はい、というわけで。
「お帰り黒坊~!お前G1を獲って帰ってくるなんてな~!」
「その言い方だと引退したみたいだから止めな?こっちでゆっくりしていってね黒坊」
「懐かしいな~黒坊。次走に備えて、しっかり英気を養えよ?」
北海道の有北ファームに帰ってきました。本来だったらしがらきの方で休養するはずだったんだけど、というか最初はそうだったんだけど。
「う~ん、やっぱり黒坊まだ辛そうですね」
「しがらきでも疲れが抜けきってないって報告があったからな。ここで完全回復させるぞ!」
「それに長距離輸送もありますから。よしよし黒坊、早速馬房に案内してあげるからな」
天皇賞のダメージが思ったより大きく。しがらきでの放牧中も俺の体調は芳しくなかった。それを見かねた海藤さんが一旦レースの世界から離れて生まれ故郷であるこの有北ファームでの休養を決定したらしい。
(心配かけちまって申し訳ねぇな)
とりあえず久しぶりのスタッフさん達に引かれて俺は馬房へと移される。馬房に入って、俺はまず横たわる。
「やっぱり疲れてますねヴァーディ……」
「検査はどうだったんですか?」
「身体に異常はないそうだ。疲労の影響だと」
「ただの疲労が2週間以上も続きますかね?」
「それだけの激走だったってことだ。見ただろう?秋天の黒坊の走り」
……なんか、本当に申し訳ないな。
(ぶっちゃけ疲労はほぼ回復してきた。だけど)
まだ完全じゃない。いや、マジでヤバかったんだなあのレース。
ただ俺の頭の中にあるのは──あの時の走りだ。
(まず感じたのは蹄への痛み。まーそれは当然ってわけで)
俺の走りはできる限り地面との設置時間を減らして前へ走る。つまるところ、蹄の先の方に力を集中させてるわけだが。それが負担が大きいわけだ。
「それじゃあ黒坊。すぐに餌を持ってくるからな」
「ヒヒン(あざます)」
スタッフさん達が言葉通りすぐに餌を持ってきた。横たわるのを止めてすぐに立ち上がり、持ってきたスタッフさんの顔を舐める。こうすると嬉しいだろうからいつもやってたな。
「ハハ、相変わらず顔を舐めるのが好きだなお前は。しっかり疲れを癒すんだぞ」
「ヒヒィン(分かってるって。早くレースの世界に戻らないとだからな)」
餌を食べ終わったらまた馬房で大人しくする。もう少ししたら放牧だしな。
餌が挟まったから考えが逸れちまったけど、俺の走りに問題点について戻ろう。
(問題点は明確。蹄に対してすさまじい負荷がかかることだ)
馬の蹄は思ったよりも大事なとこだ。よくよく考えりゃ、蹄鉄でガードしているし当たり前のことなんだが、ここを怪我するとマジで致命傷レベル。だから絶対に怪我をするわけにはいかない。だが、俺の走りはこの蹄へのダメージが半端じゃない。蹄鉄の方とは言え、俺の力の全部を蹄に集中しているわけだからな。
(ぶっちゃけると、あの走りは封印したいところなんだけどなぁ。ただ、現状あれが俺の一番力を出せる走りなわけで)
アーモンドアイさんやジェネ先輩、フィエールマンさん達に勝てたのは間違いなくあの走りのおかげだ。だが、この先もあの走りに頼りっぱなしになると……今回と同じようなことになる。それは避けたいんだよな。
(つっても、ジェネ先輩やラーシーに走りについて聞いたことねぇしなぁ。もっと聞いておくんだったぜ)
聞いたところで答えが返ってくるかは分からんが、聞かないよかマシだ。
とりあえずなんで今回はこうなったかを考えてみよう。思い返せば、この走り自体は宝塚で見つけたわけだし毎日王冠もこの走りで勝ったわけだ。なのに今回だけはダメージが大きい。これはどうしてか?
(う~ん……あの時はがむしゃらに走ってたからよく覚えてねぇんだよな。だが、どうしてダメージが大きいかはなんとなく想像がつく気がする)
多分だけど、脚の回転数増やしたとかそんなとこだろう。いつも以上に脚を回転させていたからダメージもその分だけ跳ね上がった。そんなとこだろうか?
(とりあえず、疲れが抜けたら要検証ってとこだな)
今はまだ心配させるわけにはいかない。心配させたらそんだけ復帰が遅れるからな。復帰が遅れたらコントレイルへのリベンジも果たせない。だからまずはゆっくりして、元気だということをアピールしていこう!
「よしヴァーディ。外でゆっくりしておいで」
「ヒヒン!(待ってました!)」
スタッフさんに引かれるまま放牧地へと歩いていく。まだ走るわけにはいかねぇからな、ひとまずはゆっくりとだ。
「いいか?ぜっっっったいに繁殖牝馬のいるところに近づけさせるんじゃねぇぞ?」
「わ、分かってますって。返し馬の映像見てる限り相変わらずみたいですし」
「本当に不思議ですよね~。そういうフェロモンでも出してるんでしょうか?」
……うん、マジでごめんなさい。
有北ファームに帰って来てから数日が経って。なんとか疲れも抜けてきたってところ。
(そろそろ大丈夫アピールをしておこう。さっさとあっちに戻りたいからな)
ひとまず軽く走ってアピールする。あくまで心配させない程度にね。
「お、調子良さそうに走ってるな」
「え?まだ数日ですよ?」
「無理してるんじゃ……」
ヤバい、逆効果かもしれん。程々にしておくか。
「あ、歩き始めた……徐々に体調は戻ってきてるのか?」
「そうかもしれませんね。ただ、まだまだ休養は必要でしょう」
「そうですねぇ。下手したら年内いっぱいはこっちで過ごすことになるのかも?」
え!?それは困る!確か年末にはデカいレースがあるんだろ?宝塚の時みたいなファン投票で決まるヤツ!だったらコントレイル絶対出てくるじゃん!
(それまでには絶対に復帰したいのに!こうなりゃ何が何でもアピールしてやる!)
うおおぉぉ!とにかく走って無事だってことをアピールして……それ逆効果だったわ。忘れてたわ。
「今度は落ち込みだした……本当に感情豊かで分かりやすいな黒坊」
「ですねぇ。ただ、変わってないようで安心しましたよ」
大人しくしてるしかないか……。その間に、走りの改良を考えておこう。
(そもそも、蹄の先に神経を集中させて走るってのも人間時代の名残かも知れないな)
確かつま先で蹴って走ると速くなるとかそんなことを覚えている。そのイメージで走っていたわけだが、これの影響がもろに出たのかもしれない。
(ちょいと試してみるか)
周りに他の馬がいないことを確認して、軽めに流すイメージ。まずは今まで通り、蹄の先に全神経を集中させて走るッ!
『ッ!』
そっからちょっと流して走るが、うん。いつも通りの感覚だ。
次は、脚の全体でしっかりと踏みしめて走るイメージだ。ただ、脚の回転数はあまり変えずに。走りを変えるからちょっと変わるかもしれねぇけど誤差だよ誤差。
まずは軽く準備運動がてら一歩一歩確認するように踏みしめる。
(大体こんなイメージか、衝撃をしっかりと地面に逃がすように、しっかりと掴んで──離すッ!)
『ッ!?』
う~ん……さすがに遅くなるよな。仕方ないとはいえ、接地時間を増やしているわけだから「ヴ、ヴァーディが走ってる!?」あ、やっべバレた。
「ヴァーディが走ってますよ!?それも問題なさそうに!」
「バカ何やってんだ!疲れが溜まってるかもしれないんだから早く止めさせろ!」
「ヴァーディ、大人しくしててね!」
う~ん、今日はここまでか。後はゆっくりと反省会と行こう……色々と。
そっからさらに1週間と数日が経過して。相も変わらず有北ファームに放牧されている俺である。
あれからスタッフさん達も少しずつ俺が走るのを許してくれるようになった。問題ないと判断してくれたのだろう。ありがたい限りだぜ。
あれから色々と試行錯誤をしていった。どうすれば接地時間を増やしても速く走れるかを考えて、色々と模索していたわけだが。
(結果として……最終的にあまり差がないことが判明したな)
たどり着いた結論としては、あまり差がないことが判明した。いや、確かに元来の走りの方が速いってのはあるが、試している走りの方も伸びしろが感じられるのだ。う~ん……なんでか良く分からん。
このまま考えても結論は出ないし、後はゆっくりしておくか。
『それにしても、こっちは繁殖牝馬、だっけ?がいるから大丈夫かな~って思ったけど、こっちに来てから一度も会わないな。ありがたい限りだぜ本当』
スタッフさん達が細心の注意を払ってくれてるからな。お陰様で一度も繁殖牝馬に会っていないぜ。このままの調子でいけばいいのだが。
『なんだろう、今日に限って猛烈に嫌な予感がする』
なんていうか、このまま無事で終わるわけねぇだろ?みたいな意志を感じる。気のせいだと良いんだが。
とりあえず青草食って英気を養っておこう。こっちに来てから太らないように気をつけているのでまぁ大丈夫でしょ。
「いいか?そろ~っと、そろ~っとだぞ?」
「は、はい。慎重に行きましょうか」
おん?何してんだろ。ちょっと気になるから見に行くか。ちょっと見に行った先にいたのは、なんていうだろう、鹿毛の馬だった。そして、ここで俺は自分の失態に気づく。
『あ』
『あら?』
「あ!?ヴ、ヴァーディ!?」
「お前なんでこっち側にっ」
気づくのが、遅かったよ。鹿毛の馬は手綱を引いていたスタッフさん達を押し飛ばしてこっちにやってきた。うん、やっぱりそうだったか。
『ここにきて、やっちまったか……』
もうこうなったら黙して待つしかない。審判のその時を……なんて覚悟していたが。
『……』
『あ、あの。何かご用で?』
思いの外寄ってこなかった。時折こっちに鼻を近づけては何かを警戒しているように動いている。な、なんだろうか?
『見ない子ね。あなたの名前は?』
『あ、ヴァーディクトデイです』
『もう引退したの?それにしては、随分若そうだけど』
『ま、まだ現役です。今回は疲れを癒すための放牧って感じで……』
『ふ~ん……』
その後も俺の周囲をぐるぐるするように動いて。やがて警戒心を解いたかのようにこっちにすりすりと顔を近づけてきた。あ、やっぱこうなるのね。
『ウフフ』
『な、何かご用でしょうか?もしかして、俺が何か粗相でも?』
『そんなことないわ。ただワタクシがあなたを気に入った、それだけよ』
『どうしてですか?正直、気に入られる要素があるとは……』
『ワタクシに意見しようっていうの?ワタクシはあなたを気に入った、そこに理由なんていらないわ。よろしくて?』
おっと、これは逆らったら不味いヤツだな。
『よ、よろしいです』
『物わかりのいい子は好きよ』
『ところで、お姉さんの名前は?』
『あら、お姉さんだなんて。お上手ね』
乾いた笑いで対応しておく。歳上のお馬さんは名前を教えてくれた。
『ジェンティルドンナよ。よろしくねヴァーディ』
『は、はい。多分そこまで長くはいられないですけど、よろしくお願いします』
『そう……それは残念ね』
ジェンティルドンナ。それがこのお姉さんの名前だった。
その後は俺達は別々の馬房に連れて行かれた。ジェンティルドンナさんはちょっと不服そうにしていたけど、また会う約束をしたらスタッフさん達に大人しく連れて行かれた。それがスタッフさん達には凄く意外だったらしく。
「やけに大人しく聞いたなジェンティルドンナ」
「そうですね……もしかすると」
そんな会話が聞こえてきた。
にしてもジェンティルドンナさんか。最初はどうなることかと思ったけど思ったより何もなかったな。なら大丈夫……なのか?
新たな走りを模索するヴァーディと新しい出会い。