「勲功灼かなる閣下におかれましては、大変恐縮ですが彼の為に死んでくださいますよう是非ともよろしくお願いいたします。」
「はい。そうです。あすこに居られる方です。ヱぇ、今はぐっすりと休まれております。つい先ほど、痛み止めを投与したばかりですので。はい、貴方の奉仕の精神に心より感謝を…。」
「…あら?どうしたのかしら、そのように暴れられて…彼が起きてしまいますわ。お静かに願います。お静かに願います。あの患者様のご迷惑になります。お静かに…お静かにしていただけず、大変残念でなりません。閣下の為に使う麻酔はございませんので、不躾ながらこちらの鈍器で代用させていただきます。触診の容量で処方いたしますが構いませんね?」
「…よろしい。鎮静されたようで大変結構。そろそろ、お時間です。彼の為に御夕飯を用意しなければなりません。えぇ、このまま時間を遅らせると交渉が間に合いませんわ。はい?あぁ、将官用にと用意されていた余分な食材を重傷患者に振舞う許可申請です。ヱぇ、これから丁度一床開く予定ですので。彼に出来立てを召し上がっていただくためにも、可及的速やかに一名の退院が必要とされております。」
「でわ、これより投与を開始します。ご心配なく。看護の第一は看護婦が患者に危害を加えないこと、ですので。無論、痛くはありません。これは危害…ではなく、適切な処置です。ヱぇ、彼の療養計画に組み込まれた適切な処置です。そして…痛み止め等薬品や精の付く食材の確保は絶対的な優先事項です。」
「確かに、このようなことは全く不本意ではありますが…しかし患者様にも優先順位というものががございます。軍隊と同じです。爵位と同じです。戦場と同じです。同じですので、何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。」
「ご安心を、その功績から勲章の授与が決定していると閣下ご自身も仰っていたではありませんか。おめでとうございます。ところで、閣下の麾下部隊の死傷率がどの程度かご存じでしたか?あら、ご存じない…それは残念です。もうお話しすることもございませんので私はこれにて。」
「…もう聞こえておりませんね。…そこのアナタ、軍医殿をお呼びして。あと、厨房に重傷患者用のメニューを一食分、将官用の食材で仕上げる様にお言いなさい。ヱぇ、腕を振るう様にと言伝を。腐らせてしまっては勿体ないもの。」
01「彼の為に死んでください」不撓不屈の天使1
新月の深夜。クリミアの野戦病院にて。二人分の影。
「キスしておくれよ。どうせ今晩の命だ。きっと明日にゃ、違う男がここに寝てる。アンタの人生に、俺の足跡が遺ることは無い。だから、安心してキスしておくれ。一度だけで好い。それで逝ける。片時も忘れたりなんかしないさ。ほんの、あと数時間。時計の針が四周もする頃には、俺はきれいさっぱりいなくなるからよ。アンタがランプの灯を消して、寝床に入る頃にはもう何の未練も無くなってる。日の出前に、ここを発つ。俺にはわかるんだ。」
「だから、キスしておくれよ。向こうじゃ、自慢の種になるだろうぜ。今なら、もうどこも痛くない。うんと気持ちが好いくらいさ。だから、キスしてくれ。瞼が重いんだ。何も見えていないのに、それでも俺の瞼が開いてる内に。まだ、言葉がわかる内に。耳が聞こえている内に。」
「なあ、わかっているんだろう?もう無駄だなんてことは。ここに着いた時に思ったよ、俺はもう人じゃないんだって。すっかり色あせたもんだ。色づいてたのはアンタだけだった。アンタが憎かった。手も足も、神様に召し上げられた。でもまだ生きている。アンタのお陰だ。アンタ、看護婦失格だよ。俺だけが、今もこうして残ってる。ヘドロ以下の無能になっちまった俺だけ。子供も遺せない。戦うことも、フォークも持てない俺だけが。今日まで生きてこれたのも、全部アンタのお陰だ。何故か枯れない痛み止めのお陰だ。終わらない処置のお陰だ。自分のことを陰で笑われても結構だが、アンタに火の粉が届くのはいただけねえよ。さっさと向こうに召し上げられてたら、こうはならなかったのかもな。でもこれも俺の勘違いってことにしてイくぜ、全部な。そう、せーんぶな。」
「怒ってるのか、アンタ。そうかよ。俺も怒ってる。俺達、気が合うかもな。俺は醜く生きた。でも今はなんの後悔もない。俺のちっぽけな何かが、気高いアンタを傷つけた。例えそれがひっかき傷でも、そのことが嬉しかった。アンタも人間だって知ってるのは俺だけだろうな。金輪際、こういうことはしないでくれよ。諦めが悪いのは好いことだが、しつこいのは嫌われるぜ。金も何も返せないけど、勘弁してくれな。握って貰って悪いけど、もう指が動かないんだ。針も、もうたくさんだよ。先端恐怖症なんだ、言ってなかったか。でも、もういいんだ。さあ、これで最期さ。今度こそ、キスしておくれよ。」
「乾いた唇だね。おまけに、塩っ辛い。でも、あたたかい。あたたかいよ、フローレンス。お別れだ。フローレンス。」
そして、女は慟哭した。
「あーあ。」
「あー…。」
「ああ。あ゛。」
「ぐ…ぅ…う…ギュ、ぐぅうぅぅぅ…グッ…グゥッ…ぁ、あッ…ガッああ゛ゝ゛!!!!…ぅいっづぅぅぅ…いィやァ…ィヤぁ…あ゛あ゛ああああああぁぁあぁあああぁあああぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ゛ぁ゛……………ㇵ……ァ…アハハハハ!!!ァッハッハッハッハッ…!!!!!!!!」
例外なく、全ての過去は我らに帰結する。
ワタシは司る者。見限る者。贖う者。共に歩むもの。何れ消え去る者、過去に留まる者。無念の極み。憂愁の翳り。訪れぬ明日に、耳を立てる者。見限られた祈りに応える者。絶望と足掻きを掬い上げる者。討たれた君を抱き締める者。共に傷つき眠る者。共に苦しみ憂う者。歴史は死んでいる。記録は燃えている。二度とワタシと君の前に現れてくれるな。二度とワタシと君から奪ってくれるな。ワタシにも君にも、刻の死骸は微笑まない。神は死んで久しい。とうの昔に。歴史は死んでいる。君と共に。英雄は死んだ。君がそうだったように
我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。