史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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14「はらわた」生駒茶仙2

 

 

 

 

 

「俺がこれから死んでやる。」

 

「それほど人を殺したければ、俺が代わりに死んでやる。全員分、死んでやる。」

 

「死んでやるからさっさと駒を俺に寄こせ。」

 

「そこに居るのは分かっておる。俺を見下ろしておるのだろうが!」

 

「猿ゥッ!俺の顔を覚えているな!覚えているならさっさとあの子を俺に寄こせ!」

 

「寄こさぬと申すなら、ならば俺にも用意がある。貴様、そこで見ておれよ!貴様が鳴くまで、俺は腹を切ってくれる!」

 

「何太刀であれ、貴様が失神し、心を壊すまでこの一刀を止めることは無いと心得よ!」

 

「我が憎悪と憤怒に慄くのであれば、その理性が未だ貴様に残っているのであらば、疾く、お駒を放すがよい。」

 

「…返答なくば仕方なし。精々、その目に焼き付けろ。俺の死に様を。俺の生き様を。この死を以て、貴様の生を永劫に蝕まんッ!」

 

 

 

男は何処からともなく三条河原に現れた。男は縄打たれ俯きがちな少女の傍まで歩み寄ると、彼女の傍で刀を振り上げる介錯人を押しのけ、少女を抱いて河原に敷かれた筵から出してから、少女が座っていた場所に自ら座り込んだ。

 

困惑する群衆を前に、誰に構うこともなく堂々と前口上を撃ち上げると、懐から抜いた脇差を振るって手始めに、己の耳を堕とした。突然の出来事に押し掛けた群衆も、介錯人も息を呑み、その場から動くことが出来なかった。金縛りのようにその場に居合わせた全ての耳目を一身に奪いながら、男は淡々と一刀一刀を自らの肉体に振るった。

 

刀が振り下ろされ始めて直ぐは、まだ群衆も介錯人も、齢十五と聞く幼い駒姫の処刑に我慢ならぬと行動に出た殉死者か、或いは衝動に身を任せてお上に盾突く酔狂な愚か者だと思っていた。ただその程度の人間であり、前口上も何もかも、現状に何ら変更を加える物ではないと。お上の意志を変える力など無いと。

 

嘲笑半分、応援半分、好奇心半分…概ねそのような容態であった。だが、男の振るった太刀の数が、切り取った肉片の数が、百を超えた辺りから、彼らの考えは悉く覆されていった。

 

耳二つ、眼球二つ、鼻一つ、舌一つ。足の指が十本。全身の表皮を細切れに削り出して尚、男は止まらない。己の表皮、それこそ頭の先から足の裏の皮迄。男は顔色を苦悶に染めながらも、恐ろしい迄に淡々と太刀を己の肉に撃ち込んでいく。

 

見たことの無い景色であった。

 

醜い。汚い。悍ましい。そのような言葉では表現できない有様であった。

 

介錯人は無論、駒姫を始め秀次に連座して打ち首が決まっていた面々すら、今や男の死に釘付けとなっていた。否、死ではない。男はまだ生きている。男は死ぬことが定まっている状態で、恢復の見込みがない状態にあって尚も刀を一太刀、更に一太刀と己の身に浴びせていく。死した肉体のはずだが、現に男は蠢いた。男は全身から血の霧を振りまきながら、致命傷を避け、傷を増やし、河原の砂利を真っ黒に染め上げていく。

 

男が刀を振り始め、遂に千太刀を越えた。薄絹の様に、短冊切りに削り出された肉が男の周りで小さな山を築いていた。もはや群衆は己の意志に反して一歩たりとも動けず、介錯人は縄打たれた者達への介錯にも、この男の介錯にも挑む気力を喪失しており、脱力して落とした刀を拾い上げられる者は一人もいなかった。

 

その時、ぴたりと男の動きが止んだ。もはや顔の皮も何もなく剥き出しの真っ赤な肉の中に黒い洞が浮いているだけだった。だが、その不気味な眼差しは獲物を捕らえて逃がしはしない。そして、獲物もまた男のその眼差しから逃れることが出来なかった。

 

「太閤殿下じゃ…。」

 

千を超える群衆は一様に虚ろな表情を浮かべていた。絶望的な飢餓により生まれる草木も見当たらぬ荒野のように、荒涼として生命を吸い尽くされた様に深い疲労に沈んだ顔が、千も二千も並ぶ様は異様の一言では尽きぬほど、見る者に吐き気にも似た不快な予感を抱かせた。

 

誰かの声で、その場で茫洋と揺れる全ての瞳が猿顔の男を射抜いた。たじろぐことは許されない。男は天下人だったからだ。

 

だがその様な些事は、壮絶な魔力を宿した男の眼差しの前には無力であった。人が平然と蟻の列を踏み潰すがごとく、無情にも男は今一度太刀を己に突き込んだ。

 

突き込んだ。

 

男の死は、未だ途上に過ぎなかったのだ。

 

太刀を振るうために遺された無傷の右腕。真っ赤な血が変色して、真っ黒に変わった男の周囲に在って、異様なまでに白く透き通った肌は見る者を惹きつける引力を発揮してさえいた。その腕が蠢いたのだ。血に濁り、それでも尚流れを止めない清浄の河原の淵で、男はこの時はじめて自らの膏肓にその刃を突き立てた。

 

柔軟で弾力に富んだ人間の皮膚を貫くことは容易ではなく、剣の達人という訳でもない男は、何度も何度も自らの腹に刃を突き立てる必要があった。立ち竦む天下人は他の群衆に紛れて冷や汗を噴き上げることしかできない。最早ここには言葉を奪われた者達しかいない。五太刀目でやっと、男の腹の真ん中に、血みどろの刃が届いた。

 

男は絶叫しながらも、横一文字に刀を引き、引けず、転じて挽くこととした。刃の先が筋繊維を無理やりに引きちぎり、骨を削り取り、体の中と外を抜き身の刀身が行き来しては、陽光を反してキラキラと瞬いた。傷口が少しづつ、少しづつ広がっていき、流れ出る血の量が劇的に増えた。全身の皮を削ぎ落し、そこから滲み出る血の赤と薄橙の溶け込んだ生臭い体液ではない。明確に真っ赤でドロドロと皮膚なき肉を伝い水溜まりを作る、そういう血の流れが出来た。

 

一文字を描き切るや、男は次第に色を失い始めた赤黒い全身を揺さぶり、大口を開けながら、二角目に挑み始めた。再び体に刀身が埋め込まれた。鋸で挽く様に、肉を引き裂くたびに、びゅ、びゅ、と小刻みに血が噴き出し、砂利には濃絵の絵の具が澱んだように深い深い黒が重ねられていく。

 

二角目を要領よく終えて、更に三角目に突入した。三本目の真一文字を臍の下あたりに定めて刀を突き入れた瞬間、遂に男のはらわたがズタズタに引き裂かれた腹から零れ堕ちた。はらわたからは糞便の臭気と、これまでの比ではない濃厚な血の匂いが立ち込めた。

 

余りの惨状に、見せしめに慣れている筈の群衆の中からも酸っぱい匂いが立ち込めた。足元は人の吐しゃ物や失神や失禁による排泄物で埋め尽くされた。天下人の近衛であろうと、天下の五大老であろうと、天下の五奉行であろうと、そして天下人であろうとも、それは例外ではなかった。

 

三角目の完成と共に、男は横隔膜を両断する一角を、人体の中心線に沿って描き切らんと、恐らくは最期になるであろう一刀を打ち込んだ。最早、そこに在る肉が何であるのか、臓物か、筋骨か、心の臓かなど大同小異の状態であった。だが、確かに苦痛は男を襲い、狂いそうなのにそれでも狂わないのは何故なのか、何故死なぬのか男自身にすらわからなかった。だが、男は刀を止めることだけはできず。また、ただ黒い眼窩の洞も、抉り出された眼球すらも、ただ一人天下人秀吉を射抜いたまま微動だにしなかったのである。

 

まず、石田光成が失神した。そして、彼に続く形で豊臣政権の中枢が次々に倒れ、その後で徳川家康を除く五大老が次々に意識を喪失した。腰を抜かし失禁する者、我慢できずに嘔吐する者、白目を剥き目と耳と鼻から血を噴く者、全身が痙攣しだすもの、訳も分からず刀を抜き振り回すもの。最早、この場を支配する理は男の生と死を除いて他になく、ここに在っては天下人も大大名も無力な群衆の中の一人に過ぎなかった。

 

そして、男が最期の一文字を切り裂き、横に三の文字、縦に一文字の見事な腹切りであった…と幕を下ろすべく介錯人が駆け寄るより早く、男は空を仰ぎ、音にならぬ声を昇竜させ、臓物の流れ出るままとなった肉体の奥へ奥へと手を伸ばし、肉をかき分け、骨を除けて、むんずと目当てのものを鷲掴むと、躊躇なく、畑から大根や蕪を引き抜くような勢いで、そのブツを天下の衆目の下に晒した。天道の下、我が心の臓を抉り出したのである。

 

未だ激しく鼓動する心の臓を、散々に見せびらかしてから、男はこともあろうに己のそれに齧り付いた。

 

「あうぁぁぁぁ!!!!」

 

誰かが発狂したらしい。他人事と、口から涎を垂らしながら秀吉は脱糞し、家康は泣きながら嘔吐し始めた。ここに三英傑の二角が決壊し、もはや誰にも男の狂気を憤怒を愛情を止めることは出来なかった。男の生き様と死に様を堰き止める者は誰もいなくなったのだ。

 

己の心臓を噛み千切り、咀嚼し、嚥下し、発狂した天下人を尻目に、男は最期の仕上げに取り掛かった。歯形が残る心臓を放り捨て、今一度我が身の奥の奥に手を突き入れた。男は腕を動かし、はらわたを引き寄せた。浅く息を吐き、ここに来て男はやっと静かに穏やかに、黒く黒い眼窩の洞を閉じた。

 

男が瞳を閉じた瞬間に、威圧は去り、蔓延する狂気は去り、誰しもが男の死と停止を悟ったその時、男の腕が身体の奥から引き抜かれた。振りぬかれた腕は撓り、血をまき散らした。そして、一本釣りの如く、一繋ぎに連なったはらわたが砂利の上に一線を隔すように振り下ろされた。

 

長大な臓物の一流が鞭のように風を裂き、大蛇のように砂利の中で暴れ回り、間もなく沈黙した。蠢き、最期の息吹を吐き切ったはらわたの衝撃で身動きが取れなくなった者達は、恐る恐る男の方に目を向けた。

 

眼下で砂利に沈んだはらわたの奥で、男はいつの間にか自刎して果てていた。首は砂利の上で真横を剥いて転がった。その表情を知ることは出来ない。

 

誰も何も言葉を発さない。唐突な沈黙が訪れて、腰を落とし、訳も分からずに泣き出し、笑い出し…夢現か、地獄か。

 

 

 

 

「よ、よきに、はから、え…。」

 

群衆が全て去る頃に、すっかり老け込んだ天下人秀吉は、そう一言呟いて意識を失った。

 

 

 

 

 

駒姫を始め秀次に連座されるはずだった者達は総じて放免となり、謎の男の亡骸は三条河原に見せしめとなった。だが、これは本来の処置ではなく、誰も…それこそ河原者であっても、幾ら積まれたところで、あの男の亡骸の始末を任されるのは絶対に嫌だと強烈な反対があったから、このように烏や虫の餌とするほか無かったのである。

 

だが、数日経っても男の骸は一向に腐らなかった。それどころか、虫も湧かず、烏も啄まない。いよいよ高名な僧侶や禰宜が日の本中から集められたが、どれだけ祈っても祓っても、男が遺した真っ黒な血痕は乾かず、干上がらなかった。どれだけ雨が降っても、土砂で埋め立てても、次の朝には元通り。男の肉は腐らなかった。虫も湧かず、烏も啄まなかった。

 

こんもりと築かれた肉の山は夜でも赤赤としており、止めどなく血が滲みだした。腹の肉が裂かれたせいで肋骨がむき出しになり、その奥の横隔膜や肺が強風に煽られると不気味な音で鳴き、心の臓は干からびずに時折鼓動を刻み、抉り出された耳や眼球は音や光に反応して微動した。自ら切り落とした首は、梟首台に乗せる者がいない為に砂利の上で横に倒れたままあったが、いつの間にか正面を向いて身を立てて道行く人に反応してその真っ黒い眼窩の洞で睨めつけた。

 

誰にも手の出し様がない呪物と化した男の遺体に、人々は戦々恐々としていた。もはや秀次の切腹も駒姫の斬首未遂も記憶の隅にすらなかった。

 

だが、あくる日のことである。男の骸が綺麗サッパリなくなっていたのだ。

 

男の骸は、山のようになっていた肉から、骨から、臓物から…何から何まで綺麗サッパリなくなっていた。一晩のうちに、男の存在は初めから無かったように消え去ってしまったのである。人々は口々に噂した。あの男は傍若無人な武将たちや、天下人秀吉の悪逆に腹を立てた神仏が、キツイ灸を据える為に遣わした存在なのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
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