──時間は少し戻ってフォルスストレートの時。
さて、そろそろ前との差を詰めるか?
(現在4馬身近い差が開いている。そろそろ前と差を詰めねぇとまじぃな!)
ただでさえこの馬場だ!早めに仕掛けといて損はねぇと思うがっ!?そう思った矢先、一度目の鞭が入る。この鞭は──前との差を詰めろという合図!
『まずは、発射台だ!』
フォルスストレートで俺は少し加速する。とは言っても、本気の加速じゃない。あくまで、最後の直線で全員追い抜くための加速だ。大外からじわじわと上がっていく。
(幸いにも団子状態だ。おそらく、最後の直線でのよーいドンになる。そして……その状況なら!俺は誰にだって負けねぇ自信がある!)
余計なルートは見ないようにする……つもりだったが。
(っ?な、なんだ?なんか……道みたいなもんが)
俺の気のせいかもしれないが……光の道筋のようなものが大外へスーッと伸びていた。まるでこのルートを通れと言わんばかりの光が、俺の走るルートを決めているような気がして。
気づけば俺は、その光が指し示すルートを通っていた。そして、どうやらそれは、鷹さんが取ろうとしていたルートだったらしく。宝塚記念の時のようなことにはならなかった。
(ッ!いや、後はもうごちゃごちゃ考えるのは止めだ!ここから──飛ばしていくッ!)
鷹さんの二度目の鞭!ここからさらに上げろという合図!さぁて、発射台は温めていた。だから!
『飛ばしていくぜぇぇぇぇ!』
俺はロンシャンの最後の直線を飛んだ──が。
(ッ!く……っそがぁ!流石に重すぎる!)
大地をしっかりと踏みしめて、蹴り上げていく度に尋常ないぐらい力を消費する!いつもの走りよりも、さらに倍以上の力を消費している!それでも俺はなんとか走り……最後方から一気に先頭集団へと襲い掛かろうとしていた。団子状態で助かったぜ本当に。
残り300!このまま加速に乗って……ッ!?
(や、ヤバい!?もしかして……道中
なんというか、思うような加速が得られない!中団には追いついたが、そこから先頭集団に追いつくには加速が足りないッ!しかも、一瞬失速しちまった!
もっと、もっと速く走らねぇと!なのに、なのに……ッ!
(……ッ!クソ、また同じことやろうとしてんじゃねぇか!)
あれこれ考えるからダメなんだよ!確かにいつもよりパワーを持ってかれた。脚の疲労もとんでもねぇかもしれねぇ。だけど……最後まで持たせろ、俺!
『気合入れろ!ここを勝って……俺は世界一の競走馬になるんだろうが!』
あれこれ考えるんじゃなく、脚を動かせ!ただ、最適な走りでここを駆け抜けることだけを考えろ!
世界一になるんだ!世界一になって……!
『コントレイルと戦うんだよ、俺はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
飛べ!俺の身体!
ヴァーディは、ディープのように長く脚を使うタイプじゃない。どちらかと言えば瞬発力、爆発力が凄いタイプだ。なのに……!
(おそらくだけど、これでまだ本気のスピードじゃない!恐ろしい潜在能力だ……!)
フォルスストレートを越えて最後の直線。他馬を瞬く間に躱して大外から上がっていく。ディープに乗った時のような、飛んでいる感覚。そんな中確信する。おそらくだけどこの子は、スピードの絶対値が高いタイプ!
残り300m、このスピードを維持すれば、このままならいける!そう思った矢先のことだった。ヴァーディの身体が、ガクッとなったような気がしてッ!?
(まさか、力尽きたか!?)
いや、冷静に考えれば当たり前だ。この馬場で、疲れないはずがない!だけどもうちょっと、もうちょっとだ……!もうちょっと、頑張ってっ?く、れ!?
瞬間、手綱が凄まじい力で引かれた。
(っ!?も、持ってかれる!?)
一瞬沈み込むような感覚を覚えた後、ヴァーディは──
(は、ハハ……)
金添は前にこう言っていた。
「ヴァーディは底が知れない」
あぁ……確かにその通りだよ。おまえの言う通りだ金添。ヴァーディクトデイは……!
「本当に底が知れないな、
こうまで俺達の予想を裏切ってくるなんて!だけどこれなら──いける!
「獲るぞヴァーディ……凱旋門賞を!俺達の力でッ!」
残り200。先頭まであと少し!ここで──勝負が決まる!
《大外からヴァーディクトデイ!大外からヴァーディクトデイ!残り300を切ってアダイヤー先頭しかし!外からハリケーンレーンとトルカータータッソが上がってくる!ハリケーンレーンとトルカータータッソしかし!この2頭よりもさらに速いスピードで!馬群の一番外からヴァーディクトデイが上がってきている!なんという末脚だ!?ここまでの脚を隠していたのか!?いやそれよりも!いつの間に上がってきていたんだ!?まさか、このままいくのか!このままいくのか!?》
観客席は大きな盛り上がりを見せる。大外一気で駆け上がるヴァーディクトデイの姿もそうだがそれ以上に──そのフォームに。観客は心を奪われた。
「綺麗……っ」
「まるで飛んでるみたいっ!」
「……ッ!?ま、負けるなアダイヤー!そのまま逃げ切れー!」
「ハリケーンレーン!ジンクスなんてぶっ壊してやれー!」
「差し切れー!タルナワー!」
走りに奪われたものの、すぐに我に返って応援の声を飛ばす。挙げられている名前は様々だ。
残り200を切る。
《残り200を切った!アダイヤー逃げる逃げる!外からハリケーンレーンとトルカータータッソ!内からはタルナワが上がってくる!クロノジェネシス懸命に粘るがこれはもう無理!ディープボンドは伸びてこない!ディープボンドは伸びてこないしかし!しかし……ッ!大外ヴァーディクトデイ!大外からヴァーディクトデイが飛んできている!アダイヤーとの差をグングン詰める!凄まじい走りだ!その走りはまさしく空を飛ぶ走り!大外ヴァーディクトデイ!大外一気だヴァーディクトデイ!このままいけ!日本の期待を背に!飛んでいけヴァーディクトデイ!》
そして残り100m。ついに、その瞬間が訪れた。
先頭を逃げていたアダイヤー。アダイヤーに追いつくタルナワ、ハリケーンレーン、トルカータータッソ。ついにアダイヤーが力尽き3頭が叩き合う状況──
しかし。大外から──漆黒の馬体が。並ぶ間もなく4頭を躱していった。
《大外からヴァーディクトデイ!大外からヴァーディクトデイ!並ぶ間もなく躱した!アダイヤーは力尽きた躱される!ハリケーンレーン・タルナワ・トルカータータッソがアダイヤーを躱した!しかしヴァーディクトデイ先頭!ヴァーディクトデイ先頭!いけ!いけ!いけぇぇぇぇ!》
凄まじい熱量の声援。悲鳴、歓喜。それは様々だ。その声援を受けて──ヴァーディクトデイは大外を飛んでいる。
ハリケーンレーン、タルナワ、トルカータータッソはヴァーディクトデイに追いすがる。だが……ヴァーディクトデイは3頭以上のスピードで駆け抜ける。追いつくことすら許さない。ぐんぐんと差をつけていった。
《残り100を切った!ヴァーディクトデイ先頭!ヴァーディクトデイが先頭だ!後続との差をつけていく!ヴァーディクトデイが後続との差をつけていく!残り50!これはもう決まった!完全に決まった!日本の競馬ファンよ!世界のホースマンよ!
凱旋門賞の壁。これまで半世紀にわたって日本を拒み続けていた扉をこじ開けて──歓喜の凱歌を轟かせた。
《これが第100代凱旋門賞馬!ヴァーディクトデイの姿だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!ヴァーディクトデイが、日本のヴァーディクトデイが!凱旋門賞の高い壁を飛び越えて!ついに、ついに!日本の悲願を叶えました!鞍上の鷹は感極まっている!手綱をしっかりと握りしめて!歓喜に打ち震えている!ヴァーディクトデイ1着ゥゥゥゥゥゥ!!2着トルカータータッソに3馬身差!残り100mで躱してから3馬身差をつけました!2着はトルカータータッソ!3着はタルナワ!》
ロンシャン競馬場を静寂が支配する。一瞬の静寂。そして次の瞬間──爆発したかのような歓声が響き渡った。
「「「ウオオオオォォォォォ!!」」」
「ブラボー!ブラボー!」
「なんて凄いレースだったんだ……!この目で見れて良かった……!」
涙を流す者もいれば、歓喜の口笛を鳴らす者もいる。様々な反応を見せていた。
──そして日本では。
「や、やったやった!ヴァーディクトデイがやったんだ!」
「あぁ……!日本の悲願を叶えてくれた!半世紀にわたる挑戦の歴史は!無駄じゃなかったんだ!」
「やった!やったぞぉぉぉぉぉ!」
深夜であるにもかかわらず、ヴァーディクトデイが勝ったというニュースは瞬く間にネットに流れていった。
そして、海藤達は。
「やった……!やりましたよ海藤さん!ヴァーディが!」
「ついに、ついにやったんだ!ヴァーディが、やってくれた!」
「海藤さん……ッ!」
新橋は涙を堪えて海藤を見る。海藤は顔を俯かせて──歓喜の涙を流していた。
(お前は本当に……凄い馬だよ。ヴァーディ)
その時海藤の脳裏によぎるのは……ヴァーディクトデイを初めて見た時。
思えば、あの時から不思議な縁を感じていた。それから縁に恵まれてヴァーディクトデイを受け入れることになって……海藤の頭の中では、ヴァーディクトデイとの思い出がよみがえっていた。
海藤は涙を流しながら言葉を絞り出す。
「おめでとうヴァーディ……!おめでとう……っ!」
日本は、歓喜に打ち震えていた。
もう、どんだけ走ったのか分からない。ただがむしゃらに、無我夢中で走ってて……どうなったのか、よく覚えていない。
(後、どんくらいだ?後どんだけ走れば、ゴールに辿り着く?)
もう他の馬なんて視界にすら入っていない。ここがどこかも分からない。そんな状況の中──転びそうになって。
(うわっと!?あ、あっぶねぇ……!これでこけたら洒落にならねぇぞ!?)
それで我に返って。なんか拍手とか歓声とかすげぇことになってて。脚を止めたら──
『あ……』
俺は、自分がゴールしていることに気づいた。マジかよ、結果どうなったん?てか鷹さんなんか泣いてね?嗚咽が聞こえてくるんだけど。何?負けたん俺?つか脚が小鹿みてぇにプルプル震えてらぁ。いや、あくまで気分の問題。実際にはそこまで。
とりあえずどうなったか教えてくれ鷹さん。身体ゆっさゆっさと揺らして鷹さんを慰める。しばらくしたら鷹さんが。
「やったな、ヴァーディ!俺達が……凱旋門賞を勝ったんだ!」
そう言って。俺は、自分が置かれている状況を理解した。
(勝、った?俺、勝ったのか?)
ということは、この歓声も拍手も、全部俺に向けられたもので。なんて言ってるのか分からないけど、多分褒めてくれてるんだろうなってことだけは何となくわかる。
……あぁ。そうか、そういうことか……!
『俺、勝ったんだな……ッ!』
『そういうことだ黒いの……ッ!』
忌々し気なそれが聞こえて、そちらに視線を向けると──知らん馬がいた。
『クソ、クソッ!俺が負けるなんて……俺が、このアダイヤーが!お前よりも遅いだなんて!』
『おい黒いの!』
増えたじゃねぇか。誰だよこの栗毛の馬。
『なんだよ?』
そいつは悔しさをにじませたように。
『俺はトルカータータッソ!次は負けねぇ!首を洗ってまってやがれ!』
宣戦布告をしてきた。他の馬も同じ気持ちらしい。へ、上等だ!
『次も俺がぶっちぎってやるよ!』
『舐めんな!フン!』
そして去っていった。ふぅ、ゆっくりできる『おめでとうミスター。素晴らしい走りだったわ』はずがねぇな、うん。
『思わず心奪われちゃった。ねぇ、私とイ・イ・コ・ト……しない?』
『あ、あの、タルナワさん。なんでじりじりと近寄ってくるんですかね?』
『ウフフ、なんで『ヴ、ヴァーディ君から……ゼェ、ゼェ……は、離れなさ~い……!』……まぁいいわ。また会いましょう?素敵なミスター』
なんか凄い危機が去っていった気がする。思わずホッとしたぜ。
ジェネ先輩と向かい合う。
『俺の勝ちっすね、ジェネ先輩。宝塚記念の借り、返しましたよ』
『う~!ヴァーディ君に負けた~!だけど』
ジェネ先輩は。
『おめでとうヴァーディ君!本当におめでとう!』
俺を祝福してくれた。
他にも。
『うあうあ~、負けちゃったよぉ……』
『へ、プボ君にも前回の借りを返したぜ』
『返されちゃったよ~……プボ君?』
『愛称。呼びやすいだろ?』
『いいね~、気に入った!じゃあ……きみはなんて呼ぼう?』
『ヴァーディクトデイ。ヴァーディでいいよ』
『うん、ヴァーディ君!またどこかで一緒に走ろ~ね!』
『おう!またどこかで!』
プボ君とも話しをした。
そしてウィナーズサークル。俺の代表馬主の方──秋畑さんが。涙の跡を隠そうともせずに。
「よくやった……よくやったぞっ、ヴァーディ!!」
俺にしっかりと、抱き着いてきた。へへ、照れるじゃねぇか。けどまぁ、頑張った甲斐があるってもんだな。
俺は、これで世界一の競走馬になった。そして、次に目指すべきは──コントレイルとの決着!
(待ってろよコントレイル!日本に帰って、今すぐにでもお前と走りてぇ!お前と走って、決着をつけようじゃねぇか!)
無敗の三冠馬であるアイツVS凱旋門賞を制した俺!良い対戦カードじゃねぇか!全然見劣りしねぇ!アイツだってきっと強くなってる。だからきっと、最高に熱い勝負になるはずだ!
(日本に帰る時が楽しみだぜ!)
存分に戦おうぜ、コントレイル!
「……素晴らしい馬だ」
ヴァーディクトデイが制した凱旋門賞を見て、そう呟いた一人の男性。その男は調教師であり、その視線は──ヴァーディクトデイに向いていた。
「是非ともウチに迎え入れたい。そして、来年度は欧州でのレースを……。日本に渡って、交渉してみるか」
そう呟いて、踵を返す。
彼の名前はジェフ・ゴードン。かつてエネイブルを手掛けた調教師である。
凱旋門賞制覇!ヴァーディクトデイ、凱旋門賞制覇!