヴァーディクトデイにG1を獲らせます!……まぁ、少し不安要素があるのですが」

 

 

「不安要素だと?」

 

 

 訝し気な視線を向ける代表。少し言いにくいが、隠すわけにもいかない。

 

 

「宝塚記念以降、ヴァーディクトデイの飼い葉食いが少し悪くなっているんです。馬房でも隅っこで大人しくしていますし」

 

 

「……怪我があるわけじゃないのだろう?」

 

 

「はい。検査では異常なしと判断されています。けど……」

 

 

「けど?なんだ?」

 

 

「……金添騎手曰く、ヴァーディクトデイは落ち込んでいるのだと。今回の宝塚記念を負けて、悔しがっているんじゃないかって。そう仰っていました」

 

 

「……そうか」

 

 

 代表は目を閉じて深く息を吐く。時間の流れが遅く感じる。代表の言葉をジッと待っていると。

 

 

「分かった。あまりにも続くようだったら、今後の予定も調整していこう」

 

 

「はい。ひとまずは、様子見で行きます」

 

 

「頼んだぞ、海藤君」

 

 

 もう少しすればヴァーディは放牧の予定だ。元気になってくれるといいんだけど……。

 その後、金添さんにも今後はヴァーディに乗ってもらう予定を伝えると文字通り飛び跳ねるぐらい喜んでいた。ヴァーディに凄く惚れこんでるなこの人……。俺も人のこと言えないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おーい、いつまでそうしてんだー?』

 

 

 いつもの馬房。隅っこで大人しくしている俺に、ラウダシオンがちょっかいをかけてくる。馬房で囲われているから何もできないけど。

 

 

『んだよオメー。そんなにデケェレースの負けが悔しかったのかよ?つか俺の時もそんぐらい悔しがれや。なんかムカつくな』

 

 

(……あぁ、そうだな。すっげぇ悔しいよ)

 

 

 あの宝塚記念で、俺は色々なことを思い知らされた。

 自分の本気が、本気ではなかったということ。他が一生懸命走っている中、俺だけが一生懸命ではなかったという事実。自分の限界を決めつけていたこと。負けても悔しくなかった原因。そして……本気を出して負けることが、こんなにも悔しいということを、俺はあの宝塚記念で思い知らされた。

 レースが終わってからずっと後悔していた。もっと本気を出していたら、皐月賞だってNHKマイルだって勝てたんじゃないか?滝村さんが俺から降りることもなかったんじゃないか?よしんば降りたとしても、責任を感じて降りることはなかったんじゃないか?そう思わずにはいられなかった。

 

 

(ハハ、本当にクソ野郎だな俺は)

 

 

 自分のこととはいえ、笑えてくるぜ本当。

 今までのレースも、ほとんど馬なりで勝ってきたようなもんだ。それで、俺は他の馬を負かしてきた。

 

 

(今なら、悔しがっていた他の馬を見て心が痛んだ理由も分かる。NHKマイルで、前を走るラウダシオンが眩しく見えた理由も分かる)

 

 

 憧憬だ。本気を出して走るラウダシオン達の姿に、俺は憧れていたんだ。

 きっと、羨ましかったんだ。本気を出して走る姿に、俺は憧れていた。そして、負けて全力で悔しがる姿に……俺は憧れていたんだ。人間だった頃。日々を普通に過ごしていくうちに失くしてしまったもの。いつの日だったか、大人になるにつれて忘れていったものだから。

 本当にクソ野郎だな、俺は。自分で自分をぶん殴りたくなるよ。馬だから殴れねぇし怪我したら海藤さん達を心配させるから絶対やらねぇけど。

 

 

(けど、後悔ばかりしていられない)

 

 

 確かに俺のやってきたことはいけないことだ。本来ならば恥ずべき事。

 だけど、やってしまったことはもう取り返せない。過ぎてしまった時間はもう戻らない。同じレースは──2度はない。

 

 

(前に進むしかねぇんだ……ッ!)

 

 

 取り返しのつかないことをやってしまった。勝てるはずだったレースを取りこぼしてしまった。悔やんでも悔やみきれないし、思い出すだけでも胸が締め付けられる思いだ。だからといって、このまま停滞し続けてもいいのか?そんなこと──許されるわけがない。

 心が燃え上がるのを感じる。熱い気持ちが、身体の奥から沸々と湧いてくるのを感じる。

 

 

「ヴァーディの調子は?」

 

 

「それが……まだ馬房の隅っこから出てこなくて」

 

 

 やってしまったのなら。次は同じことをしないようにすればいい。今度は同じ過ちを繰り返さないために頑張るしかねぇんだ。後悔したって何も始まらない。悔やんだって進まない。このまま止まり続けていたら、俺が負かしてきた馬達も浮かばれない。

 それに、今の俺にはあの時と明確に違う点がある。それは、もう自分で限界を決めつけなくなったこと。まだいける、まだやれる。そう思うようになってきたということだ。

 

 

(幸い、全力の出し方はもう分かった。だから、それを忘れねぇ内に)

 

 

『早く走りてぇ……!』

 

 

 思わず漏れ出た感情。宝塚記念の最後の直線で感じたあの感覚……それを忘れねぇ内に、早いとこ調教が始めたい!そして、2度と同じような過ちはしねぇ!そう思うようになった。

 つっても、その前に腹減ったな。そういや宝塚記念が終わってからあんまり食った記憶がっ!

 

 

『お!丁度いい感じに餌あるじゃん!飯だ飯だー!』

 

 

 こんなジメジメした隅っこにいられるか!俺はさっさと飯を食べるぜ!

 

 

「うわっ!?ヴァーディが隅っこから出てきた!?」

 

 

「そ、それだけじゃないですよテキ!め、めっちゃ飼い葉食ってる……っ!な、なんで!?さっきまで全然だったのに!」

 

 

「ヒヒーン!(スタッフさーん!早いとこ飯くれ飯!腹減ってんだよこちとら!)」

 

 

「餌の催促までし出したぞ!?どうなってるんだ!?」

 

 

「えぇ……と、とりあえず餌追加しますね!」

 

 

『やっといつもの調子に戻ったかオメー。陰気くせぇのは卒業か?』

 

 

『おうよラーシー!覚悟しとけよ?俺はもう、かしこぶるのは止める!全部のレースを、全力でぶつかってやらぁ!』

 

 

『……ハッ!良い子ちゃんぶるのは卒業ってか?そりゃ楽しみだな!つかなんだラーシーって』

 

 

『お前のあだ名。その方が呼びやすいし』

 

 

『本当に色んなことが吹っ切れたみてーだなオメー。ま、その調子の方がありがたいぜ』

 

 

 ラウダシオン改め、ラーシーとそんな会話をする。もう一つ思い出すのはアイツ、コントレイルのことだ。

 

 

(待ってろよコントレイル!今度こそテメェをぶっ倒してやる!)

 

 

『後ラーシー!テメェにも借りを返してやるからな!』

 

 

『ハ!また俺がひねりつぶしてやるよ!……って、言いたいとこだが』

 

 

 なんだ?こっちが気合入れてる時に水を差しやがって。

 

 

『俺これから距離が短くなっていくみてーだからオメーとレースで走ることはもうねーぞ?多分』

 

 

『嘘だろッ!?』

 

 

 せっかく気合入れたのになんじゃそりゃ!?まぁラーシーは同じ厩舎だし、併走で走ることがあるだろうからいいか……。

 とりあえず、俺の目標は今以上に強くなって頑丈になること!怪我でもしたらやべーからな、とにかく体を鍛えまくって頑丈になってやるぜー!そんでそんで!あの野郎、コントレイルに勝つ!それが俺の目標だ!




立ち直りヴァーディ。次走は毎日王冠でっす。
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