史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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正午の駅。機関車の吐く煙がホームの床を這う。男と女。二人分の影。


「お手紙、受け取りました。初めてです。貴方の文字を視たのは。でも、私にはわかりましたよ。何故?それは…わかるのだとしか言いようがありませんね。」

「今日、ですか?ヱぇ、確かに授与式がございます。ですが、それが何か?ふふ、面白いヒトですね、貴方がお手紙を下さってのではないですか。患者様からの危篤の知らせです。看護婦たる者、全てを差し置いて優先して当然です。」

「ささ、長旅でお疲れでしょうから積もる話は私のお家で。…家族?ご安心を、貴方の為の部屋や家具は予め用意してあります。良いものを用意したつもりですが、ご不満があれば何なりと仰ってくださいね?療養環境が快適かつ衛生的でなければ治るものも治りませんから。」

「はい、結婚はしておりません。今は一人暮らしです。はい、確かにお見合いのお話もいただきますが…それが何か?興味はないのかですか?…ここで話していても楽しい話題ではないと思いますが…まあ、興味はありませんね。興味というか…それ以前の問題だと言えます。その、私はあのようなタンパク質の塊とも、統計上の「1」ともつかぬ何かに欲情するほど無節操でもないと、そう自覚してきたつもりなのですが…私は貴方から見た時にどこか、問題でも?」

「…よかった、心底そう思います。ふふ、貴方とこうして冗談を交えてお話しできる日が来るなんて、一日千秋の想いでお待ちした甲斐があったと言うものです。」

「…ところで、貴方を看取った日から私の肉体が老化は疎か、一部の代謝すらしなくなったのは、「そういうこと」だと考えてよろしいのですよね?天下の往来でお聞きするような内容ではないと理解しておりますが…この淫乱を憐れむと思って、ここで答えをいただけませんか?」

「…「そういうこと」がどういうことか、ですか…貴方も淑女に意地悪したくなるだなんて、お可愛いところがありますね。今後の療養計画に有益なサンプルの一件として扱わせていただきます。」

「と、そうでした、「そういうこと」とは…その、女として受け入れて下さる、いえ、貴方のものにして下さったという認識で間違いないでしょうか?…まだ、ということはこれから本格的な法悦を味わうことになる、ということですね。なるほど委細承知しました。では、今度こそ私のお家に向かいましょう。」

そう言って、彼女は彼の手を取った。










02「私と共に生きてください」不撓不屈の天使2

欧州、大陸の何処か。洋館のバルコニーにて、紅茶と焼き菓子の香り。男と女。二人分の影。

 

 

「貴方と初めてお会いしたのは新月の夜でしたね。あの晩ほど、ランプの灯を頼もしく思う夜はなかった、と記憶しています。貴方は砲撃を至近で浴び、四肢を悉く失った状態で運び込まれて来たのです。覚えておいでですか?…ふふ、その様子だと覚えておられませんね。いえ、何も謝ることはありません。なにせ、今の貴方は何処も欠けていないのだから。だから、あの時のことを何一つ覚えていなくても、それは些事なのです。ヱぇ、そうですよ?些事に過ぎないのです。」

 

「口元を除いて、貴方は全身に包帯を巻いていました。奇跡的に意思の疎通が可能でした。激痛に苛まれながらも意識がはっきりとしていた貴方の喘鳴が、私を貴方の御許に導いてくれたのです。何も、恥じることはありません。それに…結局私は貴方を治療することが出来ませんでした。貴方に唇を捧げた夜、あの晩も新月の夜でしたね。あの晩、私は私ではなくなってしまいました。貴方のお陰です。貴方のお陰で、私はすっかり狂うことができました。」

 

「ふふ…そんな、謝らないでください。貴方も、私が狂うことができたからこそ、迎えに来てくれたのですよね?でなければ、今頃私は勲章でも貰っていたことでしょうね…でも、そんなものにどれだけの価値があったでしょう?私には…ごめんなさい、理解できそうにありません。貴方とお揃いだったりしたら、少し考えたかもしれませんが…人の命を奪うようなことがあってはなりませんもの。真の人とは、神が自らに似せて作ったものと言いますし、何より貴方は人殺しを禁じていますからね。」

 

「ヱぇ、貴方が私に言ったのです。俺は兵隊に何かなりたくなかった。戦争になんか行きたくなかった。ひとごろしなんかしたくなかった、と。そう、貴方が仰ったのです。どうしてそこで俺が出て来るのか?…それはまた、不思議なことをお聞きになりますね。何故かと問われれば、自称するのは恐縮ですが、ただ私が人より少しだけ敬虔である、としか説明できそうにありません。」

 

「貴方もご存じのとおりですよ?」

 

「はぁ、なるほど。貴方の仰ることも確かに、その通りです。貴方は疑問を抱えておられる。あの日どうして、全てを捨てて貴方の元に向かったのか。授与式を蹴り、貴方を駅まで迎えに行ったのか。貴方と再会し、そのまま名も家も捨ててこうして異国の地で二人暮らすことになったのか。何故、差出人不明の手紙一通で、なぜ私は貴方を貴方であると信じ、その旅に付き従うことを選んだのか…。」

 

「ふふ、お可愛いヒト。貴方は、あぁ、まったく仕様のない。」

 

「何故と問われましても、私がそれを望んだから、としか。先ほど申し上げた通り、私はただ信仰に篤いだけ。他人より少しだけ、信仰に篤いだけ。看護という分野でどれだけ名を遺しても、戦場の不潔が齎す死からどれだけ多くの生命を遠ざけようとも…結果、それらは全て数字の推移に過ぎない。無論、それらは全て無駄ではありません。無駄ではありません。史に、人類に多大なる貢献を果たしたことを確信しています。しかし、だから何だというのです。」

 

「無数の数字の推移を、誰が堰き止めることが出来るというのでしょう。無能で無分別で不潔な、背信者が支配するこの野蛮の世にあっては、救われる者も奪われる者も等しくただの「1」に還元されています。そこに如何程の名誉があるのでしょうか。私は人類文明の未来に貢献しましたが、それらは旧支配者が紡ぐ霊長史の一頁を担ったに過ぎず、未来の殺戮の免罪符に一役買ったに過ぎません。石に刻まれた名も、何れは唯の傷や溝に還元されるでしょう。」

 

「それならば、貴方のお傍に永遠に居られることのほうがよほど美しい。貴方から、この世界に刻まれた名を、歴史に刻まれた真名を奪われることの方が、比べるまでも無く幸福なことなのです。私の身も心もすべてが、あの日からずっと貴方のものです。」

 

「新月の夜、苦痛に喘ぐ貴方は私に言いました。「キスしておくれ」と。キスしてくれれば未練なく、さっさと死んでしまえるから、と。そんな貴方に私は言いました。「お断りします」と。「殺してでも治します」と。このままキスを貴方にしなければ好い。貴方に憎まれたかった。そうすれば、私は看護婦のままでいられる。こういうものなんだ、と諦められたはずです。」

 

「しかし、最期の新月の夜、暗闇の中で貴方に私は唇を捧げてしまいました。…とうの昔に、絆されていたんです。理解していたんです。でも、勇気が無かった。だからあの日まで、結局私は答えを先延ばしにしてしまいました。そして、薄汚いほどドラマチックに、私は貴方を看取りました。気がつけば、いえ、言葉にするまでも無く、私は貴方に「尽くす」ことに依存していました。理解していた筈の現実に打ちのめされた、その上で、貴方()は今頃になって私の前に現れた。」

 

「言葉にせずともわかること。死を捨てることは、即ち人の営みから外れること。でも、それがよかった。それでよかった。聖書にある通り、私は貴方に服従し、全てを捧げます。偽物ではなく、貴方(本物)に。国家でも、法皇でも、(偽物)にでもなく、貴方に。」

 

「ああ、幸せ。幸せ。もう、二度と離れません。文字通り永遠の旅路です。そのうち飽きることもあるでしょうが、それでもご心配なく、私が貴方より先に死を選ぶことはありません。私は貴方の為に生きます。ですから、貴方も貴方の為に生きてください。私の為に生きてください…というのは少しワガママでしょうか。…そう、ですか…言葉にされるとこれほど照れくさいものもありませんね。」

 

「ところで、貴方の話どおりであれば、私の先達も数知れぬとのことですが…まあ、貴方は本物ですから、それくらい当然のことでしょう。私が許すか許さないなどと宣うつもりはありませんが…身を持ち崩さぬように、とだけ言っておきましょう。ご安心を。例え身を持ち崩すようなことがあっても、私が治療して差し上げます。これからも、ずっと。幾度でも。」

 

 

気がつけば紅茶が切れていた。彼女はポットを手に、席を立った。

 

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
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