最近、思うことがある。自分が特別な感情を抱いている人の考えが、自分の行動と反しているとき、人は一体どうするべきなのだろうか。
たとえば、人を虐めるのが大好きで、とあるアイドルが大好きな男がいたとする。
もしそのアイドルが反いじめソングを歌ったとしたら、彼は果たしてどうなるのだろうか。
もしかしたら、自分の信念に反するからと、そのアイドルを推すのをやめてしまうのかもしれない。
あるいは、所詮は一般論を歌っているだけなんだと言い聞かせて、歌のことを気にしないでファンを続けるのかもしれない。
それはそれで正しい選択なのかもしれないが、結局どこかで歪みが生じてしまいそうな気がする。
……どうして僕がそんなことを考えているのかというと、ミヤコちゃんの配信を見て、心が痛くなってしまったからだ。
今日は日曜日。本来ならバイトに勤しんでる日なのだけれど、今日は休みをもらっている。というのも、今日はミヤコちゃんの新衣装お披露目記念配信が行われる日だったからだ。普段のミヤコちゃんは決まった時間に配信しているのでそれと時間が被らないように僕はバイトの時間を調整しているが、まれに特別枠として定期時間外に配信が行われる事が告知される時がある。
そのような時、僕はいつもバイト先の店長に無理言って時間を調節してもらうことにしていた。
何故そこまでして、僕がミヤコちゃんの配信を見ようとするのか。
その理由は、早く推しの配信を見たいという気持ちも勿論あるが、それだけではない。
僕は、ミヤコちゃんが配信しているその瞬間を、動画を見るという行為を生で体感したいと思っているのだ。ミヤコちゃんのファンの一人として、僕は彼女の姿をこの目で直接見届ける事により、多大なるエネルギーを得るとともに、癒しを得ているのである。そして一日の活力へと……
……とにかく、僕はミヤコちゃんの新衣装お披露目配信を楽しんだのである。
新しい衣装に身を包むミヤコちゃんは、相変わらず可憐であり、とても美しかった。
そして、ミヤコちゃんの「ここまで頑張れたのはみんなのおかげだよ」
という言葉を聞いた瞬間、僕の胸がドキンと高鳴った。
僕の推しである彼女は、僕にこんなにも感謝してくれているのだ。それが嬉しくないわけがない。
……でも、一つだけ心に引っかかっていることがあった。それは、新衣装に身を包んだミヤコはが自分の目標について語った時の言葉だ。
『私を大切に育ててくれたお父さんやお母さん。そして、私の事を応援してくれる人たちに恩返しがしたいな』
彼女は、そう言ったのだ。それを聞いたとき、僕の中で何かがざわついた。
……僕は、両親に何もしてあげられていない。それどころか、逆に不安にさせてしまっている。
そんな僕のことを、ミヤコちゃんはどう思うのか?
彼女は寛容だから、きっと僕のことも受け入れてくれるだろう。
でも、やっぱり親を大切にする人の方が、彼女にとって魅力的だろう。それに、今の僕は彼女に対して不誠実な行いをしている。……少しずつ、直していく必要があるのかもしれない。
……推しに言われて初めて気付くなんて、相変わらず僕は現実を捨ててしまっているな。
でも、しょうがないことだよね。現実では、僕の願いが叶うことなんて無いんだから。
生きていないとミヤコちゃんを推すことが出来ない。だから仕方なく現実に生きている。それだけの話。
……それはともかく。ミヤコちゃんが好きだと胸を張って言えるように、両親との関係を改善する必要があるだろう。そのための方法を考えなくては。
……うん、まずはミヤコちゃんに貢ぐために両親のお金を使うのを辞めるようにしよう。自分で稼いだ金だけでミヤコちゃんに貢ぐ方が、きっと両親を安心させることが出来る。
まあ、本当に安心させるためには、学校に行った方が良いのかもしれないけど。
……でも、それだと貢ぐための金を稼げない。それじゃまずいので、しばらくは学校には行かない事にする。
となると、学校に行かずに親との関係性をどうにかしなきゃいけない。
だが、その為には上手く親とコミュニケーションをとる必要があるのだろうが、あいにく僕は親と何を話すべきか分からない。
……とりあえず、親の声を聞いて見るしかないか。お互いにわかり合うためにはまず、相手が何を思っているかを知る必要がある。
それに、親の声を聞くということは人生において非常に重要な分岐点である。
人は皆、親の声を通して言葉や物事、社会などを学んでいく。……つまり、親の声は出来るだけ多く聞く必要があるのだ。
今日は母の仕事が休みの日である。なので、今ならリビングにいる可能性が高い。
早速リビングへ向かう為に階段を降りる。そして、いろいろ考えるのだ。
……あぁ、やっぱり母は僕に対して怒りの感情を抱いているのかな。学校に行こうともしない僕に対してイライラしているのかな?
もしくは、悲しみの感情を抱いているのかもしれない。僕の将来を心配して、涙を流しているのかも。
いずれにせよ、僕は親の声を聞くべきである。そうすることによって色々いい感じになるのだ。
そんなことを考えていると、親の声が聞こえてきた。いつもとは違う、感情のこもった母の声。普段の会話では聞くことのないような、独特なイントネーション。
「あらあら~いらっしゃい♪」
「貢一ったらもうね~」
「わざわざ来てくれてありがとうね♪」
「貢一も隅に置けないわね~」
どうやら来客者が現れたらしい。どこか不気味さを感じさせる甲高い声と、間延びした喋り方。……果たして、これを親の声と言ってもいいのだろうか?
まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく今は、来客者と顔を合わせない為にも、早くここから離れよう。
そう思って踵を返そうとした時、母の声が聞こえた。
「えぇ!? 貢一と話がしたいって!?」
「……っ!」
僕は思わず足を止めた。母のその言葉を聞いて、僕の心臓がドクンっと跳ね上がる。
一体、母は誰と話しているのだろうか。僕は、恐る恐る聞き耳を立てる。すると、再び母の声が聞こえてきた。
「うーん、それじゃお願いしてみるわね」
どうやら、誰かが僕と話したがっているようだ。……でも、どうして僕なんかに? 疑問を抱いていると、母が僕を玄関前まで引っ張り出し、その人物に僕の事を紹介する。
「こちらが貢一です。……ほら、貢一。挨拶しなさい」
母に言われるがまま、僕はその人物の顔を見た。……そこにいたのは、僕と同い年くらいの女2人組みだった。
彼女達を見た瞬間、僕は心の中で叫んだ。……嘘だろ! こんなの聞いてねぇよ!! 目の前にいるのは、僕が絶対に会わないようにしていた人達。……つまり、僕が最も苦手とする人種である外面の良さそうな女共であった。
「ど、ども……」
僕が緊張しながら頭を下げると、彼女達はニコッと笑って自己紹介を始めた。
「はじめまして。星野山学園から転校してきた橘野々花です! よろしくお願いします」
一人目の女の印象を一言で言うなら、純粋無垢な女の子といった感じだ。
大きな瞳に小さな鼻、そして可愛らしく整った口元、そして何よりも汚れを知らなそうな真っ直ぐな瞳が魅力的な美少女である。
制服は着崩しておらず、スカート丈は膝下までしっかりと伸びている。化粧っ気がなくどこか垢抜けない雰囲気こそあるものの、それがかえって彼女の魅力を引き立てている。
誰がどう見ても魅力的な少女だと感じるだろう。……だが、僕の目は誤魔化せない。
素晴らしい演技力の女だ。ここまで無害で純粋な人間を演じることが出来るなんて。僕は彼女に対して、恐怖を感じざるを得ない。
無害純粋な人間などいない。みんな、周囲の人と上手く馴染めるように擬似的なキャラを作る。……彼女は、そのキャラ作りが上手すぎるのだ。
「私は橘さんの友達の、葵と言います。これからよろしくね?」
二人目の女は、野々花の取り巻きのような存在だ。青いツインテール
が特徴な彼女は、ニコニコとした笑顔を浮かべながら僕を見つめている。
彼女もまた、野々花と同じく非常に好感を持たれるであろう女性だ。……でも、だからこそ僕は彼女が怖い。
この女は、野々花と違って演技をいない。彼女は、本当の意味で心の底から笑っているように見える。
彼女を見たとき、誰もがその笑顔に魅了されるだろう。……だかやはり、僕の目は誤魔化せない。
人の感情に敏感になった僕になら分かる。……彼女の笑顔は、橘野々花に向けたものであると。
彼女の視線は、確かに僕に向いていたのだが、実は彼女の意識は橘野々花に向いている。本当の意味では、彼女は僕の方を見ていないのである。
相手にされているようで、されていない。僕にとっては何度も経験した苦い感覚だ。
とにかく、僕は彼女達のことが嫌いだ。
だってそうだろ? まるで自分達が主役かのように振る舞うあの態度はどうしても許せない。
……というか、彼女たちは何?
転校してきたとかいってたけど、なんで男ばっかしの中央都に転校してきてんの?
というか、そもそもどうして僕に用があるの?
「……」
考えながら黙って突っ立っていると、母が僕の背中を押して言う。
「ほら、貢一も挨拶しなさい」
「……はい」
僕は渋々返事をして、二人に向き直った。……さて、どうしたものだろうか。
まあとりあえず、当たり障りのない会話から始めてみようか。
「……えっと、僕の名前は超貢一です。よろしく」
僕がそう言って頭を下げると、二人は微笑んで言った。
「うん、よろしくね♪」
「よろしくお願いします」
そう言い終わると同時に、野々花は手を差し出してくる。
「握手しよう♪」
「……あ、あぁ」
とっさの出来事により、思わず差し出された手を握り返してしまった。……すると、彼女は嬉しそうに笑う。
「やった♪ これからよろしくね」
「……」
彼女の反応を見て、僕は思った。……あぁ、こいつは間違いなく腹黒女だ。間違いない。
さっきの一瞬で、僕は確信した。……こいつの本性は、きっと僕が思っている通りのものに違いない。
アメをあたえて、多くの人を手懐ける。そうして自分のテリトリーを作り出し周りを支配する。きっとそれが彼女のやり方だ。
そう思うと、途端に手が震えてきた。今すぐ振り払ってしまいたい衝動に襲われるが、グッと堪えた。母が見ている手前、そんなことは出来ない。それに、もしそんなことをしたら何をされるのか分かったもんじゃない。
「……」
「……!」
ふと横を見ると、葵が怪しい笑みを浮かべていた。その表情を見た瞬間、僕の全身に鳥肌が立つのを感じた。顔では笑っているが、心は笑っていない。なにか、執念のようなものを感じる。
……こいつにも注意しないとな。僕は、心の中で警戒する。
「……それじゃ」
これ以上、ここにいるのはまずいと思った僕は足早にその場を去ろうとしたが、その時、母が僕を呼び止める。
「ちょっと待って」
「……なに?」
「せっかく野々花ちゃん達が来てくれたんだから、もっとお話ししなくちゃ」
「えっ?」
母の突然の提案に、僕は思わず声を上げた。
彼女たちは、僕にとって恐ろしい存在だ。それなのに、一体何を話すことがあるというのだろう。
しかし、母はそんなことおかまいなしに続ける。
「野々花ちゃん達は貢一とお話ししたいみたいなの。リビングでゆっくりお茶でも飲みながら話をすればいいわよね?」
「……」
僕は、野々花と葵を見る。2人とも、僕をじっと見つめている。その瞳からは、有無を言わさない何かが感じられた。
これはもう、断ることは出来なさそうだ。僕は諦めてため息を吐いた。
「はぁ……。……分かったよ」
僕が了承すると、3人はニッコリと笑って家に入っていった。
「あっ、貢一。あんたの買ってきたお菓子とか出しちゃうわね。野々花さん達はテーブルでくつろいでてください」
「ありがとうございます」
3人が家に入ると、母は台所に向かって歩き出した。……どうやら、母は、僕が買ったお菓子を食べさせるつもりらしい。
正直、それは嫌だった。どうして僕のお菓子を、他の奴にあげなきゃいけないんだ。
だが、それを口に出すことなんかは出来ない。僕は仕方なく、野々花達と一緒にリビングに向かうことにした。
そして、テーブルに腰掛けると同時に、野々花が口を開く。
「突然お邪魔してごめんね。迷惑じゃなかった?」
彼女は申し訳なさそうな顔をして言う。……よく言うよ。どうせ最初から計算ずくなんだろ? そう思いながらも、僕は平然を装い答えた。
「……別に、大丈夫だよ」
「良かった♪」
僕の言葉を聞くと、彼女は嬉しそうに笑った。……その笑顔は、本当に純粋に見えた。だが、その笑顔にはどんな裏があるのかと思うとゾッとする。
「……」
野々花から目を逸らすと、今度は葵が視界に入る。彼女もまた、僕を見つめていた。
その表情は……なんだろう、凄く不気味だ。普通の人にとっては普通の笑顔に見えるのだろうが、僕にとっては得体の知れない何かを隠しているような顔である。それを見て、僕はまるで蛇に睨まれた蛙のような気分になる。
「ねぇ、野々花」
「ん? なに?」
不意に、葵が野々花の肩を叩く。すると、野々花はキョトンとした様子で振り返る。
「このお菓子、美味しそう」
そう言って葵が指差したのは、母がお皿に広げた僕のポテトチップスだだ。
「確かに美味しそうだね。……でも、まずは話すこと話しちゃお?」「それもそっか。じゃあ、貢一くん」
「……なに?」
僕の返事を聞いて、二人は笑顔を向けてくる。
「「これからよろしく」」
そう言って、二人は手を差し出してきた。
「……」
……握手しろってことか。まあ、それくらいなら別に問題はないけどさ。
「……よろしく」
僕は渋々返事をして、二人の手を握った。……しかし、これからよろしくとはね。
「でもごめん。これから僕はバイトで忙しくなるから、もう会えないと思うよ?」
手振り払いながら言った。返る言葉は予想がつく。
「学校に行かないの? せっかくだから一緒に行こうよ」
ほらね。やっぱり来た。僕を学校に行かせようっていう流れ。
僕になら分かる。彼女たちは善意で僕を学校に行かせようとしている訳ではない。
彼女たちの目的は、僕を学校に連れていくことによって何らかの利益を得る事に違いない。クラスでの発言力を高める為か、もしくはほかの理由によるものか。とにかく、彼女たちは僕を登校させたがっているのだ。
……全く、反吐が出る。どうしてお前達のために僕が動かなければいけないんだ。
「悪いけど、僕は出来る限り無給で人と関わりたくないんだ。そんな時間があるのなら、ミヤコちゃんに貢ぐ為に稼がなくては」
僕の言葉に驚いたのか、野々花は目を大きく見開いた。葵は、特に表情を変えていない。
「えっ!? 人と関わりたくないの? そんなのおかしいよ!」
「おかしくなんかない。これが僕の生き方なんだ。君たちにとやかく言われる筋合いは無い」
「だって、そんなの寂しいじゃん! 私、貢一くんと仲良くなりたいのに……」
野々花は悲しそうな表情を浮かべて言う。
全く、よく出来た演技だ。思ってもないことを自然な形で表現するなんて。女は怖いな。
……でも、仲良くなりたいなんて言われたのはいつ以来だろうか。そんなこと、ずっと言われてなかったな。
……って、今はそんなことどうでもいい。2人を追い返さないと。
「残念だけど、僕と君は友達じゃない。僕は君の事を何も知らないし、君も僕の事を知らない。それなのに、いきなり家に上がり込んでくるなんて非常識じゃないか?」
「……!」
僕がそう言うと、野々花の顔つきが変わった。
「……まさか、非常識だった?」
彼女は低い声で呟いた。その声からは、明らかに動揺が含まれている。
「そ、そこ驚くところなの?」
彼女の予想外の思わず声が上ずってしまった。そんなに驚かれてしまうとこちらも困ってしまう。
「うん! 私たちの住んでたところではこれぐらいのお節介が普通だったからね」
何故か胸を張って話す彼女。どうしてそんなに誇らしげなんだ。……もしかしたら、彼女は本当に純粋なんじゃ?
……まあいい。彼女が純粋であろうが、純粋でなかろうが僕には関係ない。
彼女達と僕は相容れない関係だ。関わっても何一ついいことがない。さっさと会話を途切れさせよう。
「この押しかけが普通って、お前らどんな所住んでたんだよ。……とにかく、もうお前らに話せることなんかない」
僕は突き放すように言い放つ。
野々花はまだ何かを言いたげだったが、僕は無視して席から立ち上がる。
これ以上ここに居座られても面倒だし、僕は自室に戻ろうとする。
だが、葵が僕の袖を掴み、それを阻む。
「ねぇ、私たちまだそれ食べてないんだけど」
彼女は僕を睨みつけるようにして言う。
僕はその言葉で、テーブルに広げられた手のつけられてないポテトチップスを見る。
……もしかして葵は、これを食べるのをずっと待っていたのではないか。