例えば、その違和感は。
「私は、生徒たちの味方だよ」
「……あ、あぁー……。生徒たちの味方、かぁ……そっかぁ……それは予想外だったなー……」
確かその時、ミカはぐっと手首のシュシュを握りしめて、眉を八の字にして困惑していた。
「……その、先生は一応、私の味方である……って考えてもいいのかな? 私も一応この立場とはいえ、生徒に変わりはないんだけど……」
「もちろん、ミカの味方でもあるよ」
「……わーお。さらっとすごいこと言ってのけるね、先生」
目をまんまるにして真っ赤になったのも一瞬、ミカはシュシュから手を離した。
「その言葉、忘れないでね? 先生」
「もちろん」
ふっと微笑んだミカが、まるで別人のように見えたのを覚えている。
◇
補習授業部がアリウスと戦っている中で、突如現れたミカはオトと名乗り、自らがトリニティの真の裏切り者であると明かした。
曰く、オトはミカの肉体を乗っ取ってアリウスを支援していた。
聖園ミカが嫌いで、ミカの居場所であるトリニティも嫌いだからめちゃくちゃにしたかった。
セイア襲撃を手引きしたのは、オトである。
(なんだか、釈然としない)
オトは補習授業部やシスターフッドとひとしきり戦ったあと、セイアが生きていると聞かされ、「そう、生きていたんですか……興醒めです。ええ、降参しますよ」とあっさり投降してみせた。そのまま拘束され、今は投獄されているという。
ティーパーティーの聖園ミカが何者かに肉体を奪われトリニティを裏切ったという話は、補習授業部、シスターフッドと正義実現委員会、そして桐藤ナギサの間でのみの秘匿とされた。しかしながら関わった人の多さから、オトを連行した正義実現委員会やたまたま目撃した一般生徒、そしてティーパーティー傘下の生徒というようにあっという間にトリニティ中に広まった。
牢の周りでは連日、「ミカ様を返せ」などといった言葉や罵声が飛び交っているらしい。肉体はあくまでミカのものであるために、物を投げ込むなどの強硬手段に出る生徒がいないのが不幸中の幸いだった。
取り調べに応じたオト本人によれば、オトはミカの二重人格などではなく、あくまで別人と主張しているそうだ。当然、ミカが演技しているわけでもない、むしろミカの演技をしていたというのがオトの言い分である。
……そして、投獄されてから今に至るまで、ミカの意識が戻ることはなかった。
オトに聞いても、ミカの意識を戻す方法なんて知らないし、仮に知っていてもやるわけがないの一点張り。救護騎士団がカウンセリングをしてみても無駄だったそうだ。
(オトと話さないと)
意外にもオトが面会を拒むことはなかった。そうして実際に顔を合わせた牢の中のオトは、まるで自室にいるかのようにめちゃくちゃくつろいでいた。
ミカの時はサイドでお団子にされていたロングヘアはシニヨンにされ、メガネに体操着で本を読んでいる姿は確かにこれまでのミカからは想像できない格好だ。オトはこちらに気付くなりぱたりと本を閉じて顔を上げた。
「……あ、先生ですか。こんにちは、二度目まして……ですね?」
「こんにちは、オト。ところで、ちゃんと寝てる?」
オトの顔には、黒々とした隈が刻まれている。オトは嫌そうな顔をしながら、「それ、先生に関係あります?」と答えた。
「関係あるよ。だってオトも、私の大事な生徒だから」
「あー……まあ確かに睡眠不足は聖園ミカの体にはよくないですよね。まあ知ったこっちゃないですけど。あと、わたしはあなたの生徒じゃないので」
「オトも生徒だよ」
「学校に通ったことすらないですよ?」
「でもオトは、『トリニティ』の裏切り者って名乗ったよね?」
トリニティの裏切り者と名乗ったということは、逆説的にトリニティに所属しているということになるはずだ。
オトは黙ってひとしきり考えたあと、口を開いた。
「はいはいそうですね、確かにそう名乗りました……分かりましたよ、そんな目で見ないでください。もー……わたしもあなたの生徒ってことでいいですから。どっちにしろやることは変わらないですし」
「やることって?」
「運命を変えること」
「……え?」
「冗談です。聖園ミカの満たされた生活をぶち壊して、わたしがわたしとして生きる……こんな答えで満足ですか?」
「うーん……それ、なんだか違和感があるんだよね」
「違和感?」
「そう。例えば……どうしてオトはあの時、黒幕として名乗り出たの? 今まで通りミカとしての演技を続けていれば、きっとこんな風に投獄はされなかったでしょ? それにミカの評判を貶めたいなら、そのままミカとして黒幕だと名乗り出ればよかったんじゃない?」
「それは……」
一連の事件で疑問に思ったことを尋ねると、オトはまたしばらく考えたあと、ぽつぽつと話し始めた。
「わたしのこと、知ってほしかった……って言ったら、笑いますか? ミカが眠っている時にしか出てこられないわたしが、ようやくこの体を扱えるようになったんです。それなのに……わたしがいるってことを隠していたことに、限界が来たとでもいいますか……笑えますよね?」
「笑わない。オトだって、一人の生徒だ」
「……」
「じゃあ、これは質問なんだけど。補習授業部の合宿でアズサのことを教えに来てくれたミカは、オトの演技?」
「そうですけど、それが何か? 今ここで聖園ミカの真似でもしてみれば納得しますか」
「えっと……」
オトはメガネを外して、これまで浮かべていた仏頂面から、無邪気な笑顔を作ってみせた。
「ね、先生? 初めて会った時、ナギちゃんにロールケーキで黙らされたの覚えてる? あれ酷いよねー、仮にも幼馴染なのに。まあその幼馴染が入れ替わってることに全く気づかないの、ちょっとどうなのって思うけど……。先生ったらあの時プールでも、私の味方、だなんて。あれ、演技してるわたしも結構恥ずかしかったんだよ? なんてね☆」
「……うん、分かった。もう無理して演技しなくていいよ」
オトはあの時話したミカのようにころころと表情を変えてみせた。それはこれまで会って話してきたミカと全く同じように見えて、どこか違和感が拭えなかった。
「はぁ……結構疲れるのでもうやりたくないですよ、これ」
「オト、プールで私が言ったことを覚えているなら話は早いんだけど……私は、当然オトの味方でもあるから」
「……はいはいそうですかー。……なんですか? え? 別にわたしは聖園ミカみたいに赤面したりしませんよ? そんな期待したような目で見られても困ります……困るって言ってるでしょう」
オトは顔を本で隠しながら、早口でまくしたてた。
「もう帰ってください、わたしが話せることはもうないですから」
「また来るね」
「来ないでください」
オトは目を閉じて対話を拒否していた。
これ以上の対話は逆効果になりそうだと判断して、牢から離れようとオトから背を向けた時、か細い声が聞こえた。
「お願い……先生、たすけて」
とっさに振り向くと、オトは頭を押さえ、目を開いて顔を歪めていた。
「今、助けてって……」
「聞き間違いでは?」
「いや、でも」
「聞き間違いです! 気のせいですよ、ほらさっさと帰ってください」
「……そっか。なにか差し入れで欲しいものある?」
「コンシーラーでも差し入れるように桐藤ナギサに言っといてください! いいから帰って!」
「ちゃんと寝るんだよ?」
その剣幕に今度こそ、牢から離れざるを得なかった。
◇
先生がくるから外から見えない位置に隠していたが、牢の中には缶コーヒーや冷えピタのゴミが積み上がりつつあった。
「嘘つくの疲れる……これで何徹目だっけ……いい加減限界が近いかなぁ……」
わたしの部屋には戻れない。こんなことをしているからミカに合わせる顔がないし、戻った隙に体をミカが取り返すと全部ご破産になってしまう。眠ったり意識を失ったりすればわたしは強制的に部屋に戻ってしまうから、寝ないという強行手段を取ったがそろそろ限界だった。
……というか、さっき一瞬ミカ出てきてた?
しっかり鍵をかけたはずなのに。やっぱり一度ちゃんと眠って、改めて鍵をかけ直したほうがいいかも。
ベッドに横たわり目を閉じれば、体は限界だったのかあっという間にわたしの意識は落ちて、気づけばわたしは部屋の入り口に立っていた。
……そして扉のあった位置には、大穴が空いていた。
「どういうことなの……」
どうやらミカは、扉をぶち破って脱走したらしい。