「海藤君、ヴァーディクトデイは?」
秋畑代表の沈痛そうな面持ち。その心中は察する。
「無事に有北ファーム行きの、馬運車に乗りました」
「……辛い仕事をさせてしまってすまないな」
「……いえ」
代表だって、本当はジャパンカップに出走させたいという気持ちはあっただろう。だけど、ヴァーディのことを考えたら出走させるわけにはいかない。確かに回復しつつあるけど、それも完全じゃない。もしものことを考えたら、出走を止めた方が良いのだから。
「しかしまぁ、よくも無責任に囃し立てるものだな。マスコミというものは」
「つい先月までは英雄のように持て囃していたのに、今じゃ逆賊扱いですよ。アハハ」
「笑えない冗談だな」
マスコミからはいまだにジャパンカップには本当に出走しないのか?本当は完調しているんじゃないか?負けるのが嫌だから逃げるんじゃないのか?種牡馬価値を下げたくないからetc.……といった感じの声が上がり続けている。最初は憤ったけど、さすがにもう慣れた。懇意にしている新橋さんを筆頭に何社かはそのマスコミの声を批判する記事を書いてるけど……いたちごっこになるからと無視する方向性に切り替えたようだ。冗談交じりで言ったけど代表的には面白くない冗談だったらしい。
さて、と。ここに来た理由はヴァーディの経過を報告するのともう一つある。秋畑代表も、その話し合いをするための準備を始めようとしていた。
「それでは海藤君。もう一つの主題について話し合おうか」
「はい。来年以降のヴァーディをどうするか……ですよね?」
代表は頷く。
ここに来たもう一つの理由は、ヴァーディの今後の予定を決めるためだ。このまま引退、なんてのもアリかもしれないけど。
「後一年。もう一年だけ現役を続行するつもりでいる」
「私も同じ考えです。ただそうなると、どのレースに出走するか……国内の中距離G1に集中するか、あるいは」
「
秋畑さん的には、おそらく欧州への遠征の方がメインだろう。理由はヴァーディが持つ欧州芝への適性の高さ。それを考えたら欧州への長期遠征も悪くない選択肢だ。
「となると、また受け入れ先はパニー厩舎に?」
だけど秋畑代表は首を横に振った。違うってことは……どこの厩舎なんだ?まだ決まってないのか、もしくは決まっているか。はたまた話を進めている段階か。
「まずは話をするとしよう。丁度、先方からも連絡が来ているところだからな」
そう言った秋畑代表。モニターに相手の顔が映る。そこに映っていたのは。
《ハロー、ミスター秋畑。調子はいかがだろうか?》
「『こんにちは、ミスターゴードン。問題ありません』」
ジェフ・ゴードン氏。イギリスの調教師で、有名どころと言えば直近ではエネイブル*1が上げられるだろう。他にも数々の名馬を手掛けている。そんな人がどうして?
(……いや、もしかして)
この話題で出てきた、ということはつまり。ヴァーディの受け入れ先の厩舎は。
「『早速本題に入りましょう。ヴァーディクトデイの欧州遠征の話ですが』」
そう切り出すと、ゴードン氏は険しい顔つきになった。こちらの話を聞いていないから当たり前かもしれないが。
《……それで、どのようなご決断を?》
「『ミスターゴードンから持ち掛けられた話──ヴァーディクトデイが欧州遠征をする場合、是非とも我が厩舎で面倒を見たいというお話は、まだ有効ですか?』」
好感触。そう判断したのだろう。険しい顔を崩して、嬉しそうな声色で答えた。
《勿論、有効です。ということは……受け入れ先は我が厩舎で、ということでよろしいでしょうか?》
「『はい。是非ともヴァーディクトデイを頼みたいです』」
画面の向こうのゴードン氏は安堵した表情を浮かべている。気が気でなかったんだろうな、というのが見てとれた。
ゴードン氏はヴァーディの凱旋門賞を観戦していたらしく、その時にヴァーディの走りに魅せられたと語っていた。そして来年度以降、もしヴァーディクトデイが欧州遠征をするとしたら是非ともウチで、という話が上がっていたのである。その時はヴァーディの調整に四苦八苦していたので返事を先延ばしにしていたそうなのだが、今日改めて返事をすることにしたらしい。
しかし、イギリスの厩舎を拠点に、か。となると、対象のレースはたくさんある。
(まず真っ先に挙げられるのはキングジョージ。プリンスオブウェールズにインターナショナルステークスもある。ここからどういった取捨選択をしていくのか……)
《それでは、ヴァーディクトデイのレースプランについて伝えてもよろしいだろうか?》
「『お願いします』」
《まず大目標として……凱旋門賞の二連覇。それを我々は考えている》
凱旋門賞の二連覇。現在時点で7頭しかいない偉業。それに、挑戦するのか……ヴァーディが。
《もしヴァーディクトデイが凱旋門賞を二連覇することができれば、日本競馬のみならず世界的な目線でみても偉業だ。特に牡馬での二連覇となれば、アレッジド*2以来44年ぶりとなる達成になる》
「『近年達成したのはトレヴとエネイブル。どちらも牝馬ですからね』」
《その通りだミスター海藤。後はキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスとプリンスオブウェールズステークス……さらにはエクリプスステークスの出走も考えている。ここはヴァーディクトデイとの体調との相談になるがね。勿論、ヴァーディクトデイの体調が思わしくないのであれば出走は即刻取り消す》
7月上旬開催のエクリプスステークスと7月下旬開催のキングジョージ。使い詰めと思われがちだが、向こうでは割とポピュラーなローテだ。そこにプリンスオブウェールズステークスが加わるから結構間隔の狭いローテだけど、無理はさせないと約束している。あくまで行けたら行く、程度の感覚だろう。
ゴードン氏は他にも様々なレースプランを提示してくれた。それを詰めていって、最終的には最初の提案通りに収まろうとしていた。
《では、続けての話になるのだが》
ゴードン氏は唐突にそう切り出す。受け入れ先については話した。レースのプランについても特に問題はない。他に何か話すことはあるのだろうか……そんな風に考えていた俺に。
《ヴァーディクトデイの先のこと……引退後のことについては、考えているかね?ミスター秋畑》
鈍器で殴られたような、そんな衝撃が走った。
……そうだ。活躍したヴァーディにとって、避けては通れない問題がある。それが、引退後の種牡馬問題。
(普通だったら、日本での種牡馬入りになるだろう。日本競馬界に初の栄光、52年の悲願、凱旋門賞の栄誉をもたらした競走馬。どこも引く手あまたになるだろう。だけど……)
日本での種牡馬入りが、絶望的な理由がある。それが分かってか、秋畑代表も難しい表情をしていた。
「……『考えてはいます。ですが』」
《やはり、厳しいものがあるだろう。ヴァーディクトデイが日本で種牡馬をやっていく、というのは》
ゴードン氏もそれが分かってか、ヴァーディの現状について説明し始める。
《第一に、ヴァーディクトデイはサンデーサイレンスの2×3という点。インブリードを考えると、サンデーサイレンス系の牝馬との種付けは相当厳しいものになる。キングカメハメハ系牝馬との交配が現実的になるだろう。第二に、父がブラックタイドであるという点。ブラックタイドはディープインパクトの全兄、全兄弟クロスが起こってしまう。これもまた現実的ではないだろう。そうなるとサンデーサイレンスの血を介さない繁殖牝馬を輸入する、もしくはシャトル種牡馬という手もあるが……》
ゴードン氏は首を横に振る。
《ここで浮き上がる第3の問題。そして最大の問題点。それは──成功しても失敗しても日本競馬の発展には悪影響になる可能性があるということだ》
「「……」」
俺達も行きついた可能性。ヴァーディが日本での種牡馬入りが絶望的な……最大の理由。
《現在日本ではディープインパクトの血統が主流になっている。勢いがある血統は他にもあるが、ほとんどがディープインパクトの血筋といってもいいだろう。ディープインパクトの父はサンデーサイレンス、これがヴァーディクトデイにとって大きな痛手だ。加えて同世代にコントレイルというディープインパクトの後継者がいるというのも痛い》
確かにヴァーディは偉業を成し遂げた。だけど……血の問題からヴァーディは日本での種牡馬入りがかなり厳しい。
競走馬のインブリードで理想的なのは3×4か4×3の配合。本来はこれより多すぎると良くないとされている。理由は色々あって、気性的な問題や生殖機能的な問題等多岐にわたる。ヴァーディは本当に稀有な例なのだ。体質も強く、大きな怪我無くここまで走れている。加えて強さも一級品。まさしく濃いインブリードの成功例といってもいいだろう。
だけど、危険なインブリードであるということには変わりない。そして未来のことを考えると……間違いなくダメだ。
(ただでさえサンデーの血は飽和気味。さらには同世代にはディープの後継者としてコントレイルもいる。ここでコントレイルの産駒が活躍して、ヴァーディの産駒も活躍したら……)
血量がとても濃くなってしまう。そうなると、交配できる牝馬が激減してしまい最終的には血の消滅に繋がる……さすがにそんなことになる可能性は低いだろうけど、敬遠されることは間違いないだろう。
そこでゴードン氏が思っていることは。
《海外での種牡馬入り……ヴァーディクトデイは、凱旋門賞の勝利でどこの牧場も興味を示している。サクソンウォリアー*3の影響もあって、サンデーサイレンスの血を欲しがっている牧場はたくさんある。特にイギリスは、かなりの興味を示しているよ》
「『やはり、凱旋門賞の制覇もあってでしょうか?』」
これ以上活躍するとなれば、ヴァーディは海外での種牡馬入りが濃厚になる。ゴードン氏はそう言いたいのだろう。
どれが最良の未来かは分からない。どれがヴァーディにとって、一番良いことなのかは……分からない。ただ、そういう可能性もあるのだということをしっかりと覚えておかないといけない。
《実りのある話だった。それでは、年明けはよろしく頼むよ》
「『はい、ミスターゴードン。それではまた後日』」
《あぁ、これからも良き関係を》
そう告げて、ゴードン氏との対談は終わった。
「……ヴァーディクトデイの種牡馬入り、か」
「正直、引き伸ばしにできないことではありますよね」
「可能ならば日本でシャトル種牡馬に。だが、問題点は山積み。儘ならないものだな……」
「……そうですね」
加えて、ヴァーディは来年欧州遠征を敢行するが……ヴァーディの気持ち的にはどうなるだろうか?ジャパンカップに出走できなくて、気持ちが切れていたとしたらその時は。
(ゴードン氏には申し訳ないけど……)
覚悟をしておいた方がいいだろう。
ヴァーディの今後。その先になにが待ち受けているのかは──この時は分からなかった。
ヴァーディ、世界的に注目されてる。