史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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絶望は回帰する。希望は昇降する。


第二部 願望の螺旋
27「願望の螺旋」汎人類史最後のマスター


 

 

 

 

 

 

 

 

 

温かい。温かい。鳥の囀りも聞こえない。都会の喧騒も遥か遠く、聞こえるのは寝息だけだった。生暖かい呼気が規則正しく流れては私の頬を掠めた。産毛が揺れて擽ったい。瞼は閉じたまま、手探りで彼の手を探した。すぐに見つけた。私のおなかの上だった。だらりと脱力していて重い。私の腕よりも太いかな…私の腕が太い訳じゃないけど、少し細身かもしれない。それでも重く感じる。眠っているんだ。意識がない内に、いつもと違って気を遣われていない腕の重さが知りたかった。うっすらと浮き出た血管は、肌の白さもあってか少し青くてグロテスクだ。夏になれば日焼けして少し気にならなくなるかもしれないけど…案外このままなのかな。寧ろ日焼けで赤みがかって、一層青く映えるかもしれない。まぁ、嫌いじゃないけど。…まだ、瞼は閉じておこう。まだ彼の寝息は続いている。ほら、また私の耳の裏に当たってふわっと染み込んだ。自分以外の誰かの温度には、慣れないや。きっとこれからもこのままだと思う。多分…でも、私はそのほうが都合が好いや。自分とは違う人なんだってわかるから。そのことが怖いこともあるけど…でも、そのことがどうしようもなく大事なものに思えてくる時があるから。自分じゃない、自分でも自分のことを完全に理解なんて出来ないのに、なのに全然違う別の誰かが、変わらずずっと自分のことを大事にしてくれる事実に、自分の隣に居てくれる事実に、どうしようもなく救われてる。壊れかけても、その度に、怖くなって引き返せるのは、君が私の事を引っ張り上げてくれてるからなんだよ。沈んで、堕ちて、それから、それから…暗くてダメだって思っても、そのままでも許してくれる。そのままの私と歩いてくれるから。影の中に、一緒に入ってくれるから。影の中で一緒に歩いてくれるから。だから、今度こそ…後悔なんてしてないよ。…寝てるよ、ね。うん、聞かれてたら…その時は恥ずかしくて死んじゃってたかも。だから、そのままでいてね。君も、そのままでいいんだよ。

 

ねぇ、起きてるの?そっか、まだ寝てるんだ。なら仕方ないね。だから、このまま聞いててね。

 

迎えに来てくれて、嬉しかった。凄く心細かったから。なんでなのか、分からない。貴方が誰なのか、今でも分からない。でも不思議と嫌じゃなかったんだ。寧ろすっごく安心した。安心して、やっとだぁって、それで気が付いたら抱き着いて泣いてた。ふふ、声上げて泣かれて迷惑だったでしょ?…そんなことなかった?そっかぁ…寝言でも、ありがとう。初めて会った時、名前も知らない貴方の顔を見て、何よりもまず安心した。届いたって思った。何がどうとか、上手く説明できないけど。でも、届いて良かったって。蹲って泣いてて、小さい頃を思い出したよ。それで、誰かが助けに来てくれないかなって思ってた。来てくれたのはいつもお母さんとか、お父さんとか…知ってる人だから安心できたんだと思う。でも、今回は誰も来てくれないってわかってた。わかってたけど、それに縋るしかなくて、懐かしいものも何もかも、大切にしてた物が屑籠に投げ捨てられた時みたいだった。辛かったな…それで、結局誰も来なかった。でも、わかってたから。だから、きっと貴方が来なければ、あのまま次の日にはケロッと過ごしてたかもしれないよ?ふふ、うん、そうだよ。図太い、のかもね。でも、でもね、勘違いしないで。私、嬉しかった。貴方が来てくれてね、救われたんだよ。そう、救われたんだよ。ケロッとして、次の日も、そのまた次の日も過ごしてたかもしれない。でも、それってただ、身体が死ぬのを先延ばしにしただけなんだよ。一度鼓動を始めると、自分でも止め方が分からないの。絶望の鼓動が一度始まると、私の、私の心臓の鼓動が止むまで、一度だって止まってくれなくなるんだよ。それが早いか遅いかの違いでさ、だから…ねぇ、寝返りうってくれない?うん。寝返り。こっちにごろん!だよ?…そう、ありがとう。…聞こえる?そ、心臓の音。ドッドッ…って、聞こえる?えぇ~?聞こえなかったら困るってぇ~?あはは…でも、聞こえなくなってたかもしれない音だよ。…そっか、なら好かった。君のお陰で、やっと治まったみたいだね。…絶望ってさ、ちょっと陳腐だよね。なんか、二文字に収まらないものを無理やり詰め込んだ感じ。だからかな、ちょっと軽いなって思ったの。軽々しく使うこともできないけど、かといって本当の本当に、その絶望って奴に陥っちゃった時に使う分には、少し、ううん、かなり軽いなって。どれだけ辛くても、身体を切り開いても他人に心の中身を見せてあげることなんてできない。どれだけ辛くても、わかって貰えないことが重く苦しい。どれだけ言葉を重ねても、肉体の辛さも、精神の辛さも私のものでしかない。それ以上でもそれ以下でもないから。だから、一人で抱え込まずにはいられないものだったんだろうね。今更ながらに思ったよ。…私が、選んだんだよね。だから、今はここに居る。誰かと分け合うことが辛いから。今はまだ、皆に会うのが怖いから。そんな弱い私を、貴方は誰よりもよく知っているから。だから、ここで休んでいけって言ってくれたんだよね。自分にだけは、貴方にだけは強がらなくて好いって。嬉しいよ。怖いくらい、今ね、怖いくらいに気持ちが楽なんだ。心が軽くて…あぁ、でも、貴方がぬいぐるみみたいだね。私が寂しく成ったら何にも言わずに隣にちょこんと座り込んで、それから手とか膝を差し出してくれてさ、自己嫌悪で滅茶苦茶になると直ぐに飛んできて抱きしめてくれて…ふふ、なんか、贅沢だなぁ。でも、お陰で少しずつ好くなってる気がするよ。いいや、これは確実に好くなってる。間違いないよ!ふふ、うんっ!そうだね…もう少し。もうすこーし、好くなったら。皆とまた会えるくらい、それくらい勇気を持てたら…その時は、君の手を引いてさ、あぁでも少し怖いなってなったら私の手を君が引いてさ、それで、ふふふ…何も、しない!うん!そうやって、お茶でもしようよ。何もせずに、のんびーり映画とか、みたいな。批評とか、そういうの抜きにしてさ。時間のムダだ―って思いながら、ぐだぐだベッドの上で過ごそうよ。飽きたら?そん時はそん時だよ。映画そっちのけで美味しい物でも食べてさ、あ、そういえば…ねぇ、君ってエミヤって知ってる?ふーん…なんだ、知ってはいるのか…じやぁ、エミヤが作ったご飯は?食べたことあるの?へー、無いんだ。なら、折角だしその時食べるご飯はエミヤに作って貰おう!そうしよう!君が食べたことの無い物を御馳走できるチャンスなんだよ?…作ってくれるのはエミヤだけど。でも、ほら、君と一緒に食べたことないからさ、一緒に食べたら味も変わるかもしれないよ。だから、ね、お願い…もう、その時にはきっと、私も皆と一緒に居られるように、もう怖くなくなってると思うよ。でも、だからって君だけ居なくなるとか、ダメ…ダメ、だよ。ダメだよそんなのッ!今度こそッ!今度こそ…え?ああ、うん…大丈夫。でも、うん、大丈夫だから、私が大丈夫でいられるように、ずっと隣に居てよ…また、泣きたくなった時に君がいないと私、もう泣けなくなっちゃうよ。君がさ、迎えに来てくれて、でも私は蹲っちゃって…あの時は、そうだね、腰が抜けちゃったのかも。君はすごい美しいって言うか、私の理想そのものだったっていうかゴニョゴニョ…むむ、まぁ、うん…夢だと思ったの。だから、そのままおんぶしてッてお願いしちゃったんだよね。アハハはぁ~…恥ずか、しい…うぅ。……おんぶして貰ったの、結構久しぶりだったんだ。だから、なんかそのままうるうるしちゃって、そのまま泣いちゃった。謝らないでよっ…違くて、嬉しくて、懐かしくて、あったかくて、我慢効かなくなっちゃったんだよ…。病みつきって言ったら変だよね。でもそんな感じ。もしもまた君が来てくれるなら。迎えに来てくれるなら…それなら、またああなっちゃってもいいやって、そんなこと考えるくらい。好き、だったなアレ。あんなに泣いてたのに、でもそれ以上にもう大丈夫なんだって思った。ずっとずっと我慢してたから。だから、やっと逢えたんだって。ずっと逢いたかったんだって…理解できなくてあたりまえだよね、逢う迄わからないことだってあるんだもん。でも、好かった。逢えて好かった…二度とあんな思いはしたくないし、もうしなくて済むんだとしても。でも、心底好かったって…君に選ばれて、君を選んで好かったって。なんでかな、どうして名前、教えてくれないの?…もう知ってる?ふふ、なにそれ。知らないよ、私…でも、言いたくないならイイや。それとも、言えないの?そう、なら仕方ないね。いいよ、君以外に君なんて使わないし。貴方以外に貴方なんて使わないって決めたから。えぇ~?いつから?そんなの知らなくていいの!秘密が多い方が、ミステリアスで魔性の女って感じがしない?君も好きでしょ、そういうの!…な、なんだその反応は…なッ!?無理してないし!本気だよ!?ホントの本気で君だけだもん!……だから、君だけだから。君だけは、何処にもいかないでね?私の前から消えないで。私を肯定して…私の隣に居て、私のことを忘れないでッ…私を奪ったままでいて…。貴方の世界に、静かなこの場所に、貴方が居る場所に、貴方が守ってくれる場所に、貴方の温もりに抱かれたままでいさせて。貴方の世界に奪われたままでいさせてよ。私も、今度こそ間違わないから。貴方さえ消えなければ、私も消えずにいられるから。貴方さえ隣に居てくれれば、全て元通りに出来るから。貴方だけが、貴方だけが私の事を迎えに来てくれたから。貴方が私にしてくれた様に、私も貴方の為に…貴方と共に堕ちていくから。貴方と共に沈んでいくから。沈んで、堕ちて…そこで、暗くて静かな底で、貴方と共に影の中を歩むから。貴方の影に憩うから。貴方の影が私の寄る辺だから。私の未来は貴方がくれたから。私の希望は貴方だから。私は貴方の向かう方へ、貴方が迎えに来てくれる方へと進んでいくから。未来へ歩んでいけるから。だから、貴方だけは、私の隣に居てね。例え世界が壊れたとしても、人理が貴方の影に呑まれたとしても、私は貴方を害さない。害せない…ねぇ、だから迎えに来てくれたのかな?だから、私を選んでくれたのかな?…ねぇ、私ね、どっちでもいいよ。そのためだけに選ばれた結果だったとしても、そうでなかったとしても…もう救われてしまったから。こういうのは、誰よりも早く、誰よりも多く救ったもん勝ち、だもんね。いいよ…もし、異星の神が相手でも、貴方の為なら何度でも戦ってあげる。誰の為でもなく自分の為に。貴方と私の安寧の為だけに。何度でも。何度でも。だから、抱きしめる力だけは緩めないでね。私の事をずっと、貴方の腕の中に閉じ込めておいて。放さないで。貴方の為に使うから。貴方が何者かにしてくれた私の力を全て、貴方の為に使うから。悪も正義も関係ないよ。恩でも義理でもないんだよ。私はただ、貴方が私にしてくれた様に。愛してくれた様に、私も返すだけ。何時まで掛かるかも分からないけど…でも、そっちの方が好都合だから。ずっと一緒だよ、この先もずぅーっと、ね?螺旋の中で、クルクルまわりながら、最後まで手を離さないでね。あーあ、きっと神様は後悔するだろうね。私はもう貴方のモノになったから、私も貴方を選んだから。だから、果てなき螺旋を描きながら狂い咲くFateを、貴方が守り温め育む第二の人理(アルターエゴ)を…止める者はもはや存在しないのだから。人理が二度と断ち切ることの出来ない、陳腐な答えが萌芽する。私の…人類最後のマスターの堕天と共に、或いは私が陳腐な答えを選んだことで、願望の螺旋は今、起動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




補足

・アルターエゴ…第二の自己。哲学用語を参照。サーヴァントのクラス分類名とは全くの別物。
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