12月末。
息は白く染まり、身を切るような冷たい風が身体を芯から冷やすこの時期。
街はすっかり賑わい、クリスマスムード一色となっていた。
だが、野球部はそんなことはお構いなしに練習に励んでいた。
「オッケー、ナイスボール!」
「ショートォ!
今の打球なら追いつけるでしょ!?
もう一丁いくよー!!」
「ナイスラン!
だいぶベースランニングが上手くなってきたね!」
男女が入り混じり、元気のいい声がグラウンドに響いている。
今日は聖ジャスミン、聖タチバナ、恋々の3校による合同練習が行われていた。
この合同練習にみずきちゃんたちが加わるのは初めてのことだ。
「よっしゃ、こーい!」
もう何回も一緒に練習をしてきた恋々のメンバーは、慣れた様子でメニューをこなしていく。
全員が中学生のタチバナの面々も、年齢を感じさせぬプレイを見せていた。
「よーし、これで…ラストッ!!」
バシンッ!
みずきちゃんが投じた変化球が、小鷹さんのミットに収まる。
それを合図に全員が休憩に入った。
「やっぱり高校生はレベル高いな〜。
私のスクリューを簡単に捕っちゃうんだもん」
みずきちゃんは小鷹さんのキャッチング技術をそう言ってたたえていた。
…ダーリンもいいキャッチャーに恵まれてよかったねー、と余計な一言を付け加えながら。
「でも私の場合、聖の方が相性いいかも。
ピッチャーをグイグイ引っ張るタイプのキャッチャーと組んでると、意見がぶつかり合っちゃうから。
一歩引いて全体を見てるくらいのキャッチャーが相手でちょうどいいんだろうね〜」
彼女が言う「聖」とは、彼女の友人である六道 聖さんのことだ。
中学生とは思えない冷静さと確かな技術を持つキャッチャーで、今はみずきちゃんとは別の中学に通っている。
みずきちゃんいわく、将来は聖タチバナに進学してバッテリーを組むことを約束している…とのことだ。
「へぇ…
あの子もキャッチャーなんだ?
一度、プレイしている姿を見てみたいものね」
小鷹さんはそう言って左手にはめたキャッチャーミットの捕球する面に右手を軽く打ちつけて、パチンと音を鳴らした。
「ねえねえ、年末年始の予定はどうなるのかな」
俺を挟んで反対側では、小山君と太刀川さんがそんな話をしていた。
そうか…もう今年もあと少しで終わりなのか。
「ねえ、瀬尾君?
瀬尾君はさ、休みに入ったら実家に帰るの?」
小山君が俺にそう尋ねる。
「そうだね…
とりあえずその予定だよ。
野球部の活動は始業式の日からだし、さすがに年末くらいは帰ろうかと思って」
世間はもう帰省シーズン。
俺もその例に漏れず、実家に帰る予定をしていた。
高校進学を機に地元を離れ、下宿先で生活をしている俺にとっては久しぶりの実家暮らしとなる。
「そっか…」
小山君は空をぼんやりと見上げながら、ぼそりとつぶやいた。
「年末か…
もうそんな時期なんだね。
やっぱり、帰らないと…だよね」
☆
『サン、ニィ、イチ…ゼロォォーー!!
新年、明けましておめでとうございま〜す!!』
大晦日。
付けっ放しのテレビ。
そこから流れてきたのは、民放でやっている年越しカウントダウンライブのワンコーナー。
番組の出演者が新年を迎える10秒前からカウントを始め、それが0になったところでクラッカーを鳴らし、新しい1年を迎えたことを祝っている。
それがひとしきり終わったところで、木づちを手に取り、酒だるのふたを叩き割った。
そしてそのたるの中から酒を汲み上げ、乾杯の音頭と共に飲み干していく。
「あら、もう新しい年になったのね」
台所の方から声がした。
その声の主は普段の日常よりも余裕を持って食事の片付けを終えた、俺の母親だ。
その後を追うように、父親も現れる。
そしてお決まりの挨拶を口にした。
「じゃあ改めまして…明けましておめでとう、光輝」
「明けましておめでとう、父さん、母さん 」
「そうだ光輝、あなたも初詣で行く?
母さんたち今から行こうと思うんだけど…よかったら一緒に来ない?」
「えっ、年が明けたばかりなのに今から家を出るの?」
「そうよ、少し遠出になるからね」
「へぇ…どこにお参りに行くの?」
「波輪古神社よ。
あそこで伝統芸能の興行があるのよ。
それを見に…ね」
伝統芸能か。
そういえば、ちゃんと見たことなかったな。
それに波輪古神社といえば、芸能の神様を祀っていて必勝祈願にも御利益があると名高いところだ。
行って損することはないだろう。
「じゃあ俺も行くよ」
俺はクローゼットからコートを手に取り、家を出た。
☆
ザワザワ…
人が大勢集まった神社の境内。
そこには簡易な舞台が作られており、傍らには太鼓などの和楽器が置かれていた。
既にお参りを済ませた俺たちは、場所を確保しながら両親の目的でもあった伝統芸能の興行が始まるのを待つ。
そうしているうちに…
ドンッ…ドンッ!!
「…おっ、始まったぞ」
出囃子の太鼓の音が鳴り響き。
そしてそれを合図に、顔を白粉で塗り、目尻や目頭、口元にまるで血管や筋が浮き出たかのように紅を塗った役者が舞台に現れた。
あの化粧は隈取りと言うのだっただろうか。
それに続くように今度は女形の役者が現れた。
艶やかに塗られた白い肌。
柔らかみのある赤い唇。
そして美しい着物に袖を通した役者が艶やかに舞う度に、長い髪がさらりと揺れた。
そんな女形の姿を見ていると、彼はこちらを向いて静かに微笑んだ。
しばらくして2人の役者が舞台中央に集まると、観客から掛け声が飛んだ。
『小山(おやま)屋ッ!!』
それに乗せられて客席全体がワッと湧いた。
そんな中、俺は女形の美しさに見惚れていた。
あれが本当に男性が女性を演じた姿なのだろうか。
なんと言うか、艶やかな色気…のようなものを感じる。
その美しさを見て、そして「小山屋」という屋号を聞いて、俺はある人物を思い浮かべていた。
目の前の役者と同じように、男性とは思えない、愛らしさと繊細さを持ったチームメイトのことを。
☆
「ふぅ…
それにしても、驚いたなぁ…」
舞台が終わり、僕は運営の方が用意してくれた控え室で化粧を落としていた。
あれって瀬尾君だったよね…?
隣に居たのはご両親かな?
お父さんと…お母さん。
家族3人の幸せそうな家庭。
…今の僕には縁遠い光景だった。
「…雅」
体の芯が震えるような低い声が背後から響く。
化粧を落とすために使っていた鏡越しにその声の主と目が合い、手が止まる。
そして、体が硬くなるのを感じながら、息をのんだ。
「父さん…」
「なんだ、あの体たらくは。
一緒に舞台に立っていて情けなかったぞ。
お前には伝統を、歴史を継承する者としての自覚があるのか」
「も、もちろんです!
そのために鍛錬を重ねてきたんですから!」
「ふんっ…口では何とでも言えるだろう。
…お前にも自分の道を一つに決める時期が来た、ということなのかもしれないな」
「それは…どういう?」
「……雅、お前は高校で部活をやっているんだったな?」
「は、はい。
野球部に所属しています」
「では…」
父さんの口から出た言葉は、僕の夢も希望も、逃げ道すらも。
握り潰してしまうものだった。
「雅、野球を…捨てなさい。」
☆
「明けましておめでとう!」
お決まりの挨拶を交わすいつもの面々。
新しい年を迎えた1月の第1週。
始業式を前に、見慣れた顔がグラウンドに集まり始めた。
「久しぶりだね」
「元気にしてた?」
そんな風に近況を報告し合いながらウォーミングアップを始める。
そうしているうちに残りのメンバーも続々と集まってきた。
…しかし、あと1人が来ない。
来る気配がない。
みんなで集まる時に遅刻して来ることなど想像もできない、誰よりも真面目なあの子が。
みんなであと1人を待つ。
結果的に待たされている立場となった彼女たちからも不満の声はなく、むしろあの子の身に何かがあったのではないかという「あと1人」を心配する声があちらこちらから聞こえ出した、ちょうどその時。
猫塚さんが「あっ!」と声を上げた。
「た、大変にゃー!
みんな、集まって欲しいにゃー!!」
猫塚さんは腕をバタバタと動かしながら、俺たちを呼ぶ。
その表情には余裕はなく、瞳は潤み、今にも泣き出しそうなのを堪えているように見えた。
「どうしたの?
そんなに血相を変えて…?」
すると猫塚さんは、「どうしたもこうしたもないにゃー!」と言いながら、携帯の画面を俺たちの方に向けた。
彼女が見せたのはメールの画面。
表示された日時から 、今届いたばかりの新着メールだということがわかる。
そのメールにはこう書いてあった。
『しばらく学校を休みます。
理由は言えませんが、体調を崩したわけではないので心配しないでください。
…野球部の活動にも参加できるかわかりません。
なので、もう僕はいないものと思って、新しいメンバーを探してください。
急なことで迷惑をかけてしまってごめんなさい。
でも、僕はみなさんの夢を心から応援しています。
今までありがとう、そして……さようなら。』
そして文章は差出人の名前で締められていた。
……『小山 雅より』と。
「何だよこれ…?
一体、何がどうなっているんだっ……!?」
…こうして、野球部の新しい1年は波乱の幕開けとなった。