____えっほ、えっほ、えっほ……
「ちょ……!! うわっ、あの! 出してください……!!!」
毛玉やほつれた毛が飛び出た布地に全身を包まれ、足首から先だけが口から飛び出た状態の黒髪の少女――マンハッタンカフェは、浮いては沈んでを繰り返して揺れ動く暗い視界に耐えかね、布を引き千切ろうとジタバタ踠く。
しかし、ウマ娘を捕まえる想定でもされた作りなのか、縫い目が離れて外を見ることもできず、そもそも、三つの腕が大腿と腹部と肩付近をがっちりホールドして抵抗を封じてくる。
(お友達……! た、助けて……!!)
頼みの綱の黒い影も、そこにいることはわかるが、何故かそっぽを向いて取り合ってくれない。
つまりこの瞬間、マンハッタンカフェに打つ手は無くなったのである。
「あの……!! 私をどうするつもりなんです……!?」
せめて、訳のわからないこの拉致行為の真意を問おうとするが。しかし、軽妙な掛け声を続け、ズタ袋を抱えて走り続けているのだろうチームのリーダーは、
「安心してください! とって食おうというわけではありませんから!」
と、あくまで理由はぼかしている様子。困惑した表情のマンハッタンカフェは、金色の瞳を一層困らせる。
(大体、周りの人たちはおかしいと思わないのですか……!)
悲しいかな。マンハッタンカフェの当然の疑念は、廊下を静かに疾走するイかれた3人組に抱えられたウマ娘へ、哀悼の視線を向ける生徒たちという形で実現していたのである。
その雰囲気を悟ったのか、マンハッタンカフェは無闇な抵抗をやめ、ゴツゴツとした肩の連なりに身体をしなだれさせる。黒い耳を重力に任せて横に倒し、暴れさせていた尻尾を止めた。
(……)
彼女の顔は、唇をとんがらせて不貞腐れているのだった。
この際、このまま連れて行かれるのなら、彼女は文句を垂れるぐらいで済まそうと、
しかし、本当の苦難はここからであった。
「痛っ……!! もう少し丁寧にっ!? うわぁっ!?!?」
「ぁあああ!!! 落としてしまいましたぁぁあ!?!?」
「だ、大丈夫ですかあ!? 頭打ってないですかぁ!?」
「何してるんですかドトウさん!! 運んでいるのはウマ娘なんですよっ!」
時に、廊下でもんどりうって投げ出されたり、
「あともう少____ぶへっ!!!」
「ああっ! 前から野球ボールが……!! こんな霧の中で野球なんてやるから……!!」
「だっだだだだっ、大丈夫ですかぁ〜??」
「びええええ!!____」
「……」
時に、ズタ袋の中で外の様子がわからない中、地べたに放置されていたり、随分愉快な歓迎をうけたが、マンハッタンカフェは耳を引き絞って我慢した。放置された時は身をくねらせてどうにかして逃げようと試みたが、泣き喚く少女を宥める傍ら、ズタ袋の裾は3人ともがっちり掴んでいたため失敗した。
____と、様々な困難を乗り越えた彼女は、いよいよ肩の揺れが止まり、体の側面にかかっていた重力の向きが変わり、いつもの直立の方向へ変わるのを感じる。
そして、さっと目の前の景色が変わり、まるで産み落とされるかのようにストンとお尻で着地したのは、安物のパイプ椅子の上だった。
「……ここは」
そこは、暗幕に取り囲まれ、目の前の水晶から怪しげな光が発され不気味に周囲を照らす、いかにもな雰囲気が醸される場所。外にあるのか、紫色に照る暗幕の隙間から霧と冷気が立ち込め、足元にまとわりついてきた。
冷たく微笑み、前髪で隠された額に青筋を浮かべ、後ろに飛んでいきそうなほど耳を絞った彼女がゆっくりと周りを見渡す中、主犯グループ3人は、慌ただしく暗幕に溶けてしまいそうな髪色の少女の目前へ移動。
おそらくリーダー格なのだろう、十字に煌めいた瞳をマンハッタンカフェへ向け、くつくつと笑いながら対岸に腰掛けたウマ娘は、机の中心に置かれた水晶玉に手をやり、自信満々の口を開く。
「
(少々?)
その瞬間、温厚なマンハッタンカフェの堪忍袋が爆発した。
ギギギ、と軋み音を奏でながら虚空へ金色の眼をやる。すると、そこに浮かんでいた黒い影の肩が跳ねる。
気色の悪い笑みを貼り付けた彼女は、スッと人差し指を3人へ向けた。そして、黒い影――お友達をじっと見つめた。
彼女の瞳孔の中は、光をも逃がさない漆黒であった。
「あ、あの、マンハッタ____あびゃっ!?!?」
「ふぇっ!? フクキタルざっ……!?!?」
「わぁあ二人とも゛……っ」
ゴッ、と重たい音が3回鳴り響いた。
「二度と、こんなことはやめてください」
「い゛や゛、その…… すいませんでした……」
無表情だが、どこかスッキリした様子のマンハッタンカフェへ、3人のウマ娘は、煙を吹き出す頭を深々と下げるのだった。
「……で、話したいことが、あるのなら…… 聞くだけ、聞きますよ。……フクキタルさん」
瞬間、マンハッタンカフェの目の前で、だるまの飾りと黄色のクローバーの飾りを付け根につけた耳がピコンと立ち、机に額をつけていた少女――マチカネフクキタルの顔が勢いよく上がった。
その表情は、まるでメシアを拝む敬虔な信徒のようで、マンハッタンカフェは思わず身をひく。
「……な、なんですか」
「はっ!いや、これでこの
「……」
パッと表情をかえ、えへへと頭を掻きながらそう呟くマチカネフクキタルをよそに、マンハッタンカフェは背筋に冷たいものを感じていた。
一体、彼女は自分に何を
「……あのぉ〜、ちょっと、お顔がすぐれないような〜」
「……いえ、少し寒いだけです」
「そうですよねぇ〜! 寒いし走れないし、ほんとこの霧勘弁して欲しいですよ〜……」
マチカネフクキタルから一歩引いたところに立つ二人――メイショウドトウの心配と、楽観的な雰囲気を纏っているマチカネタンホイザに目配せをし、ふう、と息をついたマンハッタンカフェは、金色の瞳を、目の前の水晶に向ける。
「早速ですが、さっきおマチさんが言った通り、五日前から続いている謎の濃霧のせいで、私たちは連日かなりの制限をかけられて生活しています。
そこで、私たちは現状を変えるために立ち上がったのです!!」
ピンと人差し指を立て、水晶の光で影を濃くしたマチカネフクキタルは、十字に煌めく瞳で、俯く黒髪の少女の方をしっかりと捉える。
「というのも、私は知っていたんですよ、昔々、平安の世の書物に、
「……えっ」
ピクリと耳を震わせたマンハッタンカフェの様子を見ながら、マチカネフクキタルは静かに語り続ける。
「とはいえ、起こった事態は全然違うんです。その書物には、ある日突然“激しい嵐が吹き荒れた”り、“小さな池が日上がるぐらいの熱波と日差しが降り注いだ”、と書かれていました。ウマ娘も人間も大勢死んだ、とも」
「……」
よくあるお伽話か何かじゃないのか、そう口を開こうとするが、その前にマチカネフクキタルは目線を変え、あくびをしていたマチカネタンホイザへ目配せする。
「はいはいっ!」
すると、彼女は机の足に立てかけてあった紙袋から二つの古びた紙を引っ張り出し、水晶玉を脇にやって机に広げた。
「お伽話だと思ったでしょう? あるいは台風や真夏日が誇張されて伝わったか。お母さんに読み聞かせてもらった時、私もそう思っていました」
その紙に描かれていたのは、人を襲う二体の怪物を描き表した絵であった。
「それは、私が昨日自宅から持ってきた、その話が書いてあった書物の一部です。もちろんコピーですが……」
片や、鋼鉄のような灰色の体色の身体に、頭から首の後ろにかけて逆立った外角、爬虫類と哺乳類を混ぜたような足つきにしなる尻尾。そして、背中に生える一対の翼で飛翔し、人々へ暴風を吹きかける絵。
片や、燃え盛る家屋の屋根に居座る、後ろに湾曲した立派な角に鬣、紅蓮の髭を蓄えた、まるでライオンのような風貌に、先ほどと同じく巨大な翼と尻尾を携えた姿を克明に写し取った絵。
双方、描き手の鮮烈な恐怖が伝わってくるような見事な代物である。
「……」
____だからだろうか。マンハッタンカフェは思わず、両手で脇の下を握りしめ、少し落ち着かなそうに呼吸を浅くしていた。
見るものに不思議な力を感じさせる絵が、彼女の脳裏に巨大な影を思い起こさせるのである。
腹這いの四足歩行で、ぬるりとした巨大な翼を携えた、紫色の怪物の影を。
そして、そんな様子のマンハッタンカフェを見逃すほど、マチカネフクキタルの紫光を湛えた瞳は鈍くなかった。
「……やっぱり」
目を見開き、マンハッタンカフェは顔を上げた。
鳥肌が立っていくのを感じながら、彼女は唾を飲み込み、その先の言葉を待った。
水晶の光がずれ、顔の半分が影に埋まったマチカネフクキタルは、普段の姿には似合わない真剣な表情を浮かべ、
「もし、話の中の異常気象がこの怪物が引き起こしたとすれば。……話の中の異常気象は、あくまでも一地域を襲った災禍なのです」
「……っ」
____彼女の話は、あまりにも現状と似ていた。
ただ、起こっている現象が嵐なのか日照りなのか、全てを包む濃霧なのか。その違いしか無いように思えた。
マンハッタンカフェは、耳を前に倒して、金色の震えた瞳を、十字に煌めく瞳から外した。
「……こう回りくどくいくのはよして、この際直球で質問します」
しかし、マチカネフクキタルは、今にも逃げ出しそうなマンハッタンカフェを、その眼力で射抜いていた。
彼女は、机に肘をついて口の前で手を組み、その言葉を口にした。
「あなたは二日前、アグネスタキオンさんと一緒に無断で練習用コースの中に侵入して、
「やめてっ……」
か細い声が、問い詰めるような姿勢のマチカネフクキタルの言葉を断ち切った。
背中を丸め、頭を守るようにしたマンハッタンカフェは、溢れ出る記憶を振り払うように頭を何度も振りながら懇願する。
「……もう、やめて、ください」
「……ごめんなさい。でも、やはり
迷子になった幼子のように、震えが止まらない様子のマンハッタンカフェをみかね、メイショウドトウとマチカネタンホイザは彼女のそばに駆け寄る。
「なら、この記録に残っていた
表情の窺えないマンハッタンカフェの身体が再び震える。
マチカネフクキタルは視線を鋭くし、一つため息をつく。
「レースです」
「……れー、す?」
机の下から壁を一枚隔てたような声が聞こえる。すると、マチカネフクキタルは口元に強かな笑みを浮かべ、
「そうですっ! この日ノ本の国において、レースとは元来儀式の性格が強いものだったのはご存知でしょうっ? この記録によると、化け物は“レースによって人々の想いを背負った
一人舞い上がり、拳を暗幕の天井に掲げて熱弁するマチカネフクキタルを、マンハッタンカフェは震えた視界に収めていた。
何故、そんな話を自分に聞かせるのか。
何を自分に期待しているのか。そんな不安感が再燃して、一層強まり出したのである。
いや、それすらも凌駕した確信が、マンハッタンカフェにはあった。
「……なにをっ」
背中をさする手を振り払い、マンハッタンカフェは立ち上がり、しかし、そんな豹変に眉ひとつ動かさないマチカネフクキタルの鼻と自分の鼻が擦れ合うほどに顔を突き合わせ、
「
「……」
マチカネフクキタルは、自身の胸中を曝け出した。
「あなたに、巫女を勤めてほしいのです。カフェさん」
『待ってくださいカフェさん!! どうか私たちに協力してください!」
『知りません! 聞きたくもありません!!』
『時間がないんですよ!! この霧が発生してもう5日、VRウマレーターの筐体にも限りがある! みんな我慢の限界なんですよ!! 練習用コースにウマ娘達が立ち入れば怪物が何をするかわからないし、そもそもこの霧の中走れば何が起きるか……!!』
『嫌、です!!』
『あぁっ!カフェさん……』
「いや、いや……」
二日ぶりの寮へ帰ってきたマンハッタンカフェの表情は、凄惨を極めていた。
誰もいない部屋へ足を踏み入れ、そのことに少し安心した自分が嫌になって、表情はさらに悲痛さをました。
電気もつけず、きれいに整えられたベッドへ着の身着のまま飛び込む。そして、自分の匂いが染みついた毛布に鼻を押し付けた彼女は、枕を自分の頭に押し付けた。
「……っ、く、ぅう……」
毛布にこぼれ落ちる雫。そこに篭っているのは、後悔と恐怖とが混沌とした彼女の心であった。
「
(関係ない……関係ない! だって、私がやらなきゃならないことじゃないんだから……! 私はただのウマ娘なんだから……! )
「……ふんぎゃぁあ〜ッッ!!!!」
次回、「