ポテトチップスを見る葵の視線は、まるで獲物を狙う蛇のように鋭い。きっと、これをずっと食べたかったのだろう。……そう思うと、なんだか馬鹿らしくなってきた。
僕はため息を吐きながらテーブルの前に座り直す。そしてポテトチップスを一枚掴む。そして……
「はいっ」
僕はそのポテトチップスを葵に差し出した。
……何をやってるんだ、僕は。女に手渡しで食べ物を渡すなんて。普通なら嫌がられるだろうし、場合によってはセクハラ扱いされるかもしれない。
どうしてこんなことをしてしまったのか。自分でもよく分からない。
しかし、差し出されたポテトチップスを見て、葵は目を輝かせる。そして、すぐにポテトチップスを掴み、口に入れた。パリッという音と共に、ポテトチップスは彼女の口に吸い込まれる。
モグモグと口を動かし、ゴクンと飲み込むと、彼女はニコッと笑った。
……そうか、ポテチに釘付けな彼女の様子を見て、餌を欲しがる雛鳥のような何かを感じたんだ。それで無意識のうちに行動してしまっていたのか。
「美味しい?」
僕の問いに対して、彼女はコクっと首を縦に振る。
「……じゃあ次は私の番ね」
すると、今度は野々花がこちらに身を乗り出して言う。僕は少しだけ身を引いた。
「自分で取りなさい」
「ケチー」
野々花は唇を尖らせる。
……なんで僕が悪いみたいになってるんだ?
「ほら、貢一くん! 早く!」
「……葵に取ってもらえよ」
「あ、そっか! 葵ちゃん、お願い」
野々花は葵にポテトチップスを取ってもらうと、嬉しそうに頬張った。ポテチを渡した葵のほうも、笑顔になっている。
……その様子を見て、僕は自然と笑顔になっていた。
…………。
……あれ? 今、僕は笑って……? 自分の感情の変化についていけず、困惑。
どうして僕は、晴れやかな気分になっているのだろうか?
……二人とも、楽しそう。
野々花と葵は、互いに笑い合っている。……あんな顔、見たこと無い。純粋な気持ちで、相手を事を心から信じているような……。
「……」
二人の笑顔を見つめながら、僕は心の中で、羨ましいと思った。彼女たちの表情は、とても美しいものに見えた。
……だが、僕はすぐに考えを改める。
何を考えているんだ、僕は。笑顔に騙されてしまった過去を忘れてしまったのか。あの時だって、僕は彼女の嘘に傷つけられていたじゃないか。……とにかく、彼女たちの笑顔に惑わされてはいけない。彼女たちの笑顔を信じちゃいけないんだ。
「……ごちそうさま」
僕は数枚のポテチを食べた後、席を立ち、リビングから出て行こうとする。
「えっ!? 貢一くん、もう行っちゃうの!?」
僕の背中に野々花の驚いた声が届く。僕は振り返らずに答える。
「ああ、バイトでたまった疲れを癒したいからね」
「えー! もっとゆっくりしていこうよ! ねっ?」
僕は首を振る。
「悪いけど、僕はこれから忙しくなるから。もう会うことはないと思うよ」
「……ちょっと待って、その前に一つ聞いてもいい?」
僕が立ち去ろうとした時、葵が呼び止めた。僕は足を止めて、彼女を振り返る。
「……なに?」
「さっきのお菓子の名前、何?」
「え?」
「だから、さっき君がくれたやつ」
「ああ、あれね……」
僕は一瞬、言葉に詰まる。まさか、名前を知らないとは思わなかった。
「……ポテトチップスだよ」
僕がそう言うと、葵は目を大きく見開いた。
「ポテトチップス……初めて聞いた。凄く美味しい。……あれ? ポテトってことは、ジャガイモで……」
そこまで言って、彼女は黙り込んでしまった。……どうしたんだろうか? もしかして、アレルギーだったとか? 色々と心配していると
、彼女は再び質問を始めた。
「……もしかして、ポテトチップスにはVtuberが使われてる?」
「……はぁ?」
僕は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。……一体、何を言っているんだろう。しばらくの間僕は呆然としていたが、彼女があまりにも真剣な眼差しをしていることに気づいた僕は、吹き出してしまった。
彼女はムッとした顔をする。だが、僕は構わずに笑ってしまった。ムッとした表情を続ける葵と、彼女に向けて暖かい目線を向ける野々花。
しばらく笑った後、僕はようやく落ち着いてきた。そして、彼女の発言の意図を何とかして理解しようとする。……もしかして、Vtuberとコラボレーションしたポテトチップのことを言っている? ジャガイモがどう関係しているのかよく分からないが、きっと彼女が言いたいのはそのことだろう。
それなら話は早い。
「ああ、Vtuberポテトチップスの事ね。もちろん知っているさ。何なら家にいっぱいあるし」
「ほんと!?」
僕の言葉に、目を輝かせる葵。
Vtuberポテトチップス。それは最近発売されたポテトチップスで、そのおまけの種類は全部で5種類。その内の一つにミヤコちゃんのカードが付いているのだ。当然、僕はそれを全て揃えるだけにとどまらず、それぞれの観賞用、保存用、布教用の3枚を全てコンプリートした上で、ミヤコちゃんのカードを10枚以上持っている。
当然、大量のポテトチップスを抱えることになったが、後悔などしていない。幸いなことに、おまけが袋の外側についているタイプだった。なので長期保存が可能でいつでも好きな時に食べることが出来るし、ポテトチップスはいくら食べても飽きない。
Vtuberポテトチップスはファンアイテムのような物であり、コレクション感覚で集める人が多いらしい。だが、僕にとってはミヤコちゃんをはじめとしたVtuberたちを応援する気持ちを形に表したものなのだ。
もしかしたら葵も、Vtuberのファンなのかもしれない。そんなことを考えていると、彼女は興奮気味に話し始めた。
「Vtuberのポテトチップス、食べてみたい!」
「ええ……」
僕は困惑の声を漏らす。どうしてそんなものを食べたがるのだろうか。所詮はカードのおまけに過ぎないのに。
「ダメ?」
「別にいいけど。でも、あんまり期待しないでね。あれは値段の割に量が少ないし……」
「つまり、高級品!?」
「いや、違うから」
何故か目を輝かせている葵にツッコミを入れると、僕は彼女を連れてキッチンへと向かった。保存庫の中からポテトチップスを取り出して彼女に渡す。
すると、彼女は先ほどと同じように、今度はポテトチップスの袋を見つめ始めた。そして、感想を述べる。
「この子達可愛い」
「うん。この子たち……特に中央の娘が僕の推しなんだ」
「ふーん……」
僕の話に、葵は興味無さそうに相槌を打つ。……あっ、いけない。ついつい熱く語ってしまった。推しに対する熱い思いは、どうやっても隠しきれないな。これじゃ、彼女たちから不気味がられてしまうぞ。
……いや、待てよ。不気味がられた方が好都合じゃないか?彼女たちが僕と関わりたくないと思ってくれれば、僕は平穏を取り戻すことが出来る。そうだ、そうしよう。
そう一瞬思った僕だったが、どこか胸の奥で悲しい気持ちになりそれを止めることにした。……どうしてこんな気持ちになるのだろうか?
疑問を抱いている僕を横目に、葵はポテトチップスを開けて一枚取り出すと、それをまじまじと見つめた。そして、じっくりと匂いを嗅いだ後、口に運ぶ。……どうなんだろうか? 美味しいと言ってくれるといいのだが……。
「……美味しい」
「本当?」
「うん。」
Vtuberポテトチップスを食べた葵の顔には満面の笑み。僕は安堵のため息をつく。良かった。どうやら気に入ってくれたようだ。
「ありがとう」
「え?」
突然のお礼に、僕は戸惑う。
「ポテトチップスのこと教えてくれて。君のおかげで、ポテトチップスがどんなものか分かった」
「ああ、そういうことね」
お安い御用さ。と、僕は笑顔を浮かべた。だが、次の瞬間、僕はハッとする。……しまった!まただ。またしても心を許してしまっている。どうしてしまったんだ、僕は。
「……どうかしたの?」
急に険しい表情になった僕を見て、葵が不思議そうな顔をする。僕は慌てて首を振った。
「何でもないよ」
「そう?」
彼女はそう言うと、残りのポテトチップスを食べ始める。そして、味の感想をつぶやいた。
「最初に食べたのと比べて、上質な味わい。同じうすしお味なのに、こっちの方が美味しく感じる。……さすが、高級品」
「……たぶん、気のせいだと思うよ」
Vtuberポテトチップスを高級品だと思い込んでいる葵にとっては、そう思えるのかもしれない。まあ、美味しいって言ってもらえるならそれでいいか。彼女が嬉しそうだと僕も嬉しいし。
……って、なんでそんなこと思ってしまっているんだ。僕は頭をブンブンと振る。ダメだ、ダメだ。このままでは彼女のペースに呑まれてしまう。
僕は気持ちを切り替え、改めて彼女たちに別れを告ようとするが、その前に野々花が口を開いた。
「葵ちゃん、凄く美味しそうに食べている。貢一君、私にもちょうだい!」
野々花は目をキラキラさせながら、両手を差し出してくる。
その様子をみて、僕は軽くため息をついた。……全く、二人は遠慮というものを知らないのか。いきなりやって来て、凄く図々しい。
……だけど。
二人の幸せそうにしている姿を見ていると、不思議と悪い気がしなかった。むしろ、自分のことのように嬉しくなる。僕は自然と頬が緩むのを感じた。
「はい、一袋だけだよ」
僕は野々花にポテトチップスの入った袋を手渡す。野々花はそれを受け取ると、早速中身を開けて食べ始めた。
「美味しい~!」
彼女は本当に美味しそうにポテトチップスを食べる。その姿はまるでリスのようだった。可愛らしい。
「う~ん、深い味わい」
一方、隣にいる葵は、先ほどまでの元気の良さとは打って変わって、しみじみとポテトチップスの味について語り始めた。相変わらず、マイペースだな。
僕は二人の姿を眺めながら、彼女たちとの不思議な縁に感謝していた。
……ああ、いい。
すごくいい。
僕は今、最高に幸せな気分だ。
僕の買ってきたもので、二人が喜んでくれている。
こんなに素晴らしいことはない。自分の買ってきたもので、喜んでくれているのだから。そう、僕の目の前で。
しかも、そこに僕を利用しようとする気持ちは存在しない。彼女たちはただポテチを貰ったから喜んでいるのだ。
彼女たちは僕に対して、偽りの気持ちなど持っていない。それは、今までの彼女たちの行動によって明らかになっている。純粋な感謝の気持ちしかない。だからこそ、僕はこんなに嬉しい気持ちになれるのだろう。
そんな彼女たちを見ていると、僕は彼女たちに何かしてあげたいと思うようになった。僕は彼女たちの喜ぶ姿が見たい。そのためにはどうすれば良いのだろうか? 僕は考える。そして、一つの結論を出した。
「あ、貢一君! おはよう。学校、来てくれたんだね」
「おはよう、野々花。うん、今日から行くことにしたんだ」
「やったぁ! これで毎日貢一君と話せるね」
「うん」
あの日以来、僕は学校に登校するようになった。もちろん、クラスメイト達からは驚いた目で見られることになったが、特に気にはならなかった。どうせ明日には、誰も気にしなくなるのだから。
……それはともかく。
「あっ、そうだ。ジャガ棒あるんだけど、食べる?」
「わあ、なにこれ!」
「ジャガイモをスティック状にしたお菓子だよ」
「すごい、ポテチと全然違うよ!!」
美味しそうにポテチを食べている野々花。僕はそんな彼女の様子を微笑ましく思いながら眺める。すると、隣に座っていた葵が声をかけてきた。
「もしかして、これにもVtuberが使われているの!?」
「えっ?」
「ほら、この子たち」
彼女はジャガ棒のパッケージを指差す。そこには、デフォルメされた三人組の少女達が描かれていた。……まあ、Vtuberとは関係ない子達だけれども。
「この子たちはVtuberじゃないよ。……それはともかく、食べる?」
「うん!!」
嬉しそうに返事をする葵。そんな彼女を見ていると、僕は何だかとても癒されるような気持ちになった。
僕は彼女にポテトチップスを渡すと、自分もジャガ棒を開封する。そして、それを口に運んだ。……うん、美味しい。やっぱり、ポテトチップスとは違った良さがある。そして、何故かいつもよりもずっとおいしく感じる。……何でだろうな?
Vtuberへのスーパーチャット。それは、とてもいいものだ。自分の気持ちを相手に届けることができる。例えそれが一方通行だとしても、相手に想いを伝えることが出来る。それは、とても素敵なことなのだ。現に僕も、月に1万円以上の大金をVtuber達に捧げ続ける予定だ。現実では味わえない喜びをくれる存在のために。……でも、それだけじゃダメなんだ。もっと大切なことがある。
「ありがとう」
二人は僕にお礼を言う。
「……こちらこそ」
僕は笑顔を浮かべた。
そう、僕が本当に欲しいものは……
これで最終回になります。ここまで見て下さってありがとうございました。