霞の奥の幻影   作:にわとり肉

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決意(ケツイ)

 悲鳴を霧が覆い隠し、天井から吊り下げられた電灯が人魂のように霞んだ空間に浮かぶ中、ひとりでに椅子とテーブルが蹴られたように倒される。その真上では、黄緑色のガスが吐息のように漏れでていた。

 そして、ガスが吐き出される空間のすぐそばには、白いカチューシャでボブカットの髪を留め、白いメンコを両耳につけた少女――ユキノビジンが吊り下げられていたのである。

 

 「……」

 

 時間が無限に引き伸ばされていくような感覚を、マンハッタンカフェは感じていた。

 さらに、びっくり仰天して騒がしく足や腕を暴れさせるユキノビジンの傍らで、ガスを噴出させる存在――“霞龍(カスミリュウ)”の声が、重い鈍痛となって彼女の脳を掴む。

 

 『……はは。ははは』

 

 その時、目の前の存在が何をしにカフェテリアへきたのか。どんな目的を持ってユキノビジンを捕らえたのか。その理由に繋がる一端が、一瞬の頭痛と一緒にマンハッタンカフェの心の中へ駆け巡った。

 

 ____それは、霧に包まれた練習用コースの映像イメージ。高い視線で見下ろしているような構図から、それが霞龍の視界であることは明白であった。

 瞬きの後、視界が切り替わる。霞んだ人影に迫っていき、シュッと鋭く舌が伸びていく。

 瞬きの後、視界が切り替わる。

 そこに映し出されていたのは、猟銃なのだろうか、長い銃身を冷静に構え、銃口をまっすぐこちらに向けた男の姿があった。

 

 ____瞬間、激しい爆発音がくぐもって鳴り響き、視界が切り替わる。

 

 そこにあったのは、紫色の液体に塗れて地に臥した人の脇を抱え、恐怖に歪んだ表情を隠さず、大粒の涙を流しながら引きずっていく男の姿。

 

 口の中が燃えるように熱く、鉄の味が味蕾を侵す。

 顔の表面が強張り、全身に力が入ってびくびくと震える。

 衝動が理性を塗りつぶしていき、視界を黄緑色の光を湛えたガスが過ぎる。

 必死に手を上げようとするのを抑える。無駄な行為だから。

 しかし、塞がった傷跡にめり込んだ銃弾は、いつまでも彼へ痛みを与える。

 

 我慢の限界。

 

 瞬きの後、視界は逃げ惑うウマ娘の群れと、取り残された黒髪の少女へ駆け寄る、一人のウマ娘の姿がうつされる。

 

 その時、心の中を支配していた感情。それは____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (八つ当たりをしにきたのか……!! アナタ(霞龍)は……!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ____彼の感情を、経験したことを、痛みを、全てを味わった上で、改めて、マンハッタンカフェの耳はギュッと引き絞られた。

 

 ____刹那、彼女の心を掴むものがあった。

 振り返ると、そこにいるのは、恐ろしさに喘ぎ、身を縮こまらせる自分がいた。それは、彼女の腕を掴んで離さなかった。

 それを冷淡に見つめる彼女のもう片方の腕に巻きつくものがあった。それは、酸っぱい腐臭を漂わせる鞭のような舌であった。

 それが伸びる先を見ると、霞に半分姿を隠した紫色の巨軀が翼を広げ、ニタリと穢らわしい笑みを浮かべていた。

 

 「……」

 

 ____涙に濡れ、震える曇った金色の瞳の少女は叫んだ。

 一言、行くな。と。

 ____腕に巻き付いた舌が締め付けを強め、骨を軋ませ、指先に痺れが走った。

 それでも、マンハッタンカフェの冷徹な表情は変わらなかった。

 

 『どいてください』

 

 腕を振り上げ、恐怖に負けた自分を振り払った。

 開いた手で生暖かい舌を掴み、思い切り握りしめて引き剥がし、紫色の幻影へ投げ飛ばした。

 それらは姿を崩して紫色の霧となり、彼女の体へまとわりつこうとする。

 

 『……』

 

 しかし、マンハッタンカフェは悠然と一歩を踏み出す。

 霧は彼女の華奢な肢体から四散し、紅蓮の焔に燃やし尽くされていく。

 一歩、また一歩と前へ進むごとに、彼女の心はつかえが取れたように軽く、そして、間を埋めるように、身を燃やし尽くすような熱さに包まれていった。

 

 もはや自分を苦しめていた毒素は抜け去った。

 

 今のマンハッタンカフェにあるのは、ただ、目の前で自分の大切な人を弄ぶ害獣(霞龍)への、抑えきれない怒りであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (お友達。力を貸してください)

 

 手の甲が張り、縮こまった掌が真っ赤に染め上がるほど拳を握りしめたマンハッタンカフェは、今にも飛び出しそうになる体を必死に抑えながら、虚空を睨んで呼びかける。

 すると、地を歩きながら徐々に姿を現した、マンハッタンカフェに似た後ろ姿___お友達が、彼女の肩に手を置く。

 

 ____モウ、コワガッテイナイノネ。

 

 お友達の言葉が脳内に響く。しかし、怒りの炎に燃やされた理性を前に、それは虚しく散っていく。

 

 「っ……!!」

 

 その時、肩に置かれていたお友達の手が溶け、マンハッタンカフェの身体の中へ溶け込んでゆく。

 瞬間、全身に漲っていくのは、マンハッタンカフェが抱いている感情と同じ。霞龍に対する怒りという“想い”。

 くっと体を反らせたマンハッタンカフェであったが、

 

 (……だめ。これでは、彼を()()()()()()()()()

 

 しかし、そう結論づけたのとは裏腹に、彼女は徐に拳を引き、空間に漏れるガスを睨みつけながら深く息を吐き出す。

 

 (……今はそれでいい、それでも、ユキノさんの拘束を解くぐらいならできる……!!)

 

 狙うは、ガスが吐き出される高い位置から下がった虚空。一見、モヤが濛々と漂っているだけのその場所に、彼女の動向が狭まった金色の瞳が釘付けになる。

 

 (この一撃で、()()()()()を呼び覚ます……!!)

 

 ふわりと下から風が築き上げてきたように黒髪が浮き上がる。晒された白い細腕が膨れ、張った皮膚に筋肉の筋彫りが走る。

 正確に狙いを定め、体の緊張が最高潮に達する。

 

 「____ひぇえ!! 助げでけせ〜!!」

 

 そして、頭上で聞こえた声が、マンハッタンカフェにとっての合図となった。

 

 

 

 

 

 

 

 「すぅッ……!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 ゴッ、と重たい打撃音が、霧の中に溶けて消えた。

 マンハッタンカフェの拳が、ガスが噴き出る空間の下の虚空へ突き出され、周辺の霧を晴らしたのである。

 彼女が跳びだした場所は、トレセン学園指定の上履きの足先の形にくっきりとえぐれていた。

 

 「……」

 

 突き出した拳の薄皮が剥けたのか、ひとりでに手の甲を鮮血が伝い始める。それは、真っ白な彼女の肌に赤い線を描き、手首の付近に溜まってゆき、

 ついに一滴、赤い雫が地面に滴った。

 

 『……オ』

 

 その時、彼女の目の前の空間に異変が生じる。

 

 『オオオ……ッギュアアッ』

 

 まるで、物体の表面に張り付いた水気が霜に変わっていくように、急速に空間が紫色に染まり始めたのである。

 そして姿を完全に現した、巨大な眼球を苦しそうに右往左往させ、パックリと開いた口から涎を垂れ流す紫色の怪物――霞龍の腹にめり込んでいたのは、血を流すマンハッタンカフェの拳なのであった。

 

 「ひゃ、ぁあ……」

 「っ……!!」

 

 喘ぐような掠れた声が、マンハッタンカフェの頭上で小さく鳴る。拳を引き抜き、ハッと上を向いた瞬間、その声の主、ユキノビジンの体は空中を舞っていた。

 

 「ユキノさん!!」

 

 さっと腕を伸ばした位置に、小さな少女の背がすっぽりと収まる。霞龍の不気味な風体を間近にし、さらにいきなり空を舞ったことも合間ってか、ユキノビジンは目を閉じ、カフェの呼びかけにも答えずぐったりとしていた。

 

 『ァ…… グルル……』

 

 その時、ズン、と地響きが鳴り響き、マンハッタンカフェは即座に霞龍のつぶらな瞳を睨みつけた。後ずさった彼は、その眼力に、さらに頭を後ろへ引いた。いつのまにか、口から漏らしていたガスは止まっていた。

 

 「……」

 『……』

 

 荒れ果てたカフェテリアの一角で、紫色の毒龍と、黒髪に白い浮毛が頭を飾る、寒気の感じる視線をした少女が対峙する。互いに目線を逸らさず、無言の拮抗状態が続いていく。

 

 「……まだ、続けますか」

 『……!!』

 

 その拮抗を破り去ったのは、巨軀を跳ねさせた霞龍であった。

 鼻先から伸びた尖角を小刻みに震わせ、彼は一歩一歩、足音を殺し、ユキノビジンを胸に抱き、片手を血で染めるマンハッタンカフェの微動だにしない瞳を注視しながら下がっていく。

 そして、彼が破壊して侵入した壁の大穴に差し掛かり、外気が彼の平べったい尻尾に鮮やかさを与えたところで、そのぬるっと湿潤が保たれた外皮が大気に透けた。

 それはあっという間に全身に広がり、紫色の光を帯びた濃霧に紛れていった。

 

 同時に、カフェテリアを満たしていた霧が多少薄まった。

 

 「……」

 

 脅威は去った。

 彼が消えていった大穴を睨みつけていたマンハッタンカフェの頭にそう過ぎった瞬間、彼女の鼻から、一筋赤い血が滴った。

 

 「っ……!」

 

 さらに全身を脱力感が襲い、しかし、腕と胸に感じる暖かな重みを落とさんと踏ん張り、長い前髪が縦に入った表情を歪めたマンハッタンカフェは、ふらつく足に鞭を打ち、気を失い、彼女の胸元で丸くなったユキノビジンを抱えたまま立ち上がる。

 そして、彼女の脚が向いたのは、当然校舎へ続く出入り口の方向であった。

 薙ぎ倒された机や椅子、割れた食器が散乱している床を、彼女は今にも倒れそうに、しかし、強い意志を持って歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『____先ほどのカフェテリアでの一件を考慮し、生徒一同は教室待機を____』

 

 校内放送の少し割れた音が、ある白いベッドの隣で壁に背をつけて立ち、目を閉じていた黒髪の少女――マンハッタンカフェの耳をつく。

 薬品っぽい香りを胸いっぱいに吸い込み、背筋がぞくぞくするような雰囲気が醸される保健室の中で、深く息をついた彼女は、手の甲にガーゼ、さらに包帯を巻かれているのを目を開けて一瞥し、その隙間から、ベッドの上で静かに寝息を立てている少女を見た。

 その側の机には、片耳の付け根部分に赤い装飾が施された白いメンコ二つ、カチューシャが置いてあった。

 

 「……」

 

 言葉は発さず、しかし、優しく微笑んだマンハッタンカフェは、徐に壁から背を離し、ベッドのそばを離れた。

 

 「マンハッタンカフェさん、貴方はここに…… って、ちょ、ちょっと!?」

 

 保健室の先生の仰天した声も束の間、保健室の引き戸の前に立った彼女は、いつになく毅然として言った。

 

 「教室に、戻ります」

 「……! ま、待ちな____」

 

 先生の言葉を待たず、扉を引き、誰もいない廊下の静寂を突き破って躍り出た彼女は、手を伸ばしてきていた先生へ金色の瞳を向けた。

 

 「……っ」

 

 その冷ややかな眼光に、先生の手が止まり、ぷるぷると震え始める。

 

 「……なんですか?」

 「……! い、いいえ。わかりました、担任の先生にそう伝えさせてもらいます」

 

 と、先生が慌てて冷静さを取り繕う間に、マンハッタンカフェの足は動いていた。

 

 ____かつん、かつん、と、たった一人だけの足音が、電気が落とされ暗い廊下に響き渡る。

 ふと、マンハッタンカフェは、紫色の光が差し込む人気のない廊下を歩いているにも関わらず、自分の身体に震えがないことに気づいた。

 ピリピリと痛む拳が気になっているのか、それとも、胸をつく熱い気持ちが震えを止めているのか、

 あるいは、霞龍に対するトラウマを乗り越えたからか。

 様々な憶測をして、再三嘆息を吐いた彼女は、鉄っぽい匂いがまだ残る鼻の下を不快そうに擦り、足を早める。

 彼女の脚が向く方向は、同級生たちがひしめいているだろう教室とはまるで正反対。この非常事態においても()()にいるだろうという信頼からか、その足取りは冷静であった。

 ____そして、いくばくもしないうちにたどり着いたのは、なぜかガラス面にヒビが入り、それをセロハンテープで雑に補強した古びた引き戸。

 そのすぐ上の方の埃を被ったプレートに描かれていたのは、“理科準備室”という掠れた文字であった。

 感慨に浸ることもなく、さっと扉を引くと____

 

 「……か「カフェさん!!!」……」

 「あ、あれ、なんでカフェさんがここにぃ〜……?」

 

 何やら非常に賑やかである。しかし、新顔が二人いるが、それ以外はすでに知った顔であった。

 赤いだるまに黄色いクローバーの装飾をつけた明るい栗毛の少女――マチカネフクキタルに、渦巻模様が入った紫色の目を遠慮がちにし、豊満な胸の前に手をやる気弱そうなウマ娘――メイショウドトウ。

 そして、彼らがあたふたとしている奥で、悠々と席につき足を組む、白衣を纏い、不気味な眼光を湛える少女――アグネスタキオンは、少し驚いたように目を開き、

 

 「……やぁ」

 

 大層気まずそうに笑みを浮かべた。




 ここからどんどん展開が上向いていきます。もう誰も悲しまない!!!!!!

 それが見たいかい? ならすることはわかっているでしょう!!!
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