それからまぁ、俺は放牧が終わって。
『久しぶりに帰ってきたな、栗東』
栗東トレセンに帰ってきた。向こうで体調に問題はなく、疲労も抜けただろうということでこちらに帰ってきたわけだが。
「……お帰り、ヴァーディ」
そんな無理矢理作った笑顔で出迎えるのは勘弁してくれませんかね?気持ちは分からないでもないけどよ。
(そりゃ、あんだけ暴れたらそうなるよな)
今まで大人しく言うことを聞いていた馬がその時だけ暴れ散らかしたらそりゃ気まずくもなるわ。俺だってそう思うよ。
……気にしてないと言えば嘘になる。今でもジャパンカップに出走できなかったことを後悔しているのは間違いない。だけど、その件で海藤さん達を恨むってのはさすがに筋違いってもんだろ。
(海藤さん達は限界ギリギリまで調整してくれたんだ。そんな海藤さん達を恨むだなんてこと……俺にはとてもできねぇよ)
むしろ感謝したいぐらいだ。俺のためにそこまで頑張ってくれて。とりあえず気にしてないことをアピールするためにも久しぶりに顔を押しつけてやりますか。
「ブルル(元気出せって)」
「……ハハ。ありがとなヴァーディ。うん、お前がこっちに帰ってきたっていうのに、辛気臭い空気出してたらダメだよな」
海藤さん達は徐々に笑って。
「お帰り、ヴァーディ」
「ヒヒーン!(ただいま!)」
俺を迎え入れてくれた。
そんなわけで数日たってから調教が始まったわけだが。
(う~ん……休み明けだからあんま良くねぇな)
ベストには程遠い感覚?っていうのだろうか。まだまだ力を出せそうな感じがする。ま、休み明けだから無茶するような段階じゃないし、そんなことしないけど。
「凄いな……ヴァーディ!」
(あん?何が?)
「休み明けなのに、今までの自己ベストと遜色ないタイムじゃないか!ハハ、こいつめ!」
黒羽さんが俺をわしゃわしゃと撫でてくる。いや、気持ちいいけど……なんで?
(俺まだまだ本気じゃねぇぞ?なのに自己ベストと遜色ない?どういうこった?)
……考えても仕方ないし、今はこれで満足しておこう。
というか知りたいことはもう一つある。
「……」
さっきから俺の身体に穴が空きそうなぐらい見てくるイケオジは誰だ?明らかに日本人じゃねぇだろ。どう考えても海外の人だろあれ。なんでそんな人が俺のことそんなに見てるんだよ。
「~~海藤。~~~~」
相も変わらずなんて言ってるのか分からんし。海藤さんの名前を呼んでるのだけは分かったけども。ただ英語?っぽかったのでアメリカの人か?いや、確かイギリスも英語だった気がする。違いなんて分からん。
「ヴァーディ、ゴードンさんが気になるのか?」
「ブルル(ゴードンさん)?」
「あの人はジェフ・ゴードンさん。向こう……イギリスの有名な調教師の人だよ」
イギリス。ほう、イギリスとな……え?なんでそんな人がここにいんの?
「来年以降お前が世話になる人だから、今のうちに顔を覚えておいた方が良いぞ。アハハ」
来年以降世話になる?どういうこっちゃねん。
調教を終えた俺のところに件のゴードンさんと海藤さんが近づいてくる。
「お疲れ様、ヴァーディ。紹介しておこうか。この人はゴードンさん、海外の調教師さんだよ」
「Nice to meet you, Verdict Day(初めまして、ヴァーディクトデイ)」
よ、よしよし。いくら英語が分からん俺でもこれぐらいなら分かるぞ。もっとも、その後の会話は少しも分からなかったが。
「ヴァーディ、君は来年以降ゴードンさんのところでお世話になる。欧州での長期遠征になるんだ」
(は~、成程成程。把握した)
「君と別れるのはちょっと寂しいけど、向こうでも元気にやるんだよ?」
「ヒヒン(あたぼうよ)」
とりあえずゴードンさんに頭を押しつけておこう。良い印象を抱かれるに越したことはないからな。
「~~~(聞いていた通り、人懐っこい馬だ)」
「そうでしょう?ゴードンさん、ヴァーディに気に入られたかもしれませんね」
「~~~(嬉しい限りだ)」
それにしても来年は欧州か。ちょっと楽しみだな。
そして馬房に戻ると。
『ヴァーディ君、わたし次で最後なんだって』
ジェネ先輩からそんな話を切り出された。そっか、ジェネ先輩ももう引退か。
『そうなんですか。寂しくなる……どの道来年から海外だった俺』
『え~!?ヴァーディ君また海外に行くの!?』
『らしいですよ。今日向こうでお世話になる人に会いましたし』
ジェネ先輩はどうやらご立腹のようだ。柵を蹴りかねん勢いである。
『やだやだ~!ヴァーディ君も一緒に引退しよ~よ!』
『無茶言わんでください。俺まだ走りたいっすよ』
『一緒に暮らそうよ~!』
『俺に言われても』
こればっかりはどうしようもない。やる気も上向いているし、次のレースに向けての調整もあるからな。次のレースまだ分からんけど。
『トレーニングの時に走る機会あると思うんで、それで我慢してください』
『……は~い』
それからというもの。俺はジェネ先輩と走ることが多くなった。多分だけどジェネ先輩の調整相手としてだろう。長くやってるしそりゃまぁ当然か。
『本当にヴァーディ君速くなったね~。だけど、わたしも負けないよ!』
『ジェネ先輩に褒められると嬉しいっすね!んじゃ、
『え゛っ』
確か有馬記念、だっけか?ジェネ先輩には勝って欲しいものだ。
……けど、現実はそう上手くいくものじゃなくて。
『……ただいま~』
『あ、ジェネ先輩。おかえり……』
あまり元気がないジェネ先輩の様子を見て、大体察した。
(……そっか。負けちゃったのか、ジェネ先輩)
となると、俺のやることはただ1つ。何も聞かずに側にいることだけだ。できるだけ、ジェネ先輩との時間を増やす。
『ひとまずお疲れ様でしたジェネ先輩。ゆっくり休んでください』
『……うん』
『そうだジェネ先輩。向こうに帰ってた時の話なんですけど……』
できる限りレースのことには触れないように、俺は明るく振舞った。あくまで自然体に、ジェネ先輩が少しでも元気になるように。そして、放牧の時間に。
『やっぱり優しいね、ヴァーディ君は』
『どういう意味です?』
『わたしのこと、気遣ってるんでしょ?負けちゃったから』
『……そんなことないですよ』
やっべ、バレテーラ。とにかく知らんぷりしとこ。
『大丈夫だよヴァーディ君。確かに悔しいけど……これでも吹っ切れてるつもり』
ただ、ジェネ先輩は思っていたよりも明るかった。最後のレース、負けてしまったのに。そこには変わらないジェネ先輩がいた。
(やっぱ強いな、ジェネ先輩は)
『相手、強かったですか?』
『そうだね~。まさかディープボンド君にも先着されるとは思わなかったよ』
『プボ君もいたのか。向こうはもう回復してるのに俺ときたら……』
『わー、わー!?今のなし!』
こうしてジェネ先輩と話せるのもあと少し。だから、めいっぱいこの時間を楽しむ。
思えばジェネ先輩とも長い付き合いだな。海藤さんのとこで世話になることが決まって。少し経ってから出会って。どういうわけか隣同士の馬房になって、色々と教えてくれて。本当に、本当に色々とお世話になった。
『……ねぇ、ヴァーディ君』
『どうしたんすか?ジェネ先輩』
ジェネ先輩との思い出に浸っていると、ジェネ先輩が俺に顔を近づけてくる。俺をジッと見ながら。
『ヴァーディ君は、これからも頑張ってね。いっぱいいっぱい頑張って、世界一の座を守り続けてね?』
『……』
『そしたらわたし、自慢しちゃうんだ!わたしはあのヴァーディクトデイの先輩なんだって!だから──頑張ってね、ヴァーディ君!』
心なしか、泣いているように見えるジェネ先輩。そんなジェネ先輩からのエールに、俺は。
『……勿論っすよ。俺はこれからも世界一であり続けます。ジェネ先輩やみんなが誇れるような、そんな馬に。俺はなる』
そう答えた。
『よろしい!それじゃあ、頑張ってね。ヴァーディ君!』
『はい!』
それから数日後。ジェネ先輩は有北ファームへと帰ることになった。俺の隣の馬房にはまた新しい馬が来る予定らしい。もっとも、俺ももうすぐここを去っちまうわけだが。
『長いようで短いよな』
『そんなもんだろ』
『今にして思えばお前とも長い付き合いだよな、ラーシー』
『それな。まさか、あの良い子ちゃんが世界を制してくるとは思わなかったぜ』
『やかましい。いつの話してんだ』
ラーシーとも長い付き合いだ。同期だし当たり前かもしれんが。そんなコイツとももうすぐお別れか。ラーシーもまだ現役で走るらしいけど。
『……なぁ、ヴァーディクトデイ』
『んだよ。そんな改まって。なんかあんのか?』
ラーシーらしくない様子だな。一体何言われんの?俺。
『向こうでも、頑張ってこいよ。世界一の座、守り抜いてこい……俺はもう、ダメそうだからよ』
?後半部分は聞き取れなかったが……世界一の座を守り抜く、か。
『当たりまえだ。そしたらお前は、あのヴァーディクトデイに先着した数少ないヤツって威張れるぞ?』
『……ハハ。そりゃ確かに、誇れるかもな』
『本当にどうした?元気ないなラーシー』
『……なんでもねーよ』
『なんにせよ、任せておけ。お前らは強かったってことを……俺が証明してきてやる』
そう決意して、今日もトレーニングに励んだ。
俺と秋畑さんは揃って頭を悩ませている。その要因となっているのが。
「ファンからの希望、ヴァーディクトデイが日本を発つ前にもう一度日本で走る姿を見たい……か」
「気持ちは分からないでもない。むしろ良く分かる。だが……」
ヴァーディクトデイの出走要望のことである。一応JRAからも依頼があるにはあったのだが。
「我々としてはヴァーディクトデイの体調第一で考えて欲しいと思っています。やはり、万が一があるといけませんので」
そんな風に言われていた。なので無理に出走はしなくていい、と言われているのだが無視できない、というのが現状である。
というのも、秋畑さんあてに毎日のように来るらしいのだ。ヴァーディクトデイが日本で走る姿を見たい、という声が。
(ヴァーディは凱旋門賞馬。見たいって気持ちはそりゃ分かるけども……)
生憎と、イギリスに発つ日程は決めている。なので出走するレースがかなり限られているのだ。現時点で出走できるレースはというと……。
「日経新春杯か、AJCC*1しかないですね……」
「うぅむ……海藤君はどちらに出走するべきだと考えている?」
俺の考えか。……正直、状況が重なりすぎて敬遠したいところだけど。
「日経新春杯の方がまだいいかと。2月上旬にはもうイギリスに発ちますし、少しでも疲れを残さない状態でイギリスに行きたいですから」
「日経新春杯か……どうしてもあの事件が頭にちらつくな」
「問題はそこですね……むしろ、ヴァーディクトデイがその暗雲を払ってほしいという気持ちも少しだけありますが」
日経新春杯、海外への壮行レース……これで思い出される事件は1つだけだ。ただ、あの時のようにはならないと思っている。
「あそこまで無理な斤量は課されないでしょうし大丈夫だとは思いますが……やはり、頭によぎりますよね」
「それを払う意味でもヴァーディクトデイを日経新春杯で……か」
「はい。ただ、無理に出走させる意思はありません。どうしますか?秋畑代表」
余程迷っているのだろう。かなり唸っている。それからいくばくかの時間が経って。
「……出走しよう。国内のファンに、ヴァーディクトデイの姿を見せよう」
「……そうですか。じゃあ、出走の手続きを済ませます」
「ただし、少しでも異常があるようだったら即取り止めだ」
「勿論です。あの事件の二の舞にさせるわけにはいきませんから」
話がまとまったので部屋を退出する。一息ついて、これからのことを考える。
(ヴァーディの調子は右肩上がりだ。いや、むしろ……)
「今までのタイムを全て上回る勢いで伸びてきている……まさか、さらに強くなっているのか?ヴァーディは」
今でさえ世界一に届く実力の持ち主だったのに、さらに強くなっている。金添さんや鷹さんの言う通り、本当に底の知れない馬だ。
「日経新春杯は金添さんにお願いするとして……調教の日取りと相手の都合の確認をして……っし!頑張るか!」
不安にならないと言えば嘘になる。だけどヴァーディの調子は万全だし、怪我の予兆も全くといっていいほどない。そういう時こそ用心しなければならないが。
ひとまず、ヴァーディが日経新春杯に出ることが決まった。ファンの間では
「もう無理言わないから海外に行ってくれ!」
……って声が随所で上がっていたけど。多くのファンはこの出走を大いに喜んでいた。後はヴァーディの体調に細心の注意を払って本番に臨むだけである。
ヴァ―ディの調子は良さそう。