織斑一夏はテロリスト ―『お父さん』と呼ぶんじゃねぇ― 作:久木タカムラ
月曜日の放課後、第三アリーナ。
噂の男性操縦者とイギリス代表候補がタイマン張るだけあって観客席はほぼ満席。特に最前列は異様な興奮と熱気に包まれ、携帯片手に手摺りから身を乗り出した生徒が教員に注意される光景がそこかしこで見られた。惜しくも陣取りに敗れた子達の中にも最後列――高い位置から望遠レンズ付きのカメラで狙う写真部らしき猛者がいたり。
何ともはや、本人達にとっては意地とプライドのぶつかり合いでも、一般生徒達の目には娯楽と映ってしまうようだ。お偉方みたいに性根が腐敗してないだけマシとは思うものの、薄い本作りに夢中な別の意味で腐ったお嬢さんらもいらっしゃるので素直に喜ぶ事はできない。私×少年本なぞ悪夢以外の何物でもないっつーの。
ともあれ、試合開始まであと十五分を切った。
少年が白式を待つAピットには野次馬が大挙して押し寄せていたけれど、対してオルコット嬢が待機するBピットの通路にはほとんど人がいない。人望の差――と言うよりもただ単純に好奇心の違いだろうが、心なしか照明も薄暗い気がする。
まあ、好都合なんだけどさー。
「つーワケで入ったぞー」
「せめて一言くらい言ってから入ってほし――織斑先生!?」
ピット・ゲート前で静かに調息を行っていたセッシーが、私の顔を見て驚きの声を上げる。
うん、オジサンちょっとだけ満足。折角の自信作だし、多分きっとすぐ姉上様にバレて半殺しにされるだろうし、せめてそれぐらいの反応をしてくれないと作った甲斐がない。
「クフフフ、織斑先生だと思った? ねえねえ、織斑先生だと思った? 残念、田中・シュミットスミス・菅原太郎・ジョン道真だ」
「もはや何処からツッコミを入れて差し上げたらよろしいのか微塵も分かりませんわ! 何ですの何なんですの、そのアルセーヌ・ルパンの三代目もビックリな特殊メイクは!?」
「あまりに暇なので作ってみました『
「高っ!? ですわ!」
「おまけで『山田先生なりきりセット』などもございます。こちらは伊達眼鏡とウィッグと肌色に着色したシリコンの塊を二つもつけまして千五百円なり」
「いきなり安価になりましたわね。と言うか、眼鏡とウィッグはともかくシリコンなど何に……」
「いやほら、乙女の見栄ってヤツ?」
「…………ああ」
どうやら、このぷよんぷよんの用途に気付いたらしい――オルコット嬢はISスーツに包まれた己の胸に手を置き、微妙な表情で私の持つ母性の象徴もどきに目をやった。ちなみにコレ、素肌にピッタリと張り付く上に市販の偽乳よりも繋ぎ目が目立たないと言う事で、母性を象徴するとある部分が慎ましやかな女生徒達に好評を博しちゃってたりして。噂が広まって夏までに欲しいと追加注文まで来てるんだけど、完全手作りだしどーすっかなぁ。
「もう、気を落ち着かせていたのに台無しですわ」
「私としちゃあ激励のつもりで来たんだけどね。少年ばかり注目を集めちゃいるが、データ収集が目的じゃない本格的な試合は
オルコット嬢の顔が微かに曇る。
「それは……」
「少年もお前さんも入学したばかりの一年生。操縦技術や経験値に一日の長があっても、そいつは適性の高さと英政府の後押し、稼働実験を積み重ねた結果に過ぎない。織斑先生なら『筆記試験を受けてちょっと練習しただけの仮免かアマチュア』と辛口評価するかも知れんね」
「…………そんな事をおっしゃるためにわざわざ来たんですの?」
「だぁかぁらぁ、励ましに来たんだっつったでしょうよ。水を差したおかげで皆からあからさまに避けられていたセシリア・オルコットさん?」
気付いていないとでも思っていたのか。
二十年前から――いや、物心ついた時から薄々感じ取ってはいた事だが、男と比較して身体的に非力な分、女は嫌いな相手を精神的に追い詰める事に長けている。
女手一つで私を育ててくれた姉さんに対する、偏見と侮蔑に満ちた眼差し。
名前が変わっていると言う理由だけでイジメの標的となった凰。
心の薄汚れた女共が陰に隠れて嘲笑っていた事を、私は決して忘れてなどいない。
今回はあの時ほど陰湿ではないけれど、学食の片隅でもそもそとランチを食べるオルコット嬢の背中には明らかな寂しさが漂っていた。
「憐みの言葉など必要ありませんわ。わたくしは別に独りでも――」
「じゃあどうして辛そうな顔をしてるんだ?」
「…………」
「孤独は怖いよ? どうしようもなく」
オルコット嬢は唇を噛み締めるだけで何も言おうとはしない。
言わないのか、言葉にすらならないのか――それは彼女にしか分からない事だ。
やがてぽつりと、
「………………先生の、勘違いです」
「ならいいんだけどさ」
無意味な会話はそれ以上続かず、オルコット嬢は懐かしき第三世代機『ブルー・ティアーズ』を展開して逃げるようにピット・ゲートから飛び出して行った。その際、こちらをちらりと見た気がしたが、それはやはり私の勘違いなのだろう。そう言う事にしておこう。
彼女を助けるのは少年の仕事だ。
「ほんじゃ……私もぼちぼち準備するとすっかね」
◆ ◆ ◆
結果だけ言うと、少年が負け犬になった。
未来を変えるような大番狂わせも起こらず、ボロボロになってミサイル食らって
私とて試合終了後に姉さんや篠ノ之からボロクソに言われた記憶があるが、確かに酷評されても仕方のない戦い方だった。リアルタイムモニターで見ているとそれが良く分かる。
つー事で、ハイみなさんご一緒に。
「まーけっいぬ♪ まーけっいぬ♪ まーけっいぬ♪ まーけっいぬ♪」
「あの、せめて千冬姉の顔で言うの止めてくれません? かなりグサッと来るんですけど……」
「織斑先生と呼びたまえよ、フゥーハハハグフッ!?」
流れるような動きで世界最強戦乙女のフランケンシュタイナーが炸裂。
重量級のISだって支えられるはずの床材が陥没し、オーバーキル気味なローリングソバットによってギュルギュルと回転しつつ飛んで壁と一体化。トドメとばかりに打鉄用のブレードが何本も突き刺さり、さながらエジプトの壁画か昆虫標本のような素敵オブジェが完成した。
言うまでもなく、主な材料は私である。
「……試合の前くらい真面目にできんのかお前は」
「おおお織斑先生っ!? そんな事したら死……っ!」
「まーったく冗談が通じないんだから。私じゃなきゃ死んでますよ?」
『逆にどうやったら死ぬんですか!?』
少年、篠ノ之、山田先生のトリプルツッコミも炸裂。
ISとは全然関係のない才能を開花しつつある現実に喜ぶべきか嘆くべきか。
「いいからさっさとステージに行け。もう既にオルコットが準備万端で待っているぞ」
「此処ではなく、外に出てから展開しろと?」
「これもIS委員会の意向だ。仮にもお前は『世界で二番目の男性操縦者』――顔が隠れてしまう全身装甲では本人確認も難しくなると考えたんだろう」
「他の誰かさんが成り済ましてる可能性も否めない、と。ランスローは私にしか懐かないってのに疑り深くて大変結構でございますコト」
それならそれで別に構わない。
可愛らしいギャラリーも大勢いらっしゃる事だし、仮面のバイク乗りみたいに精々カッチョよく変身してやろうじゃないか。目指せ細川茂樹だぜ。
重苦しい音を立てて開放されるピット・ゲート。
流れ込んでくる歓声。
いいねぇいいねぇ、オジサン年甲斐もなくワクワクしてきちゃったよ?
「あ、そうだ。少年、ちょいと預かっといて」
「え……うわっ!?」
作り物なんだからそんなに驚かんでもいいでしょうに。
「これ、千冬姉の顔っ!」
「気に入ったんならあげるけど?」
「もらって何に使えってんですか!?」
「ダッチな奥様に被せて使うとか」
「持ってないです! ってかこんな状況でまさかの下ネタ!?」
そう言えば昔の私って、超・朴念仁なだけでエロ本とかは普通に持ってたんだっけか。だったら矯正の仕方次第で少しはまともになるかもねぇ。
まあもっとも、公序良俗に厳しい姉ちゃんとお堅い幼馴染と純情初心な女教師がいるのに思わず口走ってしまうようじゃあ、まだまだ女心を理解するには程遠いけど。
「大丈夫! 少年が友達に預けた裸のお姉さんの写真集については口外しないから!」
「今バレちゃいましたよね!? しかも肉親と幼馴染に!」
「……織斑、後で話があるから寮長室に来い」
「私もだ。部屋で待っているから逃げるなよ一夏」
「………………(真っ赤っ赤)」
「おやおや、今晩は大忙しだねぇ少年?」
「誰のせいですか誰の!?」
そりゃあ文字通りの自業自得でしょうよ。
般若と修羅に両肩を掴まれて地獄行きが決まった少年を残し、お偉いさん方の希望通りに徒歩でゲートを通り抜けてステージに出る。
それまでの歓声がどよめきに変わり、生まれるのはざわざわと戸惑いを含んだ会話。
意に介さないのは当事者の私と、六機のビットを従えたオルコット嬢だけ。
「……待たせたかな、
「これがデートならとっくに帰っていましたわね」
「そいつぁ申し訳ない。こっちにも事情があったもんでね」
胸ポケットの中で待機状態のランスローが鳴く。
早く戦わせろと、堪え切れずに打ち震える。
分かったよこのお転婆娘め。あの
さぁて、紳士も淑女もクソ野郎共もとくとご覧あれ――
「――ランスロー」
今の私ならISの展開に一瞬の間も必要ない。
全身を柔らかく包み込む黒灰色の鎧。
命令に従順でありながら、しかし擦り寄ってじゃれつく子どものように気まぐれで、だからこそ白式以上のポテンシャルの高さが期待できる。
試合開始の鐘が鳴り、互いの距離は約二十メートル。
「お行きなさい、ブルー・ティアーズ!!」
オルコット嬢の号令の下、ビットが宙を舞う。
ふむ、多方向からの同時射撃を行い、まずはこちらの出鼻を挫く算段のようだが――残念ながら射程範囲内なのはこちらも同じなんだよねぇ。
「たった六機でどうにかできると思いなさんな」
「なっ!?」
驚愕に顔を歪めるオルコット嬢。
私を包囲して飛び交っていた六機のビット全てが、見えない『何か』に圧し潰されたかのように地面に埋まってしまったのだ。理由が分からないのだから混乱して当然。
「一体何が……動きなさい、わたくしの言う事を聞きなさい、ブルー・ティアーズ!!」
いくら叫んでも無意味。
これは誤作動でもなければ操作ミスでも命令系統の不備でもない。
ビットの出力を超える力で強引に縫い付けられているだけなのだ。
たかだか六機――私の知るセシリア・オルコットの全力には、二十機以上の青い雫を同時に操る彼女には到底及ばない。
「じゃあ始めようか、寂しがり屋のお嬢さん。キミにもう一度『強い男』ってのを見せてやる」