【世界史】〜もしも東側諸国が世界の覇権を握っていたら〜 作:Kaki1024
快進撃を続けていく日本。
しかし、同時期のドイツはワシントン.D.C.の戦いとアトランタの戦いで敗北し、対米戦での勢いが止まってしまう。
しかし日本軍は勢いを増しインド洋からイギリス海軍を駆逐するとともにアフリカ大陸沿岸のマダガスカル島まで進出。日本軍は6月にラトマノフ海戦で敗北するものの、同月にチュクチ半島のプロヴィデニヤを空襲。さらに9月にアメリカ本土への空襲を数回にわたり行うなど勢いを増した上に、アメリカ海軍も各地で日本軍との戦いで敗北を続け、アメリカは年末には太平洋上で稼働空母が皆無になるなど各地で勝ち進んだ。
1943年に入っても日本軍は激しい空襲を続け、また各地でイギリス軍やソ連軍に対する勢いも優勢を保ったが、中盤になるとようやくソ連やイギリスも体勢を立て直し、ソロモン諸島の戦いなどでは日本軍と一進一退を続けるようになる。
またインド洋では日本海軍とドイツ海軍、イタリア海軍の共同作戦が活発になるが、イタリアが降伏しインド洋の潜水艦などはドイツ軍に鹵獲される。ヨーロッパ戦線においては同年には枢軸国が完全に劣勢となり、ドイツは2月にスターリングラード攻防戦、5月に北アフリカ戦線で敗北し、北アフリカを放棄。1943年7月に敗色が濃い中イタリアのベニート・ムッソリーニは失脚し、連合国側に鞍替え参戦する。同時に、救出されたムッソリーニを首班としたドイツの傀儡政権であるイタリア社会共和国(サロ政権)が北イタリアを支配する状況になる。また日本軍は昨年から続くガダルカナル島の戦いで敗北するなど、戦線が拡大し補給線が国力を超えて延び切ったため、同年後半には勢いを失い以降劣勢となり、日本軍は空襲を中止する。
1944年にイギリス軍が日本軍にビルマでインパール作戦に勝利し、イギリス領インド帝国への侵略を阻止した。
6月に行われたチュクチ沖海戦でソ連軍が勝利するなど連合軍の勢いがさらに増した。これに対し7月に日本陸軍が中華民国軍とソ連軍に対して中華民国内で行った大陸打通作戦でかつてない大勝利を収めたが、もはや大勢には変わりなかった。
ヨーロッパの連合軍はついにフランスに上陸し、マーケット・ガーデン作戦など勝利を重ねオランダ、ベルギーなどを開放、ドイツに向けて侵攻を続けた。
さらにアメリカ軍もドイツの東部国境に迫った。アジア・太平洋では日本本土がソ連軍爆撃機の戦略爆撃の行動範囲内となる。
10月に行われたウラジオストク沖海戦で日本海軍は大敗北を喫するなど勢いは完全に連合軍に傾いた。
冬にはソ連軍によるカムチャッカ半島への再上陸と、小規模ながら日本本土への空襲が始まった。
反撃を次々と行っていく連合国軍。
そして、第二次世界大戦は最終局面に突入していくことになる。