史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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24「麦粥」騎士王3

おや、見ない顔ですね。この森は初めてですか?そうですか…人探しの為に森に、それはまた大変ですね。私が力になれることでもあれば良かったのですが、ここはそれなりに深い場所ですし、でも一応、その探し人とは?え…私?…変なことをいう人だ。それはおかしい。私の事を探してくれる人は一人しかいない。私も私が心配して探す人は一人しかいないのですが、貴方のお名前を伺っても?…マーリン。ふむ、あぁ、どこかで聞き覚えがありますね。えぇ、貴方の言葉は嘘ではなさそうです。私と貴方は知り合いだったのかもしれません…まぁ、それも昔の話ですが。それで、どうして私を探しに?ふふ、なんだが不思議な気分です。こういった来客は何分初めての経験でして。いつもですか?いつも、いつもは彼と一緒です。これまでもそうでした。これからもそうです。しかし、そう考えると何とも不可解ですね。私と貴方はどこで知り合ったのか…やはり、貴方の勘違いなのでは?ふむ、ちがう、と。まぁ、彼が言うには余り人を疑うものでもありませんから、お話だけはお聞きしましょう。さ、こちらへ。どこへ?この森の奥です。そこに、私と彼の住処があるのです。今日まで来客もありませんでしたから、貴方が第一号ですね。気負わずともいい、と言っても仕方ありませんね。誰でも初めての体験には心躍りつつも、同時に緊張するもの。怖いと言う感情は身を守るための重要な指標です。そのまま、持ち合わせておくのが賢いでしょう。さぁ、彼も待っています。きっと驚いてくれます、彼は結構恥ずかしがり屋さんなので。行かない?何故?森に用事があるのでしょう?私を探しに来たと言っていたではないですか。私はせっかく来てくれたのだから、こうしてもてなそうと…兎もほら、この通り都合よく手に入りましたので、美味しく食べる為にも早く血抜きしないと……え?王国?騎士の誓い?魔法の剣?え、え、なんですか?もう一度お願いします。えくす、かりば…ですか?……えー、あの、すみません。私では貴方の力になれそうにありません。他を当たっていただけませんか?その、そのう、物凄く申し訳ないのですが、そのように必死に問い詰められましても私の手元にそんな、えくすかりばぁ、とか言うヘンチクリンな剣?はありませんし、そもそもブリテン王国とか、騎士の誓いとかも知りませんし。あの、その手も放してください。私が今日の夕飯当番なんです。教えてもらいながらやっと一人で料理も作れるようになったんです。早く血抜きも済ませて、下拵えの為のハーブの準備もしなくちゃいけないんです。あの、引っ張らないでください。私、本当になんのことなのかわからないんです!その…なん、ですか、ソレ…?え?魔法?…そ、そんな変な物を近づけないでください!いや!やめてッ!あッ!?……あ、あぁ…あ?あれ?なんとも、ない?……いや、これは…貴方は、マーリン?…お久しぶりです。本当に、久しいですね。で、私に何の用ですか?魔法の件は不問とします。これといって害もないようですので…それで、ついさっき全て答えたとは思いますが、一応改めて要件を伺いましょうか。

 

ほう…つまりは、私に戻ってきてほしい、ということですね。王に返り咲いて欲しい、と。蛮族ピクト人を滅し、ブリテン王国の諸侯を束ね、その上で内外を慰撫して欲しい、と。はぁ…どうぞ、お帰り下さい。は?お話はもう十分お聞きしました。しっかり聞いて差し上げたでしょう?これをごらんなさい、血が渇いて皮に張り付いています。これでは、煮るには不向きになってしまいます。焼いて食べることが嫌いなわけではありませんが、味を調えるにもワインが必要です。しかし、ワインは今年仕込んだばかり。去年のものもそろそろ底をついてしまいますし、兎の丸焼きは先日も食べたばかりです。つまり、私が言いたいことは御分りですね?…マーリン、貴方には失望しました。魔法使いだかキングメーカーだか知りませんが、貴方の身勝手な大義?とやらの所為で私は一日の中で最大の楽しみである夕食での一皿を、煮込み料理から焼き料理にせざるを得なくなってしまいました。全く以て不本意です。岩塩で焼き上げるにしろ、私のリズムが、一日の流れというものが、よりにもよって夕飯という最重大事を前にして狂わされてしまいました。…私がどうして腹を立てているのか、ご理解いただけていないようですね。今更、どうでもいい、と言っているのです。私は、今何よりも誰よりも満たされているのです。それこそ、王様に無理やりにさせられた時よりも遥かに!…運命、などとッ!私の前で口にしないでくれ!いかにも感動的な、わざとらしく安易な悲劇も、悪趣味なまでに残酷な現実から乖離した喜劇も、もう沢山だ!虫唾が走る!舗装された道を歩まされる者の苦痛を、貴方は理解できないだろう。誰に理解できるものでもない。だが、だが断じて幸福に満ちたものではない。神のままごとに参加せざるを得ない者の苦悩を、一度でも考えたことはあるか?…私はな、今、とても幸せなんだ。心底幸せなんだ。もし、君に私という人間の運命とやらを憐れむ思いが一つまみでも遺っているのなら、私のことは放っておいてくれマーリン。…あの日、背中に突き立てられた矢によって、私は死を覚悟した。絶望した私は、気がつけばあの泉に身を投げていた。身を投げるとき、あの剣を捨てきれなくて、そのまま抱いて目を瞑った。自嘲したよ。けれど、目を覚ました時、その時にはもう矢の傷もエクスカリバーも、そして痛みも苦しみも、全て無くなっていたんだ。癒えていた、というのが正しいか。…ふふ、あぁ楽しかった。楽しい、というのは刺激的という訳ではなくて。静かで温かくて…私は、一週間前に何を食べたのか覚えていない。三日前の食事も。戦争に行っていたときは毎日同じ物を食べていたし、美味しくなかったし、覚える必要もなかったけど、それでもその日何を食べていたのか、何をしていたのか、何が起こったのか、そういうことは全く忘れなかった。でも、今は違うんだ。毎日が過ぎていく。私を取り巻くすべてが、こびりついていた現実ごと洗い流されて、それでただゆっくりと流れる時間の中に漂っていられるようになったんだ。彼が、それでもいいのだと許してくれた。赦されたんだ、私…は…。私は、忘れてもいいと、怖がってもいいのだと、教えて貰った。あのヒトが、彼が麦粥を食べさせてくれたその日から、私の世界は変わったんだ。一日一日が、何にも怯える必要がなくなった。誰にも支配されることが無くなった。怖くなくなったんだ。怖がる必要がなくなったんだ。けたたましいラッパの音に飛び起きることもない。糞尿と臓物の匂いに昼飯を吐き出してしまうこともない。鉄鍋の打ち合わさる音を剣戟の音と勘違いして、背筋を凍らせたり息苦しくなったりもしなくていい。白く濁った死人の肌が冷たいことも、知らなくて済む様になったんだ。戦場で食べた、あの味。虫唾の走る味。血と泥の味。腐ったパンの味。硬くて酸っぱくて不味い味。殺した相手の苦悶に歪んだ顔、憎悪に塗れた眼、手に伝わってくる肉を引き裂く感触、ぶにぶにとした横倒れに死んだ馬の膨れた腹から湧く蛆虫の大群、身包みを剥がされた騎士の首の無い死体、そういう光景が一つ一つはっきりと浮かんできて、胃酸がせり上がって来る。吐き出せば次の時間まで何も口にできないから、そもそも次が何時になるのかもわからないから、だから吐くこともできない。酸っぱくて苦くて辛い味がした。何も知らないまま、教えられないまま戦場に送り込まれて、戦わされて、人殺しさせられて…地獄だった。地獄になってしまった。忘れることが出来なくて、夜寝る前に何度死のうと思っただろう。私にもわからない。だんだん感覚が鈍って来て、自分が誰なのか、なんのために戦っているのかも分からなくなってきて、まともだった自分の方がおかしいのだと、間違っているのだと思うようになった。騎士道とか、王の責務とか、民の為とか言われても、私には何のことなのかさっぱりだ。美しい宮廷生活など考えたことも無かった。戦って、食事をして、吐いて、戦って、寝て、食事して、吐いて、戦って、眠って、眠れなくて…。人を殺した。私は人を殺したんだ。何人も。何人でも。斬り殺した。焼き殺した。射殺した。轢き殺した。殺した殺した殺した。マーリン、貴方が殺したのは何人だった?覚えているか?…そうか、覚えていないか。私も、覚えていない。もう、何人殺したのか…彼らの顔だけが脳裏にこびりついて離れない。彼らの内、どれだけが英雄だった?戦いを避けることのできない宿命的な、何か崇高な戦いだった?どこが、崇高だった?私は、私が殺した者達がその死を悼まれ、埋められる場面を何度も見たが。それ以上に、捨て置かれ、腐らせるままにされた場面を多く見た。私が討った将や王は悉く丁重に、絢爛な棺へとその遺骸を納められ、司祭まで呼んで埋められた。だが、私は王を一人殺す過程で何人殺した?将を一人殺す過程で何人殺した?彼らはその遺骸を捨て置かれるほど、悪行を積んだのか?死にゆく騎士や名のある将の死を記録し、時には絵に、時には詩に、時には物語にしたものが流行ったが、美しい絵画も音楽も文学も腐乱した死体の匂いを教えてくれはしない。私の経験した全てを、私を誉めそやし或いは罵倒した連中全てに見せてやりたい。聞かせてやりたい。触らせてやりたい。味わわせてやりたい。嗅がせてやりたい。私はそういう経験をした。そして、今はその全てから守られている。これがどれだけ、私の身も心をも救ったのか、マーリン、貴方にはよく理解できるはずだ、貴方でなくとも、少しでも物を考えられるのなら理解できるはずだ。私が全てを投げ捨てて、今この森で彼と二人暮らすことに、納得できなくても、理解はできるだろう?…彼が与えてくれた今の暮らしが、この生活の全てが、私は心底愛おしく、何よりも失い難い。私は何か特別に感受性が豊かな訳ではなくて、だから鳥の囀りを愛でたり、日々の中で小さな発見を感じ取れることを幸福に思うだとか…そういうことは無いんだ。けれど、朝起きて、特別なこともせずに時間を無為に過ごして、気が向いたら糧とする分の獣や魚を獲り、彼と食事を囲んだり、偶には夜更かしをして、彼に他愛のない話をせがんだり…そういうコトが、三日も経てば上書きされてしまうような、ただただ変化もなく続いて行ってしまうような、明日には朧げな記憶の連続が、何よりも大切なものだと思うんだ。平穏な日々の記憶が刻一刻と朧げになっていく。一日一日にしがみつくように生きているつもりでも、私はあっさりとその記憶を手放し、また明日も、また今日も平穏な日常の繰り返しの中で生を楽しみ、楽しみながらも薄れ、朧げになっていく記憶を、失うばかり与えられるばかりの自分の現状への焦燥と恐怖と、そして僅かに拭いきれない明日も今日のような平穏が続いて欲しいという期待。希望なんだ。要するに、私は今、ようやっと生とは未来とは、という問いに答えを見つけられたんだ。希望というモノのお陰で、ようやく私は未来に向かって生きることが出来るようになったんだ。私は彼と生きていく。この世界が、今私が彼と生きている現実が夢だとしても、間違いであったとしても、私は彼を選ぶことにしたんだ。彼と共に生きる為に、私は今度こそ未来の為に戦える。希望の為に戦える。

 

…全て、知っていたんだろう?知っているんだろう?マーリン。君は全てを知りながら、全てを理解していながら、何もしなかったのだろう?だから私は今、彼の元に居る。彼と共に生きる道を選んだ。あぁ、そう驚いたような顔をしないでくれ。君は、何一つ間違ったことはしていないんだから。君の全ては肯定される。ただこの場を除いて、彼を除いて、私と彼が生きるこの場所の外の世界は、君を肯定する。君の行為は、結局のところ人理とやらに、世界の理とやらに認められているんだ。唯一神とやらに、創造主とやらに、救世主とやらに、自らの偉大さを誇る強い者とやらに、力ある者とやらに、君の用意した結末は認められ、歓迎され、その通りにする様に手助けさえして貰えるのだろう。私の祈りも、誰の祈りも届かないのだろう。だが、だからこそ、お別れですマーリン。私は貴方に何ひとつ文句を言いたいわけではない。ではないが、強いて言えば貴方の背後に蠢くより大きく強い、言うなれば世界そのものを拒絶するのです。私は、彼を差し出さない。私自身を、差し出すつもりもない。私は祈らない。祈るのなら彼に祈る。私は還るのです。私は還らねばならない。私は誰に憚るべき罪も犯した覚えはない。その罪を肩代わりしてくれるように頼んだ覚えも無ければ、その罪の肩代わりの代償に帰依するなどという馬鹿げた契約に合意した覚えもない。私が還る場所はここなんだ。だから、もう皆の元に帰ることは無いでしょう。貴方の元へも、無論ありません。ですが…いずれ、貴方の元にも訪れるかもしれません。今は理解できずとも構いませんが、もしもその時が来たら、その時はまたお会いしましょう。その時は、またゆっくりと語らいましょう。では、私はこれで。あの子にも、私の息子にも、その内会うかもしれませんね…一応、彼にも話しておきましょうか。少し楽しみになってきました…ふふ、希望を持てることが、未来の条件ですから。私は今、未来を見ることが出来る。ようやくです。希望が無ければ、それはただ時間の経過に過ぎませんからね。…では、私は彼の元に還ります。用があれば、いえ、やっぱり来ないでください。もう、思い出したくもないので。過去を無かったことには出来ませんし、過去が舗装した今に続く道があってこその今があることも理解しています。しかし、味わわずに済むのなら苦痛は無い方が好いに決まっています。背負わなくていい苦労を押し付けられた記憶は、今の有難みを実感するのを援ける程度の価値しかありません。寧ろ、苦痛の種ですし、何より憎悪の根源になりかねません。勝手に、私の幸せを規定しないでください。私の正義を規定しないでください。戦いたくなったら戦います。守りたくなったら守ります。ただ今は、この今は、これまでの全てが私にとって害でしかないんです。ただそれだけだったことです。あぁ、そんなことより御夕飯はどうしましょう。月が薄っすら見えてきましたね…もう、食べたことにして、今日はさっさと寝てしまいましょうか?…いや、せめて何かお腹に入れてから眠りたいですね。深夜にお腹がペコペコで目が覚めてしまいますからね。きっと彼のことです、私の事を心配して探してくれているに違いありません。帰り道は少し駆け足で行きましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
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