姫宮依桜の朝は早……くない。いつも朝練にギリギリ間に合う時間に飛び起き、顔を洗って朝ごはんを食べた後歯を磨きながら着替え、軽いメイクを同時進行で行い起床からわずか20分で支度をすませる。だがそもそも起きる時間がギリギリすぎるので間に合うことの方が少ない。
「姫宮! また遅刻だぞ、罰として走り込み倍だ!」
「えぇ!? ……ここまで走ってきたからその分引いてもらえたりとか……?」
「いいわけあるか! とっとと走ってこい!」
「ちぇ〜」
そして遅刻の罰則として朝練のほとんどを走るだけで終えることも多い。そのおかげで体力はだいぶついてきたが、走るばかりだとつまらない。
「よし、朝練はここまでだ! お前ら授業に遅れるなよ!」
朝練が終われば次は1限目の授業だ、依桜は急いで教室──には向かわずトイレの個室にこもってしまった。
「やば!? アイラインちょっとズレた……」
なんと依桜、1限目をサボってメイクをしていた。朝が弱い依桜は朝練が終わった後にメイクをすることで誤魔化していたのだ。自分の可愛さには並々ならぬこだわりと自信があるので妥協はしない。毎日朝練の後はトイレで鏡とにらめっこするのが日課になっていた。
「あ、依桜来た。またメイクしてたの? ていうか1限目数学だったよ、依桜がサボったせいで鬼先ブチギレ。本物の鬼みたいだった」
「げ!? 今日木曜日だったっけ……ミスった〜」
1限目が終わった頃にやっと教室に現れた依桜に透子が呆れながら声をかけてきた。依桜とは違い成績優秀、生活態度も良好で先生からの信頼も厚い透子は真面目に授業に出ていた。……もっともそれが当たり前なのだが。
「ねぇ依桜くん、それこの前発売のアイシャドウじゃない? 可愛いね!」
「あ、わかる? 一目惚れしちゃってさ、つい買っちゃったんだよね」
「いいな〜、依桜くん可愛いからなんでも似合うよね〜」
クラスメイトの女子が集まってきた。入学当初は地元の小学校から来た生徒がほとんどいなかったので変な目で見られることもあったが、夏休みが開けた9月にはすっかり受け入れられていた。依桜の性格もあるが、やはり透子の尽力が大きいだろう。
「……」
「なに? 透子」
「いや〜依桜も成長したなって思ってさ。昔はいつでも私の後ろにくっついてきて可愛かったのにね。それが今じゃおサボり常連の不良生徒か、お姉さんは悲しいよ」
「お姉さんって……透子ボクより1ヶ月早生まれなだけじゃん」
実際、透子と出会った頃と今の依桜は随分違う。あれだけ引っ込み思案で、内気だった性格は明るく、自由奔放な性質へと変化していた。もちろんこれも透子のおかげだ、口には出さないが依桜は透子に感謝してもしきれないくらいの恩義を感じている。
「そういえば今日で3年の先輩達引退だよね、部活早めに行かないとだね。透子どうせ泣くんだろうしティッシュ用意しとかないと」
「泣かないし!? 依桜私が泣いてるところ見たことあるの?」
「あ、言われてみれば透子が泣いてるとこなんて1回も見たことないかも」
「でしょ? 私物心ついた時から泣いたこととかないんだからね!」
そう、依桜と透子はもう5年以上の付き合いになるが依桜は透子が泣いているところを一度も見たことがなかった。というか落ち込んでいるのも見たことないし、弱音を吐いているのも聞いたことがない。
「お前ら……今までありがとうな」
「もう……泣かないでくださいよ北野先輩」
そして放課後、引退する3年生の挨拶があった。最初こそ険悪な空気にあった3年生との関係だが、話してみれば意外といい人たちだったようだ。透子と依桜がコテンパンにしてわからせたのが逆に良かったのか、傲慢な部分が解消されたのが大きいだろう。
ちなみに今年度、依桜達星章中学サッカー部は全国大会準決勝進出という好成績を収めていた。元々強豪校ではあったが、ここまで来たのは史上初。もちろんそれには依桜と透子の力が必要不可欠だっただろう、当人達は優勝できなかったと納得していなかったが。
「う〜ん……やっぱり守備をもっと……でもそれだとなぁ……」
「……?」
時は流れ、依桜と透子は2年生になった。今年も星章中学は全国大会地区予選を難なく突破し、決勝進出を決めていた。ある日の部活帰り、透子がずっとスマホと睨めっこしてうんうん唸っているのを依桜は不思議に思っていた。
「それ、決勝の対戦相手?」
「うん……この乙夜影汰って選手が厄介で……対策考え中」
「どれどれ……うわ、チャラそー。絶対女遊び激しいタイプじゃん」
透子のスマホを覗き見すると、画面には白髪に緑のメッシュが入ったイケメンが映っていた。確かにプレーは凄いが、チャラチャラしてそうで依桜の苦手なタイプだ。
「自分は不良なのにこういう男嫌いなの?」
「不良じゃありませ〜ん、ちょっとサボってるだけで〜す。それにボク可愛い子の方が好きだし」
依桜はそういうが、授業の出席は半分くらい。すぐフラっといなくなるし、1限目なんかほとんどいない。でも部活だけは真面目にやっているのがタチが悪いというか、全国出場チームのエースなので先生たちもあんまり強く言えないらしい。
「この裏抜けは要注意だね……どう対策しようかな」
「まぁでも1点くらい取られてもボクが取り返すから大丈夫でしょ」
「ダメダメ! 地区大会無失点記録が途絶えちゃうでしょ!」
ここまでの試合、依桜達は一度も失点をせずに勝ち上がってきた。故に決勝でも絶対に点を決めさせないと透子は意気込んでいるのだ。
「ん……? ねぇ透子、あれカントクじゃない?」
「へ? どこどこ?」
依桜の声に反応して透子がスマホから目を離して彼が指さす方を見た。ちなみにカントクとは透子の父のことだ。歩道から交差点を越えてさらに向こう側の交差点、距離にして200m以上は確実にあるだろう。透子が目を凝らすと、確かに人影っぽいものが見えるが個人を特定することは到底出来なかった。
「あれお父さんなの? 全然わからないんだけど」
「え〜、カントクだって! 追いかけてみようよ」
半信半疑ながら依桜が言う方角へと足を進めた。信号を渡り、人影に近づくにつれてその人物の顔をはっきり認識できるようになっていく。
「お? 透子に依桜、部活帰りか?」
「ね、ホントにカントクだったでしょ?」
「うん……依桜すっご……!」
依桜はとにかく目が良かった。学校の視力検査で測れる限界値の2.0を毎回出していたし、それでも余裕がありそうだった。常人には見えないような遠くの物を誰よりも早く見つけるのも日常のコト。それは透子も知っていたが、それにしても今回の出来事は驚いた。おそらくサッカーでの瞬間的な反射やダイレクトシュートの精度にも生かされていることだろう。
さて、そんなに日常を過ごしているうちにあっという間に決勝戦の日がやってきた。天候は快晴、少し暑いがサッカーをするにはベストなコンディションと言えるだろう。この日ばかりは依桜も早起き(透子に叩き起された)、試合開始の時間は刻一刻と迫っていた。
「そういえば透子、チャラ男対策はどうなの? なんかいいアイデア出た?」
「うんまぁ一応……でもこればっかりはやってみないことにはわからないから。いくら頭の中で完璧に対策してても、何が起こるかわからないのがサッカーだからね」
透子の言う通り、事前の準備も大切だがもっとも大事なのは本番でのアドリブ力。練ってきた策が通じなかった時に慌てふためくか、切り替えて次の手を考えるか、どちらが勝利に繋がるかは明白だろう。
「ちゅーす、よろしくお二人さん。つか可愛いね、今夜暇だったりする?」
「げ、マジでチャラ男じゃん。見た目通りにも程があるでしょ」
乙夜影汰が話しかけてきた、というかナンパしてきた。見た目でチャラ男だなんて不名誉な渾名をつけていたが、どうやら本当にそうだったらしい。
「悪いけど私には依桜がいるし、依桜には私がいるからそのお誘いはお断りだよ。それに今日の試合でボコボコされて、そんな余裕もなくなるだろうし」
「ちょ……透子……!?」
透子が依桜を守るように抱き寄せてきたので思わず顔が赤くなった。いくら可愛いとはいえ依桜も男子中学生、女子と密着すればドキドキするし変な感情が出てくる。透子みたいな美人なら尚更だ。というか透子、ナチュラルに距離が近い。依桜を信頼している証だろうが、1mmも男として見られてないのはそれはそれでなんか嫌だ。
「ふゅー、おアツいねー。じゃあこっちも本気で潰させてもらうぜ」
「いいじゃん、そっちのが燃える」
依桜そっちのけでバチバチに滾る二人。まだ抱きしめられてる依桜としては早く離れて欲しい、煩悩を抑えるために自分のほっぺを叩いたのでジンジンと痛みが伝わってくる。このままだとどうにかなりそうだ。
そして試合が開始された。前半、お互い果敢に攻撃を仕掛けるがゴールを破るまでには至らなかった。依桜は複数人がかりで徹底的にマークされ、自由に働かせてもらえない。一方の乙夜も透子のマークが剥がせず点を取れないでいた。
「ちぇ、俺の忍び足見切るとかずりークノイチ」
「もうちょっとマシなステップ踏んでみなよ忍者さん」
後半も似たような展開、両者エースを封じて相手の攻撃を凌ぎ切る。そんな状況についに痺れを切らしたのは透子と依桜だった。パスを求めて動く乙夜、そんな彼へのパスを透子がカットした。
「……!?」
「コースみえみえ! ここしかないでしょタコ助!」
パスカットした透子はすぐさま前線にボールを送った。狙いはもちろんゴール前の依桜、しかし彼には変わらずマークがピッタリとついている。
「……! このパス……」
透子が何度も止められている手を使うはずがない、そう思い考える依桜はパスの回転を見て確信した。これは自分の足元ではなく、途中で落ちるジャイロ回転がかかったパスであると。
「さっすが透子♪」
「決めちゃえ依桜!」
依桜よりやや後ろ3mくらいの位置に着弾したボールを依桜がトラップする。反応が遅れたディフェンスもすぐさまボールを取りに来るが、それよりもさらに狙いを定めてシュートを撃ち抜いた。
「まじか、もう撃つ!?」
「しかも超細いとこ……!!」
ゴールキーパーが反応するが、間に合わずボールはネットに突き刺さった。そしてそのまま1点を守り抜き、星章中学は見事全国大会進出を決めたのだった。
「やったね透子! ボク達最強でしょ! このまま全国優勝いっちゃおう!」
「うん……そうだね」
帰り道、夕日を背に歩いていた二人だが、どうにも透子は元気がなかった。優勝したというのに、あんまり嬉しそうじゃない。透子の悲しげな表情は依桜も見たことがなかった。
「どうしたの透子?」
「中学卒業したらさ、私達一緒にプレーできないんだよね」
「あ〜、中学までは男女混合でも大丈夫だったけど、高校からは別になっちゃうもんね」
「それは……嫌だなって」
「……透子」
まだ中学2年の夏だがその時は刻一刻と迫ってきている。透子が元気がなかったのはこれが原因だったようだ。やりたいことをやろう、性別なんて関係ないとここまで二人でやってきたが、やはり性別の問題は付き纏ってくる。
「ああもうやめやめ! ウジウジ悩むなんて私らしくない! 要は私がめちゃくちゃ強くなって男子サッカーにまじれるように認めさせればいいんでしょ!」
「えぇ……結構心配してたのに自分で解決するの?」
「だってそうでしょ! 悩んでる時間がもったいない! くだらない制度なんて私がぶっ壊してやる!」
悩んでいたはずなのに次の瞬間には解決していた。透子らしいと依桜は少し笑ってしまった。だけど依桜は透子のこういうところに救われたのだ。
「これからも私が守って依桜が決める! 目指すはW杯優勝! だからこれからもよろしくね、相棒!」
「……うん!!」
夕日の下、二人で拳を合わせて誓い合った。ずっと一緒にいる親友にして、相棒、そして大恩人でもある透子。彼女と二人なら、どんな困難にも打ち勝てる気すらする。まずは全国大会優勝、その目標を胸に依桜は透子と別れ帰路についた。
──この時の依桜にはこれが透子との最後の別れになることなど想像することもできなかった。
新英雄大戦 依桜君に選んで欲しい国は?
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