「あ〜もうっ!!
ムカつく〜っ!!」
目の前の少女…橘 みずきはそう言うと頭を抱えながら地団駄を踏んだ。
「中盤までは投手戦だったのよ!?
それなのにアンラッキーなヒットでランナーが出て、打順がよりにもよって4番に回るなんて!
ランナーさえいなければそんなに怖いバッターじゃなかったのにっ!!」
彼女が言っているのは、先日行われた春季大会3回戦…恋々高校との試合のことだ。
結果的には恋々が1点のリードを守りきり勝利している。
「その4番って高木さんのこと?
勝負強そうだもんなぁ…高木さん。
いかにも肝が据わってる感じで」
「聞いてよ!
それまでは完全に抑えてたのに、その打席では私のスクリューを完璧に弾き返されたの!
ただでさえあおいさんからはなかなか点が取れないっていうのに…致命的だったわ」
「あおいちゃんはそんなにすごいピッチングをしていたの?」
この問いにみずきちゃんは口を尖らせ、むすっとした様子で答えた。
「基本はまっすぐとシンカーとのコンビネーションで「打たせて取る」って感じのピッチングなんだけど…
時折、物凄い変化球を投げてきたわ。
アンダースロー特有の低いリリースポイントから浮き上がってくるようなボール…それが突然手元で消えるのよ」
「消える…?
フォークボールみたいな感じかな?」
フォーク。
ボールを人差し指と中指で挟みリリース時にボールを抜くことで、途中まではストレートと同じような軌道を描きながらバッターの手元でストンと落ちる変化球。
レベルの高い投手が投げるフォークは、それこそボールが消えるような感覚を覚える。
失投でもなければ反応で打つのは難しい球種だ。
「感覚としては近いかもね。
ベンチから見ると右バッターの内角に食い込むように沈んでたからシンカー系のボールだと思うけど…
あんなボール初めて見たわ。
上下に目線を揺さぶられる分、フォークよりも厄介かもしれないわね…」
「……」
あおいちゃん、そんなボールを覚えていたのか。
いつだったか、あおいちゃんと雅ちゃんが1打席勝負をしたことがあった。
結果はあおいちゃんが、彼女いわく「未完成のボール」で雅ちゃんを凡打に打ち取った。
あの時のあのボールを完成させたということだろうか。
しかしその想像は、みずきちゃんの「まあ、ときどき抜け球になることもあったから攻略不可能ってほどではないんだろうけど」という言葉によって否定された。
…ということは、まだ未完成のボールで聖タチバナの打線を抑えたということになる。
「末恐ろしいな…」
「そうねぇ…」
………というよりも。
「何でみずきちゃんがうちの学校のグラウンドにいるの?」
「だって暇なんだもん。
負けちゃったからもう試合もないし」
それでね、と彼女は言葉を続ける。
「みずき、試合に負けちゃってすごく悲しくて…
だから先輩に慰めてもらいたいなぁ…と思って」
「……へ?」
彼女は手で口元を隠しながら恥ずかしそうにそう言うと、目をキラキラさせてこちらを見つめた。
それは彼女の素の表情とはかけ離れた…作り込まれたあざとい表情だったが、彼女自身の整った顔立ちも相まって、とても可愛らしいものに思えた。
それにしても…
慰めて欲しいって…ついさっきまで愚痴を言って鬱憤を晴らしていた君を?
…みずきちゃんは人から慰められるような、それでありがとうと微笑むような、ありきたりな少女ではないだろう。
俺の勝手なイメージでは、不用意に踏み込んだことを口にしたら「あんたに何がわかるのよ!」と機嫌を損ねてしまいそうですらある。
そんな彼女が慰めてもらおうなんて思うはずがない。
これは俺をからかっているのか、それとも他の何かを企んでいるのか…
どちらにせよ彼女にとっては遊びのひとつにしかすぎないのだろう。
「…それで俺に何をしろって言うの?」
「そんなに身構えないでよ。
大丈夫、本当に簡単なことだから」
そう言うとみずきちゃんは俺の手を取って、
「目を瞑って立っていて欲しいの」
とニコッと笑った。
「…?
何それ、どういうこと?」
「いいからいいから!
ほら、こっちに来て?」
その勢いに押され、彼女からの「お願い」を断ることも、そんなことを言い出した理由を聞くこともできず…
結局は言うことを聞くことになってしまった。
まあ、いつものことだけどね…
そう苦笑いを浮かべる俺に、みずきちゃんからの細かい指示が入る。
「あ、もうちょいこっちね。
そう、それでもうちょい腕を開いて……はい、OK!
体の向きはそのままでいてね」
…この指示に何の意味があるんだろう?
そもそも彼女からの「お願い」自体意味があるようなことだとは思えない。
わからないことだらけだ。
「じゃあ…光輝君。
目を閉じて?」
「う、うん…」
言われるがままに瞳を閉じる。
視界が失われ、頬を撫でる風と木々が揺れる音だけが周りの状況を知る唯一の情報となっていた。
「あの…」
「……」
こちらに目を瞑らせたまま、言葉すらも発しない彼女に痺れを切らし口を開く。
「も、もういいか……な?」
そう言い終える前に、胸のあたりに何か温かいものが触れる。
それと同時に、ふわりといい香りが鼻に届いた。
「えっ…!?」
目を開けると、みずきちゃんが俺の胸に飛び込んできていた。
このまま抱きしめてしまえば腕の中に隠れてしまいそうな華奢な体。
それは、彼女がどんなに気丈で優れた投手であっても、やはり1人の女の子であることを示していた。
『カシャッ…』
彼女を認識したその瞬間、物陰から音がしたように感じた。
機械的な無機質な音だった。
それと同時にみずきちゃんはタイミングを見計らっていたかのように俺の懐から離れ「びっくりした?」と俺に笑いかけた。
「変な顔してるよ〜?
そんなに驚いたの?」
「そ、そりゃそうだよ!
いきなりだったし…」
「じゃあもう一回抱きついてあげようか?
今度は目を開けててもいいから♡」
「えっ!?」
「ふふ…
冗談よ、冗談!」
そうやって俺をからかう彼女の姿はまさに小悪魔といった感じで、そんな彼女を前にして俺にできることといえば。
………考えてみたが何もなかった。
悲しいことだが彼女の方が一枚も二枚も上手ということを認めるしかないということだろう。
しかしこのまま、ただじっと耐えているというのもあれなので、なんとか話を変えようと試みる。
「そ、そういえば、さっき物かげから変な音しなかった?
何かの機械の音みたいな…」
「さっきって…
私がダーリンの胸に飛び込んでいた時でしょ?
そんな音、聞こえなかったけどな〜
…あれひょっとして話変えようとしてる?」
すぐにバレた。
そして、「私を誘導しようなんて100年早いのよ!」という言葉をいただいてしまった。
…たとえ100年が経過したとしても、彼女に勝てる姿が想像できない。
その頃には今以上に成長した彼女に、10点以上の差をつけられてコールド負けを喫するのが落ちだろう。
「あはは…
…それじゃ用も済んだし、私はもう帰るとするわ」
「は、はあ…」
「じゃあね〜、ダーリン♡」
みずきちゃんはそうやって手を振り、俺の視界から去っていった。
「何だったんだ、一体…?」
と、そこに、
「お〜い、瀬尾〜!
何をやってるんだ、私に教えを請いたいんじゃなかったのか〜?
早く練習するぞ〜!!」
という美藤さんの声が飛び込んできた。
不意に聞こえてきた声に少し驚きながらも、俺は手を挙げて返事をする。
「う、うん…今行くよ!」
☆
「……」
ああああああっ!!
恥ずかし〜〜〜っ!!
今思い出しても顔から火が出そうだ。
あんなこと、冗談めかしてじゃないとできるはずがない。
「あれくらいやれば少しは効果あるよね…?」
パタパタと手で顔を扇ぎ、熱くなった顔を冷やしながらしばらく歩いたところで、野球部のチームメイトたちと合流する。
「あっ原君!
どう?上手くいった?」
「はい!
我ながら上手に撮れました!」
そうやって満足げに笑う彼から携帯電話を受け取る。
「ホンマに大変でした…
大京が撮影ポイントの探索と準備、宇津は周囲の警戒と人払い。
そしてワイが気配を殺しての隠し撮り…
役割分担してなんとか無事に成功しましたけど、部外者のワイらがこんなことやってたと知れたらタダでは済まないですからね…
難しいミッションでしたよ」
「ありがとう、助かったわ」
お目当ての写真を見ながらお礼を言う。
…うん、確かにブレもなくきれいに撮れている。
スマホ用の望遠レンズを用意させた甲斐があったというものだ。
「こんなことをよくやるな、みずき…」
艶やかな髪に白い肌…まるで日本人形のような雰囲気を醸し出す少女は、そう言って呆れたような表情に浮かべる。
「まあそう言わないでよ、聖」
六道 聖。
将来、聖タチバナの仲間になる(予定)の彼女は続けて質問を投げかけてくる。
「しかし…こんなただ恥ずかしいだけの写真を何に使うんだ?」
「ふふふ…それはね、こう使うのよ!」
メールの画面を開き、宛先を決める。
簡単な文章を書いて、問題の写真を添付する。
そして…
「送信…!!」
ある人物に向けてメールを飛ばす。
「これでよし…っと」
このメールが届いた時のあの人の様子を想像しながら私はつぶやく。
「さ〜て、どんな反応をするのかな?」
☆
練習終わり。
ロッカーに入れておいた携帯にメールが届いているのに気づいた。
「じゃあ私は先に帰るわ」
「うん。また明日ね」
そうやってチームメイトに別れを告げてから、届いたメールに目を通す。
「ん?」
差出人は「橘 みずき」となっていた。
彼女からメールが届くことはそんなに多くない。
「みずきちゃん、どうしたんだろう?」
本文に目を移し、画面を下にスクロールしていく。
するとそこにあったのは…
「……な、なんじゃこりゃ〜っっ!!」
自分でも驚くほどの大きな声が無人の部室に響いた。
「い、いつの間にこんな…
とにかく真実を明らかにしないと!」
動揺を抑えつつ、そう判断を下す。
そのために、手にした携帯を使って真実を知るための行動を開始した。
☆
グラブの手入れを終えたところで何気なく携帯を見ると、メールが一件届いていた。
そのメールを開いてみると、そこにはこう書いてあった。
『見たよ?
みずきちゃんとは随分仲良くしてるんだね?
試合を間近に控えてるのにそんなことしてる余裕があるのかな?』
なっ…!?
慌ててメールの差出人を確認する。
するとそこには「早川 あおい」という、よく知る名前が映し出されていた。
「あおいちゃんから…?」
仲良く?
見た?
……どういうことだ?
訳がわからぬまま画面をスクロールしていくと、そこには驚きの画像が貼られていた。
…俺と、俺の胸に抱きついたみずきちゃんが写った画像。
まぎれもなく今日起こった出来事である。
みずきちゃんは頬を赤らめ、目を潤ませている。
なぜそれがわかるかというと、みずきちゃんがバッチリとカメラ目線を決めていたからだった。
な、なんだこれはっ!?
誰が撮ったんだ!?
隠し撮りか!?画像流出か!?
…そして何よりも、なぜこの画像があおいちゃんのところに送られているんだ!!?
さらにこのメールには追伸として以下のようなことが書かれていた。
試合で負けたみずきちゃんがショックを受けているのをいいことに、言葉巧みに彼女を口説くようなことまねをしたそうですね?
いけないと思います。
あなたがそんなチャラい人だとは思いませんでした。
がっかりです。
……と。
「ち、違う!
誤解だ〜っ!!!」
結局、誤解を解くのにたくさんの労力を費やすこととなるのであった…
☆
「ふふっ…
光輝君、今頃大変だろうな〜」
私は笑みを浮かべながら、携帯の画面に映る仲間に撮ってもらった写真を見つめていた。
「試合ではあおいさんに完璧に抑えられちゃったからな〜…
少しはやり返さないとね」
これを見たらきっと悔しがるだろうし。
…羨ましがるだろうし。
…私は昔から、知らず知らずのうちにあおいさんの歩いた道を辿っていた。
子供の頃に初めて入った野球チーム「おてんばピンキーズ」であおいさんはエースだったし、中学の時、進学先の候補として恋々高校も挙がっていた。
結局、私がピンキーズに入った時にはあおいさんは入れ違いで中学に進学していたし、高校は無難に聖タチバナに進んだからチームメイトになる機会はなかったけど…自然にあの人のことは意識していた。
周りから比べられることもあった。
その評価では「あおいさんの方が上」ってなっていて、ずっと納得できずにいたけど、実際に対戦してみてあの人のすごさがわかった。
「だけど負けてばっかりじゃいられない」
野球選手としてはまだあおいさんには敵わないけど、あの人にすべての面で劣っているわけじゃない。
特に女としては負ける気がしないな。
だって、あおいさんにこんな大胆なことできないでしょ?
せいぜい自分の感情に振り回されててくださいよ。
…私たちも試合では翻弄されたんだから。
「でもまあ、勝敗を決めるのは私たちじゃないんだけど…」
画面に映る少年を人差し指てコツンとつつくと、返事がくるはずもないのに問いかけてみる。
「君はどういう子が好きなのかな?」
そしてこうも思った。
あなたが好きになる人が私だったらいいのにな…と。