飛行機雲に焦がれて   作:カニ漁船

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そろそろ凱旋門賞が近いですね。


目を背けて

 夢を見る。真っ暗な空間。そこに立っているような感覚。

 

 

『いい加減、気づいたらどうだ?』

 

 

 いつ頃から見るようになったか分からない夢。というか馬も夢を見るんだと転生したての頃は思っていた。まぁ夢を見るといっても……俺のこの夢は、悪夢に分類されるものだろう。

 自分の身体はどうなっているのか分からない。どうせ馬の身体だろうが。目の前にいるのは、姿形の見えない()()()

 頭の中に直接響いてくる声。不快感が半端じゃない。だが、俺を何よりも不快にさせるのは……。

 

 

『いや、すでに気づいている……というべきか?気づいていながら、縋っている。滑稽なものだ』

 

 

 この、俺のことを何もかも分かったかのような口調。この口調が、俺の苛立ちを増幅させていた。

 

 

『……黙れよ』

 

 

『何かに縋らなきゃ走れない。誰かに道を与えられなきゃ、お前は走ることさえもできない』

 

 

『黙れってんだよ』

 

 

『どんな気分だ?いもしない幻影を追いかけて、走り続ける気分ってのは?』

 

 

『黙れッ!』

 

 

 どこまでも不快なこの声。やたら聞き覚えのあるこの声。

 

 

『俺は、世界一になるんだよ!世界一になるために、あの幻影に……コントレイルに追いつくんだ!じゃないと、俺は……俺は……!世界一になんてなれねぇんだよ!』

 

 

 ……訂正しよう。何よりも不快にさせることは、この口調じゃない。何よりも不快なのは──この言葉に何も言い返せない、俺自身だ。図星だから何も言い返せない。何も言い返せないから、こうして感情的になるしかない。本当に……滑稽なヤツだよ俺は。

 その声は、憐れみの籠った声で。

 

 

『……そんなことしなくても、お前は十分に世界一だってのによ』

 

 

 そう、告げた。これもいつものことだ。憐れまれて、惨めになって。

 声が変わる。今度は、俺を心配するような、労わるような声。

 

 

『いい加減、縋るのを止めて。そんなことしなくても君は、十分に強い。誰もが認める、世界一だよ』

 

 

『うるさい……うるさいうるさい!』

 

 

『本当はもう、気づいてるんでしょ?あの幻影の()()()()()に。こんなこと続けたって……』

 

 

『うるせぇってんだよ!いつもいつも俺を分かった風に言いやがって……!目障りなんだよ!』

 

 

『……』

 

 

 声が止む。これはもう、夢の終わりが近い証拠だ。もう何度も見ているからどこで終わるのかも分かってきた。

 視界がぼやける。いつも通り最後に──

 

 

『いい加減、認めてあげて』

 

 

 心配するような、憐れむような。そんな声色で聞こえてきて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……チッ』

 

 

『機嫌悪そうだな。また変なもんでも見たのか?』

 

 

 夢から覚める。放牧地で寝っ転がっているのを思い出した。起き上がって、俺に声をかけてきたヤツ、ミシュリフに不機嫌気味に返す。

 

 

『そんなとこだよ。最悪の気分だ』

 

 

『お前がそういうってことはよっぽどだな。しょっちゅう見るんだっけか?』

 

 

『そ。いい加減、何とかなって欲しいもんだけどな』

 

 

『そのまま気分悪いままでいてくれよ?次のレースで俺有利になるから』

 

 

『はいはい。次のレースまでにはキチンと仕上げるっての』

 

 

「マジで勘弁してくれねぇかな……」

 

 

 そんな軽口を叩き合いながらゆっくりとする。しばらくすると、ここの厩務員さん達と黒羽さんがやってきた。

 

 

「それじゃ、馬房に戻ろうかヴァーディ」

 

 

「ミシュリフもダ。戻るゾ」

 

 

『あいあい。んじゃ、また後でな』

 

 

『おーう』

 

 

 こっちに来てから日も長いのでさすがに英語が分かるようになってきたぜ。黒羽さんが懇切丁寧に教えてくれたおかげだ。毎回毎回日本語に翻訳して俺に伝えてくれるからな、マジで助かってる。後たまにフランス語で喋る方々も来るがそっちにもなんとか対応済みだ……まだちょっと怪しいけど。

 そろそろ次のレースも近い。トレーニングは……併走は無くなった。当たり前だが。

 

 

(思えば、レースに勝っても喜べなくなってきたな)

 

 

 どれだけ走っても渇いている。飢えて、渇いて……この渇きは、ずっと満たされないでいる。どれだけ走っても満たされないこの飢えと渇きを……俺はどうすればいい?

 

 

(……とりあえず走ろう。幸いにも疲れはあんま残ってねぇし)

 

 

 ここ最近のレースは、どういうわけか疲れが残らない。この状態を、昨年の凱旋門賞の時にも……なんて思わずにはいられない。

 

 

(おそらく、成長してるってことなんだろう。だけど、それでも)

 

 

 ……いかんな。さっさと頭を切り替えて、トレーニングに備えよう。

 今日も、元気に、トレーニング。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴァーディクトデイの状態は悪くないな」

 

 

「はい、悪くありません。悪くありません、けど……」

 

 

 黒羽さんの不安そうな声。その気持ちは分からないでもない。

 今のヴァーディは、1戦1戦走るごとにその走りが研ぎ澄まされていく。それも1段1段……どころではない。2段どころか3段も4段も上がっていってるのだ。最早、怖いほどに。

 

 

(しかも疲労を残していない……下手したらヴァーディは、プリンスオブウェールズステークスもエクリプスステークスも()()()()()()()()()()()ことになる)

 

 

 3歳時の秋の天皇賞も昨年の凱旋門賞も、ヴァーディは限界に近い走りをしていた。だからこそ疲労が溜まっていた。でも、この2戦は疲労を残していない。成長した、で済ませられる問題じゃない。

 それと気になるのは、ヴァーディの上がりタイムだ。どのレースでも上がり最速は記録しているものの……。

 

 

(今までと比べて、落ち着いている。成長分を考えたら、むしろ遅くなっている?)

 

 

 だが代わりに、レース全体のラップタイムが上がっている。特に残り1000mや800mは今までとの差が顕著だ。

 ヴァーディは追い込み、今までは最後の直線……大体200mぐらいか。600m辺りから徐々に進出を開始し、残り200mに全力を注いでいた。その時に使っていた分を分散したのか?仕掛ける場所も以前よりかなり早くなっている。

 

 

(爆発的な末脚を封印して、長く使える脚に変えてきた?そこまで考えることができるのか……)

 

 

 真相は定かじゃない。なんにせよ、ヴァーディクトデイに疲れは溜まっていない。だから、キングジョージに出走する。これは確定だ。

 そのキングジョージまでもう1週間を切った。つい先日最終追い切りも済ませたところである。

 

 

「ゴードンさんも、ありがとうございます。ヴァーディのことを気にかけてくれて」

 

 

「馬を大切に思う気持ちは、万国共通だ。私は当たり前のことをしているだけに過ぎない。それに、ミスター黒羽にも頭が下がる思いだ」

 

 

「そうですね。毎日毎日ヴァーディが調子を崩さないかずっと見ていますし。仕事休みの日でもすっ飛んできますからね」

 

 

「あ、アハハ。やっぱりぼくにとって大切な馬ですから、ヴァーディは。だからこそ……凄く、歯がゆいんですけど」

 

 

 黒羽さんの表情がコロコロと変わる。歯がゆい気持ち、それは……分からなくもない。黒羽さんは本当にヴァーディのことを大切に思っているんだということが伝わってくる。

 

 

「ひとまずはキングジョージだ」

 

 

 無言の空間を切り裂くようにゴードンさんが口を開く。それは次の土曜日に開催されるキングジョージのこと。ヴァーディが出走する予定のレースでもある。

 欧州最高峰のレースの1つ。プリンスオブウェールズステークスでも走ったアスコットで開催されるレース。ただ、あまり不安視する要素がない。精々ヴァーディのマークがさらにキツくなるぐらいだろうか?

 

 

「アイリッシュダービーを制したウエストオーバー、ヴァーディと同厩舎のミシュリフとエミリーアップジョン。後は……凱旋門賞2着のトルカータータッソ」

 

 

「後は前哨戦のハードウィックステークスを制したブルームだな。正直、ヴァーディクトデイの実力ならば問題なく勝てるレースだ」

 

 

「前評判でもヴァーディがどんな勝ち方をするか?なんて予想されるぐらいですからね」

 

 

「だが、レースに絶対はない。盤石の姿勢でヴァーディクトデイ達を送り出す、それが私達の仕事だ」

 

 

 浮つきそうな気分を諫めるようにゴードンさんが一喝する。もっとも、油断する気は一切ないが。

 

 

(後はパイルドライヴァー……今年に入ってから良いとこなしか)

 

 

 パイルドライヴァーの陣営は勝つ自信を深めているとコメントしている。

 

 

「日本のモンスターを討伐する、か。それにしてもモンスターとはね」

 

 

「あれだけの勝ちっぷりだ。仕方があるまい」

 

 

「欧州のマイル戦線を賑わせているバーイードと合わせて欧州二強、なんて呼ばれてますよね。ヴァーディは日本馬ですけど」

 

 

 思わず苦笑いしてしまう。確かに欧州で凄い成績を残しているけど、ヴァーディは日本馬。それが欧州二強って呼ばれている事実に、ちょっと笑ってしまう。いや、間違ってはいないんだろうけどね。

 

 

「この2頭が戦う舞台を是非!……なんて言われてますけど、実際どのようにお考えですか?ゴードンさん」

 

 

「向こうがこっちのレースに合わせるなら考えてやる」

 

 

 まぁ、向こうは距離延長するにしても2000mまでだろうし、そうなるとヴァーディの主戦場である2000m以上でかち合うことはないだろう。残念だけどね……バーイードならばきっと、ヴァーディを満足させてくれるんじゃないか?という期待も抱いているが。

 

 

「アメリカでも、凄い馬が現れたそうだな。確か──フライトライン」

 

 

「今年の競馬界も話題に事欠かないですね」

 

 

 というかこの3頭、G1という大きいレースをノーステッキ、つまりは鞭を入れないで勝っているのだから恐ろしい……ヴァーディに騎乗しているのは俺なんだけど。

 フライトラインも主戦場がダート、ということはヴァーディと戦うことはないだろう。それに向こうは脚部不安があるから完璧な状態でしか出さないと明言している。

 

 

「日本競馬も、つい最近レースレコードが記録されたようだな。それも、凱旋門賞に挑戦するようだ」

 

 

「タイトルホルダーのことですね。確かに、凱旋門賞に挑戦すると陣営が発表してました」

 

 

 凱旋門賞。ヴァーディのラストランに決めているレース。現在日本からは3頭出走を表明している。

 昨年のフォワ賞でヴァーディに勝ったディープボンド、コントレイルと同じ調教師のステイフーリッシュ、現在日本で最強と名高いタイトルホルダー……この3頭が凱旋門賞に出走予定だ。

 

 

(おっと、凱旋門賞よりもまずは目の前のレース、キングジョージだな)

 

 

 こっちも近いからね。しっかりと考えておかないと。

 それからキングジョージのことを話してその日を終える。そして日は流れていって──キングジョージの当日を迎えることになった。




次回、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。
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