実況パワフルプロ野球 聖ジャスミン学園if   作:大津

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第26話 2つの学園の狭間で

秋風が冷たくなってきた、ある日。

 

ボクは聖ジャスミン学園のグラウンドにいた。

ある人物の…いや、彼に関わるすべての人たちの毎日が劇的に変わってしまうような選択が…

知らず知らずのうちに、目の前に突きつけられていることをみんなに伝えるために。

 

 

 

 

放課後。

いつも向かう野球部の部室とは違う方向へと歩を進める。

今日は大切な用事があり、練習を休ませてもらったのだ。

 

そうやって歩いていると校門が見えてきた。

大勢の生徒たち帰路につこうとその門をくぐっていく。

…が、それを遮るように黒い車が停車していた。

生徒たちはそれを横目に見ながら、回り込むようにしてその場を離れていく。

 

磨き抜かれたボディは漆黒に光り、その長い車体は高級感とともに威圧感を漂わせている。

俺がそれに近づくと、黒いスーツにサングラスをかけたガタイのいい男が運転席から出てきて後部座席のドアを開けた。

「…どうぞ」

「ど、どうも」

おっかなびっくり返事をして、そのドアの中に目をやると、レザーシートに腰掛け足を組む少女の姿がそこにあった。

 

「遅かったわね、先輩?

私を待たせるなんていい度胸じゃないの」

 

少女はそう言うと、自分の隣の席をぽんぽんと叩く。

 

「遠慮してないで早く座ったら?

ダ〜リン♡」

 

そう言ってニヤリと笑った。

 

 

「光輝君…どうするの?」

 

あおいちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込む。

問題の発端は橘さんからのある誘いだった。

 

 

「私たちの…聖タチバナ学園の野球部に入ってくれませんか?」

 

 

「橘さん…どうしたんだろう?

なんであんなことを?

あの真剣な顔を見ると冗談とは思えないし…」

「 人のこと心配をしてる場合っ!?

そんなのは後でいいよ!」

「でも何か事情があるのかも…」

「そんなの関係ないでしょ!

あんな誘いすぐ断っちゃえばよかったんだよ!!」

 

「…なんでそんなに怒ってるの?」

 

今までに見たことのないほどの剣幕でまくし立てるあおいちゃんに圧倒され、思わず尋ねる。

 

 

「お、怒ってないよ!

ボクは光輝君がどうする気なのか聞きたいだけ。

…まさか聖タチバナに行く気なの!?

そんなの絶対ダメだよ!!」

「………とりあえず橘さんともう一度話をしてみるよ。

それからじゃないと答えは出せない」

 

「………」

「………」

 

……言葉が続かない。

 

「…悪いけど、1人で考えさせてくれないかな?

じゃあ…またね」

 

気まずさもありこの場を立ち去ろうとする俺に、あおいちゃんは叫んだ。

 

「光輝君のバカ!

見損なったよっ!!」

 

彼女はどんな顔をしているのだろうか。

それは振り向けばわかることだ。

でも、そうすることはできなかった。

彼女の声は…震えていたから。

 

 

 

 

「話がしたいなんて先輩も結構乗り気ね。

まあ、当然と言えば当然か」

 

「この私と…」と冗談めかして話し始めた橘さんの言葉を遮って、俺は本題を切り出す。

 

「橘さん、今日は真剣な話をしに来たんだ。

どうして俺を聖タチバナに誘ったの?

君に何があったの?

…何を隠しているの?」

 

彼女は自分の話を遮られて機嫌を悪くしたのか、それとも深刻な話題に答えあぐねているのか…俺の質問には答えず、頬杖をついて外の景色を眺めていた。

 

そして、しばらくすると小さくつぶやいた。

 

「その話は目的地に着いてからにしましょ。

…あんたを必要としてるのは私だけじゃないんだから」

 

 

 

 

キィ…

 

車が俺たちを…というより橘さんを気遣うように、静かに停まった。

 

「…着いたわよ。

ようこそ、聖タチバナ学園に!」

 

黒服の男が、運転席を降りて後部座席の方に回り込む。

そしてドアを開けて、「どうぞ」と頭を下げた。

 

「ありがとう」

橘さんは黒服が開けたドアから外に出る。

俺もそれに倣って彼女の後に続いた。

 

「これが聖タチバナ学園か…」

 

校門からの道はレンガで舗装され、壁や建物は白を基調としたシックな装い。

まるでここがヨーロッパの街並みに思えるほど美しく、洒落ていた。

これが聖タチバナ学園。

中高一貫の有名進学校か…

 

「じゃあ、案内するわね」

 

橘さんの後ろを付いて歩く。

 

「みずき様〜!!」

 

声の方を見ると、生徒と思われる女子2人が互いに抱き合いながら、きゃっきゃと飛び跳ねていた。

そして、まるで芸能人に会ったかのようにテンション高く手を振ってくる。

橘さんは手を少し挙げて、それに応えた。

 

…ずいぶん人気者なんだな、橘さん。

 

そうして案内されたのは中等部の校舎の最上階、そこにある一室だった。

かかった教室札には「生徒会室」と刻まれている。

 

「生徒会…?」

「そう、私を頂点に構成された、私の思い通りに学校生活を送れるよう、奮闘する組織…生徒会よ!!」

「橘さんに牛耳られてる!?」

「だって私、生徒会長なんだもん。

そりゃ牛耳るわよ」

「そんな「当たり前でしょ?」みたいな顔されても…

それに、どちらかと言えばそれって独裁って言うんじゃ…」

 

橘さんは左手の人差し指を俺の目の前に出すと、「ちっちっち」と左右に何回か揺らした。

 

「私ほどの独裁者になればね、支配される側も、もちろん支配する側も幸せにできるのよ。

つまりはウィンウィンの関係ってこと。

最高じゃない?」

 

「ははは…」

 

思わず苦笑い。

目の前にいる、おそらく世界で1番かわいらしいであろう独裁者は、俺の反応にはお構いなしに話を進める。

 

「で、私の仲間がこの部屋の中で待ってるから。

とりあえず、話を聞いてもらえる?」

 

そうか。

橘さんの話に出ていた、一緒に野球をやっている仲間がここに…

 

「それじゃあ、話を聞かせてもらおうかな?」

 

俺の言葉に橘さんはニヤリ笑うと、扉に手をかけた。

 

 

 

 

「えっ、瀬尾君が…?」

 

ボクが事のいきさつを話すと聖ジャスミンのみんなは凍りついた。

 

「じゃあ何?

瀬尾のやつはその誘いにホイホイついて行くって言うの?」

 

タカは眉間にしわを寄せて言った。

「瀬尾のやつを見くびるな」と言わんばかりに。

 

「でも正直、聖タチバナに行った方が瀬尾君は幸せなのかもしれないでやんすね…」

矢部君がうつむきながらつぶやく。

 

「考えてもみるでやんす。

瀬尾君の実力は名門校の選手と遜色ないでやんす。

実際、中学時代はあかつきの主力だったでやんすし…

何事もなかったら、強い野球部のある高校に進学して甲子園にまっしぐらだったはずでやんす」

 

このつぶやきに雅ちゃんも続く。

 

「でもその未来は血行障害の影響もあって閉ざされた…

それが今になって、甲子園を目指すのに最適な環境が現れて、しかもそこから誘いがあったんだ。

悩むなって方が無理があるよね…」

 

「でも、だからって…」

 

反論しようとして、上手く言葉が出ず口ごもる。

確かに雅ちゃんの言う通りだ。

彼にとって千載一遇のチャンスが舞い降りたのだから、飛びついたとしてもおかしくはないのだ。

なのにこんなに腹が立つのは、彼がそんな人ではないと思いたいから。

ボクは彼に、理想を見ていたかっただけなのかもしれない。

でも、そんなのって…

 

「とてもじゃないけど納得できないわね」

 

自分の思ったことが誰かの口から聞こえた。

ボクは慌ててその声の主の方に向き直る。

 

「瀬尾はこの野球部を作った張本人よ?

それなりの責任があるはずでしょ」

「…タカ!

瀬尾君はあたしの願いを叶えるために頑張ってくれただけなんだよ!?」

 

ヒロが光輝君をかばう。

しかしタカは止まらない。

 

「それでも…!!

それでも、あいつが動いたことで、この中の何人かの在り方が変わったのよ。

…その人の人生を、行く末を変えてしまったと言っても過言ではないでしょう?

それにヒロを助けようと決めたのは、あいつ自身よ」

「だけど…」

「……まあ、瀬尾君の誘いに乗ったのも、アタシたちが決めたことだしさ。

タカも瀬尾君のことを責めたいわけじゃないんでしょ?

ホントは信じていたいんだよね〜?」

「なっ!

べ、別にそんなんじゃ…!!」

 

ナッチが言い合いになりそうなところを上手くなだめる。

そして今が頃合いと見たのか、三ツ沢監督が口を開いた。

 

「みんな瀬尾君を信じてるんだよね?

なら、それでいいじゃない!

瀬尾君も、黙っていなくなるような薄情な子じゃないでしょ。

そんなあの子がみんなに何も言わなかったんだから、きっと考えがあるんだよ」

 

「……」

「そうかな…

うん、そうかも!」

 

三ツ沢監督はみんなの顔を見回した後、にっこりと笑った。

 

「さあ、瀬尾君がいつ戻ってもいいように練習を始めよう!

小鷹さん、みんなを引っ張っていってね!」

 

「は、はい!

じゃあみんな、練習始めるわよ!」

 

オオーッ!!

 

みんなが元気よくグラウンドに飛び出していく。

 

部室にはボクと監督の2人だけが残った。

 

「あの、すいませんでした。

騒動を持ち込んでしまって…

ボク、告げ口をしに来たみたいですよね…恥ずかしい」

「…そんなことないよ。

キミはこのことを知らせなきゃいけないって思ったんでしょ?

それは人のために動いたってことなんだから、悪いことじゃないよ」

 

慰めてもらっているのがわかる。

でも、恥ずかしいやら情けないやらで…

その言葉を素直に受け取れないよ…

 

「それにしても、あおいちゃんはお人好しだよね〜」

 

思わぬ言葉に耳を疑う。

 

「えっ…?」

「だってそうでしょ?

わざわざ知らせちゃったらさ、野球部にとって瀬尾君がどんな存在なのか、どれほど大切な人なのか、あの子たち気づいちゃうかもよ?」

 

続いて人差し指を立ててこう言った。

「それに、瀬尾君が誘いを受けても断っても、こう言えばよかったのに」

 

何をするんだろう…?

様子を見ていると、三ツ沢監督はシスターがお祈りをする時のように手を重ね、瞳を潤ませた。

そして、「よーい、アクション!」とカチンコが鳴らされたかのように芝居を始めた。

 

「あのね…ボクだけはキミの気持ちわかってるよ…?

だってボクは、ずっと前からキミのことが…」

「っ!!

わ、わーーっ!!

わーーーっっ!!!」

 

ボクは急いで声をあげ、監督を言おうとする言葉の続きをかき消した。

 

「も〜、シャイだなぁ…」

「「だなぁ…」じゃないですよ!!

あれ、ボクの真似ですか!?

一体何のつもりで…」

「…あおいちゃんはさっき、告げ口したみたいで恥ずかしいって言ったよね?」

 

急に言葉のトーンが変わった。

ボクは自分が言った言葉を思い返す。

 

「若い時代なんて恥ずかしいことの連続なんだよ?

恥に恥を上塗りして大人になっていくんだ。

だけどキミみたいな10代の女の子が恥ずかしいと思うのは、恋愛関係のことだけで十分だよ!

その他のことなんて無視無視!

あおいちゃんみたいないい子なら、それ位が丁度いいよ」

 

…敵わないな、この人には。

 

「まあ立場上、キミのことをプッシュすることはできないんだけどねー。

教え子の中にも「予備軍」は多いし。

でもみんなことは等しく応援してるから、頑張ってね〜!」

 

そう言い残し三ツ沢監督はグラウンドに駆けて行った。

 

………バレてた!?

それに予備軍って、みんなって!

誰、誰なの?

あの中の誰!?

 

…でも、負けないもん。

1番早くスタートした人が、1番早くゴールするんだ。

のらりくらりとかわして、ラストイニングまで投げ切ってやる。

 

だから早く帰って来て。

君がどんな答えを出したとしても…

ボクは待ってるからね。

 

 

 

「紹介するわね。

右から生徒会書記の宇津 久志君。

会計の原 啓太君。

そして副会長の大京 均君よ。

 

紹介を受け3人が頭を下げる。

…髪を長くのばしているのが宇津。

速球が自慢の投手らしい。

小柄でニコニコと笑っているのが原。

関西出身の二塁手。

そして筋肉質でガタイがいいのが大京。

見た目通りのパワー自慢とのことだ。

 

「彼らの実力については、説明するよりも見てもらった方が早いわね。

早速グラウンドに行くわよ!」

 

「もちろん」

「よっしゃ、いくでー!」

「了解です」

 

3人はそう返事をすると、着ていた制服を脱ぎ捨てた。

 

「制服の下にユニフォーム?」

「そう、効率重視よ。

だってこの3人の着替えなんて待ってられないでしょ?」

「だったら、最初からグラウンドで合流すればよかったんじゃ…」

「だってそれだとあんたに、この学校の規模の大きさを見せつけられないじゃない。

交渉事は最初にガツンとかました方の勝ちなんだし」

 

お嬢様が「かます」とか言わないでよ…

 

そうして俺たちはグラウンドに向かった。

 

 

「先輩…どうだった?」

「うん、すごかったよ…

3人とも中学生とは思えない実力だ。

橘さんが認めるだけはあるね」

「そうでしょ、そうでしょ!

私たちが高校生になってからも、目ぼしい中学生がいたらスカウトしていくつもりだから、先輩が3年になる頃には全国制覇も夢じゃないわ!」

 

「そうですよ!」

原、宇津、大京が続ける。

 

「瀬尾さんの実力はみずきさんから聞いてます。

その…瀬尾さんの、血行障害のことも…

でも、ワイらにはそれをカバーするだけの力があります!

瀬尾さんの投球数に制限があったとしても、その後ろにはみずきさんたちが控えてるんですから!」

「そうそう。

瀬尾さんも俺のボールを見たでしょ?

そう簡単には打たれませんよ」

「原君や宇津君の言う通りです。

ディフェンスには不安要素はありません。

攻撃面では私が4番を務めます。

長打を打つ能力には自身がありますから」

 

「だから、ね?

私たちの仲間になってよ、瀬尾先輩!?」

 

「………」

 

…やっぱり腑に落ちない。

というよりわからない。

これだけの戦力があるなら、自分たちだけの力で甲子園を目指せるはずだ。

…それなのに、なぜ?

 

「なぜ、こんな面倒なことをしてまで俺を誘うの?

引き抜きをするにしても、もっとチームに必要な選手がいるはずだ。

本当のことを教えて?

何か…事情があるんじゃないの?」

 

「そ、それは…」

「……」

 

俺は橘さんの答えをじっと待つ。

誰も言葉を発しない静寂を経て、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「…そう返すってことは、先輩は私たちの仲間になる気…ないんだよね」

「……」

「じゃあ、もういいや!

帰ってもいいよ、送るから」

 

「!?

ちょっと待ってくださいよ!

いいんですかみずきさん!?」

「そうですよ、このままじゃみずきさんは……!!」

原たち3人は橘さんを問い詰める。

 

橘さんはそれに、半ば諦めを帯びた口調で怒鳴り返した。

「…いいんだよ、もう!

元々無理だったんだから!

私はそういう運命だったんだよ!!」

 

その様子を見て、俺は口を挟まずにはいられなかった。

 

「やっぱり、何か事情があるんだね?」

「先輩にはもう関係ないよ!

仲間になってくれないのに、何!?

いい人ぶって首突っ込まないでよ!!」

 

そっぽを向いてどこかに行ってしまおうとする橘さん。

俺はとっさに、彼女の右手を掴んだ。

 

「待ってよ!

…関係なくなんかないよ。

君は俺を…聖ジャスミン野球部を救ってくれた。

その借りを返せって言ったじゃないか」

「あんなのは気まぐれよ。

きっかけを与えたに過ぎないわ。

それで救われたって言うなら、それはあんたたちが勝手に救われただけの話じゃない!!」

「それでもっ!!

…それでも俺は、君のおかげだって思ってる。

勝手に助かった俺が君を恩人だって思ったなら、それはやっぱり君が助けてくれたってことなんだよ」

「っ!!

そんなの…そんなの…!」

 

「だから言ってよ。

君は何に悩まされているの?

…俺はどうしたらいい? 」

 

「…けて」

「えっ?」

「先輩…私を助けてよ」

 

彼女の潤んだ瞳から一筋、涙が伝った。

その姿を見たら、どう答えればいいかなんて明らかだった。

 

「うん、もちろんだよ。

俺は、そのためにここにいるんだから」

 

泣きじゃくる橘さんの頭に手をやって、そっと撫でる。

彼女の涙が止まるまでの間、俺は彼女から離れなかった。

 

 

「…あのね先輩。

私、小さい頃は気の弱い、引っ込み思案な子だったの」

 

俺は「ベンチに座りながら話をしよう」と橘さんに持ちかけた。

あの3人には席を外してもらった。

その方が橘さんも話しやすいだろうという配慮だったのだが…

夕日が沈む中、若い男女が2人きりというなんともロマンチックな状況を招いてしまっていた。

 

「…うん」

「そんな私を変えるために、おじいちゃんが少年野球クラブに私を入れてくれたの」

「へぇ…」

「野球をするうちに、私はどんどん明るくなって…

「おてんば」だなんて言われるほどに元気になったんだ。

あおいさんのことを知ったのもその頃。

私のチームとあおいさんのチームが対戦した時、あおいさんはエースとしてチームを勝利に導いた。

その姿を見て、私はもっと野球にのめり込んでいったの」

「…そうだったんだ」

「そうして野球を続けていた私に、最近になっておじいちゃんが言ったの。

「お前はタチバナ財閥の後継者となるのだ。

球遊びなんてもうやめろ」って…」

「そ、そんな…!」

 

「でも、そんな時にあなたが現れた。

女の子しかいない廃部寸前の野球部で公式戦出場を目指して、しかもそれを実現した。

おじいちゃんもベタ褒めだったのよ?

「逆境に打ち勝つあの姿は、若い頃のワシに重なるところがある。

あのような男が後継者になってくれたら」ってね」

「そうなんだ」

「だから私は提案したの。

彼を聖タチバナ学園に迎えたらどうかって。

彼の甲子園に行くという夢を、私も野球をすることで手伝いたいって。

まあ、先輩の夢っていうのは勝手に想像して言っただけなんだけど」

 

…それで俺を聖タチバナに誘ったのか。

 

「そしたらね、条件付きでその提案を認めてくれたんだ」

「その条件って言うのは?」

「先輩を…瀬尾 光輝を私の恋人、タチバナ財閥の後継者として迎えることができたら…

私が野球をすることを認めてくれるって」

「ええっっ!!!」

 

俺をダーリンって呼んだのも、それで…!?

 

「恋人っていうのはいくらでもごまかせるし、後でどうにでもなるだろうと思って。

だから、瀬尾先輩を聖タチバナ学園に引き抜こうとしたんだ。

……これがこの騒動を起こした理由。

全てが自分のため。

あなたにもっといい環境で野球をしてもらいたい…なんて言い訳で…

ホントは私が野球をやめたくなかっただけなの」

 

…これが彼女の抱えていた問題。

橘財閥の将来を考えれば、このタイミングで橘さんが野球をやめるのが1番いいのかもしれない。

でも、それを拒否した橘さんが悪いってわけでは絶対にない。

彼女は野球を続けたかっただけなんだ。

俺が聖ジャスミンで出会った、あの少女と同じように。

 

「それで、さ。

橘さんのおじいさん…聖タチバナ学園理事長はどこにいるの?」

「えっ!?

え〜っと…今の時間なら、理事長室にいると思うけど…」

 

「よし、じゃあ行こうか」

俺はベンチから立ち上がる。

 

「い、行くって、どこに!?」

「決まってるでしょ?

理事長のところだよ。

さあ、行こう!」

 

俺は橘さんの手を取って、理事長室へと歩き出した。

 

 

「…おじいちゃん、入るね?」

橘さんはコンコンとノックをして扉を開ける。

 

「…みずきか、何の用だ」

 

…理事長室。

見るからに値が張りそうな革張りの椅子に腰掛けた老人は、身体の芯に響く低い声でそう尋ねた。

 

「……ん?

みずき、その少年は確か…」

 

橘さんの後ろを付いて来た俺の存在に気づき、理事長は視線をこちらに向けた。

 

「そう、瀬尾先輩よ。

…今日は、先輩からおじいちゃんにお話があるんだって」

 

橘さんからの目線、その意図をくみ取る。

 

「…理事長、単刀直入に言います。

橘…みずきさんに野球を続けさせてもらえませんか。

彼女は心の底から野球を愛しているんです」

 

「ほう…ようやくその気になったか。

瀬尾君、ワシは君という人間を高く買っているのだよ」

 

理事長は改めて俺の方に向き直り、語り始めた。

 

「縁もゆかりもない少女を救うために行動を起こした男気。

未熟なチームの躍進を支えた実力。

何より、周りの人間に影響を与え、そして周りの人間からの影響を受けて成長するという才能。

それは、経営者として理想的とも言えるものだ。

スポンジのような吸収力を持つ者、圧倒的なカリスマ性を持つ者…そんな、優れた能力を持った者でも全ての人間に支持されるわけではない。

下から這い上がってきた人間の視点と、高い能力を発揮してきた人間の考え…いずれかを理解しきれないからだ」

 

足りないものがありながらトップを張り続けるのは苦しい

ものだよ。

 

そう言って理事長は微かに笑った。

 

「完璧すぎるリーダーは嫌われる。

だが頼りないトップほど怖いものはない。

君なら適度なバランスで全ての意見をすくい上げることができるようになるだろう。

その資質がある君を囲い込むことができるなら…

君をみずきの婚約者にという話…許そうではないか!」

 

…あえて否定はしない。

今は橘さんが野球を続けられるという確約を得ることが最優先だ。

 

理事長は机の引き出しを開け、書類を取り出した。

 

「君には聖タチバナに転校してもらう。

早速だが、手続きについて説明しよう」

 

…そうはいかない。

 

「理事長…確かに僕はみずきさんに野球を続けてもらいたい。

ですが、そのために僕が聖タチバナに行くことは…」

「……行くことは?」

 

俺の言葉を遮り、理事長がその続きを問う。

無言の圧力。

しかし気にしてはいけない。

気づかないふりをして話を進める。

 

「……できません。

聖ジャスミンには大切な仲間がいます。

彼女たちを置いて、野球部を離れることはありえない」

「…何だと?」

 

理事長が俺をキッと睨む。

…言い淀むな。

思考を止めてはいけない。

 

「僕は彼女たちと約束をしました。

その約束を果たさなくてはいけません。

…それとも、仲間を放り出して自分だけ得をしようとするような男がみずきさんにふさわしいとお思いですか?」

「……決意は固い、ということか。

だがな、瀬尾君。

その選択はつまり、聖タチバナ学園と…みずきと甲子園出場をかけて争うということだ。

そんなことを望む恋人がいるものか」

 

「君は本当にみずきの婚約者となる覚悟があるのか」

理事長はそう尋ねると眼光鋭く睨みつける。

 

俺は答える。

「ええ、もちろんありますよ。

だからこそ好敵手として競い合い、互いを高めるんです。

それに…俺とみずきさんが別の高校にいた方が、理事長にとっても都合がいいんじゃないですか?」

「…どういう意味だ?」

 

「もし僕とみずきさんと戦って僕が無様に敗れれば、僕はそこまでの人間です。

それがはっきりするまでは婚約者候補として置いておけばいいし、野球をやらせておけばみずきさんも理事長の言うことを素直に聞くでしょう。

僕がグループの後継者となり得る人間かどうか、見極める期間があってもいいのではないでしょうか?

もしその資格がなくても、時間があれば他の候補はいくらでも見つかるでしょう。

少なくとも、僕とみずきさんが高校野球の選手として対戦する可能性がある2年間…それくらいが適当な期間だと思いますが」

 

俺の言葉に橘さんも続く。

 

「そうよ!

私たちは馴れ合いの関係じゃなく、切磋琢磨してお互いに成長できるような2人でいたいの!

それに、先輩はきっとおじいちゃんが「後継者にふさわしい」って言い切れるような人になるわ!

だって…だって将来、プロ野球選手になる人だもの!」

「な、何!

彼はそこまでの選手だったのか!?」

 

え〜〜っ!!

何でハードルを上げたんだ!?

 

「しかもドラフト1位でよ!

ドラ1よ、ドラ1!!」

 

「むう……」

 

理事長が顎に手を当て何かを考え始めた。

 

「みずきが他人のことをここまで褒めるとはな…」

そのつぶやきと共に、結論が出たような晴れやかな表情を見せる。

 

 

 

「負けたよ…君の案に乗ろうじゃないか!!」

 

 

 

理事長のこの言葉に、思わず橘さんと目を見合わせる。

そして理事長は続けた。

 

「…君は元来、優しく繊細な人間なのだろう。

だがそんな君がみずきに野球を続けさせながら、自分の仲間たちのことも見捨てずに済む道を模索するとはな…

君は思ったよりも頑固で欲張りな男だったんだな」

 

これに俺は答えた。

 

「もちろんですよ。

だって僕は、橘 みずきの婚約者ですから」

 

 

「先輩…ありがとね」

 

聖ジャスミン学園まで送ってもらい、校門の前で車から降りた俺に橘さんがそう話しかけた。

 

「いや、俺が何かしたって言うよりは、全部が運良く回っただけだし…

結果オーライってとこだよね」

「でも…うん、やっぱり「ありがとう」だよ」

 

…面と向かってお礼を言われるのは照れくさい。

それが普段から自由気ままな橘さんからなのだから、なおさらだ。

 

「でも先輩が自分のことを「僕」って言った時は、笑っちゃいそうだったけどね」

 

茶化してごまかすのは、いつもの橘さんらしい。

何だかしっくりくる。

 

「先輩、そういえばさ…」

「?

どうしたの?」

「私の婚約者になるっていうのは……本気なの?」

「い、いや、俺と橘さんはそういう関係じゃないし…

それに、俺が橘さんの婚約者に…っていうのは、あくまで橘さんが野球を続けるための交渉のカードの1つだったわけだし。

あの場ではああ言うのが効果的だと思って。

嘘も方便ってやつだよ」

 

「そっか…」

 

そうつぶやくと、橘さんは後ろ手を組んで笑った。

「私は満更でもないんだけどな〜」

 

「…… えっ!?」

 

「な〜んちゃって!

あはは、びっくりした?」

 

そして、彼女は笑顔を浮かべたまま、俺を指差して言った。

 

「先輩。

今日から私とあなたは、おじいちゃんの前では婚約者という関係なんだから、それらしく振る舞うこと!

いいわね?」

「う、うん。

わかったよ、橘さん」

「…それ!

不自然だから、「名字呼び」に「さん付け」っていうのはやめようか?

っていうか、おじいちゃんの前ではみずきって下の名前で呼んでたじゃない。

…そうね、やっぱりここは恋人らしく「みずきちゃん」って呼びなさいよ。

はい、決定〜!!」

「ははは…」

 

「よし、私は光輝君って呼ぼう!

じゃあ光輝君、今日からあなたは私のニセの恋人、偽りの婚約者よ。

そういうことで、よろしくっ!!」

 

橘さん…もとい、みずきちゃんは車に乗り込んだ。

 

「あ、そうそう。

口約束でも約束は約束…契約したってことだから。

責任は取ってもらうからね!」

 

…窓から顔を出しこう言って。

 

「それじゃ、バイバーイ!!

ダ〜リン♡」

 

そうして、車が走り去って行った。

 

…責任って?

………考えても仕方ない、か。

 

 

まあ、とにかく部室に寄って行こう。

今日はいろいろあったな…

 

部室に向かって歩を進める。

 

グラウンドには誰もいない。

…みんな帰ったのか。

 

そう思いながら、目の前の部室の扉を開ける。

そこには、とっくに練習を終えていたのであろう、制服に着替え帰り支度を済ませたみんなの姿があった。

 

「瀬尾君…っ!!」

 

太刀川さんがパイプ椅子から立ち上がる。

他のみんなも血相を変えて、それに続いた。

 

「今日はごめんね、練習に出れなくて」

 

そう言おうとするよりも早く太刀川さんが言葉を発した。

 

「向こうに行っても頑張ってね…!

寂しいけど、応援するから!!」

 

「そうよ!」

「元気でね!」

そこからはせきを切ったように、別れと応援の声が続いた。

 

そんな声を、申し訳ない気持ちになりながらも遮る。

 

 

「あの…、俺、聖ジャスミンやめないよ?」

 

 

「………は?」

「………は?」

「はぁ〜〜!!?」

 

みんなの表情が様々に変わる。

安堵したような顔をする者もいれば、無駄に大騒ぎをしていたとわかって苦笑いを浮かべている者もいる。

そして、俺の目の前には、怒りに震える小鷹さんの姿があった。

 

「せぇ〜…おぉ〜〜っっ!!!」

「うわぁぁ〜!

な、何で追いかけるの!?」

 

「うるさーーい!!」

 

小鷹さんの雄叫びが響きわたる。

 

そんな姿を見て三ツ沢監督は笑う。

やっぱり野球部はこうじゃないとね、と。

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