史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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15「間引き」 生駒茶仙3

 

 

 

 

「間引かれた朝顔はどうなるのでしょう?」

 

「美しい一輪。その一輪の為だけに、間引かれた朝顔はどうなるのでしょう?」

 

「間引かれた朝顔は、花であれば、いずれまた咲くでしょう。しかし、花ではないのなら?或いは、次に咲く花が間引かれた花とは全く違うものであったなら?」

 

「間引かれた朝顔はどうなるのでしょう?」

 

「誰に記憶されることもなく。誰に悼まれることもなく。誰に慰められることもなく。誰に、誰にも顧みられることなく。」

 

「間引かれた朝顔はどんな罪を重ねたのでしょうか?どんな悪があって、朝顔は間引かれたのでしょう?」

 

「間引かれた朝顔は地に堕ち、泥に汚れ、踏み躙られ、忘れられ、或いは雨に流されて、醜く汚れて、醜く濁って、そうして最後は何処に行きつくのでしょうか?」

 

「首を落された瞬間に人は死にます。しかし、朝顔がそうである様に、首が落とされた後でもその死を弄ばれてしまうのなら、それほどに凌辱されると言うならば、果たしてどんな罪を犯したのでしょう。」

 

「無辜とは申しません。私とて、誰かを踏みつけにして生きて来たのです。武家の娘に生まれた以上、名もなき民草の生と死を踏み越えてここまで生きてきたことでしょう。生かされてきたことでしょう。育まれてきたことでしょう。」

 

「しかし、民が言うのであればともかくとして、なぜ私以上に多くを踏み躙り、多くを凌辱してきた張本人が、私を裁くことなど出来るのでしょうか。」

 

「もし、そのようなことが可能なのであれば、それは断じて間違っているに違いありません。断じて、許されざることです。」

 

「あの日、私の代わりに亡くなられた殿方を…私は存じております。どこからともなく現れては、この駒と遊んでくださいました。色々と駒の知らぬことも教えていただきました。あの方の御家族のことも…家族を数えればキリが無いが、最近は専ら与四郎殿と共に暮らしておられるとのこと。何でも与四郎殿は、この駒に瓜二つだとか…年齢のことやら、不思議なことはございました。けれど、そんなことは全てを理解できずともよいではありませんか。」

 

「この世の者とは思えない程に美しくて、優しく穏やかな御方。駒のことを姫としてではなく、一人の女子として或いは子供として扱ってくれた唯一の方。きっと世界というモノは広くて、実際にはあの方のような素晴らしい殿方が他にもたくさんいるのだと思います。でも、駒にはあの方だけで好いと思ったのです。あの方だけで好い。あの方で好い。あの方が好い。そう思ったものです。寝る前や、ふとした時にはあの方のことばかり考えるようになってしまって…。でも、そういうことを考えている間はどんなことでも楽しい時間でした。」

 

「私が出羽国を出て、関白殿下に輿入れするときも、あの方は会いに来てくださいましたね。まだ早すぎると憤慨しておられました。面白い御方、お優しい殿方なのですよ、あのお方は。」

 

「だから駒は嬉しかった。死ぬ前にほんの僅かな時間でも、貴方のお顔を視ることが出来て。」

 

「見せしめにされる者と、それを見届ける者という形であっても構わない。最期にもう一度だけ、私の前に現れてくれた。父上様と母上様にはどうあっても会えません。それは理解しています。でも、だからこそ何よりも救われたんです。貴方なら駒のことを覚えていてくれるから。駒のこと、駒が死ぬところも、死んだあとも…全部、覚えていてくれると信じられたから。貴方さえ、貴方一人にさえ忘れられなければ、きっと父上にも母上にも私の事が伝わるから。貴方はその不思議な力で伝えてくれる。駒の最後のお願い、叶えてくれると信じられたから。貴方なら、私を忘れないで居てくれるって信じられたから。貴方が、駒の為に怒ってくれているのがわかったから。」

 

「だから、それでいいの。これで、いいの。私が死ぬところ、ちゃんと視ていて下さいねって、そう思ったのに。貴方が逢いに来てくれたことで…それだけでもうっ、何も思い残すことなど無かったのに。無かったのに…。」

 

 

 

 

 

「刑場を囲む柵を越えて、貴方が私の方に歩いてきてくれた時、私はきっともう死んでいるのではないか、とも思ったものです。その上、あんな風に優しく抱き上げられてしまっては…もう関白殿下への輿入れなどどうでもよくなってしまいました。自分がこれから首を刎ねられるとしても、もう私の中には貴方だけが居て下さって、決して離れない、色褪せないように抱き留めてくれたから。」

 

「だから、早くここから離れて欲しいと言うつもりでした。でも、貴方は私の代わりに死ぬと言われた。」

 

「貴方が死んだところで、私も死ぬことに違いはない。そう考えて、疑いなどなかった。けれど、もしこの時少しでも貴方のことを信じていれば、疑わずにいれば…そうであれば、直ぐにここから離れる様にと、逃げる様にと咄嗟に言葉が出たのかもしれません。」

 

「でもッ…出なかった…ぁ。だせ、無かったんです。言い出せなかった。」

 

「だって…嬉しかったんだものッ!あぁ…最期だけは一緒だなんて、これでもう私と貴方が離れることは無い。然う、思ってしまったんです。」

 

「逃げて、私の為に死なないで。」

 

「その一言が、出なかった、言い出せませんでした。」

 

「寧ろ首を擡げたのは歓喜でした。じんわりと胸から始まり、全身を蝕む歓喜でした。」

 

「一緒に死んでください。一緒に死にましょう。貴方の隣に居られるなら、もうこれ以上は望まない。貴方の首の隣に私の首が並ぶなら、夫婦で死ぬのも悪くない…そんなふうに、浅ましくも望んでしまった。」

 

「私の声が届いたのか、いいえ、結局あのヒトだけが死んでしまわれました。」

 

「貴方が仰った通り、私達の全ての苦痛をその身に刻んで。全てを一身に背負って、そして貴方一人が果ててしまわれました。」

 

「私は、介錯人に縋ろうと思いました。貴方のはらわたが零れて来て、貴方の血の臭いしかしなくなって、貴方の血飛沫が私の真っ白な装束を真っ黒に染めていく様を視ていました。視ていたら…痛そうな貴方を視ていたら、首一つ落としただけでは足りないと思いました、私の首だけでは足りない。貴方に報いることが出来ない。」

 

「無力感と虚しさが襲ってきて、それから、今度は真逆に、何て痛そうなんだろうって。なんて苦しそうなんだろうって…ぅうっ…ひっく…あ、あ、私…死にたくないなぁって、痛いのはイヤだなって、思うようになってきたんです。」

 

「冷静になってしまって、でも胸が痛くて貴方が死んでしまうのが嫌なのに、貴方の傍から離れるのが嫌なのに、貴方が遠くに行くのが嫌なのに、でも死にたくなくて、痛いのも苦しいのも怖くなって…貴方のことをこれほど慕っているのに、貴方の為に死ねなくて…。もう、嫌ぁ…ぁぁあ、なんで、なんでッ!!」

 

「貴方と一緒に居たいから、その為に死ぬの何か怖くないって思ったのに!介錯してって!この首を落してって!」

 

「……介錯人に縋りつこうとして、身体が動かなくなってしまいました。」

 

「自分の想いは偽物なのか、噓だったのか…でもならばどうしてこれほど苦しいのか、息が出来なくて、胸がただただ痛くて…。」

 

「ただ泣いて…いつの間にか涙すら止まって。貴方が朽ちていくのを唯、唯、唯…見守ることしか出来なかった。見届けることしか出来なかった。貴方の体から溢れる血の赤。貴方の肉体から、貴方の命から離れて飛び散っていくそれらを浴びながら、私はただただ、貴方のことを見つめることしか出来なくなってしまいました。」

 

「こんなに酷い死に方はありません。悍ましく、醜く、汚らしく…これほどに苦痛を重ねる死に方はありません。こんな死に方、打ち首にされて体を弄ばれた方がよほど慈悲も情けもありましょう。」

 

「貴方が死ぬのを視たくない。貴方が崩れていく。私のお慕い申し上げる唯一の御方が、小さく小さく、赤く赤く、黒く黒くなっていく。崩れて、溢れて、飛び散っていく。」

 

「私は私が憎かった。太閤殿下も、関白殿下も、大老方も、どうでもよかった。私は私が憎かった。貴方の様に、愛する御方の為にそこまで醜く悍ましく成れる貴方の美しさに焼かれて尚、その想いを向けられて尚、この身を差し出すことが出来ない私が憎かった。」

 

「そして…喜んでしまったことが、何より…愛おしかった。貴方のことを愛していなければ、これほど残酷な振る舞いに心を壊していたことでしょう。貴方の愛に気がつかず、貴方の想いに圧し潰されて、そこでお仕舞になっていたことでしょう。」

 

「でも、私は気づけた。受け止めることが出来た。貴方の全てが、愛おしかった。美しく、気高く、何よりもその真心が嬉しかった。私だけの御方。私だけの為に死んで下さる御方。私の生の為だけに、この矮小な小娘のほんの僅かな延命の為であっても、計り知れない苦痛に喜んでその身を捧げて下さる唯一の御方。本当の、本当の意味で唯一の御方。」

 

「夫でもない、神仏でもない、天下人でもない、恩があるわけでもない。ただ、愛ゆえに。」

 

「あぁ、美しい。私の唯一の御方。旦那様。御屋形様。愛おしい御方。」

 

「まだ幼く未熟の身ではございますが、貴方様の愛をお受け致します。その愛を頂戴いたします。その愛に報いることを誓います。その愛に生き逢いに行くことをお誓い申し上げます。」

 

「貴方様こそ、あの一輪。」

 

「唯一の御方。」

 

「貴方様こそが一輪。何よりも美しい一輪。」

 

「他を愛するが故に、自らを間引かれた一輪。失われ、踏み躙られ、泥に汚れ、引き裂かれ、雨に流され、誰に顧みられることなく死ぬことを選ばれた御方。それも、ただ一輪の為に。この駒の為に。無辜の一輪の為に。報い得ぬ弱き私の為に。私への愛ゆえに。」

 

「私という名もなき無数の中の一輪を遺す為だけに、貴方という一輪が間引かれたのであれば、最早この駒に迷いなどございません。駒もまた、一輪の為に咲き誇り、ただ一輪を育み愛でる者となりましょう。貴方様だけを育み愛でる者となりましょう。」

 

「その為にも、私は間引かねばなりません。全て。全てを。貴方様以外の全てを。」

 

「かの天下人が、己の望むままの天下という一輪のために全てを間引こうとしたように。今度は私が、貴方の駒が参ります。」

 

「手始めに大坂、京都あたりから…間引き、を始めましょうか。」

 

「ご安心を、駒の心が痛むことはありません。だってそうでしょう?太閤殿下も、大老殿も、何別に恨んでいる訳ではないのです。憎い訳ではないのです。そこに、心などありませんから。朝顔を間引く人の心に、悲しみも罪悪感も去来し得ないように。」

 

「貴方様が、私の衣に託された通り、与四郎殿もまた力になって下さるとのこと。何でも太閤殿下との因縁浅からぬご様子…この出会いもまた貴方様の計らいと知り、駒は胸を熱くするばかりです。」

 

「貴方様のお帰りをお待ちしております。今度こそ、全てを貴方様の為だけに注ぎます。貴方様が味わった苦痛、私達に肩代わり背負われたその全ての苦痛に、ほんの僅かでも報いることが出来るように。」

 

「ですから貴方様、どうか今暫しお待ちくださいますよう。間引き、が終わりましたら今度こそ、私と貴方様が離れることはありません。」

 

「与四郎殿も一緒ですから。ご安心を。」

 

「ただ…もし、次にお逢いした時は、その時こそは旦那様と…そのように呼ばせて下さいませ。なんでも東北に御用がおありとのことですし、是非ともその時はこの駒にお任せください。貴方様に、駒に、与四郎殿の三人で、私の故郷出羽の国にて暮らしとうございます。きっと、父も母もお喜びになるはず。」

 

「文句など言われませぬ。文句など、この駒が許しませぬ。」

 

「それにもう…私と貴方様に文句を言う者共など、その頃には誰一人おらぬはずですから。間引かれた朝顔は忘れ去られるばかりですゆえ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
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