飛行機雲に焦がれて   作:カニ漁船

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凱旋門賞本走、前編。


凱旋門賞・前編 その重み

 その挑戦は、1969年に始まった。

 日本の調教馬として初めて凱旋門賞に挑戦したスピードシンボリ。結果は──着外。海外との隔絶とした差を見せつけられた結果だった。その後も挑戦は続けられ、1999年にはついにエルコンドルパサーが2着に食い込むという大健闘を見せた。

 それまで夢とされていた凱旋門賞。この無謀とも呼べる挑戦が、実現可能な挑戦へと変わった瞬間ともいえる。

 

 

「エルコンドルパサーが2着に食い込んだ!」

 

 

「これならば、近い将来きっと!」

 

 

 そう期待を抱き──ことごとくを打ち砕かれてきた。

 特に期待が高まったのは、日本近代競馬の結晶とまで称されたディープインパクトの参戦。ディープならば世界の一流馬が相手でも勝てる!日本の人々はそう信じて疑わなかった。だが、そのディープインパクトは2頭に差し込まれ3着に敗退。

 その後はナカヤマフェスタがアタマ差まで追い詰めるものの敗北。2012年にフォワ賞を制して凱旋門賞に参戦したオルフェーヴルが一度は先頭に立ったものの……突如として失速してしまい、差し返されての2着。オルフェーヴルは次年度も凱旋門賞に参戦するが、こちらもトレヴの前に敗北。そしてこの敗戦以降、日本馬は11頭が挑戦したが……掲示板に載ることすら叶わなかった。

 近年は他のレースも台頭してきており、凱旋門賞に拘ることも少なくなってきた。だが、それでも日本で競馬に携わる人達、ひいては競馬ファンは願わずにはいられない。

 

 

「半世紀の悲願を。凱旋門賞を日本の手に」

 

 

 日本馬が、凱旋門賞を勝つその日を──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本は深夜。向こうはもうそろそろ凱旋門賞の発走時間になる頃かな?大画面のモニターで、俺は様子を見守っている。

 

 

「クロノジェネシス……ヴァーディ……」

 

 

 俺の厩舎から、2頭がこの凱旋門賞に出走している。どちらも重馬場に対して強い適性を持つ2頭。良馬場なら、なんて期待を抱いていたけど……。

 

 

「肝心の馬場は重馬場発表……かなり苦しい戦いですよね」

 

 

「新橋さん」

 

 

「すいません、いの一番に取材に来たくって。無理言って本当にすいませんでした」

 

 

 新聞記者である新橋さんは頭を下げる。

 

 

「気にしないでください。俺も、たくさんの人と見たかったので」

 

 

 ここにいるのは休憩中の厩舎のスタッフ。クロノジェネシスとヴァーディの馬主達はきっと、現地でレースを見守っているだろう。状況に関しては……あまりよろしくないが。

 

 

「天気こそ曇りですが、昨日からの雨で馬場は重馬場発表。ただでさえ重いロンシャンの芝が、さらに重くなっている」

 

 

「いくらクロノジェネシスとヴァーディが重馬場が得意といっても、この状況はさすがに厳しいものがありますよね……」

 

 

 スタッフの1人がそんな弱音を吐く。正直、その気持ちは分かる。だけど。

 

 

「信じよう」

 

 

「海藤さん?」

 

 

 俺は、モニターの画面を真っ直ぐに見て。

 

 

「日本馬が勝つことを。悲願成就のその時を……信じて見守ろう。俺達にできるのは、それだけだ」

 

 

「……そうですね。しっかりとレースを見ましょう!」

 

 

 新橋さんは明るく答える。そうだ、日本にいる俺達は信じることしかできない。

 

 

(頑張れよ……みんな!)

 

 

 凱旋門賞は、発走の時を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、と。ついにやってきたか。凱旋門賞本番の日が。

 

 

(……フォワ賞の時とは大分ちげぇな。芝の状態がべつもんだ)

 

 

 まぁ前日雨だったしな。その影響もあるだろう。だが……大した問題じゃない。

 

 

(走りにくいか、と言われたら確かに走りにくい。だが、問題ねぇ範囲だ)

 

 

 これが走った時にどれくらいの影響を及ぼすかは分からない。実際に走ってみないことにはな。だけど、もうここまできて引き返すことはできないだろう。

 

 

「ヴァーディ、最後の確認だ」

 

 

 俺の鞍上、鷹さんが返し馬をしながら俺に話しかけてくる。

 

 

「今回は──後方待機。日本で君がいつも走っている、あのレーススタイルで行こう。だから、スタートに関しては一旦置いてくれていい」

 

 

「ヒヒン(あいよ)」

 

 

 1つ鳴き、頷く仕草を見せて答える。鷹さんにもその意思表示は伝わったようだ。

 周りを見渡す。今回出走している馬達を見るが……成程。

 

 

(海外のG1だからって、何かが変わるわけじゃない。誰もが勝利のためにギラついている……そこは万国共通だな)

 

 

 オーラがすげぇとか、そんな違いはあれど本質的には何も変わらない。このレースを、凱旋門賞を勝ちに来ている。あ、ディープボンドいるじゃん。鞍上なんか変わってるけど。

 そんな中、近づいてくる馬が……あの、なんですかね?知らん馬が何か近づいてきたんですけど。あ、ジェネ先輩もそれに気づいてかこっちに来た。

 

 

『へ~日本から随分とカッコいい子が来てるんだね』

 

 

『ど、どちらさまで?』

 

 

『私、タルナワ。以後お見知りおきを、ね。日本の素敵なミスター?』

 

 

『あぁ、はい』

 

 

『ヴァーディ君から離れなさーい!』

 

 

 鷹さんは鞍上の人と会話してる。向こうが謝るようなしぐさを見せていることからま~そういうことなんだなって……。どこに行っても変わらないのねこれは。

 ひと悶着あったものの返し馬は無事に終了。ゲートへと入る。俺のゲート番号は確か……大外の15。うん、普通なら最悪の大外枠だが、俺にとっては最良のゲート番だ。

 

 

 

 

《パリロンシャン競馬場はどんよりとした曇り空。芝2400m、馬場の状態はcollant*1と発表されています。第100回を迎えたこの凱旋門賞、集った馬もまた、超一流といっても過言ではないメンバーであります。日本から挑戦しに来たのは3頭。グランプリ女王クロノジェネシス、フォワ賞を制したディープボンド、そしてヴァーディクトデイ。ラブが出走を取り消して15頭での出走となります。逃げ馬不在、誰がペースを握ることになるのか?》

 

 

 

 

 ゲートの中で静かに待つ。スタートに関しちゃ気にする必要がない。後ろからのレースを展開する……鷹さんがそう決めたからな。

 いつも以上に心臓がバクバクしてる感じがした。ハハ、我ながら緊張してるってヤツかね?ただ、どことなく高揚感のようなものを覚えていた。

 

 

(早く、早く開けよゲート……!走りたくてウズウズしてきたぜっ)

 

 

 ……っと!あぶねぇあぶねぇ。ちょっと入れ込み過ぎるとこだったぜ。あまり熱くなりすぎるとそのまま暴走しかねないからな。ちゃんと落ち着かねぇと。

 どれだけ待っただろうか?静寂が支配している中──バンッ!と。ゲートが開く音が聞こえた。

 

 

(ッ!うし、行きますかね!)

 

 

 俺は少し遅れてスタートを切る。狙い通り後方に位置することができた!よしよし、後はこのまま後方待機だ!

 

 

 

 

《タルナワがゲート入りを渋っていますが、ようやくゲートに収まりました。アダイヤー、そしてブルームがゲートに収まりまして……っスタートしました!第100回凱旋門賞がいよいよ始まりました!日本勢悲願の初優勝なるか!?好スタートを切ったのはアダイヤーとハリケーンレーン!グリマルキンの2頭が好スタートを切りました!真ん中にはアレンカー、この3頭が逃げる形か!馬群は広がっています、探りながらの先行争い!日本勢はどうか?クロノジェネシスは……馬群の外にいる!クロノジェネシスは外に持ち出している!ディープボンドは今回は控える形を取っている、馬群の中にいます。そしてヴァーディクトデイは最後方、集団の1馬身程後ろにいます》

 

 

 

 

 鷹さん主導の元、俺は後方で控える形を取っている。っにしても!

 

 

(さすがに重いなっ!重馬場らしいけど、日本の重馬場となにもかもが違う!)

 

 

 この長い直線はフォワ賞でも経験している。だけど、馬場が違うだけでこうも変わってくるのか!

 

 

(まるで初めて走ったような感覚だ!だけど、()()()()()()()()()

 

 

 この馬場でも、俺は走ることができている!このまま虎視眈々と控えて、最後の直線で一気に捲る!それが俺達の作戦だ!

 レースは淀みなく進む。ジェネ先輩は……集団の外で追走している。集団の中にいたら余計に体力を消耗するから、という考えかも知れない。その辺はぶっちゃけ分からんけど。鞍上の鷹さんも俺を励まし?ながら手綱を握ってくれている。

 

 

「大丈夫だよヴァーディ。焦らずゆっくりと、だ」

 

 

 滝村さんや金添さんもそうだけど、やっぱりこうして声をかけられるだけでも安心するってもんだ。しっかりと落ち着いて、レースを展開する。

 

 

 

 

《クロノジェネシスは馬群の外を追走しています。スノーフォールは馬群の真っただ中、そのインコースにラービアー、そしてトルカータータッソドイツ調教馬がここにいます。さらにその後ろはシリウェイ、シリウェイが追走しています。後方グループにベイビーライダーとバブルギフト。後方グループから2馬身離れて最後方にヴァーディクトデイ。ヴァーディクトデイもフォワ賞とは戦法を変えて日本でのいつもの走りに切り替えてきました。これがどういった影響を及ぼすか気になるところ》

 

 

 

 

 レース序盤。しっかりと温存しておけ……俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースは淀みなく進んでいった。逃げ馬不在の凱旋門賞は混戦模様。そこから抜け出したのは──ダービーステークスとキングジョージを制したアダイヤー。それを追走するようにブルームと日本のクロノジェネシス。レースはフォルスストレート(偽りの直線)に入る。

 

 

《ここで集団を引っ張るのはアダイヤー!アダイヤーがレースを引っ張ります!2番手はクロノジェネシス、3番手に内をついてブルーム!アレンカー4番手モジョスターとトルカータータッソが5番手6番手追走!英セントレジャー馬ハリケーンレーンは7番手、昨年度のBCターフ覇者タルナワが中団のインコースに控えます!ディープボンドは中団後ろを追走して、スノーフォール、ラービアー、シリウェイ、ベイビーライダー、バブルギフトと続きます!最後方4馬身程離れてヴァーディクトデイが控えます!フォルスストレートで集団になりました馬群は固まっている!しかしヴァーディクトデイ!ヴァーディクトデイだけは馬群から離れた位置4馬身の位置につけている!虎視眈々と前を狙っている!》

 

 

 有観客で行われているパリロンシャン競馬場。観客は盛り上がりを見せている。

 フォルスストレートで馬群はただ1頭を除いて固まってきている。その1頭はヴァーディクトデイ。日本の調教馬。

 

 

「やっぱり馬場が合わなかったんじゃないか?」

 

 

「日本の馬じゃ、ロンシャンの重馬場は対処できないだろ」

 

 

「ここから伸びてくるなんて、ダンシングブレーヴじゃあるまいし」

 

 

「条件的にはダンシングブレーヴより厳しいぞ」

 

 

 観客からはそんな声が上がっていた。

 このレースを日本で観戦しているファンも、不安になってきていた。

 

 

「クロノジェネシスは好調だな。だけど、重馬場だからなぁ……」

 

 

「力尽きてくれなきゃいいけど」

 

 

「最後まで持つんだろうか?」

 

 

 だが、それでも勝利を信じる。日本の悲願を思って。

 フォルスストレート抜けて、最後の直線に入る。運命の分かれ道に入った。

 

 

《トルカータータッソとディープボンドが押し上げてくる!ディープボンドが進出開始!そして最後の直線に入ります先頭はアダイヤー!2番手は日本のクロノジェネシス接近!クロノジェネシスが接近できるか!?しかし前との差が少し開いた!アダイヤーが逃げる!3番手はブルーム!内にはいってタルナワ!タルナワはオープンストレッチを使っている!残り300を切って後続も差を詰めてきている!ハリケーンレーンも追い上げてきた!クロノジェネシスは……ッ!クロノジェネシスは後続に捕まった!クロノジェネシスはこの馬場に耐えきれなかったか思うように伸びてこない!ディープボンドも伸びてこない!ディープボンドも伸びてこない!やはりこの馬場はキツかったか!?やはりこの馬場はキツかった!》

 

 

 残り300を切ったファンの目に映ったのは。今まで何とか食らいついていたクロノジェネシスが後続に捕まって順位を落としていく姿。なんとか懸命に粘っているものの、時間の問題だろう。日本でレースを観戦しているファンは、悲鳴を上げる。

 

 

「あぁ!や、やっぱりダメなのか!?」

 

 

「ディープボンドも伸びてきてない!もう、ダメだ……!」

 

 

「クソっ!今年も……今年もやっぱりダメだったか……!」

 

 

 諦めムードが漂う日本勢。だが、そんな中。ふとした違和感を感じる。

 

 

「……そうだ。ヴァーディクトデイは?ヴァーディクトデイは、どこを走っているんだ?」

 

 

 テレビを、ないしはPCのモニターをジッと見る。そして、()()()()

 それは、現地のファンも同様である。

 

 

「あ、あれは!?」

 

 

 彼らの目に映ったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ハリケーンレーンとトルカータータッソが上がってくる!トルカータータッソも上がって……ッ!?そ、外から猛烈な勢いでヴァーディクトデイが上がってきている!大外ヴァーディクトデイ!大外ヴァーディクトデイ!来た来た来た!日本勢最後の1頭!ヴァーディクトデイが上がってきた!なんということだ!気づいた時にはすでに!中団を越えて先頭集団に追いつきそうになっている!飛ぶような末脚ヴァーディクトデイ!ヴァーディクトデイが──()()()()()()()()!!》

*1
重馬場。その中でもとりわけ不良馬場に近い状態




不良馬場に近い重馬場で飛ぶヴァーディ。
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