結論から言うと、セイウンスカイは嫌な夢を見た。
嵐の中、荒れ狂う水を掻き分けて走る夢。何かに追われるように逃げ惑い、やがて力尽きて沈んでいく。
だが、それについて特に何も思うことはなかった。
(まぁ、休まず走ってればいつかはそうなるよね)
妙に落ち着いていたからだろうか、そんな他人事のような感想が出た。夢の中でも自分は自分なのだなと思う。
思考はハッキリしている。夢の展開だけがままならない。明晰な悪夢。
水に溺れているシチュエーションだからか、息苦しくなり、喉や肺の辺りに夢痛が来た。
(あ……これ、ヤだなぁ)
夢から覚めようと、意識を藻掻かせてみる。ゆっくり水面から這い上がるように、体を覚醒させていく。
やがて夢の中では水面から這い上がる。呼吸を思い出したかのように大きく息を吸う。
展開をある程度望むように動かせるまで明朗になってから、初めて周囲を見渡す。
後ろに誰かついてきていた事に、そこで気づいた。
水面に力なく横たわっている。
「…………なんで……なに、してるの……ディオス?」
そこで目が覚めた。勢いよく上半身を起こす。呼吸が荒い。汗が滲んでいる。
心臓が激しく鼓動し、喉が乾いていた。背中が寒いような気さえする。
いや、そんな事より―――――周囲を見回せば、夢の場面のように、床に横たわっているディオスがそこに居た。
(……まさか)
おそるおそると近づいてみると、規則正しい寝息が聞こえてくる。安眠しているらしい。
「…………はぁぁーっ……」
そういえば、彼女の家に遊びに来て眠気がきたからベッドを借りたのだった。セイウンスカイは冷静になってその事を思い出した。
ベッドを占領されたから、仕方なく床に寝ていたのだろう。
後ろ頭を枕に叩きつけるようにして寝転がれば、ばふ、という気の抜けた音が静かな部屋に響いた。
(…………あるわけないよね。自暴自棄になった末の共倒れなんて)
安堵しながら天井を見上げて再び眠りにつこうとするが、またあの夢を見るのではないかという恐怖があって眠気が来ない。
(……)
セイウンスカイが視線を動かすと、床で眠っているディオスが目に入る。よだれを垂らしている、とぼけた寝顔だった。
見た目は同年代よりも大人びている彼女だが、こうやって眺めていると年相応の幼さがあった。
そんな寝顔を見ていると不思議と心が和んだ。
そっと手を伸ばし、頬に指を当てる。柔らかい感触と共に温かい体温が伝わってくる。
生きている人間の温かさだ。思わず笑みがこぼれる。
(……大丈夫、だよね……)
そんな事を考えながら、スカイはディオスの頭を撫でる。少し硬めの髪を、壊れ物を扱うようにして撫でた。
そのまましばらく頭を撫でていると、ディオスが少しだけ身動ぎをした。起こしてしまったかと思ったがそうではなく、寝返りを打っただけだったようだ。
彼女はこちらに顔を向けながら眠ったままだった。
セイウンスカイはそのまま頭を撫で続ける。すると今度は気持ちよさそうに口元を緩ませ始めた。スカイは、彼女の事をやはり大型犬のようだと思った。
しばらく撫でていたが、ふと、先程の悪夢について思い出してしまった。
あの時の不安や焦りといった感情はまだ覚えている。心臓の音がうるさくなったり、喉が渇いたり、息苦しさも感じていた。
あれは何だったのだろうと思うが、今は別に怖くない。
もう過ぎたことだと割り切ったのだろうか? それとも――彼女が傍に居るからか? そう考えると同時に、セイウンスカイの手が掴まれた。
いつの間にか起きていたらしいディオスに手を握られていた。その手は温かく、大きかった。
そして――それ以上に、強い力が込められている。
セイウンスカイの手を逃さないようにしっかりと掴んでいた。それでも痛みは全く感じなかった。それよりも、別の感覚の方が勝っていたからだ。
「……大丈夫、置いていったりなんかしないよ」
そう言ってやれば、ゆっくりと手が離される。掴まれていた部分にほんのりと赤い跡が残っていた。それを指でなぞった。
「……すまん、寝ぼけてた……」
「ん」
短く返事をする。彼女がキングヘイローとの関係を絶とうとしていた三ヵ月の合間に、こういう出来事は何度かあった。
最初は驚いたが、今考えるなら前世だのという話を踏まえるのならば、その事が影響しているのだろうと思う。
複数の親しい者とも別れる事になっただろうし、最期の感覚もこびり付いてるのかもしれない。今回も未勝利で終わるのではないかと苛まれているのかもしれない。
第一印象で"脆い"と感じたのは、おそらく間違いではなかったのだろうと思う。
これが根が深い問題だと気付いたのは最近だ。
「辛い部分、親御さんに相談はした?」
「……動物だった前世の記憶があるだとか言い出したら、よくて気持ち悪がられて、悪けりゃ病院入りだろう? そうなればトレセン学園に行くのは絶望的だな……」
なまじ地頭が良いせいでそういう判断力はあるから、彼女は余計に親を頼っていないらしい。この分だと、まだまだ溜め込むつもりだろう。
「…………ンな事はハナから頭に入れなくていいんだよ。精神病んで思い悩んでウジウジしてるだの、悲劇のヒロインぶって周囲に迷惑かけまくるだの……神様からしても、気味が悪ィ……なぁ?」
その言葉は誰に言ってるのか分からない。おそらく、深い意味はないのだろう。
「――オレはただ、キングの奴に勝ちたいだけだよ……」
それが彼女の本心なのだろうとセイウンスカイは思った。そして、それは根本的な解決にはならない気がした。
自分達の人生は、前々言った通りそこで終わりではないのに。
「……オレが精神病んでるかもしれないだなんて、誰にも言わんでおくれよ……最近じゃあ、そもそも"前世の記憶"だのが本当にただ妄想じゃないのか自分でも自信がねェんだ……」
……高松宮の予知を踏まえればその線は薄いと思いたいが、それとは関係なしに彼女の精神状態は不安定だ。
セイウンスカイは、"何故この様態を晒しているのが自分に対してだけなのか"と考えた事はある。
(……たぶん、限界に達した時に偶然傍にいたのが私なだけなんだろうな……)
だから、セイウンスカイは自分が特別だとは思わなかった。
だが放置すれば確実に破滅するのは理解出来る。
(…………あのまま喧嘩別れしてたら、どうなってたんだろうね)
セイウンスカイは、この不器用で危なっかしい友人の事を放っておけないと今は思っている。
(……傍にいれば大丈夫、だよね?)
根拠のない勘ではあるが、このまま終わらせたくないとも思っている。
何か自分に出来る事はないだろうかと考えつつ、その日はディオスに添い寝する形で、硬い床の上でもうしばらく眠る事にしたのだった。