『____ 本日、この試験レースの観客兼テスターとして参加してくださった府中市にお住まいの10000人の方々に、深く、深くお礼申し上げます!』
レース場以外は真っさらな平面がどこまでも続いているVR空間に、突如として凛々しい声が響き渡る。無機質な緑色のコースの上を自由に飛び回っていたアバター達は、ふと、自分たちに影が差していることに気づく。
上空に目をやると、そこにあったのは澄んだ上空ではなく、一人のウマ娘の異常な巨躯に、大きな美貌。レース場を持ち上げられそうなほど巨大な、右側頭部で髪をまとめ、絢爛豪華な王冠を模した耳飾りを身につけた――サトノクラウンの姿であった。
アリのように小さなアバター達がワラワラと浮き上がり、彼女の眼前をふわふわと舞い始める。そんな、往年の特撮映画のような雰囲気の中、サトノクラウンは笑顔で口を開く。
『それに報いるため、本日のレースに走るウマ娘達においては、トゥインクル・シリーズで華々しい成績を収めたスターウマ娘を集めさせていただきました!!』
凄まじい風圧を持って腕が振り抜かれ、体が
現実空間ではまず体験できない、荒唐無稽で無茶苦茶な状況。アバターの奥にいる観客達の感情は十人十色であった。
だが、共通している思いもある。
『彼女達のレースを、今日は心行くまで、自分の見たいように飛び交い、思う存分楽しんで見てもらえたらと思います!!!』
それは、レースという最高の享楽に待ち焦がれる想いである。
「いよいよ始まりますか……! シラオキ様、今日はよろしくお願いします……!!」
____一方、現実世界のトレセン学園指定の合宿施設。その鉄の棺が並ぶ部屋の片隅で、足元に置いておいた古めかしいモニターに映し出されていた映像から目を離した少女――マチカネフクキタルは、紅白の巫女装束を床に擦らせながら手を合わせ、十字に煌めく瞳をふせ、祭壇の座布団に置かれた大きな招き猫――にゃーさんに縋るように頭を下げる。
その側で、大きなアホ毛と耳を不安げに垂れ下げるウマ娘――メイショウドトウにことの推移を見守られながら。
◇◇◇
電子の海に浮かんだ世界においても、ゲートの中は暗く、そして冷たい。
『芝・2000Mで行われるエキシビションレース、いよいよスタートいたします!!』
煽り立てる実況、さっきまで黄色い歓声を立てていた観客が静まり返る感覚。左右から聞こえてくるわずかな息遣い。
前方を見据えると、あれほど飛び回っていたはずの多様なキャラクターが一切見えず、左側へ曲がるラチの連なりが目に留まる。流石にレースに支障が出るようにはできていない様である。そんな他愛のない考えを、何度もついたため息と一緒に押し流す。
まだか、まだかと心が逸る。そんなささくれだった心が前へ押し出され、8人のウマ娘が収まった鈍色のゲートに火花が散る。
――ごくっ……!!
どくんどくんと脈打つ全身に喝を入れるかのように、唾を飲み込んだ喉が音を鳴らした。
「……」
(たった、一度……)
マンハッタンカフェの紛い物の白い素肌を、一筋の透明な雫が伝う。
伝って、伝って、それは顎の先端に溜まり、膨らむ。
そして、たわみに耐えきれなくなった雫は歪み、ちぎれて落ちる。
――!!
それは、偽りの芝に当たって、芝の細長く伸びた葉を少し揺らして、砕けた。
「「「「「「「「っ……!」」」」」」」」
――ガコンッッッ!!!!!
その瞬間、目の前の障壁が開け放たれ、8匹の飢えたウマ娘達が野に放たれるのだった。
「ん゛……!!!!」
ゲートが開くや否や、我先にと流麗に躍動して飛び出したのは、白と黄色と緑が特徴的な勝負服を身につけ、エメラルドグリーンの瞳に狂気を宿したウマ娘――サイレンススズカ。
(譲らない! 譲らない! 先頭の景色は絶ッッ対に譲らない!!!!)
1週間足らず、それだけで普通のウマ娘ですら走れないことに鬱憤を募らせるものであったが、ことサイレンススズカにおいて、それはもう酷い有様であった。晴れ渡る青空の下、たくさんのウマ娘でごった返す砂浜で追突事故を起こさなかったのは奇跡と言えた。夜が深まっても彼女の暴走は続き、とあるウマ娘の手を非常に焼かせたものであった。
(あぁ……!! 今! 私は走っているんだわッッッ!!!!!!)
……トんだ表情で栗毛の暴風を巻き起こしながら突き進むサイレンススズカの後塵を拝するは、手が覆い隠されるほど余った白衣の袖を暴れさせながら駆けるウマ娘、その隣に、豊かな胸元が大胆に開けられた黒いパンツスーツのような勝負服を纏ったウマ娘である。
(あんなのついていけないねえ…… ま、一先ずこの辺りで脚を溜めさせてもらおうかね)
(はしゃいじゃってさ…… 余興にはちょうど良いけどね……!)
大きな浮毛が吹き飛ばされそうになりながらしがみつき、鬱陶しい前髪の奥に妖しい光を抱えたウマ娘――アグネスタキオンは涼しい顔で、前髪に流星のような白いメッシュが一筋入った黒髪ショートカットのウマ娘――フジキセキは、澄んだ青空のような瞳に闘志を燻らせていた
小さいように見えるほど遠いサイレンススズカの背中、それを5、6バ身ほど離れて追う二人、その二人から2バ身ほど離して、懸命に、しかし冷静に脚を運ぶのは、白と紫の華やかな勝負服のウマ娘――スペシャルウィーク。
(スズカさん、とっても楽しそう……!!! でも、このレース、私だってけっぱるべ〜!!!)
(マーベラァァス! 応援よろしくー⭐︎!)
(この圧、GIレースとなんら変わりなく……!! でも、負けない!)
そんな彼女につかず離れずにいるのは、紫を基調とした極彩色のミニドレスをはためかせ、十字に切れた光を湛えた目を前へ向ける――マーベラスサンデー。
そして、英雄ロブ・ロイを模した深緑色の勝負服に、タータンチェックのマフラーが風を受ける――ゼンノロブロイは、メガネの奥に蒼い光芒を溜めている。
(走る感覚はウマレーターとなんら変わりねェか……)
(観客席が気にならない分、レースに入り込みやすいわね)
刺々しい髪型に眉のピアス、パンクな勝負服と危うい雰囲気を醸す彼女――エアシャカールは、目を焼く金色の瞳に写す範囲を広くし、黒いブラウスに、星のよく見える夜空のような青色のコルセット、鋸模様の入ったスカートを身につけた――アドマイヤベガは、衣装が擦れる音、吐息、足音、そして風を切る音だけが聞こえることに不思議な感覚を覚えながらも、確かな足取りで芝を踏みしめる。
「はっ、はっ……」
その中、黒い夜風のようなロングコートをたなびかせ、夜空の主役たる満月のように輝かしい目に決意を灯らせたマンハッタンカフェは、マーベラスサンデー、ゼンノロブロイとほとんど横並びになって、落ち着き払った息を深く吐き、まだまだ軽い両腕を力強く振っている――
『スタートしましたあっ! 案の定サイレンススズカは先頭をぐいぐい進んでいきます! そこから5、6バ身離れてアグネスタキオンにフジキセキ……』
(人の想いが
地鳴りのようなファンの回転音が鳴り響き、不安げなメイショウドトウの鳴き声が掻き消されている中、歯を食いしばるようにしていたマチカネフクキタルは、実況が始まると同時に目を開く。
その表情は、普段のひょうきんなアホ面とは正反対。いつになく引き締まって凛々しい目をしていた。
「失敗するわけにはいかないのですシラオキ様あ〜! お願いしますよぉ〜!」
普段なら情けない声色に決意を乗せて、マチカネフクキタルは吠えた。
その瞬間――
「ふぎゃっ」
「ぎゃぁぁぁあ!!! ふっふふふっふフクキタルさぁァァァ?!?!??」
突如として眼光を湛えた招き猫に明るく照らされる真っ白な巫女装束に、鮮やかに赤い斑点が滴った――
「――っ!!!」
どくん、と心臓が跳ねる。驚愕に見開かれた満月の瞳に光が灯り、光跡を箒星のように流してゆく。
マンハッタンカフェは思わず周囲を見渡し、すぐ隣で険しい表情をしているゼンノロブロイ、好戦的に笑っているマーベラスサンデーをみる。
(……何故だろう)
彼女達だってGIを勝利したトレセン学園指折りの実力者である。後方で待機しているエアシャカールとアドマイヤベガだって、前をゆく四人だって、誰一人として油断ならない者達ばかり。
しかし、彼女は不思議と自信が内より湧き出ているように感じていた。
(……)
レースはまだ向正面に入ったばかり。しかし、もう一度隣で拮抗しているウマ娘二人を見やった彼女は、キュッと目を細めた。
そして――
「っ!?」
「ええっ!?
漆黒の風を纏った彼女の身体は、自然と前へ前へと進出を始めた――
「ど、どどうざん!
「えええ!? ってあ、は、はいいい……」
一方、現実世界に残っているメイショウドトウは恐る恐る、光に包まれながらも手を組み合わせ、にゃーさんと対峙し続けるマチカネフクキタルの顔面にハンカチを押し付けていた。
無論、ハンカチはあっという間に赤く染まっていく。
気弱な彼女が気圧されないわけがなかった。
「ふ、フクキタルさぁん!」
「心配しないでください! この程度、これからカフェさんが経験することに比べればものの数に入りませんぐばっ!!!!」
「おわあああ!!!!!」
マチカネフクキタルの啖呵とは裏腹に、紅白の巫女装束が紅一色となるまで時間はいらなさそうであった。
「あ゛あ゛っ!! こんなの序の口です! 七人のウマ娘の意思でカフェさんという器を補強した次は、10000人分の想いをあの人に注がなきゃならないんですからァ!!」
「な、なんだかよくわからないけですけど大丈夫なんですかァァァァァ!?!?」
「多少の苦痛は覚悟の上ゲバラァ!!」
「あびゃぁぁぁあ!!!!」
◇◇◇
(なんだ、この感覚ァ……!)
マンハッタンカフェが異様な早仕掛けを敢行し、引っ張られるように追い上げを始めざるを得ないと判断したエアシャカールであったが、彼女の聡明な頭脳がその
(……!
エアシャカールに続くアドマイヤベガも、
(
(なんだかマーベラスじゃない感じ〜⭐︎)
ゼンノロブロイも、マーベラスサンデーも。
(これは、
(……ことの経緯はこんなものだったというのか)
スペシャルウィークも、フジキセキも。
(まだまだ走りたりない……!! さらに、もっと! その先へ……!!!)
そして――
(カフェの記憶か…… ということは、案の定これまでのことは全部彼女達に
アグネスタキオンは、頭に浮かぶ情景を前にし、うっすら汗ばみ始めた表情から笑みを消した。
(そうさ、これは飛んだ
アグネスタキオンの最も憂慮していたのはこれであった。マンハッタンカフェに自らをはじめとした想いが注がれていく過程でこのレースの本質が露見してしまえば、一体何が起こるのか。
(仮に、キミたちがレースを放棄したりすれば全てがおじゃんなのだよ……!!)
「……っ」
第3コーナーに差し掛かり、いまだにサイレンススズカがレースを引っ張る中、マンハッタンカフェの脚さばきは軽やかさを増していく。
(どうりで……。理屈はサッパリだがそういうことにしておいてやる……)
その後ろ姿を睨みつけるようにしていたエアシャカールは、
その瞬間、歯を剥き出しにして凶悪な笑みを浮かべた。
(だが、そんなことでこのオレ様が
――ズンッッッ!!!
第4コーナーに入った瞬間、エアシャカールの豪脚が唸りを上げた。
(そうだとしたって、勝ちを諦める理由になるもんか……!!!)
片耳に青いメンコがつけられた大きな耳が絞られ、アドマイヤベガは熱い息を吐き出した。
(とっても強いアナタを倒した私はマーヴェラァァス!!!!)
(英雄に後退はありません……!!!!)
現実のように重たく辛くなってきた両手両脚、肋を押し除けそうな心肺。しかし、マーベラスサンデーとゼンノロブロイは目の前に吹き荒れる黒い風に挑戦する。
(勝っちゃったら、私が責任持ってブチ飛ばしますから……!! だから、勝利はあげません!!!!)
漆黒の風に煽られ、スペシャルウィークの紫色の瞳に紅蓮の炎が燃え盛る。
(そんなことで諦めるようなポニーちゃんはいないだろうさっ……!!!)
中性的なフジキセキの美貌を大粒の汗が伝い、しかし、余裕たっぷりの笑みが浮かぶ。
「かひゅー、かひゅー……!!!」
(まだまだ見れる! 限界の先……!!)
ここまで先頭を守り抜いたサイレンススズカはバテていた。
そんな面々の気配が高まり、電子の海に浮かぶレース場の中を満たしていく。それに一切のひよりは無く、ただ純粋な願いが込められているのは明々白々。
少し呆気に取られたような表情の後、アグネスタキオンは呆れた息を吐いた。
「どうやらバカしかいないようだねッッッ!!!」
そう言って、彼女は思う存分脚を踏み出す――
「……はー、はー、むぐっ、う」
「ほ、北斗の拳でも見たことないことになってますよお!!? これ以上は本当に……!」
「最後の仕上げなんですから……! はぁ、今辞めたら全てが無駄になる……! このまま続行します……!!!」
霞んだ目を血走らせ、震えて力が抜けるのを我慢して、マチカネフクキタルも最後の気力を振り絞る。
それに応えるかのように、にゃーさんはガタガタと意思を持ったように揺れ始めた――
(……)
――一歩踏み出すごとに、マンハッタンカフェは虚脱感を感じた。そうして空いた空間に押し込まれていく何かがあった。
『霧を晴らせ』
『府中市に晴れを取り戻せ』
スピードが増し、視界が狭まる。音は絞られ、もはや自分の足音しか聞こえない。
否、それは自分のものなのだろうか。自分とは、一体なんだったのか――
『……ダメ。呑マレテハイケナイ』
その瞬間、マンハッタンカフェの視界が一瞬にして広がった。
(お友達…… )
身体の調子は上がっていっているというのに、マンハッタンカフェは寒気も同時に感じていた。
まだまだ早く脚を動かせる。息を吸って吐くことができる。
(……うん。
うっすらと笑みを浮かべた彼女の視界が開ける。
――第四コーナーを抜け、最後の一直線である。
先頭を駆け抜けてきたのはサイレンススズカ。しかし、そのすぐ後ろに控えている漆黒のオーラに飲み込まれるのは時間の問題であった。
「ひゅー、ひゅー……」
瀕死の病人のような息遣いの異次元の逃亡者は、まるで終末期を迎えたかのように格段にスピードを落とし、後方より迫る光をも逃さないウマ娘、マンハッタンカフェのすく側で沈んでいく。
そんなサイレンススズカ以外の面々といえば――
「……っぁあああ!!!!」
フジキセキが吠え、
「だぁぁぁあ!!!」
スペシャルウィークが恐ろしき末脚を解放し、
「やぁぁぁあああ!!!!」
「はぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!」
「ラァァァァ!!!!」
「ああああ!!!」
マーベラスサンデーが、ゼンノロブロイが、エアシャカールが、アドマイヤベガが。
全員が、最強と決定づけられたウマ娘へ挑戦していた。サイレンススズカだって、ある意味ではそうだったのだ。
「……」
無論、彼女も同じ穴の狢であった。
(……カフェ……!!!)
アグネスタキオンは、誰よりもマンハッタンカフェの背中に近づいた。
今この瞬間は、使命なんて忘れて、一人のウマ娘としてこのレースを楽しんでいたのだった。
『残り100mを切って先頭ハマンハッタンカフェ!! 1バ身離してアグネスタキオンだが苦しいか!?』
『勝ったのは……!!!!!!』