史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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11「妃子笑」傾国の貴妃3

夜、玄宗の閨にて。二人分の影があった。ここの空気が澱んでいるのは、皇帝の吐く陰気なため息が降り積もった為か。だがその晩だけは違った。傾国の美女の死を、高力士に代わりその手で看取った件の宦官の上奏があったのである。生気を失っていた玄宗皇帝は、かの宦官からの上奏を耳に入れるや、見違えて血色を良くした。薄気味悪いほど、玄宗は活発的になった。そして、ある晩遂にかの宦官を自身の寝所に招き入れたのである。

 

寝所には二つの影があった。一つは宦官。一つは玄宗皇帝のものである。

 

玄宗の目的は、宦官から自身が愛した傾国の佳人の遺言、それと女が生前愛用した錦の香袋の二つを受け取る為であった。

 

 

「して、遺言とは?」

 

 

玄宗の言葉が発せられるや否や、寝所の四方に澱む薄闇の中から見覚えのある影が現れた。四人の招かれざる訪問者を認めた玄宗が言葉を発するよりも早く、玄宗の口の中に何かの塊が押し込まれた。

 

口の中一杯に詰め込まれたゴロゴロとした何かによって、ヱづくことも叶わず寝台に仰向けに倒れてしまった。薄暗い影が皇帝の真上に堕ち、同時に繊細に彫刻の施された銀仮面が床に転がり、軽快に甲高く澄んだ音を奏でた。

 

起き上がろうとすればいつの間にか、四肢を押さえつけられていた。身動ぎ取れず顔を上下左右に巡らせつつ、動転する意識をなんとか御して下手人の顔を拝めば、そこには最も逢いたかった人の顔が一つ、二度と視ることは無いと考えていた顔が四つ。

 

宦官の服で身を包んだ、死んだはずの傾国の佳人がそこには居た。皇帝の四肢を万力の如き力で取り押さえる者達もまた、その顔を視れば一目で思い出せる既知の人であった。それもそのはずである。彼らは皆、玄宗の堕落により命を落とした大唐帝国の将帥達だったのだから。そして、四人しかいないと思っていた彼らはさらに増えていく。

 

高仙芝、封常清、顔杲卿、哥舒翰、李嗣業…増えていく彼らの中に紛れる一際大きな人影を認めたことで、遂に玄宗は耐え切れず声を上げた。

 

「あんおうあんッ!!」

 

押し合い圧し合い、先を争って手が伸びた。伸びた手は冷や汗を垂らす皇帝の手足のみならず、胴体に首に顔にと伸びて行った。神聖不可侵かつ無謬の存在である天子の全身を覆い尽くす様に、無数の将の手が玄宗を絡めとった。

 

例え恐怖を覚えようとも、身を震わせることすら許されない。もはや為されるがままの玄宗の視界に新たに映るものがあった。

 

それは[[rb:妃子笑 > ライチ]]だ。山と盛られた[[rb:妃子笑 > ライチ]]だった。

 

この段になり、玄宗はやっと気づいた。自らを見下ろす傾国の佳人、彼女が笑っているということに。

 

冷たい笑みをその頬に湛える彼女の手には銀の深い器があり、その背後には数えるのも馬鹿らしいほどの[[rb:妃子笑 > ライチ]]を盛った大鍋があった。

 

何か物を言うことはできない。何が起こっているのか理解できない。

 

だが、無造作に女の手元の器へと移された[[rb:妃子笑 > ライチ]]を視れば、口の中に広がる果汁を飲み下せば、もはやこれから自らの身に起こる現実を理解できない玄宗ではなかった。

 

 

 

「いやぁ~お待たせしてしまってごめんなさぃ~。すこーし、準備に時間が懸かっちゃいましたよぅ~。でも、何とかなって良かったです…ハァ、本当にここまで長かったです。」

 

「でも、あのヒトのお仕事をやってみて、改めて惚れ直したといいますか…なんだか心だけじゃなくてカラダまで一つになったみたいだなぁって…あわわわ!破廉恥ですよっ!もうっ!…ふふふ。」

 

「確かに宦官さんのお仕事を経験できたのは素敵でしたけどぉ、それとコレは別なんですよ。」

 

「あたし、別にココにそんな未練なんて無かったんです。だから、本当はあのヒトの言いつけを守って、いい子にしようって…そう思ってたんです~。」

 

「でもぉ…あの、こういうことをお聞きするのって、天子様に対してすごーくぅ、失礼なことですよね?でも、疑問なんですけど、どうしてまだ生きてらっしゃるんですか?」

 

「え?え?え?…なに、その理解できないってお顔、キモイです。」

 

「…本当はあたしだって、あのヒトと一緒に帰るつもりだったんです。帰る場所、あたしにはありますから。あのヒトが遺してくれたんです!うふッ…ヒ・ミ・ツ!ですよ?」

 

「あっ!でももう秘密も漏れませんよねぇ?ねぇ?そうですね!なぁ~んだぁ~…また、あのヒトに怒られちゃうところでしたぁ…。あたし、やっぱりあのヒトが居ないとドジなところが治らなくって…だから…。」

 

「だから、ついつい、皇帝陛下のおくちにコレ、詰め込んじゃうかもでーす!」

 

「……あの、もしかしてこの方達が気になりますか?…苦しいのに集中して欲しいですけど、しかたありませんねー。じやあ、ご説明いたします!」

 

「この方々は、あたしの為に力を貸して下さると言う助っ人の方々です!えっへん!」

 

「ふふっ…不思議そうですねー?あ、でも幽霊とかじゃありませんよ?だって…ほら!あたしが触れますし!」

 

「実はあたしもよくわからなくって、今日の為に色々と準備している内に、どこからか自分から集まってきてくれたんです!立派なお心掛けだとおもいます!」

 

「………………。」

 

「あの、わかってます?」

 

「天子様、あなた死ぬんです。」

 

 

「あのヒトが死ぬとき、あたし…実は見てました。」

 

「あの部屋に鏡があったお陰で、あのヒトが死んじゃうところも、最期まで視れました。とっても、くるしそうでした。」

 

「あたし、痛いのきらいです。苦しいのもきらい。でも、あのヒトがあんな…あたしなんかより、ずっとずっと美しいヒト。誰よりも美しいヒト。」

 

「あなたには話したことありませんでしたけど、どうせ死んじゃいますし、今ならいいかな?…あたしとあのヒト、ずっと好き逢ってたんです。天子様がとってもおバカだった所為で、碌に愛し合えませんでしたけど。てへッ!」

 

「…あたし、ずっとあのヒトと一緒にいたのに、後宮に入ってからはほとんど思い出が無いんです。ちっちゃい頃からずっと一緒。ある日突然、あたしの目の前に現れて、あたしなんか一目惚れしちゃって、それでその時からずぅぅぅ~っと一緒だったんです…。自分がこの世界でいっちばん幸せなんだって、年を重ねる度に思ってました。今でも思ってますよ?当然ですッ…でも、大人になってからは思い出が無いんです。誰かさんのセイ、ですよ?」

 

「あたし、あのヒトのことなら何時までだって見ていられるんです。おばあちゃんになるまで、ずーっと視ていたかったなぁ~。ふふ、それでそれで、たまーにですよ?たまーに瞳が重なって、それでそのまま肩を抱いて貰っちゃったりしたら、もぅ、もうッ!…キャー!なんて甘美なんでしょうっ…ちょっぴりはしたないですけど。でも、やっぱり幸せかも。」

 

「でも、でもでも、ユゥユゥが皆から美しいって言われるようになってからは、あのヒトは顔を隠してしまわれて…それで…どこかのおバカさんが、勘違いして勝手にあのヒトは顔が醜いとか言い出して…本当は、みんなみんな言ってることが逆なんです。」

 

「美しいのはあのヒト。醜いのはあたし。あのヒトを知らない可哀そうな人たちが勝手に、勘違いしてるだけ、なんです。」

 

「あっ!でも、こんなこと言ったら怒られちゃいますよね?だって、あのヒト言ってました!あたしは美しいんじゃなくて可愛いんだって!えへ…えへへー!も、もうぅ、そんなに褒められたらお顔、ぽっぽって火照っちゃいますよう~…。」

 

「美しいヒト…。神様だって、きっとあのヒトよりずっと醜いに違いない。あのヒトと比べたら、みーんな等しく醜いんです。でも、その方が喧嘩も無くって安心ですね。そうおもいませんか?」

 

「ここにいる人たちは皆、あのヒトがあたしの為に遺してくれた人たちなんです。あのヒト、仮面を外して、頭を下げてくれたんです。あたしの、ためにですよ?嬉しい。嬉しい。うれしかったぁ…。」

 

「あの日、私の愛しい方は自ら果てたのです。私の目の前で、小さく小さくなられてしまわれました。首に巻いた絹の帯があの方の細く美しい首を磨り潰す様に絞まっていきました。お顔を真っ赤にはらして、腕には血の筋が浮かび上がり、冷や汗をかいて、涙が流れて、それでも私に聴かせまいと息を殺して…お一人で縊死して果てるなど、とても出来ることではないのに。」

 

「だのに、あの方は最期まで力を緩めたりしませんでした。命の灯が消えて、鏡越しにその御身体から抜け落ちていく瞬間を見届けて、それから初めてあの方の御顔をしっかとこの目で認めました。」

 

「あぁ…あ、あんなことが、あってよいのでしょうか…あんな、あのような。」

 

「うふふ…あぁ、なんと耽美な死に顔であったことでしょうッッ!!!」

 

「弛緩した肉体から広がる失禁の水溜まり、口元から流れ生糸の如く筋を描く唾液、赤く火照って尚透き通るように繊細な肌、苦悶を堪え切れずはらはらと流れ続けた涙の軌跡、爪が食い込み絹に裂かれて血のにじんだ掌、毛先が色を失っても艶やかな黒髪…鼻も口も眼も耳も眉も…あの方は死して尚美しいままでした。汚らしい筈なのに、醜い筈なのに、苦悶に喘いで死んだのに、私は我を忘れて一瞬見惚れてしまいました。でも、すぐに我を取り戻してあの方のお顔に布を被せました。その時の私の心持は、決して褒められたものではありませんでした…。」

 

「義務感に支配されて。執着に憑かれて。衝動に身を任せて。」

 

「誰にも渡したくない。見せたくない。今思えば、あの方が仮面でお顔を隠されるようになったのも、元を辿れば私に理由があったのでしょうね。」

 

「けれど醜い独占欲に駆られたからこそ、私は完璧にあの方の死を…即ち私の生存を隠蔽することが出来ました。あの方の御遺志に報いるため。そして、全ては憎き天子様に復讐を果たす為、なのです♪」

 

「さて、そろそろ終わらせましょうか。話してる間に、随分詰め込んじゃいましたから。」

 

「あっ、でも今すぐには死なないでくださいね。おバカさんな天子様には、私への恋心を私の手で徹底的に殺し尽くしてから死んでもらいます。灰だけ抱えてお逝きなさいますように。」

 

「それじゃーあ、ハジメますね。」

 

「…アレ、正直すごぉく迷惑だったんですよね。ずーーーっと粘着質に隣に居られて、あのヒトとの時間を邪魔する毒虫が出しゃばって来て…色々と贈り物もいただきましたけど、私そういうのに興味とか全然なくって、というか私の好みもおさえられてないのに次々に物贈って来るの、捌くこっちの身にもなって欲しかったです。」

 

「誤解を生まないためにお教えしますけど、あのヒトから頂いたものは全部大切な宝物ですよ?ちっちゃい頃に頂いた御守りとか、大人になってから頂いた櫛とかも、ずっと宝物です。でもこれは特別なことじゃなくてですね、それこそ天命のようなものなんです。」

 

「あとッ!勘違いさせる必要もないので教えて差し上げますが…天子様に肌に触れられたことも何度もありましたけど、その時はずっとあのヒトとそういうコトしてる時のことを妄想してました…って、知ってましたか?ふふっ…知らなかったみたいですね。あ…聞かなかったことにするのはダーメです。ちゃんと噛み砕いて、理解してから死んでください。夢見ないでください。もう、十分見たじゃないですか。文字通り国が傾くまで…。」

 

「あとはぁー…私、正直、その貴方の御顔とか、声とか、臭いとか…そういうものが、その苦手と言うかぁ…はい。嫌いです。全部嫌いです。でした、じゃないです。嫌いです。虫唾が走ると言うか、不快と言うか…とにかく中途半端ですよね。」

 

「…あれだけ愛を囁かれても、最後の最後で皇帝ぶるとか…全部ダイナシです。」

 

「あら、そろそろ辛くなってきましたかね?咀嚼が追い付いてない感じでしょうか?」

 

「いや、止めるわけないです?おなかがパンパカパーンって破裂するまで食べていただきますよ~!ほらほーら、ふぁーいと♪ふぁーいと♪りゅーうーきぃー♪」

 

「うヴッ!!!うぅぅぅえぇぇぇェェェェ…ウぅ…気持ち悪いーぃ。天子様、お名前に毒でもあるのですか~?あたし、はいちゃいましたーぁ。ふふ…」

 

「…どうしてくれるんですか????はーい、咀嚼が遅いのでお手伝い、ですッ♪」

 

「さぁさぁ、まだまだ鍋には残ってるんですよー?底が見える迄モつのかなーぁ?」

 

「…安禄山、天子様は困っておられる。顎を力づくで動かしてでも助けて差し上げよ。胃袋の中身をすべて[[rb:妃子笑 > ライチ]]で埋め尽くしてさしあげましょう。そんなに、そんなに私のことがお好きならばッ…。」

 

「私が笑えるように、私が幸せになれるように、私があのヒトに迎えに来て頂けるように…もっと…もーっとッ!死ぬまで召し上がれ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
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