「初めまして。はるばるイギリスからお越しいただきありがとうございます」
来賓室。恭しく対応するトレセン学園の理事長秘書を務める駿川たづなに、目の前に座る鹿毛の髪をセミロングにしたウマ娘も粛々とした態度で対応する。
「──いえ、こちらの無理なお願いを聞いてくださりありがとうございます。駿川様」
「いえいえ、それほど無理なお願いというわけでもなかったので大丈夫ですよ。それにしても……日本に来たいだなんて。もしかして、ヴァーディクトデイさんですか?」
軽い雑談程度に振ったその話題。たづなはすぐに後悔することになる。
「──えぇ、勿論ですわ」
「う~ん、やっぱりヴァーディクトデイさんは人気ですね。留学中も大変だったのではないでしょうか?ほら、すぐにウマ娘に囲まれたりしますし彼女。ホームステイ先を提供していただいたあなたにはご迷惑を掛けたと思います」
「大丈夫ですわ」
鹿毛のウマ娘は薄く微笑む。見る者を魅了するその微笑みにたづなもつられそうになるが。
「
「あ、スゥー」
圧が凄い。なんというか、黒い雰囲気をまとっているような気さえした。たづなは頭の中で。
(ヴァーディクトデイさん、あなたは一体留学先で何をしたのでしょうか?)
そう考える他なかった。
「それで、ヴァーディ様……ヴァーディクトデイ様はどちらに?」
「あ、あぁ。ヴァーディクトデイさんなら今は練習場のトラックにいるのではないでしょうか?」
「そうですか。ありがとうございます」
鹿毛のウマ娘は立ち上がる。それと同時にたづなも立ち上がった。
「私が案内しますね」
「まぁ!ありがとうございます。こちらの地理はまだ把握していないものでして……ご迷惑をおかけします」
「構いませんよ。あなたの案内も、また私の務めですから」
たづなは鹿毛のウマ娘を案内する。心の中でヴァーディクトデイに合掌しながら。
今日も今日とてトレーニングを頑張ろう……としているのだが。
「私が先にこのトラックを予約してたのよ!すっこんでて!」
「はぁ!?私が先よ!」
うん、もう嫌な予感しかしない。ここはもう三十六計逃げるに如かず「こうなったらレースで決めましょう!ちょっとあなた!審判お願い!」あぁ知ってたよこん畜生が!
見知らぬ生徒に手を引っ張られて審判をする羽目になった。こうしている間にも俺のトレーニング時間は減るばかりだよ……トホホ。しかも結構時間かかったし。プボちゃん達待たせてるし早く行かないと!
待ち合わせ場所に着くと、やっぱりというかプボちゃん達はすでに着いていた。
「わりぃ!遅れた!」
「遅いぞヴァーディ!」
「ま、オメーのことだ。どーせまた絡まれてたんだろ?」
「ズバリその通りだ」
「いつも大変だねヴァーディ君」
プボちゃん達に慰められながらトレーニングの準備をする。そんな最中だった。
「すいませ~ん、ヴァーディクトデイさんはいらっしゃいますか~?」
たづなさんがトレーニング場にやってきた。なんというか、珍しいな?仕事をしてるだろうからあんまりこっちに来るのを見たことないし。しかも俺が目的っぽい?
「どうしたんですか?たづなさん」
「あ、ヴァーディクトデイさん。実はあなたに会いたいという方が……」
たづなさんが言い切る前に、誰かが俺の身体に体重を預けるように抱き着いてきた。咄嗟のことだったが、何とか持ちこたえる。いや、誰だ急に?
「あぁ……!お会いしとうございました、ヴァーディ様……ッ!」
「だ、誰……ってぇ!?」
聞き覚えのある声。姿を見てみると、出るとこは出て引っ込んでるところは引っ込んでる、女性らしい体つきをした、鹿毛の髪をセミロングにしたウマ娘。白を基調としたワンピースが清楚な印象を抱かせるそのウマ娘に、俺は
いや、知ってるんだけど……ありえねぇだろ!?確かに知ってはいるけど、日本にはいないはずだぞ!?なんでここにいんの!?
「おいおいヴァーディ。今度は誰を誑し込んだんだ?」
「人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇよラーシー!」
「あー!ヴァーディがすっごい美人なウマ娘に抱き着かれてるー!」
「止めろパンちゃん!大声でそんなこと言ったら……」
瞬間感じる、凄まじい圧。地獄の鬼すらも裸足で逃げだすような圧とともに。
「「「ヴァーディ?説明してくれる(かしら)?」」」
「ハ、ハハ、ハハハ……」
ジェネ先輩達がやってきた……今日が俺の命日だったか。
「あぁ、久しぶりのヴァーディ様……!とても、とてもお会いしたかったですっ!」
「あの、とりあえず離れてはくれないでしょうか?」
ひとまず、状況説明から入ることにした。
それからしばらく。たづなさんが帰った後事情説明をすることになった。どうやらまだ情状酌量の余地が貰えるらしい……俺が罪を犯したみたいだな。
「で!ヴァーディ!そのウマ娘さんは誰!?」
「どういう関係なのヴァーディ!?わたしに黙って、こんな人と知り合いになってたなんて……!」
「と、とりあえず一から説明しますので……」
ひとまず落ち着かせないと!じゃないと俺の命がッ!
だが、件のウマ娘さんは頬を赤らめながら。
「
「「「はっ?」」」
「ヴァーディ君……これはさすがに」
「オメーそんなヤツだったのか」
「一夜を共にした仲?どーいう意味?」
「誤解を招く言い方は止めてくれませんかねぇ!?」
「あ、そうですね」
件のウマ娘さんは恥ずかしそうに朱色に染まった頬を両手で抑えながら。
「何日も熱い夜を過ごしましたものね……私としたことがうっかりしていました」
「余計誤解が深まるんですよ!?そのお茶目止めてくれませんかね!?」
向こうでもそうだったじゃないですかあなた!ほら見てくださいよ!ジェネ先輩達の背後に修羅が見えるよ!空気歪んでるよもう!
ただ、この状況でもアイ先輩だけは冷静に見ていた。そして、ふと思い出したかのように顔を上げて。
「どこかで見たことあると思ったら……あなた、
「「「え?」」」
「はい、その通りでございます」
ウマ娘さん──エネさんはワンピースの端をつまみ上げて。
「初めまして。私はエネイブルと申します。ヴァーディ様は留学中、私の家の方でお世話をさせていただいてましたの。それ以来の仲ですわ」
優雅に挨拶をした。相変わらず気品が凄いなエネさん。俺には一生できなさそうなことだ。
ジェネ先輩達はポカーンとしている。まぁビックリするよな。エネさん有名だし。
「い、一夜を共にしたっていうのは?」
「ホームステイ先がエネさんのとこだったんで。一緒の屋根で寝たって意味だと思いますよ」
「な、何日も熱い夜を過ごしたっていうのは?」
「お互いにレースの話で盛り上がることがあって。たまにヒートアップしてた時もあったんですよ。そういうことじゃないですか?」
「はい、その通りでございます」
エネさんも認めたということから、ジェネ先輩達は安堵したようだ。よ、ヨシッ!これで俺の命の危険は去ったな!
「なんだつまんねー」
うるせぇよラーシー!テメェも当事者になってみるか!?オォン!?
そこからは和やかな空気で話が進んでいった。
「あっちの芝ってどうなの?走ったことないから気になるんだよね~」
「そうですね……こちらの芝が分からないのでなんとも言えませんが、欧州の芝は重い、とはよく聞きますね」
「へ~。エネイブルさんはどうして日本に?」
「それは勿論……」
エネさんが俺をちらりと見る。それだけでジェネ先輩は察したらしい。
「あ、そうですわヴァーディ様。
そんな中エネさんが何かを思い出し方のように俺に近づいてくる。挨拶……あぁ!あれのことか!
「そういえばそうでしたね。どうぞ、遠慮なく」
「それでは失礼して……」
「挨拶?なに、を……す……る……」
エネさんが俺の頬にキスをする。チークキス?ってやつらしい。向こうでは一般的な挨拶だとか。
「あー……ヴァーディ。オメー何してんだ?」
戸惑った様子のラーシー。どことなく顔が赤い気がするのは気のせいか?というか、みんな顔が赤い。ただの挨拶なのになんでだ?
「何って……挨拶だけど」
そんな風に答えると、すんごい勢いでジェネ先輩達が詰め寄ってぇぇぇぇ!?
「ヴヴヴヴ、ヴァーディ!?何してるの!?」
「い、いや。ただの挨拶ですけど。というか顔近いですジェネ先輩」
「挨拶ぅ!?あれが挨拶なわけないでしょ!?絶対に違うってヴァーディ!」
「え~?でも現地民のエネさんが言ってたんですよ?じゃあ挨拶じゃないですか?アレグリア先輩」
同意を求めるようにエネさんに視線を向ける……いや、なんでエネさんも顔赤くしてんの?おかしくない?
「えぇ、勿論挨拶ですわ……私とヴァーディ様だけの、ね」
「ほら、言った通りじゃないですか」
「得意げにならないでよヴァーディ君!後エネイブルさん小さい声で何か言ってたよね!?絶対違うよ!」
そうは言うがなぁプボちゃん。海外では割と当たり前らしいぞ?チークキス。
そんな中、ジトーっとした目つきのアイ先輩が俺を問い詰めるように。
「ヴァーディ。あなた……留学中に見かけたことはあるかしら?」
「え?何を?」
「挨拶でキスをしているところよ」
何を言うかと思えばアイ先輩。
「何を言ってるんですか?見てきたに決まって……」
……あれ?必死に記憶を掘り起こすけど、見たことねぇな?そこそこ物覚えは良い方だと思うんだが……一度も見たことがない。
「あれ?おっかしいな~……確かにエネさんは挨拶だって言ってたけど……」
ここまで記憶を掘り返しても出てこない。というか、俺とエネさんが挨拶でキスをしていると周りがキャーキャー騒いでたり色めきだってたな……ということは!?
「もしかして、キスって普通の挨拶じゃないの!?」
「今更気づいたのかテメーは!?つーかちょっとは自分で調べやがれ!」
「ちょっとは疑う心を持とうよヴァーディ君!」
そうは言うけどさプボちゃん!現地民が挨拶だっていうからそうだと思うじゃん!俺は悪くねぇ、俺は悪くねぇ!
「というか、ここまでのことで分かった!エネイブルさん、ヴァーディの文通相手ね!?」
「あ、よく分かりましたねジェネ先輩。その通りです「ヴァーディは黙ってて!」ヒィン!?」
怒られた!なんで!?
「えぇ、そうですわ。本当でしたら毎日のように送りたいのですけど……爺やがそれは重すぎるとのことで自重しておりますの。代わりに、1回あたりの量を多くしていますわ」
「自重してあれなの!?毎回便箋にパンパンに詰め込んでるのに!?」
「何を言うのですか。あれでもまだ足りないぐらいですわ」
エネさんは頬を膨らませて抗議する。アレグリア先輩はちょっと引き気味だ。
「じ、じゃあ!今回の来訪の目的も……ヴァーディをイギリスに連れていくため!?」
「あ、それは違いますわ」
「あ、違うんだ……」
拍子抜けした様子のアレグリア先輩に、エネさんは自信ありげだ。
「ヴァーディ様の望んでいないことをするのは私としても不本意ですもの。だから、
「そうなんだ~よかった~……って!良くないよ!?無理やりはしないってことは、自発的に行かせようとしてるってこと!?」
「……」
「こっちの目を見なさいエネイブルさん。それでは肯定しているようなものよ」
エネさんは黙秘している。ぶっちゃけ何されても現状イギリスにはいかないからジェネ先輩達が心配しているようなことにはならないんだけど……まぁいいか。
「というか、日本語上手いですねエネさん。ビックリしましたよ。通話する時も基本的に英語でしたし」
「ほんとだ!普通に話せてるから気づかなかった!」
パンちゃんもびっくりだ。エネさんは口元を隠して微笑む。相変わらずすっごい美人だ。
「ヴァーディ様とお話しするために、頑張りましたの。この日のために必死に隠しておりましたのよ?」
そりゃすげぇ。というか、俺とお話しするためか。ちょっと嬉しいな。
「やっぱ凄いですねエネさん。レースの実力も一流、勉強も一流!俺も見習わないとな!」
「ウフフ。でしたら私が手とり足取り……」
「させないからね!わたしの目が黒いうちには!」
「チッ」
にしても、エネさんが来るとはびっくりしたな~。向こうからこっちに来るのもバカにならないし、本当にスゲェや。
「そ、その。ヴァーディ様」
「うん?どしたのエネさん?」
なんかもじもじしてるけど。どうしたんだろうか?
「ご、ご迷惑ではなかったでしょうか?あなた様の都合も聞かずに突然こちらに訪問してしまい……」
「あーそんなこと」
迷惑だとかそんなことあるわけないのに。心配させないようにしますかね!
「俺、久しぶりにエネさんに会えてすっげぇ嬉しかったですよ!電話や文通もいいですけど、やっぱりこうして直接会って話すのが一番良いですね!」
「はうあっ!?」
あれ!?エネさんがなんかぶっ倒れた!?どうしたんだ一体!?
「至近距離で意中の相手からのとびっきりの笑顔向けられたらあぁなるよね」
「しかもまじりっけなしの純度100%の言葉だからな。そりゃー嬉しいだろ」
「ねーねー、なんでエネイブルは倒れたんだ?」
なんかプボちゃん達が小声で話してるけどそれどころじゃない!
「ひとまず保健室に運ぶか!」
お姫様抱っこでエネさんを運ぶ!スカートの中が見えないように慎重に!が。
「私の生涯に悔いはありませんわ……」
「縁起の悪いこと言わんでくださいよ!?」
そんな小芝居を挟んで向かうことになった。そしてその後、挨拶の件でジェネ先輩達にしっかりとお説教されましたよ……。
エネイブルの秘密①
実は、自室にヴァーディクトデイの写真が至る所に貼りつけられている。