雨が降ってんなぁ。去年より酷くねぇか?これ。
(俺の心境みてぇだな。アハハ)
……まぁいいや。ひとまず今日こそは勝てるように頑張るか『あ、ヴァーディ君だ!』おん?誰だ……って!
『プボ君じゃねぇか!久しぶりだな~!』
『ヴァーディ君も久しぶり~!全然レースで会わないから心配してたよ~』
プボ君は元気そうだな。良いことだ!
『あれ?ディープボンドさん。どなたでしょうか?』
プボ君についてくるように知らん馬がいた。会ったことないはずだ。
『この子ね~ヴァーディ君!去年僕が負けちゃった相手なんだ~』
『……そうか。この馬が』
『どーも、俺はヴァーディクトデイ。お前さんは?』
『タイトルホルダー。タイトルホルダーです。今日は……あなたを越えに来ました』
ほう、俺を越えるとな?そりゃまた嬉しいな。
『大きく出たね~タイホ君。ヴァーディ君は手強いよ?』
『覚悟の上です。あなたに勝って、ぼくは世界一になる』
……世界一、か。
『おう、頑張れよ。今日はよろしくな』
『はい……負けませんから』
タイホ君はギラついている。そういや、鷹さん曰く日本から来たのがもう1頭いるらしいが……さすがに分からんか。まぁいいや。
『ハァ……ハァ……ま、また会えましたねヴァーディさん』
『うげっ。ぐ、グランドグローリー、さん』
待ってくれ、レース前なのになんでそんな捕食者みたいな目つきで俺を見るんだ。止めてくれ本当に。後俺に身体寄せてこないで。
『き、今日も頑張らせていただきます!』
『あぁ……はい。今日もよろしく』
グランドグローリーさんも返し馬に戻る。俺も自分のウォーミングアップに集中するか。
……これが、俺の最後のレースになる。結局、俺は……。
(ッ、止めておくか)
今からレースだってのに、ナイーブになるのは厳禁だ。勝って、有終の美を飾る。そのためにも、しっかりと落ち着いていかないとな。
返し馬を済ませる。俺の、最後のレースが始まろうとしていた。
ロンシャン競馬場。雨が降る中、ファンは傘を差しながらレースを見守っている。
《ロンシャン競馬場、今年もやってきました凱旋門賞!昨年の第100回開催で日本が偉業を成し遂げました。選ばれし優駿達、この舞台を制するのはどの馬か!芝の状態はTRES SOUPLE*1!1番人気はやはりヴァーディクトデイ!今年に入ってから圧倒的な力で大レースを制してきた【漆黒の撃墜王】がこのロンシャン競馬場に再び姿を現しました!今年に入ってからレースで2着に着けた着差は実に69馬身!まさに圧倒的!モンスターホースです!ロンシャンの重馬場は経験済み、果たしてどのようなレースを見せてくれるのか?》
ブックメーカーによるオッズは──ヴァーディクトデイが1.3倍と抜けた人気を誇っている。次点でアルピニスタ、ルクセンブルクと続いている。
「今日もすげぇレースを見せてくれよー!ヴァーディクトデーイ!」
「ヴァデニー!エクリプスステークスの屈辱を晴らせー!」
「アルピニスタも調子が良いぞ。G1・5連勝を含む7連勝中だ!きっとヴァーディクトデイを負かしてくれるさ!」
各馬が返し馬を終わらせて続々とゲートに入っていく。ヴァーディクトデイの枠番は──内側だ。
《しかし他の馬も負けてはいられません。エクリプスステークスでヴァーディクトデイに敗北した3歳馬ヴァデニ、G1・5勝を含む目下7連勝中と絶好調のアルピニスタ、昨年凱旋門賞でヴァーディクトデイの2着トルカータータッソもいます!特にヴァデニとトルカータータッソはなんとしても雪辱を果たしたいところ。今、最後の馬がゲートに入りました》
静まり返る会場。雨の音だけが響いている。降りしきる雨の中──ガコンッ!と。ゲートが開く音が響いた。
《凱旋門賞、スタートしました!雨が降る中での発走です。おっと、内枠のヴァーディクトデイが出遅れました!ヴァーディクトデイが出遅れ!しかしこれは予定調和!最後方に控えるための出遅れでしょう!他の馬は綺麗なスタートを切ります。まず先頭に立つのはどの馬か?外からタイトルホルダー!外から日本のタイトルホルダーが早くも先頭を奪いに来ました!ディープボンドも好スタート、内からはアルピニスタとアルハキーム、強い雨の中、各馬が先行争いです!》
出遅れはヴァーディクトデイのみ。そのヴァーディクトデイも最後方に控えるための出遅れだろう。ファンはそう予想していたためか驚きの声はあげなかった。
激しい先行争い。ロンシャンの長い直線を各馬駆け抜けていく。先頭に立ったのはタイトルホルダー。これに続くように外からブルームが上がってきてアルハキーム、ディープボンドと続く。日本のステイフーリッシュは中団に控えている。ヴァーディクトデイは最後方だ。
《各馬坂を上ります。ロンシャンの坂を上って先頭はタイトルホルダー。2番手はブルーム前につけています。内にアルハキーム、外にディープボンド鞍上海田、5番手に葦毛のアルピニスタが前を窺う形。6番手以降はウエストオーバー、メンドシーノ、ステイフーリッシュと続きます。日本勢の4頭の内3頭は前で走っています。中団の外目、ステイフーリッシュの外にヴァデニ!ヴァデニはこの位置に控えています。これから坂を下っていきます、縦に長い展開!1番人気ヴァーディクトデイは依然として最後方に控える形を取ります!》
縦長の展開を見せる凱旋門賞。コーナーの下り坂を越えて、レースは後半戦に入る。
隊列は変わらず先頭はタイトルホルダー。タイトルホルダーが後続19頭を引き連れてペースを握っている。先頭のタイトルホルダーは、ロンシャンの重馬場にてこずっていた。
(うぅっ、凄く重い……!かなり力を使う!だけど、負けない!)
タイトルホルダーが先頭のまま、フォルスストレートへと入っていった。
《先頭は依然としてタイトルホルダー!後続からはトルカータータッソが追い上げに入ってきたか?2番手はブルーム、3番手はアルハキームに代わります。アルハキームの内からアルピニスタ、葦毛の女王アルピニスタがインコースからスルスルと上がってきています。5番手ディープボンド手が動いている!ウエストオーバーがディープボンドに並びます!そしてヴァーディクトデイは大外に持ち出している!大外に持ち出しているぞヴァーディクトデイ!他の馬も外に持ち出す!ヴァーディクトデイのコースを消そうと外に持ち出した!最後の直線に入ります!》
最後の直線に入る。最後の直線先頭で入ったのはタイトルホルダー。だが。
(き、キツい……!一段と、キツくなった!これじゃあ……!)
タイトルホルダーは必死に粘る。だが、追い上げてきた後続がじりじりとタイトルホルダーに襲い掛かってきた。序盤から逃げていた代償かはたまたロンシャンの重馬場に耐えきれなかったか。タイトルホルダーは後退していくことになった。
《フォルスストレートを越えて先頭は11番タイトルホルダー!タイトルホルダーが先頭で最後の直線に入ってきた!しかしアルピニスタ!葦毛の女王がタイトルホルダーに襲い掛かる!これは楽な手ごたえアルピニスタ!手綱はまだ持ったままだ!タイトルホルダーはいっぱいいっぱい!これは厳しいか!?3番手外にアルハキーム!間にはヴァデニがいる!エクリプスステークス2着のヴァデニ!このタイトルはなんとしても取りたいところ!残り300の標識に差し掛かろうかというところ!ここでタイトルホルダーは力尽きた!ズルズルと後退していく!》
ズルズルと後退していくタイトルホルダーはふと、外からの強烈な気配を感じる。
(な、に……!?なにかが、来るっ!?)
正体は分からない。気になって、チラリと外を見やると。
(……綺麗だ)
《14番アルピニスタが先頭に代わる!アルピニスタ先頭!そして昨年の凱旋門賞2着のトルカータータッソが追い上げてくる!トルカータータッソの追い上げ!そして……!き、きたぁぁぁぁぁぁぁ!ここで最後方からヴァーディクトデイが捲って上がってきたぁぁぁぁぁ!大外からヴァーディクトデイ!前が壁になる前に抜け出したヴァーディクトデイが!最後方から一気に先頭に立とうとしている!本レースの1番人気!【漆黒の撃墜王】!神速と謳われた脚はいまだ健在!瞬く間に他の馬を躱して先頭へと上がってくる!驚異の捲り!やはり恐ろしい末脚だ!この馬だけ次元が違う!残り200m!ここで捲りは決まるのか!?》
ヴァーディクトデイが大外から上がってくる。その光景に観客は湧き上がった。
「きたきたきたー!やっぱりお前は来るよなぁ!」
「本当に綺麗な走り……!」
「く、くそ~!負けるなー!粘れアルピニスター!」
「このまま負けっぱなしでいいのかヴァデニィィィィ!」
「雪辱を果たせトルカータータッソォォォォ!」
応援の声が飛ぶ。
雨で視界が悪い中、ヴァーディクトデイは──前を走る幻影を追い続けていた。
『……』
他は見ていない。ヴァーディクトデイが見ているのは、ここにはいない、己の前を走り続ける幻影。その幻影にヴァーディクトデイは決して追いつけなかった。だが今回は。今回こそはと。その距離をじわじわと詰めていく。
だが、ヴァーディクトデイは……
(まぁ、追いつけねぇよな)
この幻影に追いつくことは、一生ないのだと。
残り200を切って先頭アルピニスタと大外ヴァーディクトデイの差が縮まっていく。恐ろしいことに、ヴァーディクトデイはこの最後の直線だけで全ての馬を追い抜いていた。そして残り100m付近、150mの辺りで──アルピニスタを捉える。そこから、異次元の速さで差をつけていった。
《依然としてアルピニスタ先頭!しかし、しかし最後方からヴァーディクトデイが捲って上がってくる!その差を瞬く間に縮めて2馬身!1馬身!そして……!ついに躱したぁぁぁぁぁ!残り100m!ヴァーディクトデイがアルピニスタを躱したぁぁぁぁ!他の馬も粘るがやはり届かない!やはりこの馬は強かった!圧倒的強さ!これが日本競馬の力だ!それを証明するように……ヴァーディクトデイが先頭で今ゴォォォォォォォルイィィィィィィィン!ヴァーディクトデイ!凱旋門賞2連覇たっせぇぇぇぇぇぇぇぇい!!》
最終的な着差は2着に4馬身。最後の直線で全ての馬を捲り、見事に凱旋門賞2連覇を達成した。
『……はぁ』
俺はすぐに減速して、思わず溜息を吐いてしまう。勝負が退屈だったとかではない。ただ──分かっていたことを改めて突きつけられて、それを実感していた。
(
首を振って考えを振り払う。
《凱旋門賞の連覇はエネイブル以来8頭目の偉業!そして!牡馬としてはアレッジド以来44年ぶりの偉業!それを日本のヴァーディクトデイが成し遂げた!今年の欧州競馬を圧倒的な力を持って君臨し続けた【漆黒の撃墜王】!今まさに!世界の頂点に立ちました!これが世界最強の競走馬だ!》
実況の言葉で、俺が世界最強の競走馬として君臨したという言葉を聞いた。それを聞いて俺が感じたのは──怒り。
(笑わせんなよ……アイツに、コントレイルに勝ってないのに……!)
『世界一なんて名乗れるかよ……!』
思わず気持ちが昂ってしまう。
俺の怒りを察したのだろう。鞍上の鷹さんが宥めるように語りかけてくれた。
「落ち着いてヴァーディ。どうどう」
(……不味い、鷹さんに宥められちまった)
気持ちを落ち着ける。少しだけ、楽になった。
(わりぃな鷹さん。つい昂っちまった)
「……まぁ、君の気持ちも分かるけどね。そうか、やっぱり……
(……あぁ。あの日で納得はしていた。それでも、現役を続行し続けた。けど……もう、潮時かもしれねぇな)
俺は凱旋門賞を勝った。去年勝った時は、すげぇ嬉しかった。あぁ、これでようやく並び立てるんだって、すっげぇ嬉しかった。だけど今日は──恐ろしいぐらいに空虚だった。
(アイ先輩……あなたとジェネ先輩に背を押されて現役を続行しました。ジェネ先輩、グランプリレースで一度もあなたに勝てなかったな……。いつだってあなたは俺の目標でした。他にも今日も一緒に走ったプボ君とか日本でまだ走ってるらしいタクトちゃん、ラーシーの奴とかいるけど……)
お世話になった先輩方やいろんな人たちに思いを馳せる、そんな時だった。
『ヴ、ヴァーディ君!』
プボ君が、俺のところに来ていた。どうしたんだろうか?そんなに慌てて。
『……どうしたんだよ?プボ君』
『ヴァーディ君……どうしちゃったのさ!?』
どう、した?……意味が分からない。俺は特に怪我をしたわけじゃないんだが。強いて言うなら疲労を少し感じるぐらいか?
『どうしたって……なにが?』
『ッ!去年のヴァーディ君は、凄く嬉しそうだった!このレースを勝って、凄く嬉しそうにしてた!だけど……だけど……ッ!』
プボ君は、今にも泣き出しそうな感じで。
『今のヴァーディ君!全然嬉しくなさそう!去年のヴァーディ君とまるで違う!』
『……プボ君』
そういうことかい。鋭いなぁ、プボ君は。
『ねぇどうしちゃったの!?会わない間に……何があったのさ!?ヴァーディ君!』
『……良いんだよ、プボ君』
『良くないよ!そんなに辛そうなのに、悲しそうなのに!良いわけないよ!』
『ど、どうしたんですか?ディープボンド先輩?』
タイホ君も来たか。なんにせよ……もう、良いんだよ。プボ君。
『もう、
どんなに頑張っても無駄だってことが。俺の渇きが満たされることはないんだってことが……もう分かったからさ。
『良くない……全然良くないよッ!そんな悲しそうなヴァーディ君、僕は嫌だよッ!』
『優しいなぁプボ君は。でも……もうどうしようもねぇんだ』
踵を返してプボ君達と別れる。プボ君は、最後まで俺を引き留めようとしてくれてたけど……俺は、立ち止まることはなかった。
歩いている中、空を見上げる。雨が降っていた。
(……ハハ、今の俺の心みてぇだな)
俺にとっての二度目の凱旋門賞。
《1着となったヴァーディクトデイに惜しみない拍手が送られていますパリロンシャン競馬場!この凱旋門賞をラストランにしていました。そして!そのラストランで見事有終の美を飾りました!もう誰にも文句は言わせない!俺こそが世界最強だ!おめでとうヴァーディクトデイ!》
一番の宿敵に、一番決着を着けたかったライバルに思いを馳せる。
(なぁ……お前と、もう一度決着をつけたかったよ──コントレイル)
空虚な心のまま、永遠に満たされない渇きを抱いたまま。俺の競走生活は終わる。
この心の曇り空は、永遠に晴れることはないのだろう。
次回、競走馬編エピローグ。