「……まさか、ヴァーディクトデイがこれほどの強さを見せるとはな」
「はい。私もこれほどのパフォーマンスをしてくれるとは思いませんでした」
大阪杯から少し経って。俺は秋畑代表から呼ばれた。用件はヴァーディの大阪杯について。
目の前に座っている代表は驚いた表情を浮かべているけど……その気持ちは良く分かる。
「ヴァーディクトデイは子馬の頃から雨が好きな馬でした。調教でも雨の日は嬉しそうに駆け抜けていましたし。だから重馬場に対する適正はあるだろうと踏んでいましたが……まさかここまでとは」
「阪神の不良馬場に近い状態だったあの馬場で上がり最速……それも後続に8馬身差もつけて勝つとは」
あの重い馬場で34秒9。とんでもない時計だ。コントレイルのリベンジができたとか諸々のことが浮かぶ前に……俺はこの時計に度肝を抜かれた。
「代表。これだけの適性をヴァーディクトデイは見せてくれました。ということは……」
「そのことなんだがね、海藤君」
代表は厳とした雰囲気を放っている。やはり、海外遠征はできないだろうか?まだ大阪杯を勝っただけだし、厳しかったか?そんな風に思ったが──。
「一口馬主の方々のことだが、あのレースが大好評でね。そして、海外遠征についても意欲的になった」
次第に雰囲気は和らいでいき、最終的に代表は笑みを浮かべていた。
「と、いうことは!」
「あぁ。ヴァーディクトデイの海外遠征の件……前向きに検討させてもらおう」
「ッシ!」
思わずガッツポーズを取って!?し、しまった!?代表の前だった……!
「す、すいません!思わず……」
「ハハ、それほど嬉しいのか?ヴァーディクトデイの海外遠征が決まったのが」
「そ、それはまぁ、はい」
自分の馬が海外に行くというのは勿論嬉しいし、そこで結果を残すことができればその嬉しさはさらに跳ね上がる。挑戦できる権利が貰えただけでも、やっぱり嬉しいものだ。
ただ、あくまで挑戦権を得ただけ。ここから先は調整や色々なものが出てくる。それに。
(クロノジェネシスも、海外遠征に意欲的だ。クロノジェネシスとヴァーディの相性はいいし、帯同馬の問題も解消される)
クロノジェネシスは凱旋門賞に挑戦するという話も出てきているらしい。そして、ヴァーディの主戦場は中距離。つまりは……。
「さて、ヴァーディクトデイを海外のどのレースに出走させるかだが……」
思わず喉を鳴らして代表の言葉を待つ。代表の口から出たのは──やはりあのレースだった。
「
凱旋門賞。今まで数々の名馬が挑戦し続けてきて、現在に至るまで制覇することが叶わない、世界の頂点を決めるレース。このレースをヴァーディの大目標に定めると、代表は決めたみたいだ!
「凱旋門賞を、大目標に……!」
「あぁ……怖気づいたかね?」
「……いいえ。むしろ燃え上がります!」
「その意気で頼むよ海藤君。ひとまずは6月の宝塚記念……このレースを頑張ってくれたまえ」
「はいっ!」
まさか、俺の厩舎から2頭も凱旋門賞に挑戦するなんてな……本当に、良い馬に巡り合わせてもらって感謝しかない!
気合を入れる俺とは対称的に、代表は厳しい表情を浮かべていて?
「あ、あの。どうかされましたか?秋畑代表」
「……何、ヴァーディクトデイの今年の大目標を凱旋門賞に定める。それに偽りはない」
どうしたんだろうか?さっきから厳しい表情だけど……。
「だが、一口馬主の方々からとある話が上がっていてね……凱旋門賞の騎手をどうするか?という問題だ」
「凱旋門賞の騎手、ですか?それは……」
金添さんで決まってるんじゃないか?そう思ったが、事はそう単純じゃなさそうだ。
「無論私も金添騎手にお願いしようとしている。だが……一部の一口馬主はそれを良く思わないみたいでね」
「あー……」
一体どうして?金添さんは実績も申し分ないし、なにより今のヴァーディがあるのは金添さんの力があってこそだ。それを知っているはずなのにどうしてと思ったが……ちょっと考えればすぐに結論が出た。
「海外での実績、ですか」
代表は重く頷いた。やっぱりか。
「現在一口馬主の間では2つの派閥で対立している。凱旋門賞はそのまま金添騎手にお願いする派閥と、凱旋門賞は別の……海外での実績が申し分ない騎手に騎乗をお願いする派閥の2つに分かれている。数は丁度半々、といったところだな」
「……代表は、どちらで考えていますか?」
「私は金添騎手に続投してもらおうという考えだ。それは、海藤君も同じじゃないかね?」
俺は、黙って頷く。だけど。
「金添騎手騎乗に反対する方々の気持ちも、分からなくはないです」
反対派の人達の気持ちだって分かる。出走するからには勝って欲しいし、勝ちの目を少しでも上げるのであれば、海外の競馬場を少しでも経験したことがある人に依頼して欲しいと思うだろう。代表だって、その考えは浮かんでいるはず。だからこそ、反対派の意見を強く否定できないのだろう。
代表は、難しい表情を浮かべて。
「……ひとまずこの話はここで終わりにしておこう。続きはまたの機会だ」
「分かりました。それでは失礼します」
「あぁ。ヴァーディクトデイの宝塚記念、頼んだよ」
俺は頷いて、部屋を退出する。それにしても、凱旋門賞の騎手か……。
「難しいな……」
思わずそう呟いて、歩き始めた。
「……それでは、宝塚記念もお願いしますね。金添さん」
「はい、任せてください」
日はまた変わって。今は金添さんと宝塚記念の打ち合わせの時間。ひと段落したので一息つく。そんな折に考えるのは、凱旋門賞のこと。
「難しい問題だよなぁ……」
「?何がですか?」
「あ」
し、しまった!?思わず声に出してしまった!金添さんが不思議そうな表情をしている。……まぁ話しても大丈夫か。
「いえ、実はヴァーディの凱旋門賞のことで」
「え!?出走、決まったんですか!?」
金添さんが身を乗り出して聞いてきた。
「は、はい。まだ仮決定の段階ですけど、今年の大目標を凱旋門賞に定めると決めたみたいです」
「そうですかそうですか!」
本当に嬉しそうにしてるな金添さん。だからこそ、ちょっと心苦しいというか……。
「でも、その割には浮かない表情ですね?他にも何かあるんですか?」
「あ~……実は、とある問題で今一口馬主達の間で意見が割れているんですよ」
「とある問題?ヴァーディに何か問題ってありましたっけ?」
……ここまで来たら言うしかないか。というか、そもそも俺は金添さんに続投してもらう考えだし教える分には問題ないだろう。
「実は、ヴァーディの騎手をどうするか?という問題が出てまして……」
「……」
「あ!?も、勿論俺は金添さんに続投してもらうつもりですよ!ただ、一口馬主の中には海外の経験が浅い金添さんで大丈夫か?という意見がありまして……」
「……まぁ、気持ちは分からなくもないですよね」
金添さんは、溜息を吐いた。やっぱり、気まずいよな……。
「だ、大丈夫ですよ!最終的な決定権は俺と代表である秋畑さんにありますし、俺達の意見は金添さんの続投で一致しています!だから……」
「海藤さん」
「っ」
俺の言葉の続きを遮るように、金添さんは手で制す。そして、俺を真っ直ぐに見ていた。決意の籠った目で、俺を真っ直ぐに見ている。
「ぶっちゃけ反対している人達の気持ちは分かりますよ。僕は海外での騎乗経験があまりにも少ない。実際、オルフェの時もそれを理由に降ろされましたから」
「だ、だからこそ!」
「海藤さん。
金添さんは、覚悟の決まった表情をしていた。
「海藤さんは、ヴァーディにとって最良だと思う判断をしてください。ヴァーディは、凱旋門賞を勝てる馬です」
「か、金添さん……」
「少しでも勝ちの目を上げるために、海外での騎乗経験が豊富な騎手を乗せるのであれば……僕はなんの文句もありません。確かに出れないことは悔しいですけど、それは今まで蔑ろにしてきた僕の責任であって、海藤さんが気に病むことじゃない」
「で、ですが!」
「それに」
真面目な表情を崩して、笑いながら。
「僕もタダで降ろされるつもりはありませんよ。精一杯に足掻いてみせます。だからこそ……次の宝塚記念で判断してください」
「……」
「僕が、凱旋門賞でヴァーディに乗るにふさわしい騎手かどうか。……競馬場もなにもかも違うから判断できないかもしれませんから、ここで1つ指標を立てましょう」
金添さんは人差し指を立てて、とある提案をしてきた。
「この宝塚記念で、僕がヴァーディに乗って勝つことができたら凱旋門賞はそのまま僕にお願いする。もし負けた場合は、他の騎手に騎乗を依頼する……こんなところでどうでしょうか?」
「……金添さんは、それでいいんですか?」
「……」
正直、俺は納得できない。金添さんの気持ちはどうなのか?それを聞かないことには。
「良いか良くないかで言われたら、まぁ良くないですよ。凱旋門賞はチャレンジしてみたいし、しかも勝てる可能性があるヴァーディに乗れるとなればなおさらだ」
「っだったら「けど」ッ!」
「少しでも勝ちの目を上げるんだったら、僕じゃない方がいい……海藤さんも、そう思っているからこそ悩んでいるんでしょう?」
「……っ!」
図星、だった。これは気持ちの問題じゃない……現実的な目で見た場合の話だ。
実際に承諾を貰えるかは分からないが、他を探せば金添さん以上にフランスの競馬を理解している騎手は多くいるだろう。それこそ現地の騎手だったり、日本だったら鷹騎手だっている。全力で勝ちに行くのだとしたら、こういった方々にお願いするのが普通になる。金添さんに頼むのは……申し訳ないが、博打要素が強い。
「ただでさえ向こうとこっちじゃ色んなものが違いますから。それを考慮すると……反対派の意見である僕じゃない方が良いって考えはとても良く分かりますよ」
「けど……ですが……」
「海藤さん、もう一度だけ言います。そして、僕からのお願いです」
金添さんは、真っ直ぐと俺を見て。
「海藤さんは、ヴァーディが勝つために最善を尽くしてください。ヴァーディが勝つためと海藤さんが判断したなら……僕は潔く身を引きます」
「金添さん……」
「ひとまずは、宝塚記念ですね。そこでのレースを判断して決めてください──続投か、否かを」
金添さんは立ち上がって、一礼してから事務所を退出した。誰もいなくなった事務所で、俺は頭を抱える……!
「クソ……どうすりゃいいんだ……!」
答えは、出ない。凱旋門賞の鞍上をどうするか──決めることができなかった。
実際かなり難しい問題。
47話改訂の理由
・一口馬主の権限を大きくし過ぎた(そもそも一口馬主よりも調教師と代表の決定の方が重いです。申し訳ありません)
・オルフェーヴルの件も知っているだろうに、さすがに全員反対派にはならないだろうに全員反対しているような書き方になってしまった
その他諸々の理由からどうしても違和感が拭えなかったので後半部分をまるっきり削除して新しい話としてお出しすることになりました。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません。