史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

17 / 29
17「一期一会」生駒茶仙5

黄金色に輝く茶室で、幼子にも見える茶人が一人、静かに茶を点てていた。

 

湯を沸かし、茶を点て、真っ赤にも見える緋色に焼けた名物へと注いだ。

 

すと、出来た茶をこの部屋の主であり、また同時にこの日の本の主である男へと饗した。

 

太閤秀吉。その男こそ、目の前に居る茶人を招いた張本人であった。

 

利休の首を晒してから早くも四年。かの茶聖を越える茶人を、秀吉は未だ迎えられずにいた。だが、それは満足であり、また不満足でもある。

 

この天下に在って、いよいよ秀吉の価値観に異を唱えられるものは居なくなったのだから。しかし、その得意はつい先日体験した、得体の知れない男の壮絶な死を前に散々に打ち砕かれた。

 

天下人の下した決定を、名もなき男の生と死が覆したのである。見事だと、そう褒め称えながら、天晴れと自らの器の大きさを誇示しながら、秀吉は自らの天下が、いや天下こそが自分からどこまでも離れた場所にあるように思えてならなかった。

 

不安に駆られ、塗りつぶされる恐れは秀吉にある一つの噂を運んできた。それは不可思議な話だった。

 

なんでも、幼いながらに利休の再来とも称される茶人の存在が巷で囁かれていると言うのだ。秀吉はこの噂に飛びついた。

 

複雑な心境だった。思い通りにならぬような不満と、願ってもない幸運。慣れ親しんだ誰かに今の己の心を補強して欲しかったのかもしれない。

 

ともかく、秀吉はその幼子を自慢の黄金の茶室に招いたのであった。

 

 

 

 

結果から言って、幼子の振る舞いは天下人の心を大いに満たすものだった。往年の利休が、そのままに乗り移ったようだと、そんな賛辞を呑み込むのに苦労したほどだ。

 

これで利休本人との面識はないと言うのだから…いつの時代にも上には上がいる。秀吉は目の前の赤黒い着物に身を包んだ幼子に己を重ねていた。主君だった織田信長が成し遂げられなかった天下統一を、百姓の身に生まれて達成した己自身に。

 

こうなってしまえば、感慨にも勝る、どこか必然的なものを感じずにはおられなかった。秀吉は茶椀に手を伸ばしかけ、その手を止めた。そして、天性の人たらしと称された、あの人好きのする柔らかい表情を浮かべて、その身を乗り出した。

 

「名は何と言う。」

 

茶を前にして秀吉は問うた。この問いに対して幼子は。

 

「生駒…人呼んで、茶仙の生駒と申します。」

 

生駒…そう名乗った幼子に秀吉はなにか違和感を覚えた。だが、それもほんのわずかな間の事。すぐさま、その他称について更に尋ねた。

 

「生駒…茶仙というのは…。」

 

自らの口から言うのは憚られた。ここで堂々と言われても気が滅入るような気もする。だが、心の底でははっきりと、今は亡き茶人の名を引き合いに出して欲しいとも願っていた。

 

そんな天下人の心を汲んでか、幼子改め生駒は、天下人を前にしても何を気負うでもなく、まるで当然である様にこう答えた。

 

「茶聖…と称された千利休に準える方がおられたのでしょう…まだまだ未熟の身でありますが、茶仙の名に恥じぬ様に致しましょう。」

 

秀吉はただ、「立派な心掛けじゃ。」とだけ言った。

 

満足のいく答えの中に、天下人は僅かな不遜の匂いを嗅いでしまったからだ。だが、そのことに腹は立たなかった。むしろ、何処か利休に似ていると、不思議と気持ちが良かった。

 

隠せぬ笑みを浮かべながら秀吉は、今度こそ茶碗に手を伸ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結構なお点前で…美味かった、うむ、久方ぶりに美味かった。大義であったぞ、生駒よ。」

 

最後の一滴迄飲み干してから、秀吉は万感の思いを込めて言った。

 

「それはなによりでございました。」

 

言われた生駒はさも当然といった様子で軽く頭を下げた。

 

いよいよ、秀吉は生駒が欲しくなった。茶も、所作も利休そのもの。更にはその性格まで。

 

性格の部分は少々気に障ることもあったが、それでも失ってみれば得難いものである。隅から隅まで気に入った。

 

最早、秀吉には目の前の生駒の意志などどうでもよかった。自慢の黄金の茶室に鎖で繋いででも、天下人の為だけに茶を点てる茶人として囲うつもりであった。

 

「のう、生駒よ…。」

 

秀吉が言い出そうと、我が物になれと、生駒に迫ろうとした時だった。

 

「お断りさせていただきましょう。耄碌しましたな…太閤殿下。」

 

ぴゅいっと音がして、秀吉の視界が真っ赤に染まった。咄嗟に身の危険を感じて人を呼ぼうと喉に力を入れたが、搾り出されたのはガラガラと水に溺れる音だった。味が鉄臭い。血の味だ。

 

気付いて、飛び退く…ことが出来ず畳に突っ伏した。

 

軽い足音と共に、見覚えのある天を衝く様な大男の影が落ち、秀吉の頭を踏みつけた。

 

重苦しい圧に怯えながら、恐る恐る顔を上げれば。そこには赤黒い着物はそのままに、より黒く黒い巨大な影を背負う生駒の姿があった。あの影。影には見覚えがあった。生駒を守るように立つ、その影は具足を纏った禿頭の大男だった。岩であれ軽々と砕くような、頼もしくも恐ろしい重圧と威を放つ存在に秀吉は慄かずにはいられない。死んだはずだった、天下人をも怯ませる威を放った茶聖は、すでに死んだはずだった。

 

否、実際死んだのだ。ただ、生き返っただけだ。より黒く、より強く、より重く生まれ変わっただけだったのだ。ゆらゆらと無風の茶室でも生き物のように蠢く具足に覆われた手足。利き手には暗闇を束ねて鍛えたような一振りの太刀があった。この太刀が、秀吉を傷つけたのだろう。

 

 

がー、ひゅー。ぜー、ひゅー。

 

 

秀吉の荒い息が部屋に響くが、誰も押し入って来ない。誰も駆けつけてはこない。秀吉は錯乱もできずに生駒の顔を見上げるしかなかった。天下人の最後の意地にも、生駒は何の関心も示さない。ただ、秀吉が死の淵へと吸い込まれていく様を、ただ静かに眺めていた。

 

 

 

 

ぜー、ぜー。

 

ぜー。

 

…。

 

秀吉の喘鳴が止んだ。

 

 

 

 

 

 

 

茶室に静寂が戻ると、ようやく生駒は口を開いた。

 

「ふむ…なるほど、確かに。間引きとはつまり、こういうコトでありましたか。利休、納得。」

 

「かつての主人であれ、ここまで心が痛まぬとは…この利休が人の心を捨てたのか、それとも太閤殿下が先に人であることを棄ててしまわれていたのか存じ上げませぬが、どちらにしろこの方が、影殿の傍に侍るには余程、都合がよろしいと…まぁ、そういうコトでございます。」

 

「…それにしても、久方ぶりに来てみればまた、なんとも悪趣味な…。いえ、これから金子に換わると思えば、これはこれで有難いものでございます。」

 

「さて、思ったよりもあっさりと逝かれましたな。尻の赤い猿のことです、てっきりもっと粘るかと…いえ、年寄りにそれは酷でしたかな?」

 

「いずれにせよ…邪魔も入らず、私の腕が鈍っていないこともわかりました。中々の一席でありましたな。いや、立派。この利休も大満足。」

 

「ハァ…しかし、これからのことを思うと、何と言いますか…幸せ過ぎて、ため息が出てしまいますな。」

 

「この茶室だけで幾らになることやら…城も一つではありませんし、いよいよ駒姫様との相談が必要になって来ました。」

 

「しかし、ふふふ…ゆっくりヤればよろしいものを、駒姫様はよほど酔ってらっしゃるご様子。しかし、それも致し方なきことです。であるからこそ、私もこうしてここに居るわけですから。」

 

「儲かってなりませんがこれでは数えるだけで十年は懸かりそうですな、駒姫様が間引き、この利休が金子に換える。実に単純明快でございます。嫁入りに持参金は付き物ですが、まさか嫁入り先で古今随一の富豪になる女子は駒姫様がお初でございましょう。」

 

「…あっけないものでしたな、太閤殿下。私とて多少、殿下を手に掛けることには憚りを感じておりましたが…いやはや、自ら墓穴を掘られるとは。ご自分で、私から未練を取り去っていただけるとは夢にも思いませんでした。」

 

「せめてもと、眉間に一突き、喉を一閃に留めましたが…感謝は結構でございます。どうせ、これから殿下の築かれたものは全て私共が頂戴いたします故。あぁ、心配はご無用に…殿下の御家族に用などありませぬから。」

 

「天下にも興味などございませんよ。ただ金子だけ、金子は幾らあっても足りませぬで。」

 

「ふう、夢が広がってまいりました。さてさて、この利休はここいらでお暇させていただきましょうぞ。何分、忙しいですゆえ。」

 

「これから早う屋敷へ帰り飯を炊き、風呂を焚き、それから湯を沸かして、茶を点て…そうして影殿の御帰りをお待ちせねばなりませんから。」

 

 

 

 

 

 

「日の本のことも、天下のこともご心配なく…駒姫様とこの利休が存分に搾った後で、豊臣家に返して差し上げましょう。」

 

「その後のことは…はて、利休は影殿以外のこととなると、これは困った…頓着が湧きませぬ。さっぱり、ちっともわかりませぬな。」

 

「では、長らくご苦労様でございました。ゆっくりと休まれよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。