中華のどこか。どこか温かい場所。二人分の影があった。水田の中で腰を曲げて稲の苗を植えている様だった。暇だからと始めた土いじり。楽器とも舞踊とも異なるそれに、何故か彼女は熱中した。土いじりは泥遊びに発展し、泥遊びは紆余曲折あり今や米作りに辿り着いていた。意外と凝り性な彼女を止める者は居ない。今の彼女にとっては農民ごっこが最大の流行であった。
「貴方様ぁ~!今日の所はここまでにしましょう。もうクタクタです~。あはは、あたしも貴方様も、泥んこですね。鼻にも泥が…拭いて差し上げます、丁度水路の脇に水筒と手拭いが…ピッ!?蛙!?キャー!どっかにやってくださーい!ぬめぬめは嫌ですーぅぅぅ!」
「ぷッ!アハハハハハ!はぁーー…ふふ、今日もなんだかんだでやっちゃいましたね、泥んこ。」
「夕陽に照らされた貴方様も綺麗です…あぁ、この一瞬の為だけに、ユゥユゥはこのために頑張ってたような気がします。」
「ふふ、そっ、そんなに可愛い可愛いって言わないでくださいよぉ~…まーた、お隣の武照ちゃんに焼きもち、焼かれちゃいますよ~!えへへぇ~…。」
「あ…夕陽、沈んじゃいましたね。太陽が沈んだ後の、ほんのちょっとの時間ですけど。こういう時間って、なんだか不思議な感じがします。自分の居場所がわかんなくなっちゃうような感じ。お空もなんだか、とってもふわふわしていて…夢をみているんでしょうか?」
「嗚呼……抱き寄せて、くださるんですね。」
「あのぅ、貴方様…私のカラダ、ちゃんとあったかいですか?…私もです。じゃあ今度は…泥臭いですか?ふふ、私もです。柔らかい?…貴方様はちょっぴりカタい、です。」
「首に、傷が遺っていないんですね。ごめんなさい…いっつも、同じコト言っちゃってますね。変なんです。あたし、悪い子に成っちゃったんです。」
「貴方の首に絹の帯が食い込んで、血が滲むほど食い込んで、食らいついた後がちゃんと遺ってしまった。醜い醜い、絹の路…あぁ、なんて…。」
「酷いですよね。痛かったですよね。でも、死ななくていいって安心してたんです。どこかで、よかったって…思ってたんです。」
「胸の奥の奥の方から、重たい息がせり上がって…堪えきれずに吐き出して、その悍ましい香りに…。」
「貴方がついさっき食べさせてくれた、妃子笑の果肉を胃液ごと吐き出してしまって…ふふ、でも大丈夫。ユゥユゥ、ちゃんと搔き集めたんです。貴方を忘れない様に。貴方を思い出せるように。何時食べたものよりも、何よりも苦くて辛くて酸っぱい味。でも、そうしないとダメだったんです。気持ち悪いですよね。醜いよね。でも、あたし…ううん、ユゥユゥはね、嬉しかったんだぁ。貴方がくれたモノを全部、体の中に納めることが出来て。貴方が私の為に死んでくれたように、私だってこんな…こんな、例えどんな対価を積まれたとしても拒絶するようなコト、自分から進んで出来るんだって。」
「そのことが分かったから。だからユゥユゥは貴方様の言いつけを破って、貴方様を演じることにしたんだよ?…うゅ~…ごめんなさい!もうしないから!…タブン…。」
「ふふ、怒ってくれた。嬉しい。貴方様は私の事ばっかりだから、そうやってほんの少しでも自分自身の都合の為に怒ってくれるのが、すっごーく嬉しいの。変かなぁ?」
「でも…ぁあ、やっと言えた。あの日の痛みが…癒えなくて、貴方を失った痛みが、貴方を殺してしまった痛みが…でも、その痛みに堪らなく依存してたってわかってたんだよ?」
「ユゥユゥ、ちょっぴりドジだけど、貴方のことならわかるの。貴方のことだけは、わかっていたいの。わからない振り、したくない。ヤダ。ヤダッ…二度目はイヤだ。」
「いつの間にかすっかり暗くなっちゃった~。あぁ~…なんだか妃子笑が食べたくなっちゃった。かれこれ、数年は食べてないよ~…そうだ!今度、都に行こうよ!ダメかなー?ほんと!?ヤッタ~!」
「うーん…でも、そうなるとちゃんとした服を着なきゃですよねぇ。あはは~…着付け方、忘れたかも…。」
「え!?覚えてるんですか?おぉ~流石は貴方様です!元貴妃専属の宦官は伊達ではありませんね?」
「あ…そういえば、あのお話は既にお聞きになりましたか?」
「はい、お隣の釣り師の方が何でも山の中で温泉を掘り当てたとかで…えぇ、それで入りに来るようにと誘われているのです。あの方のことです、きっと裸が目当てに違いありません!しかーしッ!やたらと目つきの鋭い酔漢の方もご一緒するつもりですからご安心を。私とあの方で貴方様を挟めば、如何に稀代の軍師と言えども撤退を余儀なくされるはずです!」
「え?私達はいいのか、ですか?…あぁ、なるほど。」
「あ…貴方様のですからね?裸というのは。あの方も相当に御執心の様子ですし…まぁ、危ない方ではないのですが。」
「そんなことより…貴方様にお聞きしたいことが一つあるのですが…。」
「結局、宦官になるときは…その、ちょんぎったのですか?え?な、なにをって!それは、ナニをですねッ!…忘れてください!なんてことを言わせるんですかッ!あぁ~でも嬉しいような…うぅ…色々とフクザツですよぅ。」
「そ、それで?どうしたのですか?」
「え…ほ、ほんとに?…えぇぇェェッッ!?ご自分で!?」
「あの…つかぬことをお伺いしますが、今は…?」
「…ふふふ、なるほど。健在であると。」
「貴方様、まんまとこのユゥユゥの術中にハマりましたね!はっきりとそのお口から聞きましたからね!今度こそ、今度こそ逃がしませんよーッ!宮中では、せ…せ…すぅぅぅぅウェっっぷん、しか出来ませんでしたものね!」
「え?聞こえなかった、ですか?…ふえぇ…い、意地悪です。ユゥユゥ、そんな破廉恥なコト言えません。せ、せ、接吻だなんて…ぇ…い、言った!言いましたよ、貴方様!どうですか?これがユゥユゥの全力です!もはや私に手玉にとれぬ男などおりません!」
「…はい。冗談です。貴方様だけです。…えへへ、しっとですか?嫉妬して、くれたんですか?」
「うふふふ…でも、照れちゃいましたけど、もう邪魔なものはなーんにも無いんですよ?今度こそ、自分のモノに出来るんですよ?如何、かしら?国を傾ける美貌を、我が物にする感覚…どんなものなんだろうって、考えたことないです?今なら身体だけじゃなくて、心もついてきますよ?貴方様にだけですよ、こんなこと言うの?一名様、限定ですよ。」
「…ふふ、やっと捉まえてくれましたね。掴んでくれましたね。」
「はふぅ~…ぃよっし!ささ、折角ご招待いただいてるんですから、早速温泉に行っちゃいましょーう!」
「今日一日でかいた汗とか汚れとかもぜーんぶ流して、すっきりしてから御夕飯にしましょうね?そうだ、温泉に一緒に入るんですから、そのままお家に御招待しましょう!そうしましょう!修業中の私の手料理でおもてなし、しちゃいますよーぉ!去年収穫したウチのお米と~、あとは貰い物のお肉でなんか作っちゃいましょう!あたしにぜーんぶお任せあれーです。」
「貴方様の胃袋を鷲掴みです!…え?楽しそう、ですか?あらあら…うふふ、今頃お気づきになられたのですか?」
「…宮中での戦争ごっこも、宴会も…楽しくなかった訳じゃないの。ただ、バラバラで心休まらなかった、それだけでありましょう。ただ、その一点に尽きましょう。」
「そして、貴方様がいればこそ。貴方様の隣であればこそ、この止めどなく流れる時間が、繰り返される退屈な日々が…どうしようもなく楽しいのでしょうね。」
「宮中で味わった快楽は所詮、遊んで、飽きて、捨てて…その繰り返しに過ぎません。私が好きだったのは宴会そのものではなくて、刺激で疲れ切った身体を受け止めてくれる貴方様の温もりなのです。今だって変わらない。繰り返される日々に飽きることはあるでしょう。人の欲望は底無しですから。だけれど、私には帰る場所がある。待つ場所があるのです。」
「安らぎを知らず、許されず、ただ何時始まるとも終わるともわからない恐怖に駆られて、帰る場所を見失った者にとって快楽を追い求め、快楽に狂うことで、自らを救おうと藻掻くことの何がおかしいのでしょうか。でも、私には貴方がおります。貴方の…貴方様の腕の中で飽きる迄眠っていることが許される。起きたいときに起きれば好いと言ってくれる貴方様がいる。安穏とまどろみながら、流星を眺めるような心地で、いつもと違う空を愛でるからこそ、今の私はこの平穏を楽しむことが出来ているのですよ。」
「全部。貴方のお陰なのですよ?最初から、最期まで。…最期なんて、あるのでしょうか?」
「うふふ、でも…その時は今度こそ一緒です。だから。だから今度は、心穏やかにお待ちくださいますように…。」
「ぷるぷるぷるッ!ぷはーー!えへへ、久しぶりに貴妃っぽーく喋ったら疲れちゃったよ~ふふ、カッコよかったかな?ほんと?ふふ、じゃーあ、たまーにシたげるね!」
「あーあ、楽しくて喋ってたらもうお星さまが見えてるね。そろそろ、着くはずなんだけど…あ、あった!もう、皆待ってるみたいだよ?」
「見せつけちゃうぞー!ふふふ…手も今度は離さないからね!」
「ふふ、お背中流させてくださいね?私の旦那様♪」
我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。