史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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20「生きてる内に褒めてくれ」不向日葵る画家1

僕はもっと明るい場所に行きたい。明るくて温かい場所で生きていたい。そういう世界こそ、誰しもが望む理想なのに。明るい世界に生きていたい。明るい場所。温かい場所。心が温かくなるような、人が助け合える場所。みんなが幸せになれる場所。それこそが理想で、きっと本当に美しいとみんなが言う場所なんだ。蔑ろにされていても、耕夫は逞しく生きていた。絵の中で種を蒔く彼らには底知れない力と美しさが秘められていた。僕もきっと、あんな風に輝く時がやっと訪れたんだ。これまでずっと絵を描いてきて、こんなにも穏やかな気分は初めてだった。最期まで誰にも見向きされない絵描きが、死んだ後に評価されると言うのもあるけれど、きっと僕には縁がない。だってそうじゃないか、生きてる内に褒めてくれなきゃ、僕の絵で幸せになってくれる誰かが居なきゃ、そんなのは僕の心を癒すものにはなったりしないよ。だって死んでしまった僕には、心も体もないんだから。空っぽの棺に向かって賛美歌を歌われても、僕は生き返らない。死にたいわけじゃないんだ。死にたがりな訳じゃないんだ。ただ、そうなってしまうんだ。動かぬ体になってしまうんだ。僕の願いじゃないんだ。望んだわけじゃないんだ。時が来て、動かけなくなってしまうんだ。悩みぬいて、悩みぬいて、苦しんで苦しみぬいて、でも誰にも見えないものだから、僕の体を切り開いたところで何も表現できないけれど。誰にも伝えられないけれど。僕の死、それすらも僕は誤った表現だけを遺すことになる。僕の望まぬ答えだけを教えることになる。好き勝手にされて、僕は捏ね繰り回された歪な像になるんだね。もう遅いけれど、大抵さ、悩むのはとうの昔に終わっているんだ。終わった後も、それでも諦めきれなくて、何かが救ってくれると思って、死んだ心を引きずって、内側から腐っていく体に鞭打って進んでる。惰性とか、言えたらいい。でも、言い返す気も起きないよ。油を注ぎ過ぎた火みたいに、僕は飛び散りながら激しく燃えて来た。進んできた道も自分自身のことも焼いて進んできた。ここまで、何もかもが無意味なんかじゃないって思う。でも、それは僕にとってじゃなきゃ意味がなくて。僕が死んでから、誰かが拾い上げたら、何の感動もないんだ。僕は救われたかった。救いを探して、理想に追われて、善なる何かに焼かれながら、前へ前へ進み続けてきた。だから、今、こうして穏やかな気持ちに成れたのは、そういうものから、ほんの少しでも目を離すことが出来たから。全然関係のない、ほんの少しの安らぎを得ることが出来たから。世界の不条理も毒も何も知らない、ただ純粋で幼い美しいものを視させて貰ったから。それだけが救い、なのかな。でも、足りない。こんなんじゃ僕は救われない。救い。救い。救いが、なければ。どうして、こんなことになったんだろう。もう、見切ってしまった。視野が狭いとか、限界を越えろとか、成功したヤツは後は自分が持ってるものだけを言うだけなんだから楽でいいね。でも、違うんだ。たぶん、そういうものじゃないんだ。絶望は、きっともっと暗くて深くて、逃げられないものなんだ。人間はもっと、情けなくて弱くて繊細で、大切に扱わなければ壊れてしまうんだ。容易く理不尽に蹂躙されて、足を引きずるような傷を負う。誰かのための全てが報われることはなくて、いつの間にか希望に満ち溢れた筈の視界も思考も、その何もかもが冷たく凝り固まってしまう。何かを成し遂げられればいいさ、何者かになれればいいさ。でも、何かを成し遂げるのも、何者かになれるのも、それ以外の圧倒的大多数のお陰じゃないか。誰も居なくて続けられるの?誰も居なくて褒めて貰えるの?比べられて褒められたから、誰かよりも優れていたから、自分の価値を認めて貰えたから、結局その感覚が忘れられなくて続けているんだよね。崇高な何かを語って、立派な何かになったとして、何よりも欲しかったのは褒められることじゃないの?褒めて欲しいって、言えなくなったのは何時からだっけ。褒めて欲しい、そう思うことが幼いって言われるようになって、大人になれって言われるようになって、いつの間にか理不尽に従う様にしつけられて、不満は我慢する様に造り替えられて、頭を下げたまま、地面を見たまま前に進めって。名前以外知らないような、会ったこともないような人の指図に従わなくちゃ生きていけなくなって、どんどん腐っていく。どんどん弱っていく。人間はそんなふうに生きていけるようになっていないはずだというのに。幼い僕は、殺されてしまってもうどこに居るかもわからない。僕はただ、褒めて欲しい、その一言を言いたかったのかな。理想もあった、情熱もあった、皆を幸せにしたかった、誰かを救いたかった、善なる者のままでいたかった、そうなりたかった。でも、その救われる者の中に、自分のことを入れちゃいけなかったのかな。褒められようだなんて、認められようだなんて、理解されようだなんて、その道に絵を選んだこと、その全てをどうして捨てて行かなければいけないのだろう。聖書の通りに生きようと思ったから、聖書の教えに忠実であるために身を削って働いてみれば、僕はおかしいと後ろ指差されたじゃないか。僕は敗けたのか?勝たなければ語る資格は与えられないのか?吐き出し訴えることも許されないのか?ちがうよね、そんなの不公平だよね。理不尽だよね。雁字搦めになってるよ。正しいことも正しくないことも分からない。幼いころに教えられたことに忠実であっても、忠実でなくても、否応なく君たちは僕を苛めたじゃないか。これ以上ないほどの想いを伝える為の振る舞いが、何故か異常者として扱われる。僕が他人の心の中を理解できない様に、君たちだって僕の心の中を見ることなんて出来ない。だから理解できないことはおかしくないんだろうね。でも、理解できるから、僕にはどうすればいいのかわからない。答えを欲しても、答えは見つからない。答えを求めること、近道に縋ることは悪だと、伸ばした手を叩かれる。恨めしい眼で見上げるしかない。僕は堕ちていく。堕ちていくんだ。ずっと深いところに、何も返せないまま。このまま沈んでいって、そのまま二度と上がってこれないかもしれないね。これまでは運が良かっただけ。弟に、テオに何も遺してやれない、それだけが心残りだね。なにも、残してやれない。ずっと助けてくれてありがとう。ここまで生きてこれたのも、今思えばテオのお陰だ。あぁぁぁあぁ…眠い。もう何も考えていたくない。眠いのに、頭の中で言葉と色と嫌な景色が、嫌な顔が浮かんでは消えて、ぐちゃぐちゃのパレットみたいだ。うんとどす黒いパレットの中で迷子になってしまった。ちっぽけな僕はこのまま、ずっと泳ぐこともできないで、ただ沈んでいくのかな。苦しいのかな。苦しいのはイヤだな。痛いのもイヤだな。でも、誰かの為にとか自分の信じる為に痛みに向かったあの時は、怖かったかもしれないけど、それいじょうに救われたような気がしたかも。酔っていたのかな。酔っていたらダメなのかな。僕のことなのに、いいや、こういうのは僕が僕を信じて続けなければ意味がないのか?ううん、わからないや。なんで、どうして僕は。何も間違ったことはしていない。信じていることだって、誰かを傷つけるつもりなんて微塵も無いのに。誰も支持してくれない。誰も、誰かなにか言ったらどうなのさ。何かを変える勇気がないのかな、何かを変える為に行動することは僕も同じなのかな、でも僕は僕なりに励んだつもりなんだけど、それじゃあダメなのかな。ダメって、誰がいうの?僕が僕に言っていることはわかってる。でも、このダメはうんと元を辿ればきっと、僕のものじゃなかった。誰かが僕に…僕たちに擦り付けたんだろ。そうなんだろ!そうやって、苦しんでいる僕たちのことを笑うんだ。いいや、笑うならまだよかった。きっと、自分の言ったこともやったことも覚えてないんだ。僕が死ぬほど苦しんでるのに、気づくどころか僕に見向きもしないんだ。寧ろ、好いことを教え込んだとでも思っているのか?社会貢献してやったと、世のため人の為、そうやって良く働くバカを育ててやったと、造り替えてやったとでも考えているんだろ!僕が、ぼくっは…ぁ、へ、ひ、ふ…ふふ…なんでさ、なんでさーーーー!!僕は全力だったんだ!必死だったんだ!真面目だったんだ!一生懸命だったんだ!情熱だってあったんだ!情熱だけは誰にも負ける気なんかしなかったんだ!変えようと思ったんだ!世界を良くしようって信じてたんだ!変えられるって信じてたんだ!みんな幸せになれるって思ったんだ!もっと美しく、明るく照らせるような…そんな、絵を描いてきたんだ。これだけは、つもりなんかじゃないぞ。僕は、確かにずっと、例え独りよがりでも、照らしてきたじゃないか。そうだ、ただ、僕だけは僕は僕のことだけは、照らし出すことが出来なかった。変わる必要なんてない。変わりたくない。変われない。変わってしまうのが怖い。ずっと、ずっと…影の中で蹲ってきたんだ。動けなかった。怖かった。頑張って日の当たる道に出て、そこで否定されることが怖かった。否定されたことに、耐えられなくて戻ってきてしまった。世界がどんどん狭く小さくなっていく。なのに、願いは大きくなっていく。僕の体の中に納まらなくて、留まってくれなくて。ぐんぐん育つ世界に圧し潰されて、僕が描くはずだった世界、僕が照らした後の世界。その世界の熱が膨張して、僕のことを、僕のことだけ焼いていくんだ。熱い。熱い。熱い。もう逃げる場所も無くなって、焼かれて焼かれて、真っ黒こげになって。気が付いたら病院の中に居て、もうどこにも行けなくなって。ゴーギャンと暮らした家に戻って、焼かれては病院に戻って。気を失って、太陽に呑まれる度に白い天井が襲ってきて、それで、そのあと絵を描いた。あの絵は、この時に描いたんだ。スケッチを描いてるとき、パリに行った時のことを思い出したっけ。パリの街角で、一回だけ視かけた人のコト。このときまで、ずーっと忘れてた。でも、どうして忘れてたのかわからないくらい。それくらい美しい人だった。でも、不思議と太陽みたいだ、だなんて言葉は浮かばなくて。ただ、どうしてか暗い黒い海の底の沈んでいくような、きっとああいう人に捕まっちゃったら二度と後戻りできないんだって、そう思って逃げるようにそこを離れたんだっけ。美しい、人だったなぁ。あの時、僕は今よりはまだマシだったはず。だからかな?でも、勿体ないことしたなぁ。スケッチ、せめてスケッチ一枚だけでも欲しかった。あのヒトの事、どうして思い出したんだろう。名前も知らない。ほんの数秒、目に入っただけの人の事。きっと、そうかそうか、きっとさ、きっとね、あの人は太陽じゃなかったんだ。きっとそうだ。だから、太陽のことを考えもしなかった。絶望でもない。停滞でもない。明るく照らし出すものでもない。きっと、こんな僕のことも…会ったことも、話したこともない人に何考えてるんだろ…僕、オカシイのかも。あぁ…でも、でもなぁ、きっと優しく抱きしめてくれたかもしれない。それこそ、神様みたいに。ぁあ、主よ、救ってくださるのなら今、今、救ってください。僕はまた、色に呑まれていきます。太陽に焼かれていく、きっと今度こそ帰って来られるかわからない。僕は正常だ。いや、今こそがおかしいのか。ただ、色だけが溢れてくよ。静かな方へ行かなくては。温かい方へ行かなくては。太陽の下へ。まだまだ、もうここまで、まだまだ、もうどうすればいいのかわからないけれど、まだまだ、そう言うのですか?何を救いにすればいいのです?誰か、何処か、誰かいないか?誰か、僕を鏡に映してくれ、きっと酷い顔だ。しかめっ面で顔色も悪いと思う。でも描いてるときは生きている。その間に、早く誰か、誰か僕の手を掴んで。もうどこにも動いたりも出来ないから。ここから離れることもできないから。今が何時なのか、今は何処なのかも、次第に薄れるものの奥に吸い込まれていく。この黒は嫌い。この青も嫌い。僕が描きたいもの、僕が描いてきたものとは違うんだもの。放してくれ、いやだ、遠くへ。でも、どこへ。遠くへ逃げるにはどうすれば、お金なんてもってない。画材だけもって逃げてしまおうか、でも何処へ。誰の元へ。一人はイヤだ。一人は寂しいよ。もう嫌だ。早く醒めろ。早く醒めてくれ。こんな夢、もう嫌だ。もっと温かい何処かへ。静かで明るい貴方の元へ。黒く温かい貴方の元へ。あぁ、誰か。テオ!テオドルス!!僕は此処だ!ゴーギャン!あの時は悪かったよ。でも、君だって!ぁあ、でも、もう!…あぁ、何を、何が…誰もが、僕を…耐え難い…笑わないでくれ!そんな、僕はそんなことしてない!悪いことなんて、僕はただ理想の為に、誰もが幸せになれるユートピアの為に!そのために、絵を描いてきたんじゃないかッ!もう、何も言ってくれないんだね。言葉をかけてもくれないのか…雑踏が、群衆が、村人が、画家たちが、家族が、そして女たちが僕を値踏みして、見下して、軽蔑して、僕は求めすぎたのかな?僕は、求め過ぎたのだ。でも、なら、もう、こうする他に僕には道もなにもあったもんじゃない。あったものじゃない。美しくない。眩しい。僕を焼かないで。焦がすのは、もう止して。疲れたよ。ずっと疲れてた。食べる物も食べてなかったからかな。…もう、動けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

1890年 7月27日

 

 

 

 

 

 

 

「「「「誰?そこから見ているのは…誰?僕の話、聞いてくれてたのかい?そうかい、そうかい、でも、もういいんだ。そろそろ好い頃合だよ。自分で歩いていける。歩けるよ。歩ける。まだ、歩けるんだ。一人でいるんだ。ここには僕一人なんだ。このまま、もう撃ってしまったから。もう…え?なんで、なんで、なんで君が?どうして?どうやって、さっき確かに引き金を引いた。僕は撃たれたじゃないか。撃たれたのは僕じゃないか。撃ったのは子供、そう、走ってきた。走ってた悪ガキが僕を撃ったんだ。なのに、なんで君が、君が血を流しているんだ。胸から、でてる。胸から血が出ているよ!何故、なんで君がこんな目に!あぁ、あんまりだ!僕が君に会いたいだなんて、僕の片思いなのに!君を視かけただけなのに!ただそれだけの僕の元に、なんで君が!あぁ、あんまりだ。逢いに来てくれただなんて、そんなのあんまりだ!どうして、どうして!どうして、あんまりな今が、こんなに!こんなに静かなんだ!静寂だ!僕と君だけ、なんでこんな!どうして静かになっちゃたんだよう!まだ、まだマトモにしないでよ、こんな時に、マトモなんかになりたくない!視たくないよ!嫌だッ…君を看取るのなんて嫌だッ!なんで、なんで初めてが、こんなッ…あぁ、冷たい、君が、ダメ、ダメダメダメッ!ダメだよ!ダメなんだよ!ダメ…ダメ…ダメだって、そう言ってるのに…なんで、止まってくれないんだーーッ!僕には効いただろっ!僕に効いたみたいに、僕の人生を滅茶苦茶にしたみたいに!ダメって言ったのに!なんで僕のダメはダメなんだよ!痛いのもダメ!苦しいのもダメ!寂しいのも悲しいのもダメ!僕を見捨てないでよ…おいてかないでよ。名前も、名前…名前!教えてよ、君のことを遺すから…描くよ。描いてからにする。君を描いてから、だから教えて。僕…僕の、名前なんか…それより君の名前を…ね、ねぇ…なんで?なんで褒めてくれたの?…なんで…。酷い。酷いよ。こんなの、酷い。酷すぎる。あぁ、急がなきゃ…パレットと、筆、あと絵具も。早く、持ってこなくちゃ。きっと、みんな欲しがるにきまってる。泣いてる暇なんて無いんだ。早く、早く、誰かに盗られる前に描かなきゃ。僕が描かなきゃ。僕が…僕が描くんだ。描いて欲しいって、言われたのは僕なんだから。お金はイイよ、僕の方こそずっと貴方のことを描きたかったんです。貴方だって、僕からモデル代をとらなかった。凄いこと、です。凄いことなんですよ?僕、貴方みたいに美しい人は初めてなんです。あぁ、これからこの人と…パリで見た、あの人と一緒に…フフフ、ウへへへ…褒められちゃった、ほ、ホントにそう思いますか?ねぇねぇ、ホントにホントですか?……そ、そっかぁ!フヘへ…あぅ、すみません。キモかったですよね?そんなことない、ですか?…もう、僕にそういうこと言うと、勘違い、されちゃいますよ?え?イイの?いいんですか?ほんと?ホントに?…ぅ嬉しいですぅ…。じゃ、じゃぁ、今度こそ、本当の本当に、僕と一緒にいてくれるんですね?両、想い…だなんて、そんな…ギュフッ…ぼ、僕の、こんな僕のものになってくれるんだぁ~…そーなんだぁ~…僕の、僕のものなんだ。絶対に、絶対に。」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
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