タンプル塔に収監される彼を見送ってから私は首を吊った。いいや、吊らなかった。吊し上げられたのは男だけである。私だった男だけである。老いて髭を生やした男の肉体は死んでいる。ただ、悪魔的な儀式への傾倒など全くだったから、お陰で幼稚な魔方陣しか書けなかった。果たしてこの死に意味はあるのか。ある。今、ここに立ち私を外から眺める私の存在が全てを結着させていた。艶めかしく、麗しく、毒で磨いた美と映る。そんな若い女の肉体は、生前であれば理解できなかったほどの充足と安泰を、今の私に齎している。実感とは恐ろしいものだ。一度認めてしまえば、それまで研鑽し累積してきた全ての論理的叡智の全てを忘却の彼方に追いやるか、強いても並置同一のものへと転生させてしまう。今の私はまさにそうだ。心地良く、同時に燃えるような怒りで満たされている。私は私だった老人を外から眺めた。若い頃は華奢で麗しいものだったが、今は別の意味で痩せ衰えていた。衰えなかったのは信仰と、それから主よ主よと、長く隣で戦ってくれた戦友として以上に、長くただ私の為だけに奉仕してくれた従者として以上に、それ以上に分厚く尊大にも彼へと向けていた冒涜的な情だけだった。果たすことなく。解放し弄するまでもなく。私は死んだ。否、私は死んでいる。私は私の目の前で、私が目の前で湯気を立たせながら糞尿失禁し、白目を剥き、唾液を突き出した舌先から垂らしている。死んでいるのか?あぁ、死んでいるとも。だが、現に何故か私は此処で息をしている。体は温かく、湿っている。嗚咽を招く臭気に耐えかねて、私は私を後にした。男だった私の最期は、少なくとも納得のいくものだった…これは、少し語弊を招く、ので言い直すことにする。彼に報いる為に、私は生まれて初めてその生と精を明確精緻にも搾り尽くした、のだ。結果、私は文字通り転生した様なもので…ただし、引き攣り蠢く自分の死体の薄気味悪さに失笑…お陰でこの通り自由の身となった。さて、私はこれから何をしようか。何がしたいのか。為すべきなのか。義務でも責任でもなく。そこには時に私を浸蝕し、と同時に支えてきた意志の鳴動がある。拉げた現実を、元通りに引き延ばすことは出来ない。奪われた時間と、起きた事実を覆すこともできない。上書きした者勝ちの世界のルールは理不尽な上、不気味で晦冥だ。しかし、今日ばかりは有難く思う。厳格に清貧に、そうやって生きてきた。が故に、彼との想いを果たすまでも無く。或いは彼の身と心を許すことも叶わずに今日を迎えてしまった。彼がどうして髭を生やしていたのか、似合わないからと言ったものだが。あぁ、だがしかし、この老躯に換わって得た今の姿でなら君に報えるかもしれない。肉体的にも精神的にも、今度こそ一部の隙間もなく君と私は交わることが出来るだろう。私は快楽を貪りたいわけじゃない。ただ、安心していたいんだ。安寧の継続と保障なんだ。欲しいものはそれだけなんだ。漠然としていて、とびきり贅沢な願望だ。今の時勢なら尚更だ。君は今ごろ、あのタンプル塔に閉じ込められているのか。きっと辛い目に遭っているに違いない。私の所為だが、お陰で君に報いることが出来るだろう。与えられたように、私は君にも返す。愛であれ、憎しみであれ。君が私に与えてくれたものが愛情であったのならば、今思えばこれは騎士としても信徒としても、立派な背信かもしれない。異端かもしれない。だが、堕ちるとこまで堕ちた今、私は私が信じるべきものが初めからここには無かったことを理解している。だが、君?君のこと?君のことを、私が疑うことは無い。疑う筈もない。君を疑うことは最早、神を疑うこと以上に難しい。そして今や、そんな神さえも眼中の外に排泄してしまった。はみ出してしまった。あぁ、寂しいよ。君の顔を視たいな。あぁ、でも今の君は…いや、ダメなんだ。聴いておかなければ。私は貴方を視ていない。貴方の苦悶を。そこに在る、ただある苦難を。美しく、そのように冒涜的な、劇的な、そんな陳腐な誤魔化しの効かない、ただそこで遂行される残酷を視て、知って、理解しなければ。出来ないことを、物語ることの出来ないことを、傲慢者は理解しなければならない。私もまた、何か夢に惑っていたんだ。きっと、この身に火が及びて初めて物語の、私の生を一貫した聖の不義を、初めて目で見、舌に乗せ、或いは手に触れ、目で追うことが出来る。味付けのしようなど無い。収束させることも、複写することも叶わない憎悪の螺旋を。そうして、世界を理解した時に、ようやく私は貴方の隣に侍ることが出来る。あぁ、だから、叶うコトならば君の叫びを聞きたい。君の苦痛に歪む顔が見たい。そうして、激情と狂気そのままに君の為に全てを灰に換えて仕舞いたいのだ。この身を抱いていて欲しいの。抱かれたまま、そうしてくれたら、私は全てを君に忠実に励むことが出来る。正義でも悪でもなく、ただその行いの報いを、機械的なまでに返すことが出来るから。王と教皇とを、奴らをひっ捕らえて、奴らに黄金を山ほど差し出したい。飽きる迄、食わせてやりたいんだ。きっと喜ぶに違いない。君が今、どうなっているのか私には知れない。知れないから恐ろしい。恐ろしさに感けて、感けるあまりに、私は自分の中で君を何度となく犯している。それは別に、なにいやらしいものじゃないんだ。勘違いしないでくれ。ただ、君の中に沈み込む自分という、悪夢を見ている。君の中に沈み込んで見えなくなっていく自分自身。彼女は、いいや彼は笑っている。私に向けて笑って言う。私には感じられないような、私には出来ないような快楽だと。法悦だと。だが、それは決して何か美しいものや素晴らしいものである以上に、私の弱さの結晶なんだ。隠れて、守られて、見えなくなるまで…貴方の影が温かくて居心地が好くってさ、ごめんね。でも、幸せなんだ。苦痛が、不幸が頗る、それこそ忘れるくらいに見えないんだもの。でも、だから、ごめんね。あ、でもありがとう、でもあるかぁ…。影に沈んで、君の影から吐き出されて、ううん…違うんだ、やっぱり、あぁ、言えない。言葉にできないッ…君が、私の元から去って、縄打たれて遠くへと、私の内から、私の元から離れていくの。行ってしまった、でも、行ってしまった貴方のお陰で、貴方の影から分枝された、貴方の影に育まれ温まれてきた私の小さな影が、呑まれつ交わりつ…貴方と共に在り続けてきたここまでの軌跡、刻印の鼓動する影の手引きによって、貴方の遺した影の温もりで、初めて知る絶望の味に解けてしまったから、貴方という解が、忌々しくも私を、私の魂を箍めて来た似非神・似非救世主を打ち倒し、その上で快哉と共に懲罰してくれたから、劇的にも塗り重ねられてきた虚飾と、虚飾に支えられ、多くを苦しめてきた物語の物語れざる様を知らぬ傲慢者を、抹殺し、貴方こそが超越し、その昇降によって、私を覆ってきた甘い霧さえ…溶き解して還元し、今や貴方と共に、貴方の元に還る為の階へと昇華させてしまったから。だから、貴方に赦されて、黒山羊の力を借り受けて、それが必然でも、貴方の厚意であっても、偶然海の底から引き揚げただけの代物だったとしても…それでも、それが私の世界を再構成してくれて、その為の力を、立ち上がる為の力を借りて、それで…再構成した世界なのに、この視界に君が居ないことに気づいてしまった私はゆっくりと、自己の収縮を知るのだよ。いいや、あぁ、でもね、爆発してしまう迄、拡大し、逆に呑み込んでしまえる様に、もう少し待っていて下さい。なんでさ!待てないよぉ~!なんで、なんで無実なのに、悪くない私の方が待たなきゃなんないのさ!早くッ早くッ!早く君の元に!貴方の元に、今一度、私の存在を再定義する為のイニシエーションを!世界が歪んでいく。拉げていく。甲高く歪な不協和音を奏でながらぐんにゃりと融解していくんだ。君が支えであったのに。支えを失った世界はゆっくりと、そうゆっくりと変質する。変質した何かが二度と元通りにはならないんだ。悔い改めて許されるなら、なら私も君も初めから離れ離れになることなんてなかったんだ。あの、古城、ブルゴーニュの古城から始まり、私達の物語はパリで終わってしまった。栄光と美、なら最後は何で彩られるのか…君は、私が生まれた瞬間から、ううん、生まれるはるか前から?ふふふっ…黒山羊さんは物知りなご様子で…昔の私が知らなかったこと、知り得なかったこと、貴方のことを教えてくれる。違うことを教えてくれる。今の私が教えてくれる。この肉を貸してくれた彼女なのか?それとも、この肉に誘った君自身の導きなのか?…ふふっ、いじらシィ~ね。黒山羊さん、君のご主人様にも感謝申し上げたいぐらいさ。そう思うのは不吉かな?不吉が過ぎるのかな?でも、それもまた愉快なんだ。私の精神を今や病的に揺さぶる怒りの根底を押し上げる、覚悟なんだ。この身に宿る不吉な神秘は、いっそ馬鹿馬鹿しいくらいに暴力的で大雑把なんだ。躊躇の無さと言ったら、聖地で暴れた騎士団の先達以上かもしれないね。その領域に、ただ君と私が居ないだけ、なんだよ?わかってくれるかな。嫌だ。わかってくれなくていいんだ。ごめん。なんか違う。そういうことが言いたかった訳じゃなくってぇ…んむ~ぅぅ…こぉの、人格は、あぁ、邪魔をする。靄掛かった理性の壁が私の鼓動を遮ってしまう。あぁ、急がないと。変に冷静になって、今更奴らを許してしまう前に行かなくちゃ。始末したら、そうしたらタンプル塔を崩してやろう。遊びかけの木の玩具を、一息に叩き割ってしまうみたいに。象牙のチェス駒も、金槌で叩けば脆いもんさ。権威も気品も…ククク…くく…くっくっく…下品なんだよ。下品なんだ。美しい振りをするってのがいただけない。泥まみれの手を洗うでもなく、その身に高貴の香りを纏うその傲慢こそ美の対極の存在だ。全ての、私と君の為の、即ち全ての救いを妨害し、侮辱する汚物なんだから。溝川の匂いを周囲にばら撒きながら闊歩する醜悪な野獣には死んでもらうしかない。死なないと、治らない。権力の椅子は死を以てしなければ離れない程強固に人を縛り付けるからね。慣れ親しんだ権力の味は、舌を切らなければ味わうことを止められない。呪い…それも考えた。でも、それじやぁ、物足りないよね?物足りない。私の目の前で苦しんで貰わないと。私と彼を二度と罵れない様に、害せない様に、そうした上でそっちには恨むことも出来ない様な苦痛の中で死んでもらわなくちゃいけない。悪いことをしてないのに、なんで謝らなきゃならないんだよ…怒ってるんだよ、私は。悪口なんてもってのほか。火刑なんてナンセンス!痛みで挙げる叫び声も、私と彼の気分を害しちゃうし、オマケに可哀そうになって来たら困るからダーメだよ。口には教皇と王の大好きな金を詰め込んであげよう。私も彼も素敵人間なもんで、悪口の為に割く語彙が足りない足りない…だからさ、代わりといっちゃぁ無難だけど、灼けて煮立った金を飲ませてあげる。でもまだ、まだまだ、殺すつもりなんて、楽に死なせるつもりなんてないからさ。何度でも言うよ、悪いことをした人が謝らなきゃいけないの。私も彼も、少なくともアンタたちには悪いことしてないもんね。だから、そんな無実の私と彼にいちゃもんをつけて、罵倒して、痛めつけて、剰え燃やしてやろう、だなんて思ってたことは、悪いことなんだよ。知らないと思うから教えてあげるけど、悪いことだから。それじゃあ、ここまで言ったら残りは言えるかな?ごめんなさい、だよ。謝るんだよ。お前たちの方だからな。謝るのは、お前たちの方なんだぞ?…くくっ、あはは…凄んでみましたー。…殺すからね。謝っただけで赦すかよ。信仰厚き貴種の野郎べらには、地上の人々が体験し得る最大限の苦痛を背負って、皆の分を背負って死んでいってよ。聖骸布を量産して差し上げましょう!地獄…じゃなかった、悪夢を魅せて、ア・ゲ・弄♪
……痛みは受け止める代物であるが、同時に痛みとは受けた分だけを徹底的に返却するものであると、私は思います。返却を通じて、憎悪と停滞を棄却することが出来るのです。憎悪の螺旋を中断する上で、権力の浄化は効果的なのだから。だから…私と君を侵害する全ての者を、侵害した全ての者を…私は断じて許すことが出来ない。赦されるべきではない。そして、私が許さない。だから、君が赦さない。もっともっと、悪になれば好いさ。私は別に、悪オチ、した訳じゃないしぃ~…今は、この今は、私への試練なのだから。貴方の受けた分の苦痛は、後で私が全てきっちり、耳を揃えて補填して貰えるようにっ、督促しておくね。力尽くで。
(愚神礼)賛値ピンチッ!
(愚神礼)賛値ピンチッ!
(愚神礼)賛値ピンチッ!
(愚神礼)賛値ピンチッ!
(愚神礼)賛値ピンチッ!
(愚神礼)賛値ピンチッ!
(愚神礼)賛値ピンチッ!
(愚神礼)賛値ッ!亜ッーー!