レースで走ることは無くなって。今までいた場所とは違う場所で生活することになって。最初はちょっと戸惑ったけど今では随分と慣れた。
『お~いコン坊~!一緒に走ろうぜ~!』
『あ、エピさん』
エピファネイアさん。色々と教えてくれて良い先輩だな~って最初は思ってたけど……多分寂しがり屋な先輩。孤独に過ごしているのが嫌なタイプとかそんなのだと思う。ただ、エピさんは良くぼくに絡みに来てくれるので内心嬉しかったりする……嫌なこととか忘れられるから。
エピさんと走ったりして過ごして。それが終わったら人間さん達がぼく達をお家に連れて行ってくれて。馬房では隣のドンドンうるさい音に我関せずな態度を貫いたり。ただ、ぼくが思うことは。
(ヴァーディ君は、どうしてるんだろう?)
大きいレース……ジャパンカップには出走しなかった子。最初に出会った時から、妙に記憶に残ってた子。次に会った時は彼の走りを見て──思わず目を奪われた子。再戦を誓ったけど……それは叶わなかった、凄く強い子。ヴァーディ君も、ぼくと同じようなことになっているんだろうか?
ヴァーディ君のことは、よく覚えている。ヴァーディ君と決着を着けたかったし、向こうもそう思ってくれてるはず。ぼくが一番勝ちたかった相手、ヴァーディクトデイ。彼は今、どうしているんだろう……?
『どうしたんだよコン坊。上の空じゃねぇか』
どうやら遊んでる途中にボーっとしていたらしい。エピさんが隣に来ていた。
『……エピさん』
『どれ、この先輩にいっちょ相談してみな!な~に安心しろ!なんてったって先輩だからな!』
毎回思うけど、エピさんはあまり先輩感がない。多分、こういうとこなんだと思う。
『エピさんに相談しても大丈夫でしょうか?』
『どういう意味だオイ!?』
『冗談ですよ。……まぁ、話しだけでも聞いてくれれば』
『おう、ドーンと任せとけ!』
そういうわけで、エピさんに話すことにした。ヴァーディ君のことを。
『ぼく、すっごく勝ちたい子がいたんです。その子とは最初出会った時から気になってはいたんですけど、その時はまぁいいやで済ませてた子が』
『ほうほう……まさかの恋バナ?ってヤツか!』
恋バナ?……良く分からないけどいいや。
『その子と次に会ったのは、年が明けてからなんです。大きいレースでまた会ったんですけど、その子すっごく強くなってて。ぼくなんかじゃ、とてもじゃないけど追いつけない領域に立っていました』
『コン坊が辿り着けない領域?……どんなバケモンだよそいつ』
『その時、その子と再戦を誓ったんです。また闘おうって、一緒に走ろうって。あの時は嬉しかったなぁ』
当時のぼくは、ディープの後継者としての責任に囚われていた。自分で自分を追い詰めて、結果的に不調の状態でレースに挑むことになった。そんなぼくを解放してくれたのは……ぼくをぼくとして見てくれたヴァーディ君のおかげといっても過言じゃない。
『ぼくは頑張ったんです。あの子と再戦する時は、あの子と……ヴァーディ君と同じくらい強くなろうって。一緒に走っても競い合えるような強い自分になろうって。ヴァーディ君に勝とうって、頑張り続けました』
『はは~ん成程な。……恋バナではなかったか』
なんかエピさんは唐突に落胆し始めた。なんで?
『それで?そいつとはどうなったんだよ?また会えたのか?』
『……再戦の機会はありませんでした』
『えっ?』
『それっきりです。ヴァーディ君とは……そのレース以降会うことはありませんでした。だから、ヴァーディ君が今何をしているのかもぼくにはわかりません』
ヴァーディ君もぼくと同じようにお仕事に就いているか、それともまだレースを走っているのか……それすらも分からない。
『レースで凄いことをすれば、ぼくがレースを走らなくなるのも撤回されるんじゃないかって。だから最後のレースでは凄く頑張りました。また、ヴァーディ君と走りたかったから。ヴァーディ君に勝ちたかったから』
『でも、結果は変わらなかったと』
『……はい』
『まー仕方ねぇよ。人間達も俺達のことを大事に思ってくれてるわけだからな』
それは分かってる。だけど、もうちょっと……もうちょっと走らせてくれても良かったじゃないか。そう思わずにはいられない。
『……エピさん』
『どうしたんだよ?コン坊』
『……どうして、ヴァーディ君はぼくの最後のレースに来なかったんでしょう?』
思わずにはいられない。醜い感情が出てしまう。ヴァーディ君に対して、悪い感情が生まれてしまう。そんなこと、思いたくないのに。
『意識しているのはぼくだけで、ヴァーディ君からしたらぼくなんて他の馬と変わらなくて。だから最後のレースに来なかったんでしょうか?』
『コン坊……』
『ヴァーディ君にとって、ぼくはどうでも良くて。ぼくが勝手に舞い上がっていただけなんでしょうか?』
ライバルだと思っていたのは、ぼくだけだったんだろうか?ヴァーディ君からしたら、ぼくなんて……『俺はそのヴァーディクンってヤツには会ったことねぇけどよ』エピさん?
『再戦しようって言ったのはどっちからなんだ?』
『それは……ヴァーディ君です』
『そのヴァーディクンがコン坊と再戦しようって言ったんだろ?じゃあ少なくとも、コン坊のことをどうでもいいとは思ってねぇだろ』
『そう、かな?』
『絶対そうだ!だってどうでもいいなんて思ってたらまた走ろうぜなんて言うわけないからな!』
確かに、そうかもしれないけど。
『じゃあ、なんでヴァーディ君は最後のレースに来なかったんだろう……』
『ん~……その辺の事情はさすがに分からんな。ただ、どうしようもない事情ってヤツがあったんだろうさ』
『どうしようもない、事情?』
『そ、ビョーキとかだな。そんなどうしようもない事情があったんじゃねーか?少なくともコン坊と再戦を誓い合うようなヤツだ。そいつだってコン坊と走りたかっただろうよ』
『……そうかな?』
『なんで肝心なとこで弱気なんだよコン坊は。絶対にそう思ってるって!俺の勘だけど!ヴァーディクンはコン坊と戦いたかった!間違いないね!』
エピさんの自信満々な発言に、笑いそうになった。
勘、か。でも、勘でもいい。結局のところ、真相は人間さん達とヴァーディ君にしか分からないのだから。どうせなら、ポジティブにいった方がいいか。
『……うん、ありがとうございますエピさん。おかげで、元気出ました』
『お、そいつは良かった!んじゃ、走ろうぜ!』
『はい、エピさん』
ぼくはエピさんと走り出す。
ぼくはもう、レースで走ることは無くなった。ヴァーディ君、君はどう?君もぼくと同じように、走るのを止めて仕事に就いているのかな?それとも、まだレースで走っているのかな?ヴァーディ君は凄く強いし、きっと他の子達が羨むような強さを見せてるんだろうな。
(ぼくはぼくで、頑張ろう)
ヴァーディ君と戦えなかったことは、ぼくにとって一番後悔していること。ヴァーディ君と戦いたかった……それは変わらないけど。
──イギリス、サンダウン競馬場。現在、ゴードンリチャーズステークスが行われているその競馬場はどよめきに包まれていた。実況も、戸惑いの声を上げている。
《な、な、な……なんという強さだ!?昨年の凱旋門賞馬が前哨戦に選んだこのゴードンリチャーズステークス!僅か3頭での出走となったこのレースで序盤からペースを握り続け!一度も先頭を譲らないどころか近づくことすら許していない!凱旋門賞馬ヴァーディクトデイが駆け抜ける!すでに3ハロンを切ってその差は……分からない!?だが大差だ、大差をつけている!その勢いはまるで衰えず!圧倒的強さだヴァーディクトデイ!》
3頭の少数立て。これでは後ろに控える意味はないと感じたサンフランコ騎手は序盤からヴァーディクトデイを先頭に立たせていた。幸いにもヴァーディクトデイはスタートを苦手としていない。好調なスタートから一気に先頭に立ち、そのまま逃げていた。
そして今現在。すでに3ハロンを切っているゴードンリチャーズステークス。2番手との差は──推定14馬身は離れている。鞍上のサンフランコは舌を巻いた。
(オイオイ……!これほどまでの能力があるなんて!ますますタカが羨ましくなるぜ!)
その理由は、これだけの差をつけておきながらヴァーディクトデイは──
それと同時に、サンフランコはある違和感を抱いていた。普通ならば、これだけの差があれば馬が遊ぶことがある。だがヴァーディクトデイはそれを一切感じさせないどころか……
(だが……ヴァーディ。お前は一体、何を見ているんだ?)
サンフランコはそう考えて……その考えを振り払うように首を横に振る。自身の騎乗に集中することにした。
観客席は圧巻のパフォーマンスに言葉を失っていたが、すぐに正気を取り戻した。サンダウン競馬場を歓声が支配する。
「いけいけー!ヴァーディクトデイー!」
「こいつぁすげぇや!そのままぶっ飛ばせー!」
この日のヴァーディクトデイのオッズは1.3倍。3頭中唯一のG1馬ということもあり、圧倒的な支持を得ていた。だからこそどう勝つかが予想されていたわけだが……ヴァーディクトデイは、そんなファンの想像を超えるレースっぷりを見せていた。
その後も差は縮まらない。むしろ、200を超えて本気のギアを出したであろうヴァーディクトデイの加速でさらに差は開いていく。その差が縮まることはなく、ゴードンリチャーズステークスをヴァーディクトデイは大差で勝利した。
《そして今ヴァーディクトデイがゴール!圧倒的強さだヴァーディクトデイ!日本競馬初の凱旋門賞馬がこのゴードンリチャーズステークスで圧倒的強さを見せつけてくれた!2着との差は……なんと21馬身差!逃げて逃げてこれだけの差!次のレースが楽しみです!》
一度も鞭を使わず、手綱も終始持ったままという圧倒的強さを見せつけたヴァーディクトデイ。サンダウン競馬場の観客は湧いていた。
「Foooooo!とんでもねぇ勝ちっぷりだ!」
「次のレースも楽しみにしてるぞー!」
ウィナーズサークルのインタビューにて。サンフランコ騎手は。
「それでは、ヴァーディクトデイは?」
「あぁ──
「ヴァーディクトデイの次走をお願いします!ゴードンさん!」
「次走はプリンスオブウェールズステークスを予定している。きっと、ヴァーディクトデイは素晴らしいレースを見せてくれるだろう」
まだ全力ではないという陣営の言葉。その言葉に記者とファンは色めきだった。
しかし……当のヴァーディクトデイは。
(あぁ、クソ……!まただ、また勝てなかった……ッ!次は、次こそは……!)
とある幻影に、蝕まれ続けていた。勝利に満足することなく、飢えて、飢えて……乾いていた。およそ勝利した馬とは思えないほどに。
ヴァーディクトデイの次走は──プリンスオブウェールズステークス。
どっちも重い。