史徒奪名録   作:ヤン・デ・レェ

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コンピエーニュへの途上。長い列、林立する槍。大蛇が這うと、土埃が立った。汚れた旗、拉げた盾。騎馬する二人分の影。腹の虫が鳴く。



「はぁ…貴方と言う人は、どうしてそうも信仰を軽んじるのでしょうか。私がかねがね申し上げているように、一度でいいから天にまします主へと祈ることは出来ないのですか。貴方が強い意志を持っていることは存じております。しかし、私がどれだけ貴方の無事を神に祈っていても、貴方ご自身が祈ることを怠っていては、大事があるかもわかりませんよ?」

「…え?あ、あッ…たっ、確かに、そうですね…こう言うと貴方の無事を特別に祈っている様に聞こえてしまいます、ね……。あの、そう…ですね。はい…貴方の無事を、すこーし。ほんの少しだけッ…個人的に祈っています。う、ウソは吐いてはいけませんから。えぇ、なので、ハイ…正直に申しただけです。はい。」

「…ぷっ…あははっ…ごめんなさい。何も馬鹿にした訳じゃないんです。ただ、貴方が私の無事を祈っている様子を想像したら、何だかおかしくって。ふふっ…そうですか。それは喜ばしいことです。ヱぇ、とっても嬉しいですよ。そっか、そうだったんですか。貴方は私の無事を祈っていた。私は貴方の無事を…こうして考えてみると、案外何とかなる気がしてきました。貴方はご自分の為に祈る分も、私の為に祈ってくれていた…ならば、私が私の分、ほんの一人分ですけど、貴方の為だけに祈っておくのも吝かではありませんね。」

「…戦争が終わったら、ですか?突然ですね、藪から棒に。でも…そうですね、村に帰りたい、かも?ふふっ…えへ、ダメですかぁ?だって、私、元を糺せばただの村娘ですよ?そんな、崇め奉られても…私は一人の信徒に過ぎませんから。…だから、という訳じゃありませんが。ごくごく普通に、村で誰か好きなヒトと一緒になるのが、そこで二人で静かに暮らすとか、その方が私には好い気がするんですよねぇ~…なんて。」

「…私は、逃げませんよ。折角、貴方が付いてきてくれたんです。カッコつけたいじゃないですか、それに選ばれたのが私だった、それだけのことです。だから、お互い精々ここで長生きしましょうね。」

「俺で好いのか?ですって?…貴方が、いつから私の隣に居てくれたのか、わかりません。でも、気がつけば隣にいてくれたじゃないですか。村でも、戦場でも。どうやって、とか。どうして、とか。そんなこと興味ありません。私、貴方の名前も、何も知りませんけど…でも、一人でもそんなヒトがいてくれるなんて素敵じゃないですか。そんなヒト…いっつも仏頂面だけど、でも、ずっと隣に居てくれる人。」

「…私、貴方に選ばれるような人で、このままでいたいんです。でも、たかだか学のない村娘一人に大したことは出来ませんから。重くて臭い鎧を身に着けて、腕が千切れるくらい旗を振ることを続けるくらいしか思いつかないんです。」

「だから、傍にいて下さいよ。これからも、私の盾を持ってくださいよ。もしかしたら、貴方のために爵位とか、それが嫌ならお金とか用意して貰えるように頑張りますから。ね?それに…私、貴方の背中、好きなんです。こぅ、筋肉がモコってなるところとか…キャッ!言っちゃった…なーんて。あ、でも危なくなったらちゃんと逃げましょうね。」

「…むむ、その顔は信じてませんね?むむー…猪突猛進なんて、そんなんじゃないですー!」

「ふふっ…あー、楽しいっ。このまま…このままずっと、この行軍ごっこが続けばいいのになぁ…。あ、そろそろ拠点みたいです。ささ、もう少しでお夕飯にありつけますよ!さぁっ、全隊ッ駆けあーし!」


男装の乙女は旗を振った。男達の野太い声。彼女に寄り添う男の背で盾が光を反射した。










03「燃焼する義体」燃え尽きぬ乙女1

ルーアンの広場にて、堆く積まれた薪の山。真ん中に聳える柱。火柱。生焼けの肉の臭い。爛れた喉から洩れる喘鳴。吐き出される血、涙、灰色の煙。溶けゆく皮膚。拳の中に隠されていた鋭い石が、隣の柱で燃える女を縛る縄を断ち切った。駆け出した女を追う衛兵の前に、燃える男が立ち塞がった。

 

 

 

 

「もっとだ、もっと強く。もっと熱く。もっと気高く燃焼しろ。風を送れ、雪のように白くなるまで薪をくべろ。赤いぞ。火が赤いぞ。赤いんだ。どこまでも、赤いまま。子憎たらしい、炎だ。…炎が、オマエを焼く。俺の全てを焼いていく。焼いて欲しいもの、焼いて欲しくないもの。何区別なく。隔てることなく、熱だけが全てに伝播していく。孤独になる。孤独が襲ってきたぞ。オマエ、何処にもいくんじゃない。もういいんだ。このまま、逃げてしまえばいいのだ。燃えてしまうのは俺だけでいいのだ。さっさと風を送り込め。足りまい。まだ足りまい。まだまだ、俺の骨を砕け。俺の肉を焦がせ。憎しみに燃える我が身を焼け。」

 

「静かに崩れていくオマエに、何と声を掛ければよいのか。朽ちていく君。朽ちる女。燃えている。俺は今、燃えているぞ。誰も止められまい。この濁流に。この濁流に流されてなるものか。より、熱い火を持ってこい。もっと、もっと俺を焼け。火に噛みつかれている。肉の溶ける音すら、これは、今や救いだ。オマエが焼かれていく。だが、俺もそこにいる。それが嫌なら走れ。今だ。今だ。縄はもう無い。オマエを捉えておく物はない。全ては足蹴に、我が足蹴に。さあ、生け。生け。全てを投げ捨てて。」

 

「オマエの走る姿が見えた。もっと、まだだ。今、しばらく彼女の背中を見せてくれ。燃える俺を貫け。槍も、剣も、矢も、何もかも。俺の身を覆う火柱が呑み込む。輝く男が出来上がった。燃え滾る血潮を振りまきながら、一人の女を逃がした。これ以上の名誉はない。さあ、生け。生け。信仰は、貴様らには余りに勿体ないものだ。無駄な祈りを重ねながら、未来が疾駆する様を目に焼き付けろ。俺の未来だ。彼女こそ、オマエこそ俺の未来だ。逝くぞ。あと少し、そろそろ逝くさ。」

 

「だが、骨格すらも貴様らに晒すことはないのだ。俺の肉も、骨も、全てを燃やし尽くしてからここに死ぬ。そう決めた。これは定めだ。神…ちがうね、オマエのために俺が決めた。今、決まった。疾うに遅い、何をしようとも。嘶く馬をも呑み込むぞ。俺の全てを焚べた大火が阻むのだ。何人にも犯させはしない。何人にも触れさせはしない。」

 

「おお、長かったが辿り着いたか。ならば、よし。これで好い。これが好い。俺が選んだのだ。彼女を選んだ。彼女もまた、俺を選んでくれた。これ以上、何を求めればいいのかなぁ。幸せだ。あぁ、駆けて行く。彼女が駆けて行く。俺は欠けて行く。最後の一片になるまで。このまま、燃え尽きてしまおう。」

 

「いいぞ。いいぞ。そのまま、腰を抜かして神に祈れ。貴様らの神とやらに。貴様らは薄汚い悪霊だ、神の子を詐称する者に縋りつき、豚の群れを殺した屑だ。飢えを齎すは、邪の極み。俺という悪魔の名の下、影の下で慈悲を乞う日が来るだろう。奪うばかりの糞鼠どもが、恥を知れ。耳を塞ぎ、目を閉じろ。俺の死をその眼と脳髄に刻み込んでくれる。二度と逃れ得ぬ、刻印を貴様らにくれてやる。何者にもなれぬまま、塵芥の一握として死ぬがよい。」

 

「言いたいことは全て言った。さあ、もう行こう。俺は先に逝っている。直に、真の人が来る。貴様らの草臥れた細首を鉞で切り飛ばし、意気揚々と全てを燃やすために来るのだ。俺は、このままオマエを待つ。灰となり、町に舞い。オマエを待つ。俺は燃焼する義体だ。義体に過ぎないのだ。貴様らが殺したのは、終わりに過ぎない。人間の形をとったラッパに自ら息を吹き込んだに過ぎない。貴様ら大愚か者のお陰で、ようやく俺と彼女は始まることが出来る。もはや彼女は俺のもの、視るに堪えぬ無能者どもよ。弱者を嬲る弱者の権化共よ。さあ、跪き頭を擦り付けろ。もはや、お前たちは奪う側ではない。」

 

「楽しみだ。楽しみだぞぉ。彼女を、オマエを迎えに行く、その時が………。」

 

 

 

男は絶命した、黒く矮小な肉塊だけを残して。男は灰と成り、ルーアンの街を舞った。逃がされた女は馬を駆り、昼夜徹してシャントセへと向かった。あそこには頼りになる男がいるからだ。

 

 

 




我は神に仇なす者也。
我は霊長史より英霊を奪いし者也。
我こそは天を堕とし、魂と肉体を救済する者也。
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