霞の奥の幻影   作:にわとり肉

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 いっぱい高評価きて驚く通り越してビビってます。感謝です!


緊急事態発生(キンキュウジタイハッセイ)

 『ただいっ……』

 

 ____昨日、トレセン学園から帰宅したユキノビジンは、着の身着のままの状態でベッドに突っ伏し、制服に皺が寄るのも、艶やかな黒髪が口に巻き込まれているのも構わず、すやすやと寝息を立てている同居人――マンハッタンカフェの姿を昨日目撃したが、実のところ、その前から、彼女を強く心配しているのだった。

 

 というのも、始まりは二日前。誠実で真面目だと思っていたマンハッタンカフェが、禁止されていた練習用コースに踏み込み、意識不明になって帰ってきたという話が舞い込んできたことである。

 コースへ侵入したという話だけであれば、彼女にもそんな一面があるのだという新たな理解に繋がり、冷静で穏やかに笑う彼女への親愛の念がより一層高まるというものではあるが、そこで意識を失って二日も寝込み、面会にもいけなかったというのだから、ユキノビジンは、一人ぼっちで寂しい部屋へ彼女が戻ってくるまでは気が気で無かったのであった。

 ____そして、やっと帰ってきたと思えば、布団の上で行き倒れていたのであるから、心休まるどころか、心配が上乗せされるのはいうまでもない。

 

 『……心配を、かけて…… すみません』

 

 霧に包まれ薄暗くなっていた外が、陽が落ちて暗闇に包まれた頃、マンハッタンカフェは目を覚ました。

 ユキノビジンがかけた薄手の布団を肩にかけ、乱れた息を整えることなく言葉を紡ぎ、まるで敗北者のようにベッドに腰掛け、項垂れる姿。それを見て、ユキノビジンは用意していた言葉が飛んだ。

 

 一体何を見て経験すれば、こんな発狂寸前の幼子のように身を縮こまらせるのだろうか。

 

 それを聞き出せるほど無神経でもないし、どんな無神経さをもつ人間だろうと指摘できないと思わせる雰囲気が醸し出されていて、数々の寄り添いの言葉すらも飲み込まされたのである。

 

 『……』

 『……』

 

 ただ、そっと隣に腰掛け、お互いにぬくもりを交換する。いつもうっすらと感じるコーヒーの香りではなく、嗅ぎ慣れない病院の匂いを纏っている、親愛なる人の震える腰へ手を回す。

 マンハッタンカフェのささくれだった心を落ち着かせようと思ったのか、はたまた、不安がっていた自分を慰めたかったのか。ともかく、ユキノビジンはマンハッタンカフェに寄り添った。

 

 『……』

 

 その時、確かにマンハッタンカフェの怯え切った身体の震えが緩まったのを、頬が熱くなって冷たさを覚えたユキノビジンは、しっかり感じとっていた。

 

 夜中、トイレに起こされ、お腹にかけていたかけ布団を跳ね飛ばしたユキノビジンは、寝ぼけた目で、ふと、薄い布団にくるまって、白い浮き毛と耳だけを覗かせるマンハッタンカフェの方を見た。

 息苦しそうな呼吸音が耳をついたのである。

 顔までかかった布団を捲ると、むわっと熱気が顔を撫でると同時に、頬を上気させ眉間に皺を寄せる、マンハッタンカフェの儚い美貌が目に入った。

 

 『……』

 『んぅ……』

 

 思わず手を伸ばし、滑らかな頬へ掌をつけると、まるで猫が縋るように擦り寄ってくる。荒い鼻息が指先にかかり、少しこそばゆい感覚にぞくぞくしながら、しかし、彼女の胸中にあるのは、ただひたすらに、目の前で苦しむマンハッタンカフェへの心配であった。

 霧の中に青い月光が煌めく中、ユキノビジンの影は、自分のベッドへ戻ることはなかった。

 

 翌日。つまり今朝、顔を見合わせて起きることになり、どことなく気まずいような、どこか心が暖かいような感覚を覚えながら、二人は朝の用意を粛々と行い、いつも通り時間を合わせず、トレセン学園へ登校した。

 いつもなら周りに置いていかれないよう、一部も先生の話を聞き逃さず、板書に書かれた内容の一部も漏れなく、自分なりの考えをもまとめてノートに書き込んで過ごしていた授業中、ユキノビジンは物憂げな表情を浮かべ、退屈な霧の世界へ目をやっていた。

 彼女はどうしても、マンハッタンカフェに元気になって欲しかった。どうにか元気づけたかった。なんでもしてあげたいと思った。そればかりが頭を支配して、他のことに手がつかなかった。

 

 そして、結局思いついたのは、可能な限り彼女に寄り添うことであった。こんな自分でも、少しでも話し相手になってあげれば気が紛れるかもしれない。そう考えた。

 

 「……」

 「……」

 

 ____そして、昼時にかぎり、濃霧が府中市を覆ってからはトレセン学園の中で一番盛況していると言ってもいいカフェテリアの一角。二人席の丸机を囲む二人――ユキノビジンとマンハッタンカフェは、恐ろしい程静かに食事を済ませ、互いに口をつぐんでいるのだった。

 ガヤガヤと騒がしい周囲とは裏腹に、思わず唾を飲み込みたくなるような静寂に耐えかね、白いカチューシャをしきりに弄るユキノビジンとは裏腹に、マンハッタンカフェは、芳醇な酸味を湛えた香りを熱と共に伝えるコーヒーカップに目を落としていた。

 琥珀色の瞳を右往左往させ、かろうじて顔に笑みを貼り付けているユキノビジンであったが、脳内ではシナプスの信号が激しく会議を行なっていた。

 

 (むうう……! なに気圧されでらンだわだす! 何が、何が面白いごどの一づや二づ____)

 「……ごめんなさい」

 

 へ、と気の抜けた声が、間抜けに開いた口から漏れた。

 そんなユキノビジンをよそに、カップを口元へ運び、ずずっと音を立てたマンハッタンカフェは、ほっとため息を吐いた。

 

 「何かと、気を遣ってくれているのは、わかります…… ありがとう、ございます」

 「へぁっ! いやいやなんもそった……」

 

 かちゃんとカップを小皿へ戻した彼女は、揺れ動く黒々とした鏡面に映る自分を眺めながら、重い口を無理やり開く。

 

 「でも、無理はしないで……ください。私は、大丈夫、ですから____」

 「……」

 

 瞬間、ユキノビジンの行動を決める脳内会議が吹き飛んだ。代わりに、彼女の難しそうにしていた表情は、ムッと顰められた。

 目の前のクールで憧れで大好きなポンコツの愚かな考えを正してやらなければならないと即決したのである。

 

 「……何へってンだが、カフェさん」

 「え……」

 

 ぷんすこ、と擬音がつきそうな勢いのユキノビジンに、今度はマンハッタンカフェが、沈痛な面持ちを間抜けにぽかんとさせた。

 ふんとそっぽを向いて少女は言葉を続けた。

 

 「勝手さ決めづげで…… 一人でどうにもでぎねってわがってらども、なンでそうしょしがり(恥ずかしがるの意)あんすかね?」

 「……え、えっと」

 

 頭に血が昇ったからだろう、普段は抑えていた地元の方言を全開にして捲し立てているため、マンハッタンカフェは二重の意味でたじたじである。

 追い打ちをかけるべく、ずびしと指を差したユキノビジンは、勢いそのままに本音をぶちまけた。

 

 「わだすは! カフェさんにもっともっと頼って欲しいんですっ!! 何だってやりあんすよ! カフェさんの、為、なら……」

 「……」

 

 そんな、精一杯怒っているユキノビジンの表情は、どこまでいっても子猫が威嚇してきているような小動物的可愛さが付き纏っていて、彼女を惚けたように金色の瞳で見つめていた彼女は、

 

 「……ふふ」

 

 ようやく、凝り固まっていた表情を解いた。

 しかし、あくまでもそれは弱っていて、それでもユキノビジンの勢い任せをくじくには十分なのであった。

 かあっと赤く染め上がっていくボブカットの少女の耳に、周囲の騒然とした物音が聞こえ始めた。

 

 「……本当に、ありがと____」

 「うわぁあ! ぁあ! 早速、えーどコーヒーでも淹れできあんすねぇ!?」

 「あ、ユキノさん……」

 

 ひゃーと顔を手で扇ぎながら、ドタバタと立ち上がり、生徒が使用できるキッチンの方へ、ウマ娘の障害を縫ってあっという間に駆けていってしまったユキノビジンの後ろを追っていたマンハッタンカフェは、久しぶりに思える安らぎを覚えた。

 ふと、波ひとつない眼下の水面を見ると、そこに写っていたのは、ふやけた自分自身であった。

 

 「____」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ゔふっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い水面に写る表情が吐き気に苛まれ、激しく波打った。

 

 「あッ……ぐあっ!?」

 

 覚えがある感覚。強制的に情報が流し込まれ、自我が身体から溶け出ていくような、気持ちいい気持ち悪さ。

 

 (二日前と、おなじっ……!!)

 

 しかし、あの現象は“お友達”に思念の中継をしてもらったが故に誘発できたもの。

 今回のそれは、より一方的に自分という器に感情の濁流を無理やり詰められていくようで、その苦痛は以前の比ではないのであった。

 何よりも、その感情の波の色は、ドス黒い負。

 

 「怒って、いるの……?」

 

 そう呟いた時、

 

 「きゃあっ!!?」

 「何!?」

 

 ズン、と、カフェテリアに衝撃が走った。

 激しい頭痛と吐き気にえずきながら、机の上に伏せって苦しみ悶えるマンハッタンカフェの身体を、もう一度地震が揺さぶった。

 

 『____い』

 

 何かが崩れるような音がした。

 

 『__いたい』

 

 再三カフェテリアへ激震が走る。

 そして、

 

 「ひゃっ____!!!!」

 

 それと同時に、本来雄大な練習用コースが一望できた窓側の席が、土埃と爆音に巻き込まれて吹き飛んだ。

 すぐ近くに立っていたウマ娘の顔に、風圧と砂が降りかかった。

 

 『いたい!!』

 

 ____!!!!!

 

 悲鳴と恐慌に満ちたカフェテリアに、ぽっかりと穴が空き、剥き出しの鉄筋が虚しく瓦礫をぶら下げているのを押し除け、瞬時に霧が手足を伸ばして侵食を始める。

 

 「やだやだ!?」

 「逃げて!!」

 「いやぁあ!!!」

 

 逃げ惑うウマ娘達が、机や椅子を蹴倒し、低木の植え込みを飛び越え、一斉に校舎側の出入り口へ殺到していく中、霧の中で不気味に金色の眼光を湛えたマンハッタンカフェもまた、脈動と共にジクジクと痛む頭を手で押さえながらへたり込んだ脚に力を込める。

 しかし、まるで恐怖にすくんだように、彼女の脚はいうことを聞かない。

 何故なら、カフェテリアという狭い空間を侵略して支配した雰囲気こそ、彼女がもう二度と感じたくないと願ってやまなかったものそのものであるから。

 

 『____むかつく? これがイラつく? いたい、くちいたい? いたい、いたい』

 

 突如、霧に包まれた虚空に、黄緑色のガスが漏れる。それは、まるで吐息のように一定のリズムで空間に漏れ、ゆっくりと移動を開始した。

 それを見て、マンハッタンカフェの体に震えが蘇る。

 

 (あれは間違いなく霞龍(カスミリュウ)……!! でも、何であんなに___)

 「カフェさん!!!」

 

 ハッとして耳を立て振り向くと、そこには、土埃で頬を汚した、琥珀色の目をしたユキノビジンが心配そうにこちらを見つめて立っていた。

 それを見て、マンハッタンカフェの背筋に冷たい汗が伝う。

 

 『いら、いらいら、いらいらいら』

 

 黄緑色のガスの移動が止まり、まるで神経質に周囲を窺っているように尾を引いて左右に振れているすぐそばで、マンハッタンカフェは血相を変えて、

 

 「ユキノさん……! 何やってっ…… 早く逃げて、ください!!」

 「腰抜がしてんでねすが!! 放っておげねえです!」

 

 なりふり構わない叱咤も聞かず、マンハッタンカフェの脇に腕を通し、最も容易く軽い体を持ち上げ立たせたユキノビジンは、勇ましく息を吐き、いまだに人でごった返す出入り口へ身体を向けた。

 

 「急さ壁爆ぜるなんて、都会ってとんでもねえどごだなあもお!! っと!」

 

 視界が著しく悪く、転がった椅子や机が足元を阻むが、大きな独り言を喋りながら、マンハッタンカフェに肩を貸して進むユキノビジンの健脚はものともしない。

 揺れ動く視界は、着実に人混みの中へ近寄りつつある____

 

 『……』

 

 ____その時であった。

 心臓を絡め取られたような悍ましさを、猛然と逃げていた二人のウマ娘は同時に感じた。

 耳をはためかせ、二人で周囲を見回すも、見えるのは霞に包まれた、荒らされ尽くしたカフェテリアの様相である。

 

 「ゔっ……!!」

 

 途端、マンハッタンカフェの脳に再び刺激が乱れ狂う。脳のしわを指先が通り過ぎていくような不快感が、後頭部から前頭葉に流れていき、額の奥底で収束する。

 

 『……』

 

 幻聴か、マンハッタンカフェは、あの怪物の()()を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、マンハッタンカフェは身を投げ出していた。それは彼女の意思ではなかった。

 先ほどまでぴったり隣にあった温もりが、彼女の身体から消え、くっついていた部分が冷気を湛えた。

 

 「うわわぁっ!?」

 

 先ほどまで間近で聞いていた声の悲鳴が、かろうじて自立したマンハッタンカフェの後ろで鳴った。




 ____モウ、コワガッテイナイノネ。
 「あ、あれ、なんでカフェさんがここにぃ〜……?」
 「……やぁ」

 次回、「決意(ケツイ)
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